18 ノル2
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「お母様! お母様! 見て! ほら、花丸!」
とことこと少年は一人の女性のもとに駆けていく。
声をかけられた母親と思わしきその女性は、少年と同じ烏羽色の瞳をやさしげに細めた。
「すごいわ! がんばったのねノル」
その女性、アリア=ウィステリアは大層美しかった。腰まで届くほどの濡羽色の髪。それとは対称的に、白く美しい肌。紅の唇は、はっとするほど色っぽく、いつも優しげに弧を描いている。
髪と同じようで、ほんの少し深い色をした瞳には聡明な光がたたえられ、人々は、国をやさしく見守るその姿に、日輪が人の形をとってこの世に顕現したのではないかとすら噂した。
「ぼく、毎日勉強して、カメリア国の言葉もずいぶんわかるようになったんだよ! いつかお母様よりもすごい魔法使いになるんだ!」
得意げにそう話す少年。
それを母親はじっと愛おしそうに眺め、茶目っ気たっぷりに言う。
「あら、お母様はそれはすごい魔法使いだったのよ? あふれんばかりの魔力とカンペキな質で、この国で右に出るものはいなかったくらいなんだから」
事実である。
平民でありながら彼女が側室にまでなることができたのは、王子の出産と、この魔法使いとしての功績が大きかっただろう。
そして王子を生んで側室となってからも、王妃の声を無視した過激な第一王子派が何もしかけてこないのは、王国最強と謳われた彼女の力が理由だろう。
「じゃあ、お母様よりすごくなるには、もっともっとがんばらなくちゃ。それで、大きくて強くなったら、ぼくがみんなを守るんだ。で、ぼくのお嫁さんとお母様とぼくの三人でいろんなところを冒険しながら旅するの! そしたら、お母様も今よりずぅっと楽しいよ! 約束だよ?」
屈託のない笑顔を浮かべる少年。
彼女は、本当にそうなればいい、と心から祈るような表情をする。
「楽しみにしているわね」
そう言って宝物に触れるようにそっと少年の頭を撫でた。
「お母様! お母様!? どうしたの? 熱はこんなに高いのに、なんでこんなに体が冷たい……?」
涙をぽろぽろこぼしながら少年は困惑する。
「ああ、ノル。あはは、お母さんちょっと、へましちゃって。いやあ、失敗したなぁ……」
なんてことない口調でアリアはおどける。
しかしその顔色はひどく悪い。青白い顔をしたままで、アリアは続ける。
「ノル、そんなに泣かないの。せっかくの男前が台無しよ?」
「……お母様……」
「あのね、ノル。聞いてほしいの。お願い。お母さんの一生に一度のお願いだから。ね?」
「やだ! いやだよ。なんでそんなこと言うの? そんなのまるでお母様が……いやだ! 聞かない!」
ノルはそう言って首を大きく横に振る。透明な雫が床にはじける。
「ノル、お母さんのことはお母さんが一番わかるわ。今しゃべっていられるのが不思議なくらいなの。だからお願い」
アリアはなおもいやだと駄々をこねる少年を見つめる。
一瞬だけ、泣きそうに、仕方ないなあという風に、笑む。
それから叱る顔をつくった。
「聞きなさい! 聞きたくなくても、それでも聞きなさい!」
アリアの雰囲気ががらりと変わる。
有無を言わさぬ雰囲気に、少年はびりっと肩を震わせる。
「いい? 今からいうことは絶対です。違えることは決して許しません。返事は?」
「は、はい!」
王国最強の魔法使いの凄みにノルは反射的に頷く。アリアはなおも厳しい表情で続ける。
「あなたはあなたの生きたいように自由に生きること。ただし、自由というのは、決して、傍若無人に振舞うことではありません。誰かをけなしたり、馬鹿にしたりしていいということでもありません」
母は今、伝えるべきことだけをノルに伝えようとしている。
そしてノルもまた、そんな母の目をまっすぐに見ていた。
「それは、正直であれということです。本当に大事な時に、嘘やごまかしを口にするなということです。あなたは……ノルはノルでありなさい、ということです。わかるわね?」
アリアの目には柔らかい光があった。
だがその光には、決して譲らぬ強さが垣間見える。
死を目前にしてなお、彼女は落ち着いていた。
「そして」
そこでいったん言葉を切り、ふいに優しい母の表情に戻って告げる。
「しあわせになりなさい。かならずよ」
そう言って、いつもの笑顔で少年に笑いかける。
「お母様がいなくとも、お嫁さんを見つけて、笑顔で暮らすこと。あなたとお嫁さんのふたりで世界中を冒険してもいいわね! そしたら、むこうで思い出話を聞かせること。ふふっ、あの世でも楽しみができてしまったわ!」
母の青白い顔がほんのすこしだけ色づく。
ノルの眉が八の字に下がったままなのを見て、母は困ったように笑った。
本当に、感情が眉に出る子だとアリアは思う。
「ノル、あなたは少し、伝えなすぎる。いつもは騒がしいほどしゃべるのに、本当に大切なことほど口にしない」
呆れたように言うアリア。けれどその瞳には息子への隠しようもない愛おしさが浮かんでいた。
「大切なものは目には見えない、とよく言うわね? ならば、大切なことは言わなければ伝わらないわ」
「おかあ、さま……お母様……!」
ノルは何も言えなかった。
これが最後なのだと、最後になってしまうのだと、最初からわかっていた。
伝えたいことはたくさんあるはずなのに、そのどれもが違う気がして、ノルにできたのは母を呼ぶことだけだった。
「あらノル、笑って? いやよ? 最期に見た顔が、泣き顔だなんて。あなたに次に会うまでに、どれくらいあると思っているの。ねえ、ノル、これが最期のお願い」
ノルはむりやり唇を持ち上げた。母の心残りの無いように。
落ちる涙をぬぐうこともせずに、ノルはただ、笑うことだけにすべてを注いだ。
それを見たアリアはやっぱりちょっと泣きそうな、だけど満足そうな顔で笑う。
「ノルは本当に、ノルのままねぇ……」
それは強くておおらかな母親の表情だ。
「生まれてきてくれて、ありがとう。オリバー」
窓からの風が、ふわりと部屋を吹き抜けた。
アリアは目を閉じる。
そして二度と開けることはなかった。
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