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『お父さんはどこ行くんだ?』


『……』



 母さんは、何も答えずに。

 ただじっと、この家から出ていく父さんの後ろ姿を眺めていた。



『なんで父さんは、あの女の人と一緒にいるんだ?』


『……』



 ずうっとずうっと、涙を流しながら、それを眺めていた。

 幼い俺は、それがどういう意味なのか分からなかったけど。


 父さんが父さんじゃなくなったのは、なんとなくわかった。



『……父さん、いなくなっちゃったのか?』


『……うん』



 母さんが笑顔じゃなくなるのが、とても嫌だった。

 母さんが悲しんでいるのが、とてもとても苦しかった。


 だから、ほんとに出来心だったんだ。

 ほんの少しでも、笑顔を浮かべてくれればと思ったんだ。



『母さん。今日から、僕が父さんの代わりをしてあげるよ!』


『……え?』



 いつも通り料理を作ってくれてる母さんの前で、俺はそう言った。

 精一杯背伸びして、慣れない口調で陽気に喋って、元父さんを演じて見せた。



『だから、もう泣かないで。僕が父さんの代わりになって、母さんを支えてあげる!』



 何も知らないガキが吐き出した、どうしようもない約束の話だ。





★★★★★




 目を覚ますと、見知らぬ……いや、何回かは見たことがある白い天井があった。

 そしてベッドの横には、見たくもない女の姿。



「いい夢見れました?」


「これがそう見えるお前の頭が羨ましいわ」


「いいじゃないですか。保健室で二人きり、なんて結構ロマンチックでは」


「お前とじゃなきゃな」



 体育の授業中、事故(故意)で怪我したところをこいつに見つかってしまい、保健委員という立場を利用されて保健室に強制搬送されてしまったようだ。


 別にあの程度の怪我なんぞなんでも無いのだが、この女が大袈裟に騒いでくれたおかげか先生達は俺の怪我を結構な重症だと勘違いしてくれて、授業をサボることができたのだが……。



「……何時間くらい寝てた?」


「四限目の授業の後、放課後になるまで……でしょうか」


「……寝過ぎちまったなぁ!」


「寝過ぎてしまいましたねぇ」



 まさか、三時間以上寝てしまうとは思わなかった。

 気がつけば窓の外はオレンジ色に染まっているし、カラスがカーカーと喧しく鳴いているような時間だ。


 いつもなら放課後に、ゲームを買いに行ったり、本を見に行ったり。

 そういう些細な趣味のために、いろんなところに寄ったりするのだが。



「今日は家に直帰だなぁ……」


「いつもは帰り道に道草食ってるんですね」


「お前だってしてるだろ、それくらい。クラスメイトにカラオケ誘われたり、ボウリング誘われたりしてるじゃねぇか」


「ああ。ついて行ったことありませんよ、私」


「マジか。なんで?」


「五時までに帰らないと、母にぶん殴られたので」


「……嘘だろ?」


「ホントですよ。世の中の母親が全員優しいと思ったら大間違いです」



 随分とまた、闇が深い家庭事情が出てきたものである。

 不幸自慢では負けないというのは本当だったか。



「俺には縁の無い話だな」


「あなたの母親も大概だと思いますけど」


「は?」


「うわすっごい顔してる!どれだけ母親好きなんですか!」


「お前俺の母さん馬鹿にしたら許さねぇからな。犯罪者ではあるけど、俺には滅茶苦茶優しかったんだからな、母さんは」


「具体的にはどんなことを?」


「一か月の内に、三回も夜ご飯を作ってくれたことがあるんだぜ。美味かったなぁ、母さん特製豚肉おにぎり」


「……普通、毎日手料理作ってくれるものでは?」


「シングルマザーなんだよ母さんは。それなのに一人で夜遅くまでずっと働いて、俺を育ててくれたんだ。そんな忙しいのにわざわざ作ってくれた手料理が美味くないわけないだろうが!」


「へぇ。良いお母さんなんですね」


「尊敬すべき人だからな!俺もいつか、あんな風に──」



 久しぶりに気分が良くなった俺を見て、そいつはおかしそうに笑う。

 まるで幼い子供を見るようなその目に、少し罰が悪くなる。



「子供みたいに目輝かせてましたね」


「うるさい、忘れろ。変なこと口走った」


「いいじゃないですか、マザコンでも。親を愛せないよりよほどマシですよ?」


「忘れろって言ってるだろ!クソ、寝起きだから頭が回らねぇ!」



 変な夢を見たせいだ。

 頭をたたいて無理やり目を覚まし、リュックを背負って立ち上がる。



「帰る」


「もう少しお話しません?」


「何しゃべるんだよ。暗い家庭事情の話でもするのか?」


「私はそれで構いませんけど」


「俺はごめんだ」


「それは残念。不幸自慢は好きなんですけどね」


「陰湿な趣味してるな。恥を知れ恥を」


「これ以上生き恥晒したくないから自殺しようとしてるんですが」


「そんな簡単に自殺しようとする奴が、生き恥だのなんだのと──」



 ぐいっ、と手を引かれて顔を近づけられる。

 一瞬驚き、次いでその顔に似合わぬ瞳を見て息を飲む。


 かつて見た、人を殺す前の母さんと同じ、宝石のように澄んだ目だった。

 迷いなんて一切ない、それ以外には何も見えていない女の瞳。

 それを俺に見せながら、保健委員は悪戯っぽく微笑んだ。



「……簡単に自殺しようとする人間の目に見えますかね?」


「……知らねぇよそんなもん。少なくとも、俺にとってお前は迷惑だ」



 手を振り払おうとして、こいつが全く力を緩めないことに気が付く。



「おい、離せ。俺はさっさと帰りたいんだが」


「ええ、帰りましょうか。ただ荷物を取りに行きたいので、先に教室に行きましょう」


「俺の荷物はここにあるから、取りに行く必要は無い」


「私の荷物はここにはないので、取りに行く必要があるんです」



 何を言っているのだろうか、この女は。



「勝手にいけばいいだろうが」


「あなたにいてもらわないと困るんですよ」


「なんでだよ」


「あなたがいないと、家の鍵を開けられないじゃないですか」


「……はぁ?」



 何を、言っているのだろうか?このバカは。



「今から私の家に帰るとなると、駅から家まで夜道を歩くことになりますね」


「……まあ、お前の家がある駅に着くころには外は真っ暗だろうな」


「女一人で出歩くには、少し怖い時間帯です」


「……おい、まさか俺にそこまでついていけって言うんじゃないだろうな!?」



 ふざけんな、俺はそこまで暇じゃない。

 帰って今日の心の傷を癒すため、おいしいもの食べてゲームするという用事があるのだ。

 わざわざ家がある駅とは反対側の、クソ長い時間と金をそんなことに費やす時間も義理も無い。



「いえ、私も急にそんなこと言いませんよ」


「ああ、よかった。流石にお前もそこまで理性がぶっ飛んじゃいないか」


「幸い、体育の時間がおじゃんになったおかげで体操服に汗はついていませんし」


「……ああ?」


「お金も持ってきてるので、食事は近場のコンビニでどうにかすることができますし」


「何言ってんだお前」


「あ、シャワーだけ借りていいですか?流石にお風呂入らないとにおいが気になるので」


「なぁ、俺の思考を置き去りにして話進めないでもらっていいか?」



 嫌な予感がする。

 多分俺は今までの生涯の中で、最も危険な場面に直面している。


 さっさと手を振りほどいて帰らなければ、何かヤバイことが起きる。


 早く、早く、次の言葉が吐かれる前に……!



「今日はあなたの家に泊まろうと思います」



 人生で最悪の夜になることが決定した。




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