25 第二王子オリバー=ウィステリア2
本日2話目になります。
ノルが第二王子。
当の本人はにこにこしているがそれはノルが『禍』の討伐に行くということではないのか。
もしかすれば、ノルが死んでしまうかもしれないという話ではないのかとミラは困惑した。
それなのになぜ、この人はこんなに平然とすべてを受け入れているのだろうかと思う。
ノルの、濡羽色の宇宙を詰め込んだガラス玉のような瞳から、諦めの色は消えたはずだったこの前の告白の時に。
なのにそこにまた同じ色がよみがえっているような気がしてミラはまっすぐ見つめることができない。
さっきまで、第二王子が『禍』討伐に行くという話はミラにとって他人事であった。
家格が遠いからという理由ではない。
むしろ王族とスチュワート伯爵家はそれなりに長い付き合いだ。スチュワート伯爵家は王家に仕える文官、武官、魔法使いともに多数を育成し、輩出する名門である。
伯爵家という地位にとどまっていたのも、ミラの今世の父親であるスチュワート伯爵が、この地位のほうが、動きやすくて何かと便利とか言って叙勲を退いていたからだ。
ミラは王様とも会ったことがある。
最後に王様に会ったのは4歳の頃のことなのであまり覚えていないが、隣に座る王妃様も側室様も大変に綺麗な方だったと記憶している。
その一年後に側室様が亡くなってそこからだろうか。
あまり王家の人に会う機会がなくなり徐々に疎遠になっていった。
父や母はしばしば会っていたようだが、ミラを連れていくことはなかった。
王子たちに会ったことはなかった。
ミラが王家の人に会ったときも王子たちは勉強や剣の稽古があり同伴していたことがない。
だからミラが第一王子に会ったのはあの忌まわしきお茶会が最初で第二王子に至っては名前しか知らない。
そんなわけで王家とのつながりがそれなりにある家でありながらミラは王子たちにさほど興味を持たないまま今に至る。
幼い第二王子が『禍』討伐だなんて気の毒にと思ったことは本当だ。
まして自分と同い年だ。ミラだって心配くらいする。でも、それだけだ。
ミラにとって第二王子は全くの他人で何の関係もなかった。
王様も何か考えがあるんだろうとその程度にしか考えていなかった。
つい先ほどまでは。
『禍』討伐の出発式は三週間後だ。
つまり、ノルに残された時間はあと三週間で、ミラがノルと過ごせる時間も残り三週間だということをそれは意味している。
そしてその後もう一度ノルに会える確率は、限りなくゼロだ。
そう理解した瞬間ミラの視界がぼやけた。
次に沸いてきたのは、怒りだ。
不敬にも国王陛下に対する怒りだ。それは同時に失望だった
いや違う。
まただ、とミラは思っている。
またミラの手の届かないところで誰かが傷つくことが、くやしいと思っている。
ミラはやっぱりなにもできない。
こんなにも、無力だ。
「いや。いやだよノル。なんで……最近こんなんばっかりだ。ノルがまた傷つくの? そんなのやだ。死んでほしくない。いなくなってほしくない。離れていかないで……おねがい……」
ぼたぼたと涙が地面に落ちる。ミラはその水滴を絶望的な気持ちで見ていた。
この前以上に自分の弱さを見せつけられるようで、でもそれだけしか自分にできることはなくて、そのことがまた、ミラには腹立たしくてならない。
ソフィーが俯き、ノルの後ろに立っていたオーウェン殿下が目を見開く。
「なんで、ノルがそんな目に合わなきゃならない? なんでノルでなくはいけない? なんで! なん、で……? いつもいつもそうだ。なにもできない。行ってほしくないのに離れていってほしくないのに。行かないでノル。行かないで。ごめんこれしかわからないのノルを引き留める方法が」
右手で掴んでいたノルの服はもうしわしわになっていた。
握りしめた左手に、爪が食い込んで痛い。
「ミラ」
呼ばれて顔をあげる。
白い。
いつもより丁寧にアイロンがかけられたシャツが視界を埋め尽くす。
ノルはミラをギュッと抱きしめて離す。まるでミラの存在を確認するように。
あいかわらず表情は乏しい。だけどその眉だけは下がる。
惜しむような、ふれるだけのキス。
そうしてもう一度抱きしめられる。たからものを扱うような触れ方。
けれどノルの顔が見えない。
その間に彼が何か大切なものを手放しているような気がしてミラは不安になる。
先ほどよりも長い時間そうしていた。
ずっとずっと長く、けれどたったひと時のようでもあった。
ミラとノルのところだけ、時が止まっているような気さえする。
体が離れる。
同時に何か決定的な、絶対的な安心感すらも離れていくのがミラにはわかった。
どうか勘違いであってくれと、心の中で強く思う。
だがそれを否定するかのように、ノルは言った。
「ミラ、お前それ、何目線?」
空気が、凍り付く。
ミラの体が無意識に硬直する。
ノルの瞳には、もう光も感情もない。
ただただ冷たい、暗闇のような眼。
「俺の恋人気取りかよ。ハハッ、笑わせんな。第二王子の俺が、お前みたいな家格の低いやつ、本気で相手にすると思ってんのか? 冗談もほどほどにしろよ。俺はお前と離れられて清々する。いつもいつも、べたべたべたべた。正直うんざりだったんだよ。もう二度と会わなくて済むなんて、むしろラッキー」
ミラは動けなかった。
ノルの口から出てくる言葉が信じられなかった。信じたくなかった。
「あとお前、ノルって呼ぶのやめてくれる? 許可した覚えないんだけど」
そう名乗ったのも本名を隠していたのもノルじゃないかという言葉をミラは懸命に押し込む。
「なに? 泣いてんの? おまえ、すぐ泣くよな。泣けば全部解決すると思ってんだろ。ほんと迷惑。さっさと俺の視界から消えてくれないか?」
すぐ涙が出るのは体質みたいなもので、感情が昂るとこらえられないだけだ。
ノルもそれは知っているはずなのにとミラは思った。
どんどん、ノルがノルでなくなっていく感覚がする。
彼の言葉なのに、彼を伴わないような気持がする。
それともこれは、そうであってくれというミラの勝手な幻想か。
わからない。もうなにも。
ぱたぱたっとこぼれた雫が夜色のスカートに染みをつくる。
父に贈ってもらったこのドレス。ノルの眼の色みたいで、気に入っていた。
今日の夕茶会が終わったら、この姿のままでノルに会いに丘に行こうと思って髪や服もがんばったのだ。
綺麗だねと言ってほしくて。
「『好きだ』と言ってくれたのは、ウソ……?」
ミラはやっと、その質問を絞り出す。
ノルは答えない。
もう、耐えられなかった。
これ以上ここにいたら、どうにかなってしまいそうだ。
「オリバー第二王子殿下、無礼をいたしましたこと、大変申し訳ございませんでした。そして、長きにわたり殿下のご気分を害しましたこと、深くお詫び申し上げます。」
せめてもの抵抗に、ミラは被り分けている猫を総動員して、この上なく丁寧に謝罪の礼をした。
ノルはそれでも何も言わない。
「最後にどうしても申し上げたいことがございます。発言をお許しいただけますか?」
この場で一番力を持つだろう第一王子の方を見る。彼は頷いた。
ミラは息を吐いて、吸う。一拍置いて、告げる。
「無事のお帰りを、お待ちしております」
ノルが何か言おうとして、やめた。
こらえるみたいに、眉をぐっと寄せる。
もう十分だとミラは思った。
ノルがミラのことを本当はどう思っていたとしても、その表情だけでミラにはもう十分だ。
「もちろん、殿下には金輪際近づかないことをお約束いたします。それでは、御前を失礼いたします」
ミラはスカートを翻すと、逃げるように会場を出た。
心の声は、聞こえてくれない。




