58 【閑話休題】前田は異世界の夢を見るか
前田史香は女子高生である。
長い前髪。でかい眼鏡。すっぴん。
お昼を共にする友人もいない。恋人ももちろん、いない。
根本的に人と付き合うのが下手なのである。
自分のとろくて鈍くてまどろっこしいところが、同い年の女子たちの目にひどくウザったらしく映っていることは前田にもよくわかっている。
女子というのは見た目がすべてだ。
顔、スタイル、服装。どれか一つでも磨こうとしなければ女の世界ではやっていけない。
そしてそのどれも、自分には遠い世界のもののようだった。
自分がどこかの集団に出される話題に乗るとき、どんな風に伝えられているかも想像に難くない。
誰かの悪口が終わるときに、前田よりはマシだよねという言葉が決まり文句になっていることも。
けれどそれならずっといいと前田は思う。
自分の存在のせいで他の誰かの悪口が続くよりも、ずっといい。
ずっとそうして生きてきた。
三国志の英雄のように誰かを率いて戦うでもなく、ラノベの主人公のようにある日突然異世界に召喚されるでもなく。
ずっとこのままで、なにもない前田のままで、17年間。
いじめられてこそいないが、青春とは程遠いものであったことは間違いないだろう。
人生そんなに甘くないとすべてを悟って諦めたふりをして、平凡が一番だと必死に自分に思い込ませた。
そうしていなければあまりにもみじめで、寂しかった。
友人が欲しかった。自分の話を飽きずに聞いてくれるような。なんでも語り合えるような友人が。
できるはずがないことも、よくわかっていたのだけれど。
彼女に出会ったのは、いつもと何も変わらない朝だった。
席替えだった。
日の当たる窓際、後ろから二番目、すみっこ。自分の中では一番の特等席だった。
後ろが誰でもいいやと思っていた。
だからさっさと机を移動させて前田はぼーっと窓の外を見る。
自分に酔っているとか、ストーカーみたいだと言われたがあいにくそれには慣れていた。
いちいち気にしていると何もできないので前田はいつも聞かなかったことにしている。
あと窓の外を眺める自分をかっこいいと思ったことは一度もない。なんならダサい。
でもそれしかやることがないのだ。前田には。
「あ、前の席前田? よろよろ~マジラッキーだわ」
「……どうも」
「ふふっ前が……前田……前の席が前田……ふふふふっ」
黒ギャルだった。何かがツボに入ったらしく笑いが止まらない様子。
明るい髪に小麦色の肌。下着が見えてしまうんじゃないかというほどに短いスカート。第二ボタンも空いているシャツ。淡いオレンジ色のカーディガンを腰に巻いているのがお洒落だ。
濃いメイクは彼女のくっきりとした目鼻立ちをさらに引き立て、ルーズな靴下も細い足が際立っていっそ美しかった。
ギャルの服装がこんなに似合う人もなかなかいないだろうなと前田は思う。
同時に自分とは縁遠い世界の人だとも。
ラッキーとは一体どういうことだろう。パシリやすいとか引き立て役が傍に居て、ということだろうか。
「……私、パシッてもとろいし引き立て役にも力不足だと思うよ」
「……え?」
「さっきラッキーって……」
「ああ! ちがうちがう! 前田、歴史得意じゃん? 教えてもらえるなって」
「……え?」
「あれ、間違ってた……!?」
「いや、合ってるけど……」
なんでこの人がそんなことを知っているのだろう。
たしかに前田は歴史が好きだ。歴史の前では誰もがただ一人の人間に過ぎないから。
努力した人が報われる時もあれば、思ってもみなかった人物が台頭することもある。
誰かの思いが大きな力となって国を動かすこともあれば穏やかに長く続く時代もある。
そのどちらも好きだ。その時代の文化もつながりも。
だけど前田は自分が歴史好きなことを誰かに話したことはない。というか話す人がいない。
「なんで知って……」
「え、だって前田、社会の歴史の時間はいつも楽しそうにノート取ってるじゃん。歴史の順位いつもトップスリーに入ってていつも貼りだされてるし」
「一度も気づかれたことない……」
「ウソでしょ!? だとしたらみんな何を見て生きてんの!?」
そんなに大げさに驚かれるようなことでもないと思うのだけどと前田は思うのだが、彼女にとってはどうやら違うらしい。他の高校生とは見ている世界が違うんじゃないだろうか。
おもしろい人だなと思わずクスッと笑うとそれを見た彼女は目を瞠った。
「前田、やっぱかわいいぃ」
「……は、はぁ!?」
「ね、私に前田をコーディネートさせてよ!」
「ええ!?」
「ほら、淡い色がいいかな……桜色とか似合いそう。後ろ髪は下ろして、前髪あげてさ……」
彼女の手がおでこに伸び、視界が晴れる。
よりはっきりと見えた彼女の顔は思った以上に元がいい。
すっと通った鼻筋にぽってりと色っぽい唇。黒目がちな瞳。長いまつ毛。
「あなたに言われても……」
「おいぃ! ウチの名前は雪那! 黒後雪那! クラスメートなのに……」
「ごめん」
「ゆるす!」
「てか、黒後……後ろが黒後……はははっ」
なんだか緊張が消えていってしまう。雪那のどこか青みがかった深い黒の瞳。紺桔梗というのだと、こばセンが言っていたような気がする。
ああ綺麗だ、と前田は思った。
「前田、肌すごく綺麗。雪みたい。白花色って言うんだよ。こばセンが言ってた」
「……」
「ウチ、国語が好き。綺麗な言葉が好き。可愛い恰好が好きだし、強気なメイクも好き。人に世話を焼くのが好き。もっとかわいくなった子が嬉しそうに笑うのが好き。前田は? 前田が好きなものは何? 聞かせてよ」
「私の話なんて、つまんないと思うけど」
「な~に言ってんの! 私は自分の好きなものの話を楽しそうに話す子が好きだよ。可愛いからね」
「雪那こそ何言ってんの……」
「褒めてるんだよ」
「……」
「……」
「………………三国志」
「!」
「三国志が好き。ライトノベルが好き。それが読める携帯小説サイトが好き。どう? つまんないでしょ」
今まで一度もいなかった。この話をして苦笑を返さなかった人間は。
なのに雪那は目を輝かせる。心底楽しそうに。興味深そうに。
「三国志!? しぶっ! カッコいーじゃん! ねね、誰が好きなの? 劉備? 孔明? 曹操?」
「……陸抗」
「陸抗!? っかー! しびれるなあ! 超マイナーじゃん!」
「きちんと自分の言葉で丁寧にはっきりとものを言えるところが好き」
「へー! ウチ、三国志は触りしか知らないからさあ。今度教えてよ」
「陸抗は知ってんだ」
「たまたま何かで読んだ記憶がある!」
そういえば黒後雪那という名前はテストのたびに総合成績上位者として貼りだされている。
前田はそれを今思い出した。彼女のことだとは知らなかったのだ。
「黒後雪那……この前の、テスト一位の……!」
「知ってたの? わあお。なんか照れるわあ」
「……」
眉を八の字にしてへにょりと下げる雪那。なんだか見かけによらず可愛らしい人である。
聞こえてしまったものは仕方ないと、昔は思っていた。
「ねーえ、ゆきなぁ! パンケーキ食べに行こお~!」
「え、今日?」
「何か文句あるの?」
「今日は前田と用事が……」
「前田ぁ? あの暗くてダサくてキモイ前田?」
「なっ! 何で前田を悪く言うの!?」
「事実じゃーん。きゃはははは」
雪那のいるグループだった。雪那は必死で前田を庇おうとしてくれているのが分かった。
でもだめだ。やっぱり前田には友達はできない。雪那にこれ以上迷惑はかけられない。
「あっ! 前田だ~!」
「ねえねえ、あんた雪那と仲いいの~?」
「……」
「え~雪那ウソでしょ~」
「でも雪那、最近ちょーし乗ってるもんね~! 一回痛い目見ないとわかんないのかも~」
「……よ」
「なに~? 聞こえない~」
「私、雪那と友達なんかじゃない。」
ぎりぎりと手のひらに爪が食い込む。気分が悪くてしかたがない。
お腹がグルグルして、立っていられないぐらいにめまいがする。
言いたくないこんなこと言いたくない。
叫びたかった。化粧ベタ塗りのその顔をぶん殴ってやりたかった。だけどできない。
こんなことしか前田にはできない。
「……前田……?」
「ゆきなぁ、ちがうってさ! パンケーキ屋さん行こ!? ね?」
「ねえ前田……!」
「彼ピに送る写真撮らなきゃー! ここめっちゃ映えるんだよ~!」
前田は走った。振り向いたらダメだ。
ダメだダメだダメだ。
「……前田!」
涙が出た。振り向きたい。振り向きたくて仕方がない。
前髪切ったんだって言いたかった。雪那の紺桔梗の目がよく見えるねって言いたかった。
色付きのリップを買ったんだと言いたかった。きっと雪那はぬってくれるだろうなと思った。
やっぱかわいいとそう言って、心底うれしそうな目で見てくれるんだと思った。
なのにこんなことしか前田にはできない。
「ちょっ、あんたらマジで離して!」
「は?」
「あんなにかわいくて優しくて頭いいあいつがダサくてキモイとか、一体何見て生きてんの!?」
後ろの声に足が止まった。
「あんたらの方がずっと気持ち悪いわ! 離して!!!! は な せ!!!!」
「え、なにこれ。友情ごっこですか~?」
「あんたらにどう見えても正直どうでもいいわ離して」
「ちょっ、は? マジで言ってる?」
「早く離して」
廊下にいた他の人たちも訝しげに雪那たちの方を見ていた。
もともと雪那がいるからスクールカースト上位を維持していたやつらだ。
雪那が本気で抜けるのは困るのだろう。
「前田! 行かないで! 今日は孔明の面白い話、してくれるんでしょ!」
「でも……」
「行くな! じゃないとここで泣きわめくから!」
「いや迷惑!!」
雪那はいつめんのやつらをようやく振り切って前田のもとに走ってくる。
日に焼けた肌にいくつもの汗の玉が浮かんでは流れていく。
「前髪切ったんじゃん。似合うなあやっぱり」
「よくわかったね」
「持ってるの、色付きのリップでしょ。自分で選んだの?」
「うん。ちょっと淡すぎたかも」
「な~に言ってんの。前にウチが言ったの覚えてたんでしょ。桜色が似合うって」
「……うん」
「ほら貸してみ」
リップを受け取った雪那は前田の顎を持って上向かせると前田の唇に器用に桜色をほどこしていく。
「ん。思った以上にかわいい」
「……」
「やっぱり目大きいしくっきり二重だし整った位置にそれぞれのパーツがあるんだよなあ前田。うんうん。いい。すごくいい」
「……恥ずかしいんだけど」
「はいスカートおるよー! 足長いんだからもっと出してけー!」
「ちょちょちょ……」
「はい髪ゴム取るー。わお、髪めっちゃサラサラ! これで横の髪を留めて……」
雪那が前田の頭の横に何かをパチンと留める。
「これ、前田に似合うと思ったんだ!」
鏡で見せてもらうと、それは星をあしらった髪留めだった。
ガラスがいくつも連なった細工がしゃらりと鳴る。
「あんなこと思う方がどーかしてるんだ。前田はかわいいよ。すごくカワイイ」
「……」
「えっ! どした前田!? かわいいって言われんのやだった? な、泣くなよ頼むよ~」
「……」
「えっえっ! あ、髪留め嫌だった? 外す!?」
「……ちがう……ありがとう……」
「うん。私もありがとう。前田」
お礼を言うと雪那は嬉しそうに笑う。
そして自分の袖で前田の涙を拭う。敵わないなあと前田は思う。
だいすきだと思った。
帰り道に駅ビルのアクセサリー売り場を覗く。
前田も何か雪那に渡したかった。
三軒目でようやく見つけた。
まるで雪那のために在るようなデザインだと思った。
明るく気高く可愛らしい、ミモザの花をあしらったピアス。
彼女の耳元で揺れたら、きっとどんなに輝くだろうと前田は思った。
朝、いつもより一本早い電車に乗った。早く渡したくてしょうがなかった。
学校に向かう足が自然と早くなる。昨日薦めた携帯小説の感想もききたいな。
雪那はどんな顔をするだろう。
喜ぶかな。いいのにっていうかな。でもきっと笑うだろうな。それから……
「黒後雪那さんが亡くなりました」
登校直後の全校集会。
どうして突然と思っていた。早く雪那に渡したいのにと思っていた。
その全校集会で、校長先生がそう言った。
ウソだと思った。後ろにいるはずの雪那を探す。
でもいない。雪那がいない。
息が、できない。
「登校途中の小学生を居眠り運転のトラックから守ろうとして……」
なにも頭に入ってこない。言葉が上滑りする。
「前田史香さん、渡すものがあります。あとで職員室に来なさい」
先生の言葉に頷いたのだけは辛うじて思い出し、集会の後職員室に向かう。
足が重たい。気分が悪い。ずっと頭が吐きそうに痛い。
「前田さんね。そこに座ってちょうだい」
担任のまりちゃん先生。優しくていい人。
「これ。黒後さんのお母様が、あなたに渡してほしいって」
携帯電話だった。
「……どう、して」
受け取りたくなかった。
受け取ってしまったら、本当に雪那がこの世からいなくなってしまったことを認めるみたいで。
「あなたでしょう? 黒後さんに携帯小説を勧めたのは」
電源を入れると、そこには前田が勧めたラノベ小説が写っていた。
事故の衝撃のせいだろう。その画面からピクリとも動かない。
割れた液晶に、水滴が落ちる。それを見てようやく、前田は自分が泣いていることに気付く。
「事故現場に落ちていたそうよ。黒後さんのお母様が、雪那が時間も忘れて読んでいた携帯小説だとおっしゃっていたわ。誰に勧められたのって聞いたら、前田って言ったんですって。
だからこの携帯電話は、前田さんという人に預けてほしいって。前の席の、前田さんに」
「……」
『ふふっ前が……前田……前の席が前田……ふふふふっ』
「……うっ……」
可愛らしくデコレーションされたガラケーのラメにぼたぼたと水滴が落ち、流れていく。
「……うぅっ……ああ……あああ」
雪那にもらった髪留めを触る。
雪那の存在をつなぎとめるかのように。
『ほら、淡い色がいいかな……桜色とか似合いそう』
『前田、肌すごく綺麗。雪みたい。白花色って言うんだよ』
『あんなにかわいくて優しくて頭いいあいつがダサくてキモイとか、一体何見て生きてんの!?』
『前田はかわいいよ。すごくカワイイ』
…………――――
雪那の声は、もう聞こえない。
「前田さん、これ明日までに修正お願い」
「承知しました。そこに置いておいてください」
社会人になって、前田は化粧品会社で働き始めた。
今の仕事は、コスメをデザインする企画部だ。
「前田さん、やっぱり超綺麗でかわいいよね。学生時代モテたんだろうなあ」
「当たり前だよ。きっと友達もいっぱいいてさ」
「あーイメージ通りって感じ」
「頭もいいしさー、三国志に詳しいんだぜ!? 俺なんかギャップに思わずぐらっと……」
「ラノベの話が通じるんだ! 休日の唯一の楽しみがいっしょってなんかいいよな」
自分を見る目が学生のころと変わったことを前田はよくわかっている。
自分がそうなろうと努力したのだ。当然の結果といっていい。
けれどそれは雪那がいたから。前田をかわいいと言って、やさしくて頭がいいと言った雪那がいたから。
何かとてつもなく苦しい時、前田は髪留めを触る。それだけでなんでも乗り越えられた。
『ね、私に前田をコーディネートさせてよ!』
あのケータイは、充電して電源を入れるとまだ携帯小説の画面が開く。
前田が勧めたライトノベル。主人公は雪那に似ているちょっとお転婆な女の子。
前田はときどき夢を見る。
雪那の夢だ。不思議な不思議な雪那の夢だ。
雪那は亜麻色の髪の少女になっていて、けれど間違いなく雪那だと前田にはわかる。
その夢の中で彼女は心底嬉しそうに笑っている。
前田に向ける、あの笑顔だ。
そしてそういう時、決まって聞こえる声がある。
雪那の声ではない。だけどたしかに雪那の声だ。
『ありがとう前田!』
その声に耳を澄ませながら前田は口角をあげる。
今日はよく眠れそうだ。
前田は異世界の夢を見るか?




