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さっさと死ねよ

『あんたはお父さんから才能を継いでるはずなのよ』



 何度も何度も、耳が爛れる程に。

 母は私にそう言い聞かせて、私はそれを信じようとした。

 何度も信じようとして、その度に奮起して、そして挫けた。



『なんでそんな脇役で喜んでいるの?なんで主役を取れなかったのよ。あんたのお父さんは、昔からずっと主役をし続けてたのよ。あんたがあの人の娘なら、あんたも同じようにできるはずでしょ!?なんで出来ないのよ!!』



 子供の頃の話だ、母が正常か、あるいは異常かの判断などつくはずもない。

 周囲との関わりも、母が喚き散らすせいで自然と皆離れていった。

 だから、今自分が不幸なのは、未来で幸せになるためだと信じ続けた。



『あの子は天才ですね』


『大人でも圧倒されるばかりだよ。劇をやるために生まれたような子だ。この劇団に入ってくれたのは望外の幸運だった』



 天才と呼ばれる子は、いつも私ではない男の子だった。

 私が必死に努力して食らいつこうとした主役の座を、当たり前のように掠め取る。

 だから私はそいつが、本物の天才が嫌いだった。



『ならライチ、お前今回のオーディションも受けるの?』


『当然。狙うは主役の席ただ一つ!お前らも参加していいよ、挑戦者はいつでも募集中だから』


『やだよ、勝てるわけないし。それに今回の劇、なんか子供向けっぽくない?』


『あー、昔の子供向けに書かれた台本だからな。今だと余計そう感じるのかも。まあ、どっちにしろお前らが参加しないんなら今回は張り合い無さそうだな。適当に済ませてくるわ』


『脇役でしっかりと盛り上げてあげるから、ちゃんとかっこよく決めろよ』



 天才を中心としたグループは、今日も当たり前のように勝利を前提に話をしている。

 そうするだけの余裕と、実力があるから、それは当然の話なのだろうけれど。

 それでも、今回だけは、どうしても譲れなかった。



『大丈夫。勝てる』



 自己暗示を繰り返して、幾度も幾度も、台本を舐めるように読み込んで。

 あいつらが子供向けだのと抜かした、この物語の主役を見つめて、台詞を吐き出す。

 この劇はよくある動物を擬人化させて、教訓めいたお話を進ませるものだ。

 そしてその主役は、才能のある周囲の動物に劣等感を感じている子うさぎ。



『私は、こいつだ』



 私には才能が無い。

 母親はそう妄信しているけれど、今までの敗北で私はようやく学んだ。

 私に実力はない、私に血は受け継がれていない、私に才能はない。

 それでも、才能を覆す程の努力を重ねれば、きっと。



『不幸続きの主人公は、最後には幸せになるものだから』



 そう信じる、そう信じなければならない、努力は天才を倒せるのが物語のはずだ。

 私は凄い血統を受け継いでいて、誰よりも努力して、されど実を結ばなかった。

 そんな苦難はきっと、今日を以て終わりを迎えるはずなのだと。



『だって、そうじゃなきゃ』



 母が酒を喉に流し込み、電話越しに誰かに向かって喚いている間にも。

 私はただただ、次のオーディションの台本と向き合って、台詞を読み解く。

 最後には幸せになれた、この劇の主人公になるために。



『私の幸せは、いつ訪れるの』



 だから、最後にはきっとハッピーエンドで。







『なんでこの程度の劇でも主役になれないの!?』



 知らないよ。

 お前は、私の演技を見にすら来なかったじゃないか。

 ずっと待っていたのに、あんなにも頑張ったのに。



『せっかくあの人との子供を産んだのに!せっかくここまで育てたのに!この劇団に通わせるのに、幾らかかってると思ってるの!?』



 もう黙ってよ。

 周りの子達はヒソヒソと話して離れて行って、母は際限なく金切声を上げる。

 私に手を挙げようとしたところで、大人たちは母親を取り押さえて別の場所に連れて行く。

 多分、もうこの劇団に通い続けることは出来ないだろう。



『親不孝者!あんたなんか、死ねばいいのよ!』



 母の口癖だ。

 機嫌が悪いとすぐに言う、最悪な罵倒だ。

 この時ようやく、私は、こいつがどうしようも無い人間だって気が付けた。

 こいつが愛しているのは、私じゃなくて、母を産ませた男の才能なんだ。



『あの子のお母さん、ちょっとやばいよね』


『うん。あの子も暗い感じだし、あんまり関わっちゃダメだってお母さんも言ってた』


『もう行こ。見てて気分いいもんじゃないよ、あれ』



 もう関わらないでよ。

 お前らは、挑むことすらしなかった癖に。

 なんで勇気を持って頑張った私が、負け犬みたいに立ち尽くさなきゃならないんだろう。

 吐き気がする、気持ちが悪い、ずっと頭が真っ黒で、どす黒く蠢いている。



『負けた』



 認識できていたのは、その事実だけだ。

 オーディションは結局、あいつが勝って、私が負けた。

 最高の出来だったはずの演技は、より最高の演技で押しつぶされた。

 勝利の確信は、次に演じたあいつを見て、ほんの数秒すらも消え去った。



『まだなのかな?』



 まだ、幸せになるための場面ではないんだろうか?

 まだ、苦難を受け続けなくちゃ、主役として幸せになる場面は来ないんだろうか。

 もう十分、苦しんで、惨めになって、沢山同情されるような子になったのに?



『あ、いたいた!』


『……』



 勝者が、背後から話しかけてきた。

 弾むような声が、心底から憎たらしかった。

 表情を取り繕う余裕なんて無くて、睨みつけるように振り返った。



『何の──』



 用だ?と。

 そう言い切る前に、あいつは私の両肩に手を置いて。

 目をキラキラと輝かせながら、まくし立てるように言った。



『君の演技、すっごいよかった!』


『……は?』


『なんというか、魂が乗ってるって思った!声に重さみたいなのがあってさ、振り付け一つとっても役に入り込んでるっていうか、まるでそいつそのものみたいでさ!プロのちゃんとして演技を見た時以来だよ、あんな風にかっこよくて、ハッとさせられる演技を見たの!』



 楽しそうに、嬉しそうに、そして何より好戦的に。

 彼は遠巻きに眺める子供達の目線など知った事かと、私にぐいぐいと近づいて。



『そう、ですか』


『いやごめん、いきなり!けど、ほんとに感動したんだよ!ぶっちゃけこの劇団で初めてだ、って思えるくらいにいい演技だった!あそこの、友人がちやほやされて、それから逃げるように走り去ろうとしたシーン、あそこで躓きかけたの、あれわざと入れたアドリブだろ!?感情がごっちゃになって逃げるように立ち去る主役のシーン!あれマジで完璧だった!ほんとに、食い入るように見入っちゃったんだよ俺!』


『あの。もう少しゆっくり喋ってくれません?普段のメリハリの効いた台詞はどこに?』


『あ、いや、ごめん。興奮しちゃって……!』



 心底までに、気色悪いな、と思った。

 早口もそうだけれど、何よりも、負かした相手に平気でこういうことを言える神経が。

 目の前にいるそいつは、お前がいたせいで、主役の座を奪われてしまったというのに。

 もしもこれが煽りならば、まさしく効果抜群と言っていい。



『なぁ、名前教えてくれよ!あんまり俺と張り合おうとする子少なかったから、嬉しかったんだ。君みたいな、本気で俺に勝とうとする子がいるってこと』



 だから、本当に、気持ちが悪い。

 なんでお前が、母じゃなくてお前が。



『色んな劇のビデオ見て、勉強したんだよな?!良かったら、俺達と一緒に勉強会しないか?俺時々、友達と一緒に図書館とかで劇のビデオ借りて見てるんだ。プロの演劇を見たら、色々学ぶことあるからって。そんでその後、帰りに皆で小遣いを出し合って、アイスを食べるんだよ。勉強した後のこれがまた美味しくてさ、よければ君も──』


『結構です。私、今日でこの劇団辞めるので』


『え』



 これ以上ここに居てはいけないと思った。

 これ以上こいつと話してはいけないと思った。

 どらちにせよ、あんな騒ぎを起こせば強制的に退会させられるだろうが。

 それでも、私は私の意思で、演劇という世界から逃げようと思った。



『それでは。もう、会うことも無いでしょうけど』



 これ以上こいつの言葉を聞きたくなかった。

 これ以上私の心をかき乱すことを許さなかった。

 これ以上、その感情を持ってはいけないと思った。

 だから、速足で立ち去って、何か言う前にもう、逃げようと思って。



『君の演技!俺、すっごく好きだからさ!』



 やめろ。



『またいつか、もし戻ってきたら!また、見せてくれよ!』



 お前じゃないんだよ。



『待ってるからな~!』



 その言葉は。

 母に言ってもらいたかった言葉なのに。



『気色悪い』



 私が欲しかった言葉を、お前が言うんじゃない。

 母から貰いたかった評価を、お前が言うんじゃない。

 気色悪い、気色悪い、気色悪い、気色悪い、ああ、もう。

 もう、もう。



『さっさと、死ねよ』



 ああ、最悪、最悪、最悪、最悪。

 ねえ、私、やっぱり父親の方の血は碌に継げなかったみたい。

 やっぱり、私は、どうしようも無く、あいつの娘だ。





◇◇





「おうコラ。自分からせがんでいらないのかよ、アイス」



 ピトッ、と冷たい感触が頬に伝った。

 物思いに更けている間に、彼は少し高めのアイスを買ってきた。

 自分のアイスは、シェアすることも出来る、パキっと割って食べれる二個付きアイス。



「食べます食べます。……そっちを二人で食べるわけじゃないんですか?」


「あぁ?なんだお前、食いしん坊か?」


「違いますよ、ただ、普通ならシェアするタイプのアイスを一人占めするんだなーと思って。友達いなかったんですか?」


「昔は居たっての!居た上で、一人で食べるのが好みなんだよ!ほら、なんか贅沢な感じがして、余計に美味く感じられるじゃん?」


「気持ちは分かりますが。……けど、今は隣に恋人がいるわけですよね?」



 ニヤリと笑って、自分を指さす。

 彼は少しだけ嫌そうな顔をしてから、溜息を吐いてぱきっとアイスを二つに割った。



「クソ、別のを買えばよかった。ほら。買ってやった方も、溶けない内に食べろよ」


「えー?けど、こんなにアイスを食べちゃうとお腹が冷えちゃいそうですよ」


「いや自分から寄越せっていったんだろうが。何言ってんだお前」


「あなたこそ何言ってるんですか。分かりやすい解決方法があるでしょう?」



 スプーンでたべるタイプのアイスの、一口目を彼に差し出す。

 彼はきょとん、とした顔をした後、何かに気づいた様子で少し顔を赤くして。



「……スプーンもう一本貰ってくる」


「面倒くさいじゃないですか。一本でいいですよ」


「いや、だってお前、それ」


「今更間接キス程度で騒がないでくださいよ」



 まあ、私の方も結構ドキドキしてしまっているわけだが。

 何にせよ、彼は根負けしたように、口を開けて一口目のアイスを食べて。

 私の方も、当たり前のようにそのスプーンでアイスを掬って口に運ぶ。

 恋人なら多分、誰でもやってるようなことだから、問題はない、きっと。



「……恋人でも、あんまり同じスプーン使って食べるとかしないんじゃねぇの?」


「私たちだから問題ないですよ」


「なんだそりゃ」



 さあ、なんなんでしょうか?

 どちらにせよ、訳の分からない恋人関係なら、別にひとつやふたつ訳が分からないことが増えようとも、誤差みたいなものでしょう。



「ねぇ、ライチさん」


「あぁ?」


「勉強した後のアイスって。美味しいですね」


「なんだそりゃ。まあ、確かに美味しいけどさ」



 まだまだ、やりたいことは沢山ある。

 できれば私も一緒に海に行きたいし、プールでもいい。

 もう少しすれば始まる修学旅行でも一緒に沢山の場所を回りたいし。

 恋人らしいことは、一通りこなしてから。



「死んでもいいやって思えるくらい、美味しいです」


「安い命だなおい……」



 ええ、そうですとも、安いんですよ、私の命って。

 けど、最後にこうやって、色んなことをして終われたなら。



「まあ。また行ってやってもいいよ、図書館くらいなら」


「……そうですか。なら」



 ああ、まったく。



「また一緒に、アイスでも食べましょうか」



 本当に、気色悪い。

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