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分岐店

作者: 雲藤あさぎ

さぁ、店の中へ。


 ねっとりと濃い闇の夜、ベルがカランと音を立てて、少女の来店を告げた。


 一歩、板張りの床にブーツが踏み出されると、店内全ての人間が彼女に注目した。

 艶やかな黒髪は後頭部でまとめられ、編み上げのワンピースには、大人っぽさと可愛らしさが兼ね備えられている。そして、その首には見るからに高額であろう黄金きん色のネックレスが乗っかっていた。

「……おやおや、こりゃまた素敵なお嬢さんだ。迷子かな? それとも入る店を間違えたかな?」

 沈黙を破り少女に声をかけたのは、出入り口近くで紫煙しえんくゆらせていた男だった。

 少女は大きな瞳で、自分に視線を浴びせる大人たちを見回し、それから「……ええ」と頷いた。

「私は迷子になって間違えてしまったのかもしれないわ。だから迎えが来るまで、ここで休ませて」

 その歳にしては大人びた、そして憂いのある口調だった。

 やめるようにという男の忠告を聞かず、少女はカウンター席へと足を伸ばした。


 城下にあるその店は、酒屋というには小洒落こじゃれており、一般の飲食店というには客のがらが悪かった。

 テーブル席を背にして腰を下ろすと、向かい合う形になった店員に林檎酒を注文した。店員といっても彼以外に従業員はいないようなので、店長と呼ぶべきだろう。

 白髪混じりの頭を下げ、「かしこまりました」と林檎酒をつくり始めた店長の姿を確認して、店内はもとの喧騒を取り戻していった。

「こんばんは。あなた、迷子って言ってたけれど、どこから来たの?」

 静かにグラスを傾けていた少女のもとに、二人の年若い女が顔を覗かせた。姉妹なのかよく似ている。色違いのドレスを着ていたが、それ以外で見分けはつきそうにない。

 彼女らは興味津々といった表情を少女に向けていた。

「ここより南からかしら? お城がある方向?」

「……そうね、お城がある方向ね」

 すると突然、姉妹は手を取り合って喜んだ。

「聞いた⁉︎ お城ですって‼︎」

「素敵‼︎ あなた、お城に入ったことある? やっぱり広いのかしら?」

「きっと眩しいほど装飾がされてるんだわ! 毎日違うドレスを着て、舞踏会では豪華なお食事が出されて!」

「羨ましいわ!」

 面食らった少女に構わず、二人はうっとりと目を閉じる。

「そして素敵な殿方が……」

「格好良いお方よ」「センスも良くって」「お金持ちで……」「そうね、お金持ちじゃないと……」

 ほぅっと溜め息をついて、そのまま夢想に耽ってしまった姉妹に、少女はなんと答えようか返事に窮した。

 すると少女の右隣りの席に、男がぞんざいに腰を下ろした。身なりが良いとはとても言えないその男は、手に酒を持っており、すでに十分アルコールを摂取している様子であった。

「んだよ、結局は金目当てなんじゃねぇか」

 その男が吐き捨てると、姉妹は「あら」と口を尖らせた。

「ちょっとくらい貰ったっていいじゃない。こんな美女がお相手するんですもの」

 妹もしくは姉が「美女達よ」と訂正する。

 男は酒を煽って、ジョッキをカウンターに置いた。口髭には泡がついている。

「そしてしゃぶり尽くしたら捨てると」

「言い方が悪くってよ。今までの殿方達が私達に見合わなくなっただけ」

「そりゃあんたらに金目のもん吸い取られてんだから当然だぁ」

 三人の会話に、少女は目をパチクリさせた。

「……男の人を騙してお金を稼ぐ、ということ?」

 男は、お嬢ちゃんにはまだ早いかな、と口端をニヤリと吊り上げた。

「それがこいつら姉妹のお仕事だ」

 少女のグラスの氷がカランと動いた。

 じっ、と姉妹を見つめる。くびれた柳腰で、つくべきところに肉がついている。化粧も上手く、きっと簡単に男は堕ちるのだろう。

 しかし、彼女らが憧れるアクセサリーは首元にしかなかった。

「……。……ねぇ、そのお仕事のメリットとデメリットを教えて」

 姉妹は顔を見合わせた。それからグイッと少女に顔を近づける。

「……あなた、面白いわね」

「てっきり『どうしてそんな酷いことをするの?』なんて訊かれると思ったのに」

 二人は、気に入ったわ、と少女の頬をつついた。

「いいわ。メリットはね、男の人にとっても可愛がってもらえるところ。すごく楽しいの」

「それから、そうね……。ここだけの話、なかなかに魅力的なのよ、殿方の絶望するお顔は」

 うふふ、と赤い唇がいたずらっぽく笑う。隣の男はそれほど嫌そうでもなく溜め息をついた。

「デメリットは?」

 姉妹は少女から手を離し、微笑みながら腕を組んだ。

「ないわ」

 姉妹の声が重なる。

「ない?」

「ええ、ないの。まぁ、強いて言うなら、普通の恋愛ができなくなったことかしら。でもそんなのどうでもいいの、どうでも」

 少女は思わず姉妹から目を逸らした。

「……ふーん、どうもありがとう」

 淡泊に礼を言い、再びグラスに口をつけると、不思議そうに姉妹は首を傾げた。

「その質問の理由を教えてもらえるかしら?」

 林檎酒をゆっくり嚥下する。

 少女は肩をすくめてみせた。

「将来を不安に思うお年頃なの」


 少女はくるりと姉妹に背を向け、今度は右隣の男に話しかけた。

「だからあなたのお仕事のお話も聞かせて」

 男の片眉が跳ね上がる。

「俺の仕事?」

「ええ。お仕事。参考にしたいわ」

 男は珍しいものを見る目で少女を見、次いで豪快に笑った。

「——はっはは! いいねぇ、いいよ、聞かせてやろぉじゃねぇか。店長! ビール追加!」

 男は店長にピースサインをした。どうやら二杯飲むらしい。店長が「かしこまりました」と頭を下げる。

 キンキンに冷えた小麦色のビールを、喉を鳴らしながら嬉しそうに飲むその男に、姉妹は「この人の話? つきあってられないわ」と席を外した。最後に少女の頬をもう一度つついてから。

「……俺ぁなぁ、もともと良いとこの坊だったんだ。良い職に就いて、可愛い妻子もいた。人生うまくいってたんだ」

 男は少女の頭を撫でた。

「そうそう、ちょうどお嬢ちゃんくらいの歳の子だぁ」

 きれいに編み上げられた髪がほつれても、少女は何も言わなかった。

「だがなぁ、そんな時、持病が悪化してなぁ……そりゃあ辛かったさ。苦しかった。辛さを紛らわすために酒に溺れた」

 男は口髭に泡をたくわえて、一つ目のジョッキを空にした。少女も林檎酒を多く口に含めたが、とても一気には飲み込めそうになかった。

「酒は金がかかる。病院にも通っていたから、あっという間に飛んで行ったさ。気付けば一日中酔っぱらって過ごしてた。職も失うし、家族にも妻子にも見放された」

 そう、人生は転げ落ちるように。

 貧しくなるしかなかった、と男は呟いた。髭の泡が溶けて消えていく。

「もちろん病気が良くなるわきゃねぇ。——俺は余命、一年だ」

 男の灰色の瞳を、少女はゆっくり見上げた。店の暖色の照明が、男の顔に影をつくっている。

「……お医者様には止められなかったの?」

「止められたさ。通ってた頃はな。今は、拝もうにも拝めないがなぁ。お医者なんつー奴の顔は」

 男はズボンのポケットを裏返し、引っ張ってみせた。少女の眉間に皺が寄る。

「どうせ残り少ない命なら、確信の持てない未来のために酒をやめるより、俺の好きなことをして好きなだけ楽しんで、それからぽっくり逝きてぇもんよ」

 男はジョッキを軽く掲げた。少女の小さなグラスにコツンと当てる。また少女の頭に手を置いて、愛おしそうに何度も撫でた。

 周りは騒がしく、姉妹の笑い声も聞こえてくる。しかし二人の間は静かだった。


 不意に男の手はぴたりと止まった。


「——なぁんて、うっそぴょーん」


「……へ?」

「ガッハッハ! 完全に騙されてやがらぁ! 嘘だよ嘘。まぁ、酒が好きなのは認めるがなぁ!」

 男は背中を反らせて爆笑した。

「たまらねぇなぁ! この話したら、皆しんみりしちゃってよぉ! おかしいのなんの!」

 今までの神妙な表情はどこへやら、ひーひーと涙までも浮かべている。

 少女は頬を膨らませながら、グラスの氷をカラカラと回した。

「どこまでが嘘なの?」

 そう訊くと、男の口髭は気まずそうに動いた。

「……なぁに言ってんだ。全部だよ、全部」

 ジョッキの底には白い泡さえ残っていない。

 少女は落ちてきた髪を耳に掛け直した。

「つまり、嘘つき、それがあなたのお仕事?」

「……ああ、そうだぁな。または詐欺師ともいう。とっても楽しいお仕事だぜぇ」

 同情して金を落としてくれるのさ、と男は指を擦り合わした。姉妹と同じように、いたずらっ子の笑顔。


 その時、足音が近づいてきたかと思うと、少女の背後で床がみしりときしんだ。

 少女が振り返ると、眼前に別の男の端整な顔があった。

「やぁ、どうも。姫君……と、ライヤー」

 姫君、という呼称に、少女の指がピクリと反応する。

「まぁた飲んでるのかい? 一体何杯目だ?」

「ひーふー……ハッハッ、覚えてねぇやい」

 仲良さげな二人は、挨拶がわりに肩を叩き合った。

「ライヤー……あなたの名前?」

 少女が尋ねると、嘘つき男は頷いた。

「そうさぁ。本名はヒミツだ」

「その方は?」

「僕はロバーティア。名前というより呼び名だね」

 そう名乗った彼は、店長につまみを注文した。ロバーティアはビールではなく白ワインを傾けており、その所作には気品が感じられる。ややしてから薄く切られたサラミがカウンターに置かれ、彼は少女達にもどうぞと促した。 

「座らないの?」

「だって君とライヤーの間に席はないでしょ? 僕は中心じゃないと落ち着かないタチでね。はぐれ者は僕の性に合わない」

「そう……」

 しかし、だからといって仁王立ちはしんどいらしく、ロバーティアはライヤーの椅子の背に軽くもたれかかった。

「そんなことより、お姫さま。君のお名前は?」

 弾かれたように、少女は彼を見た。

「私の……名前……?」

 動揺した様子に、二人の男はキョトンとする。

「……私の名前……は……」

 小さな拳に視線を落として、少女はそれっきり黙ってしまった。困り果てている彼女に、二人は「変なの」とは言わず、むしろ納得の表情を浮かべた。

 ライヤーが少女の固く握った拳に触れ、そっと解く。

「いや、無理に言わなくてもいい。この店にはそういう奴が山ほどいるからな」

「私みたいな人……?」

「そうさ。ほら、だって僕たちも本名は明かしてない」

 ロバーティアも目尻を下げて言う。

「つーか、名前自体持ってない奴もいるんだ。互いの仕事の邪魔しねぇように大抵はあだ名で呼び合ってらぁ」

 少女はホッと脱力した。

「……さっきから思ってたのだけれど、あなた達仲が良いのね。ううん、あなた達だけじゃなくて、もしかしてみんな……」

 少女の座るカウンター席の背後には、いくつかのテーブルがあり、それぞれを囲うようにソファが設置されている。あの賑やかな姉妹は、色々な人間と話をしているのか、場所移動が激しい。しかし、馴染みのなかったのは少女だけで、あとは「お久しぶり」とか「今日はどうだった?」などの親しげな会話が聞こえてくる。ライヤーも姉妹に理解があったし、ロバーティアも少女のもとに来るまでは他の人と呑んでたと見受けられる。

 そして、名前を持たない人達まで把握している。

「仲が良い……というより、ここにいる人達全員、同じ穴のむじななんだ」

 ロバーティアはズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして出てきた彼の指に引っかかっていたのは、黄金の首飾り。見覚えがあるどころではない。

 少女は首元をあさったが、硬いものにはぶつからなかった。

「それっ、私の!」

 取り返そうとすれば、あっさりと彼は返してくれた。

「すっごく高価そうだけど、これ、お姫様の?」

 少女の手に戻ったそれを、ロバーティアはまじまじと見つめた。

「…………お母様の形見よ」

 やや声が低くなる。少女は首の後ろでホックをとめた。その首飾りは、肩が凝るからと、普段は身につけないものだった。

「それはそれは……盗み甲斐があった」

 ライヤーはロバーティアの袖を掴んだ。

「おい、この店のルールは破るなよ」

「心配するな。『ちょっと手に取ってみただけ』だよ。ちゃんと返しただろう?」

 ロバーティアは肩をすくめてみせた。

「ルール?」

「おうよ。お嬢ちゃんも迎えが来るまでこの店にいるってんなら、知っとけ。いいかぁ、まず」

 一つ、面倒を起こさないこと。

 二つ、代金は一年以内に必ず払うこと。

 三つ、店内で仕事は一切しないこと。

「これがこの店の三箇条だぁ」

「私は引っかからなさそうね」

「ライヤーはそろそろお金払わないといけないんじゃない?」

「まぁ、そのうち、な」

 おかわり! とライヤーは元気にジョッキを突き出す。

「ねぇ」

 少女は首を傾げた。

「三つ目の、店内で仕事は一切しないこと、ってどうして?」

「んー、僕達が仕事をしたら収拾がつかなくなるから、かな」

「?」

 ロバーティアはふむ、と顎に手をやり、次いでソファに座る集団を指さした。

「一番端に座る体格の良い男、そう、赤い服の男だ。あいつは生粋の暴力者でね。拳を振られたら最後、この店は吹き飛ぶだろうね」

 少女はごくりと唾を飲んだ。

「恐ろしいわね……」

「だろう? 次にその隣のヒョロっこいおじさんは、密輸業社の幹部だ。こんなところで薬なんて売られたらたまったもんじゃない。それから向かいの白髪。あいつには気をつけるんだね。人の嫌がることが大好きなんだ。僕らも大半は好きだけど、あいつは度が過ぎる」

「サディスト……」

「そう呼ぶ人もいる。まぁ、この店の中にいる時は比較的大人しいよ」

 楽しそうに酒を酌み交わしている彼らは、はたして店の外ではどんな顔で過ごしているのだろう。そんなことを少女は考えた。

「これで分かったかい? ルールの三つ目は、店内の秩序を守るためにあるんだ」

「ふふ、なるほどね」

 少女はクスクスと忍び笑った。

「……何が可笑しいんだい?」

「だって、外では秩序を乱す存在のあなた達が、この中では守ろうと規則に従っているんだもの」

 店長と一瞬目が合う。少女は上機嫌に、底に残っていた林檎酒を飲み干した。

「きっとこのお店が特別なのね」

「…………」

 返事を避けるようにライヤーとロバーティアは酒に口をつけた。

 そんな時、弦楽器の音色が流れてきた。

 音のする方を見れば、先ほどの白髪がバイオリンを鳴らしている。さらにその横で暴力者と紹介された男が木製の縦笛を構えており、密輸業者はアコーディオンを抱えていた。

「なんで全く違う職業の方達が三人集まってるのかと思ったら……」

「ああ、音楽っつー共通点があるから、あいつらはよく連んでる」

 彼等の周りに人が集まってきた。みんな「待ってました」と手を叩いて喜んでいる。姉妹が立ち上がって、踊りましょと他の客の腕を引っ張った。

 軽やかで庶民的で、それでいて胸の内がゾワゾワするような音の外れ方をする。宮廷音楽とは縁遠いものだった。

「すてきね。とても面白い音」

「お嬢ちゃんが知ってる音とは違ぇだろうなぁ」

「ええ。すごく腐ってる」

 人柄が音楽には表れるとよく言う。

 決して卑下しているわけではなく、むしろ前向きに少女は評した。

「さて」

 ライヤーは椅子から降りた。

「俺も近くで聴くとしようかな。お嬢ちゃんと酒が飲めて楽しかったぜぇ」

 ぽん、と少女の頭を叩き、あれだけ飲んでいたにもかかわらずしっかりとした足どりでライヤーは集団にのまれていった。

「じゃあ僕も」

 サラミをぺろんと一枚取って、ロバーティアも続けて去ろうとする。

 しかし少女は「待って」と彼の背中を呼び止めた。

「最後に一つ教えて。あの人の名前を」

 少女が目線でその男を指す。

 ロバーティアはその視線を追い、ああ、と頷いた。

「彼はトラフだよ」

 壁に背を預け、扉の横にひっそり佇む彼の名前だった。

 

 

「ダンスのお相手をお願いできるかしら?」

 少女は黒ワンピースの裾をつまみ、そっとお辞儀をした。

 店内は未だ音楽で溢れている。

 しばし少女を無言で見下ろしたトラフは、彼女が顔を上げると、口から煙を吐きだした。

「なんで俺なんだ。お嬢さん」

 トラフは煙管きせるを噛んだ。覗いた歯の並びはあまり良くない。

「あなたを選んだ理由の一つは、あなたが私に最初に話しかけたからよ」

 ふざけてやがる、と彼は鼻を鳴らした。

「ライヤー達と楽しくお喋りしていたんじゃないのかい」

「ええ、楽しかったわ。今度はあなたのお話が聞きたい」

 少女は手を差し出した。

「別の奴でいいだろ。俺は踊らない」

「いいえ。あなたはこの手をとる」

 断定する物言いに、トラフは眉を寄せた。

「なぜそう言える」

 少女は腰の巾着の口を開き、黒い箱を取り出した。彼女の片手に収まるそれは、簡単に開かないように紐で括られている。少女の透き通るような肌によって、その箱はまるで浮かんでいるように見えた。

「これ、何だと思う?」

「さあな。見るからに貴重そうなもんじゃねぇか」

 少女は頷いた。

「そうね。あなたには一生手に入らない煙草よ」

 ゆらゆら揺れていたトラフの煙管がピタリと止まった。

 さらに少女は続ける。

「遠い国から輸入されたもので、現在吸えるのは王家のみとなってる幻の煙草……。それはそれは絶品らしいわ」

 トラフの目はまるで透視でもするかのように小さな箱に吸い付けられていた。

 でもまぁ、と少女はその烟るような睫毛を伏せる。心底残念そうに少女は首を振った。

「要らないなら仕方ないわね」

「——待て」

 箱を巾着に戻そうとした少女の手首を、トラフは掴んでいた。

 少女は勝ったとばかりに笑みをひらめかせた。

「なに? 踊らないんでしょう?」

「…………やり方が汚ねぇぞ、お嬢さん」

 トラフが頬を引き攣らせながら言う。

「あら、この店であなたがそれを言うの?」

「いいからその箱を差し出せ。一曲だけだからな」

「どうもありがとう」

 少女は煙草を手渡した。トラフは近くの机に置かれた灰皿に吸い殻を落とすと、少女の手をとった。

 バイオリンの音が一際大きく響くと、ゆったりとした曲調に変わった。

 

 

 磨き上げられた四足の靴が右に左にステップを踏む。

 あっという間に二人は見せ物になった。

 天井に近い壁沿いに、赤や緑のステンドグラスのランプが無規則に吊るされている。来店時には無かったそれらは、少女たちの影をあちこちに飛ばしていた。

「みんなあなたを見てるわ」

「おいおい、お嬢さんもだよ。俺だけ笑いものにする気か」

 トラフは唇をへの字にした。

「きっと珍しいのね。あなたが踊るなんて」

「しかも相手が十六、七の娘っ子なんだからな。あと三年くらいは酒のつまみにされるんだろうよ……」

 文句を言いつつも、踊るのはやめない。

 周りを見ると、誰もが可笑しそうに笑っている。「あのトラフが踊ってんぞ!」「娘さんサイコー!」だとか言う声を、トラフはとことん無視した。

「そんなに煙草が欲しかったの?」

「仕事のお供なんだよ、煙草は。良いやつならなお良い。……今更だが偽物じゃないだろうな?」

「ちゃんと本物よ」

 トラフは「ほーう」と少女を眺めた。

 その目は鋭く光っている。

「王族しか吸えない絶品の煙草、しかも本物を、どうしてお嬢さんが持ってるんだろうなぁ?」

「……」

 少女の顔には明らかに、しまった、という色が浮かんでいた。

「しかも着てるもの全部一等品だろ?」

「……」

「とても一人じゃ結えない髪も、傷一つないこの手も」

 見えないところまでも丁寧に結いあげられた髪は多少ほつれたとはいえ、まだ崩れていない。また、トラフの掌に収まる彼女の手は、あかぎれもマメもない。家事はもちろん手伝いさえしたことのないようにトラフには見受けられた。

「もしかしてお嬢さん、あんた……」

 その瞬間、少女はトラフの手を払い、彼の口を覆った。

「——それ以上は結構よ。私は貴族のお嬢様。ただそれだけ」

 二人の会話は音楽に消し去られ、その内容を聞く者はいなかった。

 睨みつける少女に、しかしトラフは少し目を見開いただけで怯むことはなかった。

「へぇ……。……それはそれは光栄なことだ」

 少女の腰を引きつける。

「わっ」

 黒ブーツが宙に浮き、少女は思わずトラフの肩に手を置いた。

 片腕で少女を抱きかかえるように持ち上げたトラフは、さらにそのまま一回転してみせる。

 ワンピースの裾がふわりと開き、赤のレースが覗いた。

 わぁっ、と歓声が沸き、曲がクライマックスをむかえる。

 すとん、と地面に下ろされた少女は、驚きなのか嬉しさなのか呆れなのか、なんとも言えない表情をしていた。

「なんだ」

「だって……ぎこちないところが全くなかったんだもの……。あなたこそ、本当にただの人買?」

 彼の名とともにロバーティアが教えてくれた、トラフの仕事。

 人間を売る仕事。

「俺が舞踏会に参加するようなお貴族さまに見えるか?」

 つまり、お互いに秘密だと。

 

 

 曲が終わり、ひとしきりチヤホヤされた後、トラフはまた出入り口の壁にもたれた。

 懐から煙管を取り出し、煙草をキュッと詰める。煙草といっても黒箱のものではなく、普段使用しているものだった。少女から貰った黒箱の煙草はとっておくつもりらしい。

 ふぅ、と溜め息混じりに煙を吐く。

「あなた、お仕事は楽しい?」

「……なんだ、藪から棒に。まだ俺に用があるのか」

 少女はトラフの隣に立って、色々な人に仕事について聞いて回ってることを告げた。

「みんな自分の仕事を楽しんでるようだったけど、あなたは違うの?」

「他の奴なんて知るか。だがまぁ、戦後の割にはあいつらより収入がいいのは確かだし、あいつらより金に貪欲なのは確かだな」

 彼の言う通り、トラフはライヤーよりよっぽど身なりが良い。お金に困っているようには見えなかった。

「なら、楽しい……?」

 ゆうらりと揺蕩う紫煙が消えていく。

 トラフはその質問に答えなかった。

 その素直な返答に、少女は微笑んだ。

 

 

 林檎酒を用意して、彼は待ってくれていた。一曲だけとはいえ心ゆくまで踊ったため、さすがに喉が渇いていた。ありがとうと礼を言い、向かいの席に腰を下ろす。

「お見事でした。私も楽しませていただきましたよ」

 林檎を漬けた瓶を棚に戻すと、彼はそう言った。

「ふふ、少し恥ずかしいわ」

 少女の鼻を林檎の香りが通り抜ける。美味しい、と呟いた。

「お城の庭に植っているものと同じ種類の林檎を使っています」

 少女は目を見開き、薄黄色に透き通るそれを、まじまじと見つめた。

「さっき飲んでたのと味が違うと思ったら……。でも、なぜ?」

「ささやかながら、初来店のお客様へ私からのプレゼントということで……。それに、この林檎の酒はあなたに飲まれるのが相応しい」

 腰を折り頭を下げた彼に、少女はぽかんと口を開け、それから苦笑した。

 ずるずるとカウンターに突っ伏す。

「店長」

「はい」

「いつから気付いていたの?」

「恐れながら、初めからでございます」

 初めから見抜かれていた。その事実に少女は息を吸い、吐いた。肺にある空気を全部。

 少女は顎の下で腕を組み、器用に布巾で皿を拭く彼の一動一動を見守った。

 食器が綺麗に陳列した棚に皿を戻し、一箇所にまとめられた酒樽から注文のものをグラスに注ぐ。店を開けば毎日その繰り返し。その動作は至って普通で、どこにでもいる店の主人だ。

 しかし、世に悪人と囁かれる人達が集まるこの店の、彼は長だった。

 ゆっくりと瞬く。

「……元兵士」

 口を衝いて出た言葉でも店長の穏やかな表情は変わらない。

「ええ、そうです。私の左腕と左耳は、先の隣国との戦で失くしました」

 袖から覗く、陶器で作られた白く滑らかな義手を、彼は残った右手でそっと撫でた。

「では私の話で最後といたしましょうか」




 ここから南、城よりもさらに南にある辺境の村で、私は生まれ育ちました。人口は少ないながらも、明るく賑わいのある村です。森林は美しく、身の凍える寒い日など、草花には霜が降り、池の上は滑れるほどでした。

 しかし、それは私が六になったばかりの年のことです。

 山を越えれば隣国という私の故郷は、戦場になりました。

 原因は経済的な不和とされています。私の村は隣国の兵士に壊滅的損害を受けました。畑は荒らされ、家には火が放てられ、自国の兵だけでなく避難の間に合わなかった村人まで、大勢が虐殺されました。

 私の父は血気盛んな人でして、鍬を片手に「お国を守る」と言って、鉄砲で頭を撃ち抜かれました。幼いながらも衝撃を受けたのを覚えています。国境に住むだけあって父や村の人達は強かったんです。とうとう敵兵がすぐそこまで迫り、私の襟首を掴みました。

 その時に助けてくれたのが、私が以降慕い続けた兵士です。私も母も妹も、まだ若い彼に救われました。二度と村に住めなくなったにもかかわらず、私は「ああ、これが我が国の兵士か」と彼を見て密かに感動したのです。

 なんとか生き延びた私は、それから約十年経って、ようやく兵士になれました。その戦で憧れたのです。夢をみたのです。私が家族を、仲間を、王を、国を、守るのだと。

 新しい王が誕生しました。聞けば同じ歳とのことです。王の政治手腕は素晴らしかった。私は戦うことなく、月日だけが流れていきました。死ぬまで平和なのではと、物騒にも焦ったものです。やがて王はご結婚し、姫様がお産まれになりました。運良くお顔を拝見させていただく機会もございました。その日、私の守りたいものが一つ増えました。

 そんな幸せな日常に終止符を打ったのは、やはり隣国でした。領土の獲得を企み攻めてきたのです。はじめのうちは、さすが我が国の王、ものともせずに撃退していきました。しかし流行り病に罹られ、そしてそれが治らないとなってから彼は変わってしまわれた。

 忘れもしません。頬はごっそり痩け、眼は落ち窪み、気性は荒くなってしまわれた。

 私は尊敬していたかの人と戦っておりました。やっと大切な人達を守るために戦えると息巻いて。

 ですがこちらの軍勢は圧倒的に敵よりも多かったにもかかわらず、どれだけ敵を撃っても勝てませんでした。無理な命令ばかりで、かつて俊英だった王は愚鈍と呼ばれ、兵の中に反感を持つものもおり、士気は下がる一方でした。目の前で多くの仲間が殺されました。私の左腕も左耳も吹き飛んでしまった。お慕いしていた彼は、王の命に従わなかったとして首を刎ねられました。

 それでも人の数というのはすごいものです。負けに等しい勝利を得て、長い長い戦の果てに、私はまた生き残り、帰りました。

 待っていたのは荒廃した国でした。戦に金を使いすぎたのです。

 母と妹は飢えて、すでにこの世のものではなくなっていました。多くの貴族が没落し、かつての景観は失われ、ゴロツキ達が歴史的建造物に落書きをし、裏路地には必ず死体がある惨状です。

 そう、今よりもっと酷い。

 私たち兵士は税金泥棒や人殺し呼ばわりされました。私は驚きを通り越して虚しくなりました。長く戦場に身を置きすぎたのです。国の現状をその目で見てはじめて理解しました。

 いったいなんのために私は、と嗤いました。

 人生全てを諦めた私は兵士であることをやめ、ある部屋を買い取り生活していくことにしました。得意だった料理を訪ねてきた人達に細々と振る舞いながら。

 なんとか経済が回り始めた頃、一人の犯罪者が食べ物を求めて私の玄関の扉を叩きました。なぜその人が犯罪者だと分かったかと言いますと、その顔が指名手配書の似顔絵と瓜二つだったのです。そんな彼はまだ少年でした。

 私はひどく叱り、巡回兵に引き渡そうとしましたが、彼は私の手を払い除け、泣きながらこう言ったのです。「やりたくてやったわけじゃない。俺だって真っ当に生きたかったんだ」と。気付けば私は食べ物を食べさせていました。どうしても完全な悪人だとは思えなかったのです。

 彼の罪は言いませんが、しかし彼の存在が今のこの店へと繋がっているのです。




「姫様がまつりごとにかかわられてから、この国は幾分か息を吹き返しました。しかし今、また隣国の怪しい動きが目立ってきている……」

 とこから起き上がれなくなった王は、愛娘にいくらか権力を譲っていた。とは言え依然として王の支配力は衰えず、戦の最終決定権もまた彼にあった。

 店長の話に耳を傾けていた少女は、むくりと起き上がり姿勢を正した。グラスを両手でギュッと握ると、店長にだけ聞こえる声で告げた。

「今日の夕方、王はその生涯を終えたわ」

 店長は林檎の皮を剥く手を止めた。

「………………なんですと?」

 少女は伏せていた瞼を持ち上げて、もう一度言った。

「王は殺された。もう悪政に苦しむことはないわ」

 店長の顎が震える。呆然とする彼の反応に構わず、少女は店内をぐるりと見回した。

「あなたの話を聞いて分かった。なるほど、規則に従うわけだわ。みんなあなたのことが好きなのね。否定しないあなたが」

 冷たい林檎酒が喉を下っていく。グラスから唇を離すと、少女は真っ正面から店長を見つめた。

「善人はいる。悪人もいる。だけど人間はその二つに分けられるほど単純じゃない。残念ながら」

 椅子を引き腰を上げて、店長の手から果物ナイフを抜き取る。

「だから私は迷子になった。道を誤ってしまったと泣き叫びたくなった。私のしたことは許される行為ではないから。……だけど、ここへ来て再び道が開けた」

 手首を回して汁の滴るナイフの角度を変える。キラリと光る刃に、少女の顔が写った。

「反省をしても、後悔の念が押し寄せても、少なくとも私はあの時、このままではいけないと思ったの。変えるべきだと思ったの。あなた達と違って、私はわがままな子供で大人じゃないから妥協なんてできない。選択肢があるうちは立ち止まりたくない。あきらめたくない。だって自分の人生よ」

 その眼光は、刃のそれだった。

 お姫様はもういない。その美しい刃に、店長の口元は自然とほころんだ。

「トラフに売られるのも悪くないと考えてたのだけれど、やっぱり違うわ」

 少女がちらりと出入り口の方に視線を向けると、トラフも少女を見ていた。

「店長、この店を開いてくれて感謝するわ。この店は彼等の最後の拠り所よ。外で胸を張れない彼等が普通でいられる場所なのよ」

 決してその罪を見逃すわけではない。しかし彼等をその境遇に落としてしまったのは、全部が全部その人自身のせいではないはずだった。

「この店のおかげで再確認できたわ。私はまだ目的地に辿り着いてない。だから一歩、踏み出さなければいけないの」

 少女は顔をしかめながらグイッと林檎酒を飲み干し、氷だけが残ったグラスをカウンターに置くと、店長に「そろそろ迎えが来たみたい」と背を向けた。

 店長は剥きかけの林檎を少女のグラスの上にやった。林檎の下部がグラスの縁にはまる。

 出て行こうとする彼女に、最後、店長は餞別の言葉を投げた。

「では、あなたの身が腐って堕ちるまで、私はこの店で待っていることにしましょう。グラスを構えてね」

 少女は振り返ると、快活に、だけどどこかいたずらっぽく笑った。

 よろしく頼むわ、と。

 

読んでくれてありがとうございます!!

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