56 【閑話休題】 バレンタインは突然に
――ウィステリア国王宮。
その一角にウィステリア国王太子、オーウェン=ウィステリアの部屋はある。
書架は幼い頃から集めたたくさんの本で埋まり、心揺さぶられるような濃厚な物語や驚くべき緻密な知識たちに囲まれてオーウェンは育った。
オーウェンには弟がいる。
オリバーという名前の、賢くて強い大事な弟だ。
昔は大事に思うならオリバーのもとにあまり通ってはいかんと父に言われたものの、幼心に納得がいかずわがままを言っていたのは少々恥ずかしい過去だが、父も母もただ、オーウェンと同じようにオリバーを大事に思っていたのだと、最近オーウェンは知った。
けれどオリバーに寂しい思いをさせていたのはゆるさん。
オリバーに冷たい態度をとられて落ち込んでいた両親を見て、ちょっと笑ってしまったのは仕方ないと思う。
わかりにくすぎるのである。愛が。
さてそんな弟も本が好きだ。
意外なことに、好き嫌いせずに何でも読む。
王国建国神話が好きらしく、出てくる神々たちの名はそらで言える。
植物図鑑もよく読んでいる。図鑑で見た植物を外で見かけると嬉しいらしい。
数学や天文学の難解な書も読む。もともと天才的な頭脳を持った男だ。教育による知識も相まって、ぐんぐん吸収する。
なにより魔法書が好きだ。読んで得た知識をすぐに使うので、離宮は常にぼろぼろ。
魔力が多く、精度に優れ、オーウェンが全力を出し切ってやっとのことで出した魔法も涼しい顔で難なくいなす。
魔法でオリバーを追い抜くのをオーウェンは早晩諦めた。勝てない奴というものはいる。
かといって置いて行かれるつもりは毛頭ないが、オーウェンはそんな弟が自慢だったし、それでオーウェンの価値がなくなるわけではないことを知っている。
そして、自分のそういうタフな部分がオーウェンは結構気に入っている。
そんな弟が、オーウェンにある知識を植え付けた。
本日2月14日はバレンタインデイというらしく、遠い東の国には愛する人に「ちょこれーと」というものを贈りあう文化があるそうな。
その国の商人がちょこれーと普及のために考え出したイベントだそうだが、ずいぶん商魂たくましい国もあるものである。
ただ別に、オーウェンにそんなイベントは関係ない。
そもそも知らない国の話だし、オーウェンの渡したい人はそんなイベントなど知らないだろう。
そんなこんなで、仕事をするうちにそのイベントのことはきれいさっぱり頭からなくなっていた。
こんこんこここんこんっとノックの音が響いた。このリズムはソフィアだろう。
なんでも友人のミラ嬢が口ずさんでいたノックのリズムらしく、大変わかりやすくていいと満面の笑みでオーウェンへの合図に採用。
いったいなんのリズムだったのか、大変気になるところである。
「どうぞ」
「失礼しますわ」
「この書類に目を通すから、少しだけ待っていてくれ」
「わかりました」
ソフィアはハミルトン侯爵家の一人娘だ。
日の下にいる時間は長いはずなのに、色白でなめらかな肌。
紅茶色のサラサラの髪。くりっとしたまんまるの瞳は深い鳶色。
日々欠かさない庭の手入れを物語る、傷だらけの細長い指。
強くたくましく、そして誰よりも綺麗な、オーウェンの好きな女の子。
はじめて図書館で会った時から、オーウェンは彼女にベタ惚れだった。
そのうえ何とも嬉しいことに、彼女は自分の婚約者なのである。
喜ぶなという方が無理な話だ。
顔を合わせると嬉しくて、彼女から言葉を引き出したくてからかってしまうのだが、いい加減やめなければなるまいとオーウェンは最近決意を新たにした。
弟が彼の婚約者のミラ嬢とお互い何とも素直にやさしい雰囲気で話しているのを見たからというのもある。恋人というのはかくあるべきだ、と思ったのだ。
それに、いつまでも子供っぽいちょっかいをかけているままでは、最悪きらわれてしまう可能性だってないとは言えない。それだけは絶対に避けねばなるまい。
「お待たせ、ソフィ」
オーウェンはできるだけ含みを持たせない言い方を心がけた。
言葉数はできるだけ減らしたし、大丈夫なはずである。
本当は「俺に会えてうれしい?」くらいは尋ねたかったのだが、何の確認だよウザいですわ、などと思われた日にはもう立ち直れないので、何とか飲みこんだ。
そう。俺は大人にならねばならない。
しかしソフィアはなぜか小首をかしげている。
違和感でもあっただろうかと、オーウェンの背中をつうっと冷たい汗が流れる。
ソフィアは首を左右に振り、なんでもありません、と言った。
「退屈ではありません。お仕事中の殿下の真剣なお顔を見ているほうとしては、むしろ役得ですわ」
「ならよかった。今、茶を淹れるから」
ソフィアの言葉に嬉しくて飛び跳ねそうな心を落ち着かせ、あくまで冷静に、とソーサーを取りに席を立つ。
からかわないようにしようと意識するほど、なんだかぶっきらぼうな言い方になっているような気がするのだが、気のせいだと必死で言い聞かせる。
あれおかしいな。今日はなんだか余裕がないぞ俺。
茶を淹れてソフィアの向かいの席に座ると、からかわないと決めた分、自然と口数が減る。
黙っている時間が長くなり、静かに静かに時間が過ぎていく。
茶を飲みながらこっそりソフィアを眺める。
紅茶色の髪が日を透かしてきらきらと輝き、葡萄酒色のドレスにかかる。
開けた窓から入ってきた風が、そっと彼女の髪を揺らしたのだ。
露わになった形のいい耳たぶが、ほんの少し紅色に染まっている。
オーウェンはなぜか目を離すことができず、どうかソフィアが気づきませんようにと思いながらガン見する。ほどなくしてその衝動が過ぎ去り、オーウェンはなんとかソフィアの斜向かいに移動した。
正面は刺激が強すぎるようだ。
なるべく直視しないように俯き加減でオーウェンはソフィアに話しかけることにした。
いつもは沈黙が気まずいなどありえないのだが、今日の俺はなんだかカッコ悪いなと思いつつ、もはやどう挽回すべきかもわからない。
「ソフィ、今日……」
ぱた、ぱたたた
水滴が落ちる音がした。
オーウェンが顔をあげると目の前で、ソフィアが泣いていた。
「え、ええっ!?」
突然のことにオーウェンは焦った。こんなに狼狽したのは初めてじゃないだろうか、というくらい。
いつも冷静沈着を心掛けているオーウェンだが、この時ばかりはそんなことどうでもいいと心から思った。
「な、ど、どうして……僕が何かしてしまったか?」
彼女の涙をいっぱいにためた瞳がこちらを向く。
「それはこちらが聞きたいですわ……。先ほどからなんだかよそよそしくて調子が狂うと思えば、いつもの軽口もなく向かいに座るのすらさけるご様子。そんなにいやでございましたか? 私が来るのは。ご迷惑でしたか? そうならそうとおっしゃってください。理由もわからずに嫌われることほど怖いことはありません……」
「な、ちょ、待て待て待て。僕は別に……」
「ほら、その「僕」とはなんです? まるで距離をとるみたいに。いつもなら『お待たせソフィ』のあとに『俺と会えてうれしい?』くらい言ってきて、私をからかうだろうとまで思っておりましたのにそんなご様子もなく。もしや他に好きな方でもできて、そのお話でもし始めるのかと……」
「それは絶対違う!!!!」
弁明する間もなく一番最悪な仮説に飛びそうになったので、オーウェンはなりふり構わず大きな声を出した。ソフィアはびっくりしたように目を見開く。
驚きからか涙はとまっている。
「悪かったちゃんと説明する。するからどうかその仮説は仕舞ってくれないかそれは絶対に違う」
「は、はい……」
「その、まずよそよそしい態度についてだが、いつまでも子供のような振る舞いで君をからかっていてはいつかきらわれてしまうと思ったんだ。『俺と会えてうれしい?』は当然聞こうと思ったが、それで君に『毎度毎度何を言わせるのだウザい』などと思われようものなら僕はもう立ち直れん。一人称『僕』も同じ理由だ。まずは普段の行いから変えるべきかと思っただけで……」
なんだこれは何の拷問だ。自分の勘違いへっぽこ行動を説明するなんて俺じゃなかったらもう爆死だぞとオーウェンは思う。
爆死というのはなんでも、爆発四散して死んでしまいそうなほどの感情という意味の言葉らしい。ミラ嬢が使っていた。
「次に斜向かいに座りなおした件だが、正面に座ると君の綺麗な姿がまっすぐ僕の目に飛び込んでくるわけだ。僕が子供のうちはそれでいいとしても、成長してさらに君の美しさが増した場合、僕のなんやかんやがあれやこれやしてしまう。それは非常にまずい。今だって僕は君にキスしたくてたまらないんだが……」
ソフィアは顔を真っ赤にして俯いた。耳たぶも先ほどより赤い。
……ああもうかわいいなこのやろう!!!!
「まあ、そういうわけだ。まさか君を泣かせるなんて思わなかった。すまなかった。もうやめることにする。性にも合わないし。……それに、ソフィから好きだと聞けないのは結構なダメージだ」
さらに俯くソフィア。
しかしオーウェンはもう動じない。
これは想定内、想定内、想定内・・・なわけあるかバーカ!! かわいすぎなんだよバーカ!!!!
「あの、これ」
俯いたままだがソフィアが小さな包みをオーウェンに手渡す。
落ち着いたブラウンの箱に、深いすみれ色のリボンがかかっている。
「これは?」
「ちょこれーと、という品です。お父様と懇意の貿易商が来たとき、カカオという実の粉が手に入りまして。ココアの原料になる粉らしいのですが。それでミラが、ちょこ作れるじゃん! というものですから、作り方を教えてもらったのです。今回は甘さが控えめなガトーショコラというお菓子にいたしました。オーウェン様は甘すぎる菓子は得意ではないと聞いた覚えがございましたから」
「えっ!」
思わず目を輝かせてぴょっと背筋が伸びてしまった。
今日は奇しくも2月14日。
「その、ソフィは今日これを渡す意味を、知っているのか?」
せっかく落ち着いたようだったのに、彼女の頬がまたじわりと熱を帯びる。
「わかっていて、渡しに来てくれたの?」
「…………」
ソフィアは答えない。
しまった。これ以上はからかっ……てもいいんだった。
「じゃあ、知ってて用意した僕の方が君のこと好きってことでいいよね」
オーウェンはマシュマロクッキーサンドの包みを取り出した。
少し固めに焼いたちょこれーとクッキーにとろりとあぶったマシュマロをはさんだお菓子である。
お菓子作りがうまいオリバーと一緒に作ったので味はまあ悪くないはずだ。
ソフィアは顔をあげるとオーウェンと包みを交互に見比べ、なんだかほっとしたように笑い、取り繕ったようにすました顔をする。
「何をおっしゃいますか。知っていたに決まってますでしょう」
「ふうん。じゃあ君は僕を愛する人だと言ってくれるとそういうわけだ」
「!」
やってしまったというようにソフィアはこちらを見た。しかし否定の言葉は返ってこない。
「そんなことは今更でしょう。私の方が早いのは言わずもがなですが」
「いや待つんだそこは譲れない。僕の方が早かったね」
「いいえわたくしです」
「おやソフィア、紅茶のスプーンの向きが逆だ」
「殿下こそ、ミルク入れすぎではございません?」
ふたりの甘い(あまくない)惚気合戦は、まだ終わらない。
バレンタインのおはなしです。
少々フライングですみません。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・評価・ブックマーク、お待ちしております。
あづま




