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59 世話焼き侯爵ベルンハルト=バーナード


 がちゃこーん


 侯爵家の執務室の扉が開く。


「さあさあ座ってくださいみなさん。あ、このクッキー缶開けちゃダメかな……」


 侯爵は鼻歌を歌いながら戸棚を物色している。

 取り出したクッキー缶は深い葡萄酒色で『タンディダンディ』と書かれていた。


「お父様、それ王室御用達の最高級焼菓子専門店のやつですわ……」

「それは本当かいシャーリー? あんな奴らに食わせるのはもったいない菓子だ遠慮なく開けなさい」

「……」

「……」

「……」


本当にいいのかと一同遠巻きにおそるおそる缶を眺めた後こくりと頷く。


「い、行きますわよ」

「う、うん」


 ぱかりとシルヴィアがふたを開けるときらきらと輝くお菓子たちが姿を現す。

 丁寧に個包装されたそれは焼き目に一切のむらなく甘い香りを放っている。


「わ……」

「おお……」

「……」


三人で目の前のきらきら宝箱に言葉を失っているとコンコンとノックの音がした。


「はい」

「アデルバードです。ただいま戻りました」

「ああ、おまえかほらほら入りなさい」

「失礼いたします」

「ちょうどよいところに来た。おまえも混ざりなさい。ああそうだ。アデルバードの茶は美味い。淹れてくれるか?」

「かしこまりました」


 アデルバードは近くに立っていた侍女のお姉さんに声をかける。

 おそらくお茶の用意を持ってきてもらうよう頼んだのだろう。

 ほどなくしてふたたびノックの音がした。

 ワゴンが到着したのだろうとみなそちらを見る。


「はい」

「リオです。茶ーお持ちしましたー」

「なんでお前がもってきたんだ」

「や、そこでちょうどおねーさんに会ってさ。ついでにと思って。おれも混ぜて」


 アデルバードが頭にいっぱいハテナを浮かべているがリオは全く意に介さない。

 にこにこ人好きのする笑顔を浮かべてアデルバードにワゴンを引き渡す。


「おおリオルじゃないか。今日はご苦労だったね。うんうん君も座りなさい」

「ありがとーございまっす」


 リオは詰めて詰めてとノルの横に座る。

 ふかふかの椅子は三人掛けだが、でっかいのであと二人は入れそうだ。


 とくとくとく、となめらかな音がする。

 部屋にふんわりと甘い紅茶の香りが広がった。

 ことりと自分の前に置かれたカップに各々目を輝かせる。

 みな同時にそれを手に取り口に付けた瞬間、一同ぱっと顔が明るくなる。


「さすがアルね。大変おいしいですわ」

「うむ。うまいぞアデルバード」

「このクッキーに合うね」

「やばたにえん」

「やばたにえん?」

「やば、なんですの?」

「やばたに…?」

「あ」


 ミラは慌てて口をふさいだ。

 ギャル語は伝わらない。


「またミラ語?」

「えいつの間にそんな分類されてたの? そんな種類ないよ」

「けっこうあるけど」


 ノルがじいっと己の手のひらを見つめておもむろに指を折りだす。


「わかりやすいので行くと『それな』『あーね』『おけ』『よき』『尊い』『しか勝たん』『がってん』……」

「待て待て待て」

「まだあるよ。たまにわからないのもある」

「そんなに言ってたっけ?」

「人前だとあんまり言わないかも。基本敬語使ってるから。でも気合入ってるときとか、気持ちが高ぶってるときは言ってる。語尾も結構面白い」

「ああ『じゃん』とか『○○っしょ』とか『すー』とか。砕けてるとき一人称『ウチ』だしな」

「……」


 リオにさえそう言われてミラは絶句した。

 まったく意識していなかったのである。


「きびつい…」

「ほら」

「あ」


 だめだこりゃとミラは思い、おとなしく紅茶を飲もうとカップを持ち上げる。


「……わたくし、ミラ語ほとんど知りませんわ」


 むくれたような拗ねたようなシルヴィアの声がした。


「大丈夫ですよ。おれはほら、婚約者だから気が緩むことが多いんじゃないですかね」

「自慢にしか聞こえませんわ……」

「自慢してるんで」

「むぅぅ!! ミラ、私にもミラ語使ってくださいな!」

「え、と。そう言われましても簡単には出てこないと言いますか……」

「まずは敬語を外してくださらない?」

「でもシルヴィア様が丁寧な言葉を使ってるのに私だけなのは……」

「あきらめましょうよ聖女様」

「オリバー殿下、そのしたり顔やめてくださいな! とっても腹立たしいですわ」

「もともとこういう顔なんで」

「むっうううう!!」


 シルヴィアのカップを持つ手がすごいことになっている。

 なのに中身がこぼれないのはどうしてだとミラは不思議でならない。


「まあまあ落ち着きなさいシャーリー。どうどう」

「わたくしもミラ語聞きたいですのに……」

「おまえも砕けて話せばいいだろう? ミラ殿は自分だけでは失礼になると言っているだけだ」

「……ミラ、そうなんですの?」

「え、ええはい」

「ではわたくしもミラには敬語を外して話しますわ。だからミラも……」

「うん、わかった」


 タメ語で返したミラにシルヴィアの顔がぱっと輝く。

 シルヴィア様の中の天使は健在だなあとミラは思った。


「ところでミラ殿、さきほどの『やばたにえん』というのはどういう意味なのかね?」

「ええと、何か形容できないほどすばらしいとかすごいとか感動したとか、あるいはとても驚いたとか大きな感情が沸き上がってきたときに使います」

「つまり、この紅茶がやばたにえんというのは『すごくおいしい』ということだね」

「はい。『すごく』が百個ついても足りないくらい、おいしいということです」

「ほう……私も使ってみようかなあ」


 改めて説明すると結構恥ずかしいなと思う。

 あと侯爵が使っているのを聞いたら多分ミラは吹き出してしまうだろうと思うので使いどころには重々気を使っていただきたい。


「ほかにもそういう言葉はあるのかね?」

「『よくわかる、共感できる』という同意を示すときに『わかりみが深い』とか言いますね」

「ふむふむ。ほかには?」

「最近また流行りだしたものに『チョベリグ』というのがあります。『とてもよい』という意味合いで使います」

「ほうほう」

「気分が上がる、下がるというのを『テンアゲ』『テンサゲ』と言ったり、もっと略して『アゲ』『サゲ』って言うこともあります」

「まだありそうだね」

「これは親しい仲間内だけの会話で使うことがほとんどですが『あざまる水産』と言うことがあります」

「……あざまるすいさん……」

「心からの『ありがとう』という意味です」


 ほぉーと侯爵が目をきらきらさせる。

 聞き上手な人だなあとミラは思う。

 きっとこういう人が侯爵だからこの国の貴族は優秀なのだろう。

 聞き上手は人を育てる。


「そういえば、王宮にもバーナード侯爵と名乗る男性が来ていたのですが彼は一体……」

「ああ、それはわたくしの義兄よミラ。お父様の実の息子よ」

「お兄さんがいるの?」

「ええ。二十年上で結婚しているわ。ウェストン家の綺麗で優しいお姉さんと」

「……ウェストン公爵家」

「今まで辺境に追いやられていたけど、おそらくこれからしばらくはウェストン家が王族の代わりにこの国を治めることになると思うわ。堅実な家だから安心してミラ」

「よかった。シルヴィア様のお義兄さんがお嫁さんをもらった家なら大丈夫だね」


 シルヴィアが微笑みながら頷く。

 どちゃくそかわいい。


「……ミラ殿」

「はい」

「今回は本当にありがとう。シャーロットを救い出してくれて」

「いえ。私がしたことは結界魔法を解除して外に出しただけです。シルヴィア様がそれまで無事でいられたのは、アデルバード様の存在とシルヴィア様自身が強いお気持ちでいたこと、その二点に尽きます」

「いや。確かにその二つも否定はしないがそれだけではない。君が来てから生きる気力がわいたとシャーロットは言った。君のお世話のおかげだと」

「ありがとうございます。得意分野なので」


 微笑んだミラに侯爵もまた笑みを返す。


「このベルンハルト=バーナード、心から御礼申し上げる」


 その表情には娘が無事だったことへの安堵の思いが込められていた。

 血がつながっていなくとも、彼らはたしかに親子であるとミラはそう思った。


「これからまた旅に出るそうだが、もし迷惑でないのならシャーロットとの交流を続けてくれたら嬉しいよ。これはシャーロットの父親としての君への依頼だ」


 侯爵は頭を下げた。

 自分より身分の低い、一介の伯爵令嬢に対して。

 ミラはあわてておやめください、と立ち上がる。

 顔をあげた侯爵の顔を見て、ああこの人は父親なんだとミラは理解する。

 侯爵である前に父親であろうと決めた人の顔だ。


「その依頼、ミラ=スチュワートがたしかに承りました。もちろん依頼されずともその予定ですが」


 ミラは礼を返す。

 父親であろうとする彼に、最大級の敬意をこめて。


 侯爵はそれを見て再度微笑んだ。



「ミラ殿」

「はい」

「あざまるすいさん」




 一同は爆笑した

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