11 魔法を習いましょう(実践編1)
「お嬢さま、この辺りにいたしましょう」
ミラとエマは屋敷から少し離れた小高い丘に来ていた。このさらに奥には豊かな森があり、王都を一望できる。
空の高いところから降りてくるような勢いのある心地いい風が、ミラの亜麻色の髪をさらりとなびかせる。
向日葵色のスカートが舞った。
かすかに大地の香りをまとったその風は、奥の森にも吹き込み木々を揺らす。
木の葉が触れ合う音が、まるで潮騒のように響いた。
「心地のいい場所ですね」
ミラは大きく息を吸い込む。
空気が澄みわたっているというか、粒子が際立っているというか。どこか、前世でよく参った神社を彷彿とさせる。
それくらい、凜として神聖な空気に満ちている。
「ここは私が魔法の練習によく使っていた場所なんです。『自然』がいつもより近くに感じられるような気がして」
エマは風に煽られる夜色の侍女服をそっと抑えた。
「誰にも秘密にしておくつもりだったんですけど、お嬢さまならいいかなと思ったんです」
ミラは思わず微笑んだ。
それだけで、エマが自分を信頼してくれていることがまっすぐに伝わってくる。
「私は本当に幸せ者です」
ミラが笑いながらそう返すと、エマが深紫の瞳をふっと細める。
「さあ、お嬢さま。魔法の練習をなさるのでしょう? まずは風魔法から習得しましょう! スチュワート家は風魔法に適性がございますからね」
かすかな照れをかき消すようにそう告げるエマに、ミラはなおも笑み崩れた。
「風魔法で簡単なのは、軽風、息吹、凱風あたりでしょうか。今の季節なら薫風もおそらく成功しますよ」
すらすらと風魔法の種類をあげていくエマ。その言葉に一つの疑問が生じる。
「季節によって使える魔法が変わるの?」
そんなこと魔法書には一言も書かれていなかった。読みこぼしただろうかと記憶を辿る。
「そうですよ。私が12歳の時に発見したことなんです。伯爵様ご夫妻は知っていますが……そういえば他のだれかが同じことを言っていた記憶はございませんし、魔法書にも記述がないですから、お嬢さまはご存じないのも無理からぬことですよ。同じような魔法の内容でも、季節、場所、時間帯によって呼び方を変えると、より効果が出るものもあります」
さりげなく爆弾を落としていくエマに、ミラは半ば呆然とする。
この世界中で魔法の研究をしている人は大勢いると基礎の魔法書に書かれていた。また魔法に関する新たな発見はここ100年は見られていないともある。
魔法の歴史に名を残しかねない発見をこともなげにあっさりと口にするエマ。
いったい何者なんだろうとミラは思う。
しかし今はそれについて言及している場合ではない。
「エマ、昨日少しだけ予習も兼ねて練習してみたんです。見てくれませんか?」
予習の成果を見てもらうべく、ミラは胸の前で手の器を作る。
「この地を渡る一陣の風よ、畏れながら申し上げる。どうかこの手に柔らかき清風を御起こし給え」
涼しげな風がミラの髪をさらりと持ち上げ白い肌をさらす。
透き通るような淡い水色の光がミラの手からあふれんばかりに湧き出る。
エマが目を瞠った。
「驚きました。清風は先ほどあげた魔法と違って、魔力の流れを理解していないとできない、初級魔法の中でも上位に位置する魔法です。威力こそ小さいですが、これを鍛えればあるいは……」
意外そうな顔を見せたエマは一人何事かを呟いている。
声が小さくて魔法の説明以降は聞き取れなかった。
だがまあおそらく褒めてくれているのだろうそのはずだそうであってくれ頼む。
「お嬢さま、魔力の流れが分かるのであれば、適性のないほかの魔法に挑戦しても問題なさそうです。今お嬢さまが顕現させたのは初級上位魔法ですが、中級下位魔法が扱えるようになれば、魔法の組み合わせも可能になります。手始めに風魔法と相性の良い、水魔法を教えます」
エマは先ほどミラがしたように胸の前で手の器を作る。
「大地を潤す清澄なる水よ、畏れながら申し上げる。どうかこの地に、しとやかなる霞を施し給え」
エマがそうつぶやくと同時に濃い水の気配が丘を覆う。
先ほどまであんなにも晴れ渡っていた空が嘘のように、いつのまにかあたりは無数の水滴に囲まれてまっしろだ。その一つ一つが、大気に水が存在することをはっきりと主張する。
それはしっとりとたちこめ、丘の草花は白露に濡れる。
まるで幻の中にいるかのような光景にミラは身を震わせた。
「霧です。お嬢さま。水の初級中位魔法ですね」
ぼんやりとシルエットをやわらげたエマがそう告げる。エマの手元には白い光がふわふわと揺らめいている。
ミラは呆気にとられたような顔をしてエマを見、パッと顔を輝かせる。
「す、すごい! やっぱりすごいよエマ! こんな広範囲に、こんなに密度の濃いものを顕現させるなんて……しかもこんなに長い時間……。でも魔法書に載っていたどの霧の詠唱とも違う詠唱だったのに、なんで?」
魔法書には霧は攪乱用に一瞬だけ施すものとして載っていた。
普通はこんなに長くできるものではない。ミラはつい敬語も忘れてエマに詰め寄る。
「ありがとうございます」
照れたように頬を赤くするエマ。そっと横を向いたがすぐに戻す。
自分の考えをどう言葉にしようかと悩むようにしながらも、彼女は続ける。
「魔法では発現させたい光景を強くイメージすることが重要なんです。詠唱はとっても便利なものですが、バリエーションが減ります。詠唱通りの魔法しか顕現できないからです。詠唱を覚えるよりも、イメージの練習というか、すっと想像できるようにすることが大事です」
魔法書には前世の参考書のごとく、とりあえず覚えろ! と詠唱が載っていたはずだ。
詠唱はただ唱えればいいというものではどうやらないらしい。
そんなこと一言も載っていなかったじゃないかとミラは思う。
「それができると『自然』にも覚えてもらえるようになります。一方的な”お願い”ではなく、双方の想像で”会話”が成り立つようになるからです。そうすると無詠唱で魔法が使えるようになります。近頃はみな覚えることにばかり必死になって、それをおろそかにしますから……」
「無詠唱ってそういうことだったの!? えっ!? それってエマはどこで知ったの!? どの魔法書にもそんなこと一言も……」
『自然』に自分の存在を覚えてもらう方法があったなんて知らなかった。
「ああ、これも自分で気づいたんです。10歳の時に。多くの人は魔力量が多いほど存在を知らせることができると思っているので、魔力の少ない人間には無詠唱はそもそも不可能と考えられているそうですが、そんなことはないんです」
ほんと有能だなこの侍女、とミラは思わずにいられなかった。
なんで侍女なんてやってんだ。
「じゃあ私、本当にラッキーだったんだなー! こんなすごい魔法使いに教えてもらえるんだもん!」
目を輝かせてミラがそういうと、エマが一瞬虚を突かれたように目を見開いて、
それからほんのりと耳を朱に染めて横を向いた。
「お嬢さま、敬語はもうよろしいのですか?」
投げかけられた言葉は、この話の流れでは違和感がある。さっきも思ったが、この侍女は照れると顔を逸らすクセがある。
「エマはどっちがいい、ですか?」
ここはエマの希望を聞いておくべきだと思った。一応今のところは敬語に戻してエマに尋ねてみる。
「……お嬢さまが嫌でないのなら、砕けている方が、親しみやすくて落ち着きま……」
そこまで言って不自然に言葉を途切れさせ、顔を真っ赤にする。
秋のリンゴにも負けないくらいの顔をしたままエマはうつむく。
「……謀りましたね?」
しぼり出すようなか細い声をミラの耳がとらえる。どうやらバレてしまったみたいだ。
「だって普段聞いたら絶対に敬語っていうと思ったんだもん。エマの本音を聞きたかったから」
もう遠慮せずに口調は崩す。
「大方、最初に敬語にめちゃくちゃ驚いたことを気にしてるんだろうなあって思ってたんだ」
そういうと、エマは苦い顔をして所在なげに視線を彷徨わせる。
「でもエマがこっちのほうがいいって言ってくれるならそうする!」
ミラはむふー、と満ち足りたような顔になってしまう。
しょうがない。喜ぶときに全力で喜ぶクセは、ギャル時代の名残である。
エマは観念したように、でもどこか嬉しそうな顔で、やれやれとため息をついた。
ヒーロー出る出る詐欺してしまいました…。
楽しみにしていてくださった方、大変申し訳ないです…。
魔法とエマとの絡みを書いていたら、
ヒーローの入るスキがなくなってしまったのです…。
次回は必ず出るはずです!




