5 侍女エマ=ステラ1
魔法ですよ!
のぼせないうちにお風呂から上がる。
ふむ。お風呂の外の空気がちょっと冷たくてきもちいい。
外に置いておいたふかふかのタオルに顔をうずめる。
洗濯してくれた人は天才ではなかろうかというほどに柔らかく、ほんのりお日様の香りがする。
大いなる自然と凄腕洗濯メイドさんに感謝である。
「髪をガシガシ拭かないでくださいね。ぎゅっと押さえるようにして、水分をタオルに吸収させてください」
ゴシゴシしてしまえば先ほどまでの苦労はすべて水の泡だ。
濡れた髪に刺激はご法度。これは姉がいつも言っていた。
タオルは吸水性も抜群だった。今度洗濯メイドさんに会うことがあったら絶対にお礼を言おうとミラは決めた。
遭遇した記憶がないでもないが、悲しいことに冷たい物言いをした記憶もセットなのである。
つらたにえん。
「おっし、次はドライヤー……」
言いかけてはっとした。
この世界にはドライヤーがない。あるわけない。どう見てもない。
しかしこのままでは髪へのダメージは進む一方である。
どうしたものだろうとあわあわしていると、エマが声をかけてきた。
「どうなさいました? お嬢さま。何か困ったことでも?」
「その、髪を乾かしたいんです。こう、完全に。お風呂に入る前みたいに。でも、乾いた風が出るようなハイテク道具はココにはないし」
「……乾燥した風が出せればよろしいのですか?」
「うん。なにかありま……へ?」
あるんかい、と期待を込めて視線をあげたミラの目には驚くべきものが映っていた。
エマの手のひらから柔らかなオレンジとみどりの光が淡くふわりとこぼれだし、小さな空気の流れをなぞるようにひらひらと揺らめいている。
「なに、これ……。めっちゃ綺麗なんだけど」
思わず口から称賛の言葉が漏れる。
「なにって、魔法ですよ。弱い日魔法と風魔法で乾燥した風を出してみました。
魔法の組み合わせは久々ですけど。で、これをどうするんです?」
「魔法ですよ!? 魔法ですよって……えっ!? この世界、魔法あんの!? まじかー! すっご! やっば! ……っていやいやいやまずはエマの黒髪を乾かさねば。え、えっと、えっと、それで、つむじのあたりから毛先にかけて、強く当てすぎないように少し離して、そうです。そんな感じで完全に乾くまで。そ、そんなことよりエマ、魔法使えたのですか!? すっ、すごいです! 魔法って、こんなに美しいのですね! まるで……まるで天女が舞い降りたみたいな……あ、て、天女っていうのはですね、天に住むとされる空想の存在で、美しい女性のことを指すんです」
そう褒めると、エマは照れたように笑って謙遜した。
「ありがとうございます。でもこれくらいなら練習すればみんなできるようになります」
そんなわけない、とそれくらいはミラにもわかった。
前田が言ってた記憶がある。どの異世界でも魔法の組み合わせは大抵難しいものだと。
転移や転生した主人公は大抵簡単にやってのけてしまい、チートや無双と呼ばれることもあるが、人生そんなに甘くない。
これは相当努力したのだ。
そうでなければ、あんなにムラなく長時間、魔法を放ち続けるなんてできない。少なくとも、今のミラにはできないことだ。
「お嬢さまのお父様である伯爵様も奥様も、すばらしい魔法の腕の持ち主です。わたしなんて、足元にも及びません」
「えっ! そうなんですか!? お父様もお母様もすごいです! 私も練習すればそんな風になれるでしょうか」
もしかして、転生した人間には特別な魔法の才能があったり!? と一瞬ミラはそう思った。
しかしもう一度言おう。人生そんなに甘くない。
「残念ながら、お嬢さまは魔力が常人より少ないのです。伯爵様や奥様のように、莫大な威力の魔法は出すことはかないません」
「まさかのハンデ付き!」
期待していた分すこし悲しい。
そう、何度でも言おう。人生そんなに甘くない。
しゅんとしていると、エマがものすごく申し訳なさそうな顔をしていた。
「待った! そんな顔しないで! エマのせいじゃないんだから! それよりもエマ、さっきのエマくらいの魔法なら使えるようになる?」
エマが虚を突かれたような顔をして私を見つめる。
なんて美人さんだ、とミラは思った。
あまり見つめられると照れてしまうので、ほどほどによろしくお願いしたい。
「ええ、もちろんですとも。これより少し強いくらいが限界かと思われますが」
よかったーと、ミラは本日何度目かわからない安堵のため息を漏らす。
生活するのに困らない程度の魔法ならいけるということだ。
「さっきの組み合わせるやつも、うんと練習すればできるようになりますか……?」
エマがこくこく頷く
「それならエマに魔法を教わってもいいですか?」
「わ、わたしが!? わたしでよろしいのですか!?」
「はい……! エマがいいです!」
今度はミラがこくこくうなずく。あったりまえじゃい! ともう一度強くコクリ。
「私なんかでよろしければ、いくらでも教えますとも」
何とも頼もしい限りだ。
「ありがとうございます! エマ! はっ!! こうしちゃいられません。私たちお風呂から出たまんまです。と、とりあえずそのエマの魔法、私の髪にも当ててください!」
「は、はい!」
エマはそっと魔法を私のほうに向けてくれる。優しい風が髪をなでる。
「わーっ、ちょうどいい温風! やっぱりすごい!」
すっかり乾いて軽やかになった髪に椿油を丁寧に塗り込む。
「お、お嬢さま! 何の魔法ですか、これは!? 髪がサラっサラのつやつやに……!」
私からしたらエマのさっきの魔法のほうが驚くべき事象なんだが、と思いながらエマの方を振り向く。
そこには女神が立っていた。
ミルク石鹼で優しく洗った肌はもっちりと透き通り、そっと薄紅に染まっている。
はちみつシャンプーとレモンリンス―を使って丁寧に手入れしたエマの黒髪は、絹糸さながらに滑り落ちる。
「めっちゃ美しいです! エマ、すてきです! す、すごいすごい! 私の侍女がすごい! 私の侍女が美女だった件! やば! 超よき! キュン死! ふっわ~! ガチモンの美人メイドきた! 私の目に狂いはなかった! 目もよぉく見るとごく黒に近い、深い紫なんだよなあ! めっちゃ品のある色! これであれだけ魔法使えるとか、引く手数多だろまじ」
「そ、そうでございますか? ……光栄です。ありがとうございます」
「恥じらいからの笑顔! いただきましたーー! ごちそうさまでー……ごほごほごほっ」
いかん非常にいかんこれでは押しが強くてヲタク気質なめんどくさがられるタイプのギャルじゃないかとミラは焦った。
嫌われるのは嫌である。好きで嫌われるやつなどいないが。
「ごめんエマ、ちょっとうるさかったねほんとごめん」
気を取り直して次は肌に化粧水を、と思って気がつく。
そんなもの、もちろんあろうはずもない。
「あーもう、学ばないなあウチ」
とりあえず、服着よう。そしたら化粧水をつくろう。洗ったままの肌を放置しておくのは肌によくない。
はぁい。やっぱりエマさんハイスぺックでしたね!
そして、うん…、どんまいミラ。
いつも読んでくださり、ありがとうございます