「青い海、白い雲」
「そして緑に輝くかき氷。やっぱかき氷と言えば宇治抹茶味だよな」
「普通ブルーハワイとかじゃない?海で食べるかき氷って」
「うるせぇ、俺は抹茶味が好きなんだよ」
かき氷をかっ食らいながら、地平線を超えて広がる海を眺める。
家族連れやカップル、友人同士で遊びに来たであろうリア充が沢山だ。
かくいう俺も、美人な幼馴染と一緒に来れた以上、傍目から見れば格の高いリア充として、周囲から爆発の呪いをかけられているかもしれない。
「いやー、かき氷は美味いな。ほんとに美味い」
「そんなに美味しいの?私にも少し分けてよ、それ」
「スプーンは別の使えよ?」
「何を今更気にしてるのよ、まったく」
クスッと笑う彼女を横目に、嫉妬の目を向けている独り身男性共を見る。
実際はただの友達ではあるが、そういう目を向けられるのは悪くない。
あいつの時は俺が被害者なので優越感とかも無いのだが、今回の場合純粋にデートに誘われただけなので、この一時だけとは言え俺はリア充を名乗る資格がある。
「フフッ、正当に勝ち取った勝利の味、美味なものよなぁ!」
「アホなこと言ってないで、それ食べ終わったらまずやるべきことをやりなさいよね」
「おう、今回のは俺結構楽しみにしてたからな。見ろよ、この海遊び満喫セットを。新品のゴーグルとかゴムボードとか、水鉄砲まで持ってきたんだぜ?」
「……ハァ」
「ちょ、痛い痛い痛い!何すんだよいきなり!?」
道具を見せ自慢してみるが、彼女は溜息を吐くだけで反応に乏しくない。
俺の頬を抓って、無理やりに彼女の方を向かせられて。
「水着。まずは水着を褒めるべきでしょうが、バカ」
そういや、確かにそれもそうだ。
デートという体な以上、彼女の着てきた水着を褒めるのは男の役目であろう。
けどやっぱり、こういう当たり前に求められる男側の気遣いって難易度高いと思う。
「綺麗だよ。海で出会ったら人魚姫と間違えそうだ」
「ちょっと臭いセリフだけど、合格点にしておこうかな。次は海でのエスコートをよろしく」
「へいへい。ったく、お前最近我儘になってきたな」
「そうでもなきゃ、あんたが逃げるって分かってきたからね。そして私が逃げないためでもある。ずっと我慢してきたんだもの、これくらいはいいでしょ?」
「喜んでやらせてもらいますよっと」
海と同じ色である青い水着を着て浜辺を歩く彼女の姿は、その身長や痩せ気味で引き締まった体格も相まって、モデルか何かってくらいスタイリッシュだ。
運動部でも無いのに、普段からジムに通い体系管理を怠らないのは、彼女のストイックな性格や、どこまでも妥協しない努力を尊ぶ精神性故だろうか。
「目立つなぁ、お前と歩いてると。よくまあ、そんなプロポーション保てるよ」
「昔の癖よ。舐められないようにするためには、まずは外見から。そう私に教えてくれたのは、あなただったと思うけど」
「そういや、そんなこと言ったっけか。忘れてた」
「あんたが忘れてても、私がずっと覚えててあげるから安心なさい。脚本を作る時は記憶力が重要なのよ。どんな日常の一コマだって、物語にできるように。そうすれば、少なくとも誰かの心に触れられるシナリオができるから」
それも多分、昔の自分が偉そうに語ったことだったか。
「本の受け売りで得た知識を改めて晒されるのキツイな!昔の俺殴りてぇ!」
「あら、かっこよかったわよ?今もね」
クスクスと笑う彼女は、ゆっくりと海に足を浸け、泳げる程度に深い方へと進んでいく。
周囲の男共は自然と彼女の方に視線を向け、彼女はそれを意にも介さず、むしろ見せつけるように堂々と、本当に人魚のように美しく、塩水の中を泳いでいく。
「ほら、あんたも」
「おう」
それに倣うように、俺も身体をゆっくりと動かし、彼女の後ろを付いていく。
夏の日差しに晒され、篭り切った身体の熱が、解けるように消えていく。
やはり、夏の海は気持ちがいい。
「昔より静かで、落ち着くわね」
「無駄に見栄を張って、大人数を誘って来てたからな。今考えると、大して話したことも無い奴を誘ってたもんだ。ま、あれはあれで楽しかったけどさ。多分俺は、こういう雰囲気のが好きだったんだろうな」
「誰が一番早く泳げるかの大会なんかも開いたっけ?それも一位取ってたわね。結局最後の最期まで、負けず嫌いのままだった」
「今はそうでもないけどな。何を意地になってたんだか。というかお前も、女子の中だと一番だったろ。水泳部とかに入っても活躍できたんじゃねぇか?」
「一つだけ一番でも意味無いもの。あなたの隣に居たかった」
……よくもまあ恥ずかしげもなく、そういうセリフを吐けるものだ。
こういうところこそが、脚本家としての彼女の才能であるかもしれない。
というよりも、昔の頃に戻りつつある、という方が正しいのだろうか?
「ずっと、あなたは一番高い場所に居たから。追い縋るのに苦労したわね」
「何言ってんだ、俺にとっちゃお前が一番怖かったよ。いくら頑張っても突き放せずに、ずっと食らい付いてきた。いつ俺の立場が奪われるかヒヤヒヤしてたんだぜ?」
「あら、光栄ね?頑張った甲斐があるわ。私の手は、あの頃にあなたに届きかけてたのね」
少しだけ自慢げに、彼女はフフンと笑みを漏らした。
彼女は今も昔も、誰よりも努力して、誰よりも気高く頂点を目指している。
勉学も、スポーツも、部活動も。そしておそらく、恋愛でも。
「すっっっごく癪だけど。あの子には、少しだけ感謝してる」
そんな彼女の眼に、梯子を外すようにその闘争の舞台から降りた俺はどう見えたのか。
考えるのが怖くて、見るのが怖くて、彼女の眼に映らないようにと逃げ回っていた。
それでも今、こうしてほんの僅かでも向き合えているのは。
「あの子が私を、勝負の舞台に蹴り上げてくれた。殴り合う理由をくれた。腐ってた、怯えてた私の一歩先を行ってくれた。その上で、『やってみろ』と宣った」
あの頃の俺を負けず嫌い、なんて彼女は言っていたが。
今も昔も、俺なんかよりよっぽど、彼女の方が負けず嫌いで熱血だ。
「遠慮する理由も、怯えて縮こまる理由も、逃げるあなたを追わない理由も無くなった。まさかあいつがよくって、私はダメなんてふざけたことは言わないわよね?あいつだけがあなたを追えて、私だけがあなたを追えないなんてほざかないわよね?」
「……分かってるよ。俺も、もう逃げないさ」
あいつのせいで後回しにしてた厄介事が次々と目前に迫ってきてる。
先輩のことや、こいつのことや、あいつのことや、その他諸々。
改めて、あいつのあの最悪な告白による影響が、俺の人生設計を大きく狂わし、止まっていたはずの過去の歯車を、無理やりに動かしている。
「逃げてもいいわよ。もう逃がさないから。あいつがあなたの心の鍵をこじ開けたのだとしても。その先にあるものを手に入れるのは、私だから。もう勝ち逃げは許さない。片思いだなんて許してたまるか。うじうじしながら立ち止まるのはもうやめだ」
その最たる例こそが、あの頃よりも更に気炎を燃やす彼女なのだろう。
どこまでも情熱的に、誰よりも強く、あらゆる困難を乗り越えてしまうような。
そう思わせる程の何かを、彼女はその瞳に宿していた。
「私はあいつに勝つ。あなたを手に入れるために」
「よくある少女漫画だと、ヒロインは景品扱いされることを嫌がるもんだぜ?」
「アハハ、なに寝ぼけたことほざいてんのよ」
好戦的に、目をぎらつかせ。
皮肉る俺を、彼女は『しゃらくさい』と一蹴して。
「景品だなんて、生易しい立場でいられると思った?私もあいつも、血まみれになろうが本気であなたを取りに行く。安全な位置で見物だなんて、そんな都合がいい話はない。あんたが私達の内誰かを選ぶわけじゃない。選ばせるために、私はあんたをここに呼んだのよ」
彼女にとって、普通の恋愛など。
迂遠な方法による好感度稼ぎなど、きっとつまらなくて仕方がないのだろう。
彼女の描く恋愛観は、彼女が俺を振り向かせるための方法は、きっと酷く単純で。
「私が誰よりもかわいくて、誰よりも美しくして、誰よりもかっこいい女だってことを。あんたの目と記憶にしっかりと、じっくりと刻み込んであげる。海水浴で終わるだなんて思わないでよ?まだまだ、やりたいことは。私があんたに見せたいものは、数えきれないくらいあるんだから」
「……俺には過ぎた幼馴染だな」
「何を今更。あんたの目の前に居る人間が誰かってことを忘れたの?」
逸らしていた目を、無理やりに自分の方に向かせて。
逃げ回っていた背中に、足が千切れるくらいに追いかけまわして。
塞いでいた耳を、塞いでいたとしても聞こえるくらい大きく、強く。
「あなたが私をこうしたの。あなたを好きになったから。追いつけるように、隣に立っていられるように。昔も今も、私が自分を強がって見せる理由なんて一つしかない」
その目は、雲一つない空より澄んでいた。
「あなたに、好きって言ってほしいから」
眩しすぎて、目が潰れそうなくらいに。
彼女は夏の空のような人間だった。
「ちょっと、ジュース買ってくる」
そんな彼女から逃げるように、俺は沖の方に泳ぐ。
彼女は「あ、私オレンジジュースね」なんていつもの様子で言った後、それ以上俺を追うことも無く、静かに見送ってくれた。
「熱いなぁ」
夏の空は暑いものだが、今日は何時にも増してそう思う。
きっと顔は熱された鉄のように赤くなり、とても見れたものではないだろう。
あいつが居なくてよかったと、煙のような溜息を吐き出して。
「ん。また、ベタな光景だな」
海と言えば、なところもあるが、それにしたって安直すぎやしないだろうか?
水着の女に絡んでいく、日焼けした様子のガタイがいい男が数人。
多分ナンパなんだろうが、それにしたってせめて一人で誘った方が威圧感も薄れるだろうに。まあ悪質な誘い方なら多少の正義感に従い助けに入るか、と聞き耳を立ててみる。
「お姉さん大丈夫~?ダメだよ~落としやすいもん海に持ってきちゃ」
「砂浜だと鍵とかそういうのは落としやすいからさ。ほら、一緒に探してあげるからあんま泣かないでって」
「やっぱ店の方には無いみたいだわ!これ多分砂浜の方に落としちゃったんじゃないかなぁ」
違った、よく見聞きしてみるとただの親切なチャラ男達だ。
オタクに優しいギャルと違って、ドジに優しいチャラ男は存在したらしい。
落とし物をしたらしい女性は俯いて「すいませんすいません……!」と涙混じりに呻くばかりで、それを宥めるためにチャラ男が何人かで落ち着かせてあげているようだ。
人は見た目によらないのだな、と一つ学びを得て。
「すいません。これじゃないですかね?」
「ふぇ」
足元にあった鍵を拾い上げ、親切なチャラ男達、及びどっかで見たことある顔と声をしている少しドジなあの人に声をかける。
呆けた声を出し、俺の持つ鍵を見て「あー!?」と声を上げる。
「こ、これですこれです!ありがとうございますありがとうございます!!お、お母さんに叱られずに済んだぁ……!」
「おお、よかったなぁ!いやー君ありがとね。俺らじゃ見つけられなかったわ。どこ落ちてたの?」
「店の前の砂の中に落っこちてましたね。見つかってよかったっす」
「その、ほんとありがとうございます!皆さんのおかげです!このお礼はいつか必ず!」
「いいよいいよ、見つけたのそこのお兄さんだし!」
人助けを遂行し「もう失くさないようにねー」とかっこよく去っていくチャラ男たちに軽く尊敬の念を覚えながら、何度も頭を下げて涙で目元を腫らしているその人に、俺はどこか安心感を覚えながら声をかける。
「で。何してるんすか、マナ先輩」
「……え」
そうして、ようやく。
本当にようやく俺に気づいた彼女は、何度か目を腕で擦って。
自分の頬を少し抓った後、多分俺よりも赤い顔で口を開け。
「うえええええええええええ!?」
去って行ったチャラ男たちが思わず心配して戻ってくるような悲鳴を上げて、また少しだけ恥をかくことになるのであった。