『ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!』
インターホンの音が、これほど煩わしく思った事は無い。
休日で、宅配なんかも頼んだ記憶がなく、NHKの集金も前来たばっか。
つまり、こんな朝っぱら来る非常識な馬鹿野郎は一人しかいないわけで。
「おはようございます!」
「おう、帰れ。今日は土曜日だ、休日だ。俺の憩いの時間だ」
「アハハ、逃げられるとでも?せっかくの休みなんですから、恋人らしくデートをしましょう」
「デートだぁ?」
こいつは一体何を言っているのだろうか。
何故貴重な休みをこの女のために消費しなければならない。
今日と明日は積みゲーを消化したり図書館に行くと決めている。
「忙しいから無理」
「そうですか。早く支度してくださいね」
「話聞いてたか?というかどこに行くんだよ、デートって」
「決めていませんね~。遊園地とか行きたいけど、初デートにしては難易度が高いですかね?」
「地獄みてぇなことになりそうだな。遊園地行って何すんだよ」
「一緒にチュロスを分けっこしたり、お化け屋敷であなたに抱き着いたり?」
「悪いな。俺はお化け屋敷で絶叫するタイプの人間だ」
「堂々と言えることではないと思います」
「正直な人間でありたいんでね」
「さっき嘘ついてたのに?」
「お前に構うより重要なことがいくつもあるから相対的に見れば忙しい」
「とりあえず、映画館行きましょう」
話聞けや。
★★★
「見たい映画とかありますか?」
「恋愛とホラージャンル以外ならなんでも」
「おや。ホラーはともかく恋愛も?」
「見ると今の自分が惨めになるからな」
「こんなにかわいい彼女がいるならむしろ勝ち組ではないでしょうか」
「勝ち組の彼女は目の前で自殺未遂なんぞしない」
「割とするかもしれませんよ」
アホなことを言い合いながら、どの映画を見るか話し合う。
別に映画は嫌いではない、むしろ好きな方だ。
どこかの誰かが言ってたが、映画とは最も金のかかる文芸作品だ。
馬鹿高いセットを使い、優秀な俳優を雇い、何度もリテイクを繰り返し最高の作品を作る。
アニメと実写で色々差はあるが、どちらにせよ贅沢な創作物だ。
映画を作ってる方々には心よりの敬意を表するし、俺も見る時は失礼のない態度で見たい。
できることなら、こいつと一緒なんかじゃなく、一人で最高の映画を見たい。
「で?演劇部の図書委員さんは、何を見たいですか?」
「どっちかに絞れややこしい。面倒だしお前が選んでいい」
「ダメですよ。これはデートですから。ちゃんとあなたも選んでください」
「好きでも無い相手とのデートで、何をそんなこだわるんだか」
「映画館で映画を見るなんて初めてですから。なるべくいい思い出にしたいでしょ?」
「……」
困った。映画好きとして、こんなことを言われると真面目に選ばざる得ない。
なるべく面白く、かつ映画初心者でも楽しめる作品をチョイスしなければならない。
しかし生憎、俺は劇場よりビデオレンタルなどで映画を楽しむ派だ。
当然ここにある映画作品はどれも見ていないから、面白いかどうかも分からない。
「急に黙り込んでどうしました?」
俺の映画選びで、今後こいつが映画に対してどんな印象を持つかが変わる。
つまらない映画を見てしまえば、こいつは二度と映画館に行かない可能性もある。
それは決して許されることではない。人生の一割を損することになる。
いやまあ別にこいつが損したところでどうでもいいが。
「あのー、そろそろ順番来ますよ?どの映画にします?」
ネットのレビューはあまりあてにしたくない。
とすれば、自身の観察眼で面白そうな映画を見定める必要がある。
現在の時間帯で上映する映画はどうやら三つ。
一つ目はアニメ映画。大人も子供も楽しめるカジュアルな作品だ。
何年も続いている大御所アニメの映画故に、外れである可能性は低い。
無難に選ぶならこれだろうか?
「あの、回ってきましたよ!どれにするんですか!?」
二つ目はアクション映画。
アダルティックな描写はありそうだが、明らかにかけられた金は一番だ。
金をかけた映画は基本面白い、最初の映画で大当たりを引けるかもしれない。
だが時折、本当に時折ひっどい出来の映画も出てくることがある。
そうなった場合こいつの心境は最悪になってしまうだろう。
さて、どれを選ぶか……!
「もう私の好みで決めますからね」
「え」
この野郎、俺に何も聞かず恋愛映画のチケットを購入しやがった……!
「さっきあなたも選べだのなんだと言ったのになんて奴だ!」
「後ろの人達からの視線が痛かったんですよ!何をずっと悩んでるんですかまったく!」
「しかもよりによって恋愛映画だと!?俺さっき嫌いって言ったろ!」
「私は好きだからいいんです!というか恋愛要素なんてどの映画にも入ってるでしょ!」
「メインと要素では大きく違う!俺は合間に入るちょっとした恋愛要素なら耐えられるが、ずっとでかい画面で幸せそうなイチャコラシーン見せられるとかどんな拷問だ吐き気がするわ!」
「多分世間一般的に見れば私達もイチャコラしてますよ」
「イチャコラの意味を調べて出直してこい」
「嫌ですよ、私の検索履歴にそんなアホらしいワード残るの」
もう何年も触れてない恋愛映画なんぞを見ることになり、思わず肩を落とす。
隣にいる奴はルンルン気分だが、こちとら受刑者の気分だ。
懲役一時間半、俺が一体どんな悪行をしたというのか。
「そんなに嫌なんですね」
「当たり前だ。俺が好きなのは時代劇とかだぞ」
「私的にはそっちのが理解できません。物語の結末が全部わかってるじゃないですか。ネタバレされてる状況での物語なんて、つまらなくないですか?」
「それを俳優がどう表現するか、それが一番楽しむべきポイントだろ」
「俳優が多少頑張ったところで楽しめるとは思いませんが」
「そんなに言うんなら、今度おすすめを貸してやるよ。俳優の一挙一動に注目しまくれ」
「家に再生機器なんてありませんよ」
「んじゃ家にあるからそれ貸してやるよ」
「残念ながらテレビもありません」
「なんならあるんだお前の家」
「強いて言うなら借金ですね!」
まったく笑えないことを笑顔で言うのはやめてもらいたい。
とても反応に困る。
「……とりあえずポップコーン買うか」
「そうしましょう。チュロスっていうお菓子も気になってました」
「ああ、あれは美味いぞ。早死にしそうな甘さが最高だ」
「私にぴったりですね。いくらでも食べられます」
キャラメルポップコーンとチョコ味のチュロス、あとジュースを買って席に着く。
なんともまあ、不思議な感覚だ。誰かと一緒に映画館なんて何時ぶりだろうか。
「映画見た後は何しましょうか」
「映画見る前に言うのかそれを」
「予定は早いうちに決めておいた方がいいですから。何をしたいですか?」
「……ゲームセンターでも行くか?」
「いいですね。今日はいろんなことしましょう。明日は用事がありますし」
「用事?なんだ、どっか行くのか?」
「秘密です」
秘密が多い女だ。
まあ、大して知りたいわけでも無いしいいんだけど。
「始まりますよ。そろそろお口にチャックをしなくちゃいけませんね」
「子供みてぇな言い回しだな」
「子供ですよ。ほら、無駄口厳禁」
色々言いたいこともあったが、映画館では静かにするのがマナーだ。
随分と久しぶりに見る大画面は迫力があり見ごたえがあるが、よりによってジャンルが恋愛。
途中で寝てしまわないか心配であるが、まあなるべく頑張ろう。
★★★
「最高だったわ」
「掌クルクルで笑っちゃうんですけど」
滅茶苦茶ハマった。
誰だ寝てしまわないか心配なんてほざいたアホは、俺か。
「まずキャラがよかった……病気のヒロインのために健気に頑張る主人公が魅力的だったし、他の女には目もくれず一途にヒロインを想う主人公の独白の迫力がやばかった」
「食い入るように見てましたね」
「ヒロイン役の演技も凄かった……見てるだけで心を奪われるような名演技だ」
「中盤でボロボロ泣いてましたね」
「ラストシーンはまるで名画だったな……朝日をバックに抱き合う二人。これから先の二人の未来を明るく照らすような残照がマジで最高だった」
「碌にポップコーンに手を付けないくらい夢中でしたね」
「絶対ブルーレイ買うわ。こんなん何回も見なきゃ損だわ。名作だった……」
「よかったですね」
とても興奮している俺とは対照的に、隣のこいつは微笑むだけで感想を漏らさない。
こいつ正気か?あの映画を観てなんの言葉も出さないとは。
上映中ずっとスクリーンを観ていたから分からんかったが、こいつもしかして寝てたか?
「ジロジロと私の顔を見て、どうかしましたか?」
「いや、涎とか垂れてないかなぁと」
「寝てませんよ。ずっと見てましたよ、はい」
「なら感想くらい言ってみろ。映画の醍醐味だぞ」
「懐かしい感じがしました」
「懐かしい?」
懐かしい、とはまた面白い感想だ。
少なくとも昔の香りが漂うような映画では無かった。
現代舞台の、甘酸っぱくも儚い恋物語というのが俺の印象だ。
懐かしいなんて感想は、普通出ない作品だが。
「あー、原作小説とか読んだのか?中学くらいの頃に」
「読んでませんよ。私結末が分かってる作品を見るのは嫌ですし」
「ならなにが懐かしかったんだよ」
「……んー、まぁ」
そいつは少し考えて、俺の顔を見て微笑んで。
「中身は変わってないんだな、って」
「ハァ?」
訳の分からないことをほざく保険委員に、思わず声が出る。
一体何のことを言ってるんだろうか、この女。
「なんだそりゃ」
「なんでもありませんよ。映画館デート、楽しかったですね」
「映画は文句なしに面白かったな」
「じゃあ次はゲームセンターに行きましょうか」
「……おう」
明らかに言う気がなさそうなそいつの様子に、追及を諦める。
まあこいつの言うことなんて最初から意味不明だ、今更だろう。
『寝てませんよ。ずっと見てました』
「……んー?」
そのはずなのに。
何故か頭の隅の、誰かの言葉と重なっていく。
と言っても顔も覚えてない誰かだし、多分あんまり見知った奴じゃないだろうけど。
「……懐かしい、ねぇ」
ほんの少しだけ、保険委員への過去に興味を抱きながら。
手を引くそいつの笑顔は、誰の顔にも重ならず消えていった。