「何がどうなってそうなったんだい」
「何が、と言われても。成り行きとしか言えねぇんだけど」
「成り行きでそんなことになるのかい、君の人間関係は。まあ僕は楽しいので構わないのだが、思わず嘘の可能性を考えるほどに荒唐無稽な出来事だね。あ、とりあえずはい、今回の報酬。五千円でいいかな?」
「滅茶苦茶払うじゃねぇかお前。いやありがたいけどよ、最近色々と金が要るようになって金欠だし。というかお前、そんな金払って大丈夫なの?」
「家がそこそこ裕福で親も甘いんだよ、僕の家。所謂小金持ちってやつかな。漫画の金持ちみたいに毎日旅行とかはいかないが、一応親父が新聞社の社長だ。多分月の小遣いが、一般的な高校生のお年玉くらいあるぜ?」
「うっわ羨ましいな畜生。いやまあ、俺も爺さんから仕送り送られてる身だから恵まれてる方だけどさ。一人暮らししたいって我儘言った時も、聞き入れてくれたしな」
「未成年の一人暮らしだもんな。保護者の申請とかはそりゃ必要か」
色々なごたごたがあった病欠、その次も色々あった。とりあえずいつものようにあいつに騙されてる可哀想なファン達に嫌がらせをされ、それから逃れたと思ったら担任の先生から『昨日休みだった分の課題があるぞ~』とか言われ
「なんつーかなぁ。人間関係やら、課題やら、面倒なことが多すぎて嫌になるよ。前はこんなこと考えずともよかったのに」
「彼女と関係を持った以上、人間関係の方は必然だろう。課題は自業自得だ」
「いーや、課題もあいつのせいだね。何か悪いことがあったらあいつのせいだと思うことにした。あとは何より……」
色々と変わってしまったものがあるが、一番変わったことと言えばだ。
「こんなところでこそこそと、何やってるのよあんた達は」
「うげっ!」
「お、失言だね遠藤君。今の反応で、空気が三度ほど冷たくなった気がするよ」
「空気だけじゃなくて、あんたの身体も冷たくしてあげましょうか?つまらない奴と絡んでないで、さっさと行くわよライチ。いい場所取られちゃうし」
風紀委員であり、我らが演劇部の脚本家である幼馴染。
先の一件で、彼女の様子が少し、いやかなり、いや劇的に変わってしまった。
「いや、その。マジで弁当作ってきたの?お前」
「そうだけど?何よ、私が嘘言ったとでも思ってたの?」
「そんなわけじゃないけどさ。何というか、急すぎて現実感みたいなのがな?」
「急じゃないわよ。昨日しっかり宣言したでしょ」
彼女は呆れたように溜息をつき、昨日と同じように堂々と宣言する。
実に彼女らしく、不敵に笑って。
「全力で勝ちに行く、って。分かったらとっとと行くわよ。胃袋、また掴んであげるから」
「……お、おう」
手を引かれて去っていく俺を、あんの似非記者野郎はニコニコと見送っている。
心なしか普段よりも機嫌がよさそうに見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
とりあえず俺は心の底からの誠意を込めて、後日お礼をすることを心に決めた。
弁当にハバネロ入れてやるから覚悟しとけ。
「友達、ようやくできたんだ」
「はぁ?あいつのことそう見えたのか?ただのビジネスパートナーだよ」
「そう?あんた、いつもよりも明るそうに見えたけど。なんというか、自然体?」
「勘弁してくれ。ただでさえ面倒な奴に絡まれてんのに……」
「面倒ならなんで離れようとしないのよ。私にはそうしてたのにね」
「うぐっ」
「友達も、幼馴染も。全部ぜーんぶ放り出そうとして、仲直りしようとしても『自分が悪いから』で逃げ続けて。そうして手招いている間に、あんたがあの女の子と付き合ったーって聞いて。言っておくけど、かなり、頭に来たんだからね?」
「いや、別に、逃げてたわけじゃ」
「言い訳しない。ちゃんと正直に言わないと納得しない。私から逃げて、あいつから逃げなかった理由、なに?ほら、怒らないから白状しなさい」
そう言われてしまうと、言葉に少しだけ詰まってしまう。
答えなど分かり切っている。あいつに絆されてしまっている、という理由もだが。
俺があいつから離れない、離れようとしない最大の理由は、彼女に無くてあいつに無いものは。
いいや、《《彼女にあって》》、《《あいつに無いものは》》。
「だって。お前の隣に俺がいても、特に良いこととか無いだろ」
「……は?」
「ちょ、怒らないって言ったじゃん!?」
明らかに怒気が強まった、相変わらず強い幼馴染を相手に、思わずびくっと後ずさる。
彼女は一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した後。
「怒ってない」
猿でもわかるような嘘を吐いて、むすっとした顔で続きを促す。
その眼は明らかに納得していないような、不満の色で染まっている。
「お前だって知ってるはずだろ。俺あの時、周りからずっと怖がられてたこと」
「知ってる。だから、それをどうにかするために頑張ったつもりだった。『親の罪は子供にはない』とか。『あいつは悪くない』って、周りに説得しようとした。あんたには余計なお世話だったみたいだけど」
「……ああ、そうだな」
落ち着いて話をして初めて、あの頃の自分が幼馴染にイラついた理由が分かった。
どうしようも無く彼女に不誠実であり、笑えるくらいに自分本位で。
絶対に口にはしたくない、クズでしかない理由。
「俺から、それまで引き剥がすのかって。母さんとのつながりを否定するのかって。正しいことをしているはずのお前の行動が、俺にはどうしようも無く癪に障って。気づいたら、お前といるのがつらくなってた」
ただの逆恨みであり、ただの被害妄想だ。
彼女がやったことは、彼女の行動は間違いなく俺を助けるものであり、俺は感謝して彼女からの助けを、彼女の正義を受け入れるべきだったのだ。
そんなことは十分によく分かっていたのに、それでも。
「気色悪いし、未練がましいしってよく分かってるんだけどさ」
それでも、やっぱり、どうしても、どうしようも無く。
吐き気がするくらいに、俺は。
「俺、母さんのことが大好きだったんだよ。お前よりも、母さんが大事だったんだ」
「……でしょうね」
「例え自分に、母さんの罪が降りかかってきたとしても。それすらも、俺にとっては大事な、あの人とのつながりだったんだよ」
だってあの頃の俺の全ては、母さんを喜ばせるために使われていたのだから。
演劇も勉強もスポーツも友達も、全部が全部あの人にとっての自慢の息子でいるために、俺達を捨てたあの親父を見返すためにやっていたことだったんだから。
「幻滅してくれ。実は俺、滅茶苦茶どうしようも無いレベルのマザコンなんだぜ?」
「知ったこっちゃないわよ、そんなこと」
彼女は俺の吐露を軽く受け止めて、呆れるように笑みを浮かべて。
「幻滅したところで、失望したところで。どうせ私の頭の中から、あんたが消える日はないんだもの。じゃなきゃ、わざわざあんたを追っかけて、こんな高校に入学したりしないっての。私、あんたのせいで第一志望を変えて、両親に馬鹿みたいに怒れたんだからね?」
「……なーにやってんだよ、お前。お前なら、だいたいどの高校にも進学できたろ」
「そこにあんたはいないでしょ。まだ分かってないみたいだから、教えてあげようか?」
ずいっと、俺の手にお弁当箱が手渡される。
弁当の中身は相変わらず綺麗に、美味しそうな料理が敷き詰められていて、手間と調理時間を考えるだけで、俺ならうげぇっとしてしまうくらいだ。
これを作るために、いったいどれだけ早起きしてきたんだろうか。
「私、重い女なの」
「……女の恋は上書き保存って聞いたんだけど。あれデマだったのか?さっさともっと優しくて、もっとかっこいい奴に変えとけって」
「別に間違っちゃいないんじゃない?あんたしか保存できる恋が無いだけよ。少なくとも、あんたがちゃんと私の告白を断らない限りは、私より好きって本気で言える女の子を見つけるまでは。諦めるつもりなんて絶対ない」
「物好きな奴め」
「あいつに絆されてるあんたに言われたくないんだけど?」
やっぱりこいつは口が強い、それを言われたらもう何も言えないじゃないか。
「それで?あんたが私から逃げる理由は分かったけど、あの子から逃げない理由は聞いてない」
「……あー」
迷いどころだ。
正直に言って納得して貰える気はしないが、かと言って嘘を言ってもバレるだろう。
こいつにそういう隠し事は通用しない。
「秘密ってことにしてくれない?」
「いい度胸ね。私に拳を使わせるつもり?」
「待て待て、待ってくれ!ここでやったら騒ぎになるからやめてくれ!面倒ごとは御免だ!」
「……止める理由がズレてんのよ、バカ」
溜息を吐いて、彼女は空になった弁当をひったくる。
当然ながら、弁当はどれもこれもが絶品であった。
料理教室に通っていたわけでもないのにこの腕だ、才能というのはやっぱり恐ろしい。
そんな言葉一つで片付けられないほどの努力があったことも、よく知っているが。
「いいわ。いつか絶対に話してもらうけど、今回は見逃してあげる。代わりに、一日ほど時間を寄越しなさい。今週から夏休みだしどうせ宿題もすぐ終わらせるんでしょ?」
「……別にいいけどよ。何するんだ?」
「ビーチ行くわよ、ビーチ。海行って泳ぐの。高校上がってから、一回も行ってないでしょ?」
「拒否権はあったりする?俺ああいう開放的な場所苦手なんだけど」
「無いわよ。私に隠し事したいんならこれくらいは飲みなさい」
彼女は少し悪戯っぽく。お互いが悪ガキだった頃のように笑う。
普段は真面目な彼女が見せる珍しい表情に、俺は溜息を吐いて頷く。
「分かったよ。ビーチね、了解。他に来る人とかいるの?」
「他に人いちゃ意味無いでしょ。あんたと私の二人っきり。移動手段はこっちで確保しとくから安心しなさい。ほんとは泊まり込みで行きたいけど、流石に高校生二人、それも男女一緒にとかじゃあホテルとかにも泊まれないでしょうし」
「ハハハ、そうだなー」
つい最近、あいつと二人一緒に泊まったことは黙っておこう。
多分延々とそれについて追及される。
「だから日帰り。けど、思う存分遊びたいから朝早くから出発して、日が暮れるまで遊ぶわよ。日程とかはスマホで送るから、ちゃんと予定を開けとくこと!」
「りょーかい、りょーかい」
チャイムが鳴り、もうじき次の授業が始まることを告げられる。
幼馴染は上機嫌に空になった弁当箱を鞄に入れて、俺の小指に自分の小指を絡ませて。
「指切げんまん、だからね!ぜったい、私と二人で海に遊びに行くこと!」
「分かってるって。そんな念押しすることかぁ?」
「あの女は絶対連れてこないこと!!」
なるほど。
「善処する」
あいつの行動を制御することができるかどうかは置いておいて、努力はしよう。
その返答に満足したのか、彼女は自分の教室に戻っていく。
安堵の息を吐き、自分も教室に戻ろうとして、ふと思い出す。
「そういや、水着なんてもう持ってねぇな」
通っている高校にプールはなく、更に言えば夏休みで海に行くなど随分と久しぶりだ。
昔使っていた水着も多分サイズが合わないし、買いにいなければならない。
「……水着かぁ」
ふと、あの傍迷惑な彼女であれば、どんな水着を選ぶのだろうかなんて考えて。
「……俺、大分毒されてきたか?」
無意識にそんなことを考える己に、ほとほと呆れてしまうのだった。