65 フィリップとジゼルとリオン
「ジゼル、本当にいいのか。思い出して」
西日の差す部屋。オレンジ色に染まるジゼルの姿を目に写しながらリオンは問いかける。
ミラ以外の四人が『ちょっと出てくる』と言って部屋を後にし、『ウチは残る』と残っていたミラも途中からどこかに行ってしまった。
今この部屋にいるのはリオンとジゼルの二人だけだ。
「リオンは、ずっと全部、知ってたの……?」
「……」
「ひとりで、抱えてたの……? 私が思い出すのを心配するほどに、悲しい記憶を?」
俯きながら震えたジゼルの肩に、リオンは手を伸ばしかけておろした。
リオンはずっとわからなかった。
小さなころから慕い続けた女の子を、どうしたら笑顔にできるのか。どうすれば守れるのか。
ジュディがいなくなった後も、ジゼルが引き取られたあとのことも。
そして今も、どうしたら彼女の苦しみを取り除いてあげられるのか、やはりわからないままだ。
「おれのことはいいんだよ」
「……」
姉が消えたという事実は『つらく苦しい』『絶望的だ』
そんな言葉では到底言い表すことができないほど苦痛だった。
あの瞬間を思い出して一口も食べられないことがあるし、逆にいくら食べても吐いてしまうことがある。
しばらくはどれだけ強い睡眠薬を飲んでも一睡もできなかったし、姉のことを誰も覚えていないことがひどく苦痛でずっと壁に頭を打ち付けていたこともある。
リオン以外の記憶の中で、リオンはきっと一人だ。
ジュディを介して世界とつながっていたリオンは、ジュディがいなければ見向きもされなかったはずで、ジュディがいなくなった今、リオンの居場所はどこにもない。
あのやさしい世界は、おだやかにみんなが笑っていたあの空間は、二度と戻ってこない。
「おれも忘れてしまいたいって、思わなかったわけじゃない。何度も考えた。どうしておれだけなんだろう。どうしておれだけ、忘れられずに苦しまなくちゃいけないんだって、ずっと思ってた」
「……」
「試したよ。何度も。頭を強く打ってみたらどうだろう? 毒を煽ってみたら? 高いところから落ちてみたら? ……やりすぎて死にそうになって、でもあの瞬間の記憶は消えなくて、今回もだめかってあきらめて、それの繰り返しだ」
「――っ!」
ジゼルが泣いていた。翡翠のような瞳からあふれ出た雫が、彼女の白い頬をいくつも伝っていく。
「……私の、私のせいだ……! 私が力を使ったから……! 自分は全部忘れて、勝手に自由になって……。リオンはずっと、死にそうになるまで苦しんでたのに……ごめん。……ごめんなさい……」
「ちがう。ジゼルのせいじゃない。あの時『トリガ』に触れてたのがおれで、ジゼルが力を使ったのは無意識だった。あれは君のせいじゃない」
リオンはきっぱりと否定する。
そしてジゼルの頭を撫でた。あの頃、孤児院の中庭でそうしたみたいに。
どんなに泣いていても、そうするとジゼルはいつも泣き止んだから。
だからそれはリオンの役目だった。
近所に住む悪ガキに心無い言葉を浴びせられたときも、親のいる子供が幸せそうに帰っていくのを見た時も、悲しいことがあるとジゼルは隠れてひとりで泣いていた。
その涙を止めてあげたかった。笑顔を守りたかった。
たった一つしか違わないけれど、一人前にそんなことを思っていた。
ジゼルに謝らせたいわけじゃない。自分を責めてほしいわけじゃない。リオンはただ……
「ただ、心配なだけだジゼルが。あの時、あんなに怯えた目をしてた。あんなに震えてた。あんなに寂しそうで虚ろだった。おれだけの記憶だけど、今はおれしか持ってない記憶だけどでも! その中で君は、あんなにこわがってたのに」
「……」
「それをもう一度思い出すことがどれだけ苦しいだろうって、そう思っただけなんだ」
ジゼルは両手で必死に涙を拭っていた。
その姿が愛おしいだなんて君に言ったら、困らせるだろうか。
笑顔になってほしいはずなのに、ジゼルが自分のために泣いてくれるのがうれしいだなんて。
「……思い出したい。思い出したいよ。思い出して、忘れたくなるとしても、思い出したい」
「……」
「……分けてほしい。背負わせてほしい私にも。……記憶がなかったら、できないもん……」
ジゼルはやっぱり泣き続けた。
子供の頃みたいにはいかないなあと思いながら、あの頃と同じやさしい女の子の頭を、リオンはずっと撫でていた。
がty
「ちょ、フィルさんノックして!」
「ああ、すまんすまん」
コンコンコン
扉の向こうで何があったのか薄々察しながらリオンははい、と振り返る。
無論、もうジゼルは泣き止みリオンも手を離した。
「フィリップだ。記憶を取り戻しに来たぞ」
「……ナイスタイミング……」
めずらしくリオンの笑顔が引き攣っている。
やっぱり何かいいところを邪魔した気がするなあとミラは思った。
「ほんとにいいんだね?」
リオンが念押すように尋ねた。
「ジュディ……さん? なんか違和感あるな…………ジュディ、うん。それだ」
フィリップはその女性の呼び方に少し悩んで、口を開く。
「おれはジュディを見つける。どんな場所に居ても。たとえもうこの世界に居ないのだとしても」
「……」
「そうしなければいけない……いや、そうしたいと思った。なんでかはわからない。記憶がないから。だから、思い出したい。おれは、おれのこの気持ちの意味を知りたい」
フィリップは持ってきた大鉈をテーブルにドンと置く。
いかついフォルムのそれにちょこんとついた造花のストラップ。
わざわざ金具を買ったんだろう。
「いつでもいいぞ」
横でジゼルもうんと頷く。
リオンは微笑んだ。
二人の中にあのころの、姉がいたころの自分たちの世界が見えるようで。
強くてやさしい、リオンが憧れたその姿が見えるようで。
それはなんてまぶしいのだろうと、リオンは思った。
「じゃあ行くよ」
ジゼルとフィリップをもう一度確認するように見て、リオンはふっと息を吸った。
造花に手をかざし、詠唱する。
「記憶の紗に穏やかな破壊を。我らに新たな夜明けを。『晨風』」
リンと鈴が鳴るような音がして、ふわりと一同の髪が揺れる。
思いのほか、それはあっさりとこわれた。抵抗もなく、防御もなく。
ぽとりと、二つに分かれた造花が落ちた。
ふう、とリオンが息をはく。
「……」
「……」
「……」
それは光だった。
ずっとリオンの目の前にあった、果てしなく続く暗闇の中にさす一筋の光。
焼き尽くすでもなく、蹂躙するでもない。
まっすぐにリオンのところに向かってくる、強くてやさしい光だった。
戻ったのだと、リオンにはわかった。
二人が動いたのはほぼ同時。
ジゼルがリオンに抱き着き、ふたりごとフィリップが抱きしめる。
そのぬくもりは、あのときと少しも変わっていなくて、リオンはふいに泣きそうになった。
「今まで、ひとりでよく頑張ったな」
「……」
けれど涙を零すことはなく、リオンの瞳は潤むだけにとどまる。
「まあね」
フィリップがリオンの頭を撫でる。
リオンがジゼルにしたように。そしてフィリップが昔リオンにしたように。
幼い頃、頭を撫でてもらうのが好きだった。
リオンのことが大事だぞと言ってもらえているような気がして。
「苦しいだけじゃなかったよ。つらいだけでもなかった。姉さんとの楽しい記憶も、嬉しい記憶も、おれの中にちゃんとある」
もしも神様というものがいるのだとしたら、それはあの日たしかにリオンを守った。
「姉さんの記憶がなかったら、おれは一体どうやって生きていけばいいのかわからなかった。おれがいったい何者なのかも」
姉であるジュディが消えた。おそらく魔法抗争のど真ん中に行ってしまった。
もしそこで、リオンまでその存在を忘れてしまったら、両親もほかの親戚もいないリオンの今までを証明する者はいない。
リオンはときどき想像した。
自分が誰かもわからずに、それを不思議とも思わずにひとりで生きている自分を。
自分が辿るかもしれなかった、最悪の結末を。
それの行きつく先は、なんて空虚でからっぽで、救いのないものだろう。
もしそうであったらと思うと、ひどくこわい。
「おれは幸運だった。あの日記憶をなくさなくてよかった。もう一度あの居場所を取り戻すチャンスを貰えた」
リオンはいまだに姉の生還を夢に見ることがある。
ある日家に帰ったら、『おかえり』と出迎えてきそうな気がして。
よくしゃべり、よく笑い、よく動く。
今のリオンの手本はジュディだ。ジュディの記憶が、今のリオンを形作った。
「姉さんの記憶がおれを守った。おれをここに導いた」
だから
「だから泣かないでよ。フィルさん、ジゼル」
二人の涙は留まることを忘れたように流れ続けた。
Sランク冒険者と凄腕狙撃手の両腕はほどかれる気配がない。
困ってしまってリオンは笑う。
ずっと背負っていた荷物を下ろしたような、おだやかな安堵とともに。
コンコンコン
開いたままになっていた扉から、目が八つ、そおっと覗いた。
「ミラ、どうなった……って、泣いてる!? ほ、ほらハンカチ!」
「あ、あ゛りがどノル」
「ねえお嬢、これもう私たちが入って平気……?」
「ええっと……ぐすっ……たぶん……ぐすっ」
「一件落着したっすか? 邪魔しないようにと思ってたんっすけど、心配になって」
「お嬢がいますし大丈夫でしょう」
ライラとノルがずんずんと部屋に入っていく。
なのになぜかジャスパーとナオは部屋の前で立っている。
ふたりも中に入ればいいのに。
「ジャスパーさん、ナオさん……ぐすっ……なんで入らないの?」
「あー、今ちょっと汚れてるんすよおれら」
「驚かせようと思って急いで帰って来たんですがね……」
「?」
四人が顔を見合わせていたずらが成功した子どもみたいな笑顔を浮かべる。
「ビゲストボア狩って来ました」
「「「「……は?」」」」




