64 フィリップ=アンダーソン3
「……そもそもおれの記憶があやふやな原因はなんだったんだ?」
フィリップもカップを置いて尋ねた。
小隊のみんなはすでに事情を知っているのだろう。
誰かが口をはさむこともなく、ただ静かにお茶を飲みながらこの話の行く末を見守っていた。
「ジゼルの記憶操作の力だ。ジゼルは魔力量が少ない。だから狙撃銃の弾丸に魔力を込めて使ってる。加えて緑の髪だろ?」
「……私が、記憶操作……?」
「うん。ジゼル、十歳以前の記憶、なにか思い出せる?」
そりゃそうだよ、という顔をしてジゼルは記憶を辿るように目線を左上に向ける。
しかし
「……あれ? どう、して……? フィルさんがいて、リオンがいて、そのあとお父さんが迎えに来て……。その前は? その前は一体何を……ぅ――っ!」
困惑したように頭を抱えたジゼルを見て、リオンは少し苦しそうな顔をした。
「ジゼルが自分にも記憶操作をかけたんだ。術者が術者自身に力を使うとき、ほかよりも強く作用するらしい。町のみんなやフィルさんよりも、記憶の損傷がひどかったんだ」
「……! 戻せる? 思い出せる……?」
「うん。大丈夫、戻るよ。それでフィルさんのところに来たんだ。二人は記憶を取り戻したいのかどうか、聞きたくて。『禍』のことがひと段落したらしようと思ってたんだけど……」
「あー、いいよ。シャーロットが幽閉されてたんだって? 言ってくれればおれも行ったのに」
「やだよ。フィルさん力でゴリ押すんだもん。国ごと壊滅状態になるから」
「……」
フィリップは否定できずに黙り込んだ。仕方ないような気もする。シャーロットを幽閉するような奴らが治める国だ。滅びたところで……
そこまで考えて、ふとテーブルに立てかけた大鉈を見やる。
薄紅色の小さな造花に日の光が当たっていた。
『もう! だめじゃないフィル。そのいちいち極端なところ、ときどき危険よ? 私がいるからいいものの!』
「ぐっ……うっ!」
「フィルさん!?」
突然女性の声がフィリップの頭に流れて消えていった。
同時に激痛が走り、フィリップは頭をおさえた。
「いや。なんでもない。それで、どうやるんだ? 記憶操作の解除っていうのは」
リオンはフィリップに未だ心配そうな表情を向けてくれる。
しかしこんなのは些細なことだ。五年前からよくあることだ。
気にせず続けてくれとフィリップは先を促す。
「『トリガ』……つまり記憶操作の引き金になったものを破壊するんだ。今回の場合、フィルさんが今武器につけているその造花がそうだ」
「……」
フィリップはその造花をじっと見つめた。
先ほどのような声はもう聞こえない。
あれはいったい――……?
リオンが言うことには、彼女がおそらく『ジュディ』つまりリオンの姉なのだろう。
しかしだとすれば、自分にとって彼女は一体どんな人だったのか。
いったいどうして、己の身を案じて叱ってくれたのだろう。
「これを破壊すれば……リオンが話していた『ジュディ』という人のこともわかるのか?」
「うん」
「……なるほど」
「どうする? やる? それともやめとく?」
リオンが自分のことを心配してくれているのだと、フィリップにもそれくらいはわかった。
もしかしたら、忘れたいほどつらい記憶も中にはあるのかもしれないのだから。
それに思い出したとして、それからどうする? フィリップはこれまで『ジュディ』という人には会っていない。
思い出すことを切実に望むほど大切な人物だったとして、もう一度彼女に会える保証は一体どこにある?
彼女が生きているという保証は……?
「……すこし、考えさせてくれ」
フィリップは腰を上げた。
こんこんこん
誰もいなくなった部屋の奥。
縁側に座って空を見上げていたフィリップは、はいとノックの音に振り向いた。
「ミラです」
「ああ。入っていいぞ」
ミラはフィリップの座る縁側の方まで来た。
まだ身長もフィリップの腰の半分ほどまでしかない小さな少女が、フィリップの横に何のためらいもなく腰を下ろした。
穏やかな日の光を反射して、ミラの亜麻色の髪はきらきらと透き通る。
その横顔にどうしてか既視感を感じてフィリップは目をこすった。
「? どうしたんですかフィルさん?」
まんまるの琥珀色の瞳がこちらを向いた。光が差すそれにもやはり見覚えがある気がする。
何に似ているんだろう。おれはこの子に誰を重ねているんだろう。
そうは思うものの記憶はやはり曖昧なままで、肝心な彼女の顔は結局思い出せない。
くるおしいほどの切なさがこみあげてくる。
知っているはずの記憶。
こんな風に何度も、髪を撫でたはずなのに
「ねえどうしたんです?」
「…………」
きょとんとした顔で首を傾げるミラ。
フィリップはつい伸ばしてしまった手のやり場に困り、結局ミラの髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「わ! わ! もー、なんだよー……」
ミラはほんの少しむくれたものの、その後特に気にした風もなく伸ばした足をぶらぶらと揺らした。
「なあ、お嬢」
「んー?」
「お嬢が誰か大切な人の記憶をなくしているとして、それを取り戻せるって言われたら、お嬢は思い出したいと思うか……?」
「さっきの、リオンの話ですか?」
「……ああ」
空を見上げながらフィリップは頷く。
ミラは揺らす両足を見ながらしばらくの間考えていた。
「……思い出したいって思います」
たっぷり、フィリップが見ていた雲が空を横断し終えるくらい考えて、それからミラはそう言った。
「なんでだ? 思い出したくない記憶だってあるかもしれないのに。つらい記憶も、苦しい記憶もあるかもしれないのに。それでも思い出したいと思うのか?」
「……うん。思う」
今度はミラの返答は早かった。先ほどの長い時間の中で、きっと彼女は思考していたのだろう。
そして自分にとっての正解をもう持っているから、答えに迷わない。
「ウチにもあります。忘れたい記憶。恥ずかしい黒歴史とか。あとは、持っていても自分を傷つけるだけの、悲しい記憶も」
彼女の瞳はどこか遠くを見つめている。この世界ではない、どこかを。
「でも忘れていいと思える記憶は一個もないです。今のウチを作っているのもやっぱりその思い出だから。どんなに恥ずかしくてもどんなに悲しくても。どれか一つでも失くしたらウチは、『ウチがミラ=スチュワートです』って胸張って言えない気がする」
「……」
「だからウチは思い出したいです。その大切な人の記憶が実は辛くて悲しい思い出ばっかりのものだったとしても。……それを背負って生きたいと、そう思うと思います」
この子は本当に八歳なのだろうかとフィリップは思った。
その姿に一瞬、女性の姿が重なる。
その女性は不思議な服を着ていた。
見たことの無い素材でできていて、スカートは短く、靴下はゆったり。小麦色の肌。金と黒が混じったような髪色。
しかし驚く間もなくそれは、まぼろしのようにふっと消えた。
「お嬢、本当に八歳……?」
「? ど、どういうことです?」
「……いや、なんでもない」
一瞬成人女性くらいに見えたなんて言おうものなら、眼医者に行けと心配されてしまう。
そんなことよりも、フィリップにはまずやるべきことがある。
「……お嬢、みんなのとこ戻るぞ」
「どっちにするか、決まったんですか?」
フィリップはミラの髪をぐしゃぐしゃかき混ぜて、にかっと笑う。
「おれは小隊長だぞ。そんでパーティ風のリーダーだ」
「……」
「『おれがフィリップ=アンダーソンだ』って、胸張って言えなくてどうする」
ミラはそれを聞いて満足そうに笑み、そしてうんと頷いた。




