12 魔法を習いましょう(実践編2)
「我を照らす日輪よ、吹き抜ける一陣の風よ、彼の霧を晴らし、澄み渡る空をふたたび現し給え」
エマがパチンと軽快に指を鳴らすと、たちこめていた霧が一瞬にして掻き消え、名残のようにざあっと吹いた風が、ミラの髪を弄ぶ。
その風はかすかな日の香りを連れて王都へと向かい、家々の真っ白な洗濯物を揺らした。
「こちらが日魔法の”日向”と風魔法の”雄風”を融合した魔法です。勝手に”光風”と呼んでいます。言葉の意味通り、水気を掃うときによく使います。お嬢さまの髪を乾かす際に使用している魔法でもあります」
もちろん威力は弱くしていますが、と付け加えながらエマはそう言った。
先ほどからエマは詠唱してくれているが、おそらくはミラがエマのイメージを共有しやすいようにしてくれているのだろう。
「早速、霧を顕現させてみましょうか」
エマがミラのほうを向いて言う。
ミラは、教わったように心で強くイメージして、詠唱する。イメージをできるだけ言葉にのせることを意識する。
「この地に残る水の粒子たちよ、畏れながら申し上げる。白露のベールをもって、我らを覆い隠し給え」
ふっと視界が白くなる。
公園でよく見るミストシャワーのような霧がふわふわとたなびいている。
成功だ。
「よくがんばりました。適性のない魔法を一度目で成功させるなんて、なかなかないことですよ」
エマはそう褒めてくれるが、正直先ほどのエマの魔法を見てしまうと自分の魔法がどうしてもしょぼく感じる。
魔力が少ない分、魔法の質をあげよう、と心に留め置く。
その後もエマの魔法講座は続き、日が傾き始めたころそろそろ撤収しようということになった。
「日が沈むと肌寒いですから」
持ってきた荷物を片付け始めるエマ。ミラもそれを手伝う。
一通り荷物がまとまったころ、思い出したようにエマが言った。
「そういえば、お嬢さまに見せようと思っていた魔法があと一つあったんでした」
そして辺りを見回し、太陽がまだ空に残っていることを確認してエマは手の器を作る。
「これは、特別何かの役に立つような魔法ではないのですけど……」
詠唱を始めるエマ。まだ、授業は終わっていないようだ。
どんな魔法も見逃すまいどんな声も聞き逃すまいとミラは耳を傾ける。
「この地を潤す甘露よ、天照す日輪よ、今われらに天泣の恵みを現し給え」
テンキュウってなんだ。
そう思った瞬間、ぽつりと鼻先に落ちる一滴の雫。
「……雨?」
空を仰ぐ。
透き通るような空から、きらきらと七色の彩を纏った光が降り注ぐ。
それは晴れ渡る空から軽やかに舞い落ちる雨粒。
澄んだ風鈴の音が聞こえるかのような錯覚を引き連れてミラを祝福する。
「綺麗……」
ミラはそれ以外に何事も言葉を発せず、目に映る景色に見惚れる。
天泣だ。それはそう形容するにふさわしい光景だった。
太陽が橙色の裾を引き、東の藍色の空にかけて見事なグラデーションを魅せるころ、エマの魔法はゆっくりと終わった。
「エマは、ほんものの魔法使いだ。……だれが、なんと言おうと」
ミラは泣いていた。
エマを思うとどうしても、あふれてあふれて止まらない。
黒髪は畏怖対象。厄災をもたらす色。
わかっていた。ミラがどんなにあの色を好きでも、世の悪意からエマを守れない。
どの魔法書にも書いてあった。どの歴史書にもその邪悪さが綴られていた。どの地理書にも黒髪への差別があった。
それが悲しかったのかもしれないと思っていた。苦しかったのかもしれないとも思った。
でも違う。これは、この感情は……
「くやしい……」
「……」
「なんでエマが、つらい思いをしなきゃいけない? なんでエマが、悲しまなきゃいけない? こんなに優しくて頭がよくて魔法がすごくて、綺麗で……もっと、もっとあるのに。強くて、私の大事な侍女で、誰かを喜ばせるために魔法が使えて。いいところも、かわいらしいところも、いっぱいあるのに。くやしい。くやしいよエマ」
ぎゅっと抱きしめられる。エマの夜色のメイド服が目の前にある。
その腕はあたたかくて、安心する。
「たしかに私は世界を恨みました。何もかも嫌になって、いっそ死んでしまおうと何度も思いました。この黒髪さえなければと、何度も染めようと思いました。切ろうと思いました。だけどそうしなくてよかったと、思います」
「……」
「染めなくてよかった。おかげでお嬢さまに見つけてもらえた。切らなくてよかった。だってお嬢さまに綺麗と言ってもらえた。……死ななくてよかった。お嬢さまに出会って、魔法を教えてあげられる」
ミラの髪をやさしくなでるエマのてのひら。
「エマ」
「なんですお嬢さま」
「もしかして、泣いてる?」
「なにを言い出すんですお嬢さま泣いてるわけないでしょう」
「えへへ、なんだか涙声だったから」
「気のせいです」
エマの顔をこっそり確認すると、目元が少し赤い。
私の侍女はつよがりだなあとミラは思った。
ガサガサガサッ
今度こそ行きますよ、とぶっきらぼうに言ったエマと片づけをしている最中にそれは聞こえた。
明らかに何者かが動いた音だ。
「誰っ!?」
反射的に音のする方を振り向くミラとエマ。
茂みがもう一度がさがさと鳴り、その何者かが姿を現す。
「ごめんなさいっ!」
そう言ってスライディング土下座をかましたのは一人の男の子だった。
する方は当然だが、土下座はされる方もそれなりの居心地の悪さを感じる。
「ちょっ、汚れるから立って! 顔も上げて!」
ミラはその少年のもとに駆け寄り土下座をやめさせる。
顔を見ると、その少年の顔には丸い眼鏡がかけられていて、瞳の色はよく見えない。
ただ、日が沈んで間もなくの、夕とも夜ともつかない時間の空の色のような、深い深い藍色の髪が風に揺れた。
見た感じでは相手に悪意はなさそうである。
とりあえず、とミラは荷物の中から敷物を取り出して草の上に広げ、そこに座る。
ぽ んぽん、と隣のスペースを叩いて、さあ座れと少年に目で示す。
それが伝わったのかミラが示したスペースに腰を下ろす少年。
「ねえ、名前は? どうしてあそこにいたの?」
少年は視線を左右に彷徨わせた後、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「ぼ、ぼくの名前は、あー、みんなからはノルって呼ばれてる。と、年は7歳。もうすぐ8。
ここは、ぼくもお気に入りの場所で、いやなこととか、どうしても苦しくて逃げたくなったときに来る場所なんだ。すっきりした風が吹くから」
だんだんと暗くなり、ちらほらと星が見え始める。
それに呼応するように滑らかになっていくノルの話に、ミラは耳を傾ける。
「今日も、ちょっと嫌なことがあってさ。本当は、こんなにすぐ逃げてしまうようじゃダメなんだけど。気分が晴れたら、また明日からがんばれるって思ってここに来たんだ」
ノルの声は夕闇に溶けるように柔らかく響く。ミラは綺麗な線をえがくノルの横顔を見ていた。ノルの眼鏡の奥の目が星の銀光を纏って静かに揺れる。
「そしたら君とそこのお姉さんが帰るところのようだったから、ちょっと離れた場所にいて、いなくなったら出ていこうと思って、あのあたりで待ってた。途中少し気になって覗いてたら、さっきの魔法が僕のところにも降り注いで、しばらく時間も忘れて見てた」
さっきの魔法を思い出しているのか愛しそうな目で一瞬だけ相好を崩すノル。
ミラはなぜかちょこっとだけ面白くなかったが、それが何でかはわからず、ノルの話をただ聞いていた。
「魔法が終わって君たちも今度こそ帰るように見えたから立ち上がったら、そこの茂みに体が当たってしまって」
君たちに気付かれたと、へにゃっと眉を八の字にさせて困ったような顔をしてノルはミラのほうを向く。
眼下の王都には点々と柔らかい灯りがともりはじめている。
「覗かれるなんて気分良くないよね。それにさっきも怖がらせたみたいだし、本当にごめんなさい」
もう一度謝るノル。
「もう二度としないから。ここに来るのもやめにする」
「え? ちょっと待った」
ミラは思わず口をはさんだ。
「どうしてそこでここに来るのをやめるっていう選択をするわけ? 別に来ればいいじゃない。誰の場所でもないんだから。あなたの拠り所なんでしょ?」
そもそもミラだって別に怒っているわけではない。
あまりにも深刻そうな顔をしているものだから、話せば落ち着くんじゃないかと思って座ってもらっただけだ。
しかしミラもちょっと圧が強かった自覚はある。ギャル時代の名残かもしれない。
「でも、またぼくに遭遇したら気まずくならない?」
「ならないでしょ。お互い好きに過ごせばいいじゃない。なんなら一緒に魔法でも練習する?」
ミラの気づかいは伝わったのか、ありがとうと言ってノルは笑みを見せる。
「よぉし、話おわり! エマ、帰ろ! ノル、あなたも日が落ちきる前にちゃんと帰りなよ」
そう言ってミラは勢い良く立ち上がる。
あざやかな向日葵色が翻る。
丘を下ろうとするミラにノルが声をかけた。
「あのさ、君はなんていう名前なの? ぼくの名前は教えたけど、君の名前はまだ聞いてない」
ミラは一瞬きょとんとした顔になる、それからふわりと微笑んだ。
「わたし? わたしはミラ。ミラ=スチュワートだよ」
ミラはそう言って今度こそ丘を下る。
宵闇にミラの持つランプがぽつりと灯っている。
そのランプが丘の中腹辺りまで届いたとき、またね、とランプを振った。
ノルのシルエットがゆらゆらと揺れる。彼も手を振っているのだ
ミラを見送るようにしばらくそうして、彼のシルエットもまた、丘を下り始めた。
お待たせしましたようやくヒーロー出せました遅くなってほんとすみません。
個人的に金髪碧眼ではなく落ち着いた色を持つヒーローにグッときます。
自分もそうだよー!と言ってくださる方がいたら、大変うれしいです。
いつもお読みいただきありがとうございます!




