2303 邂逅(下)①
2303『邂逅(下)①』
施設に着いたのは11時過ぎ。道路が空いていたので、予定より少し早い。
海沿いの県道から、海岸とは反対方向の細い道に入って数百m。
人目に付きにくい場所。施設の門は開いていて、駐車場に大型のバンが一台。
分家の術者が使っている車だろう。長期間放置された状態には見えない。
なら今、残った分家の術者は2人とも、この施設にいる。
「Rさん、いよいよですね。」 「はい、宜しくお願いします。」
姫が微笑んで差し出した右手を、左手でしっかりと握り、目を閉じる。
じいぃぃん、胸の奥が熱い。俺と姫の心の一部が重なっている。
この時のために、昨夜から2人で準備を整えて来た。
2人の意識を繋げることでお互いの力を共有する。
『あの声』と『言霊』。系統は違うが、どちらも言葉を媒とする力。
組み合わせて共有するのは難しくない。
俺が先に車から降り、細心の注意を払って辺りの様子を窺う。
術者の気配は感じない。結界の、中か。
助手席のドアを開け、姫も車から降りた。手を繋いだまま歩く。
姫の信頼が伝わってくる。俺の気持ちも姫に伝わっているだろう。
それがとても心地良い。
大仕事を前にして、俺達は不思議な程、落ち着いていた。
この仕事に全力であたる。結果はどうあれ、姫と俺は最後まで一緒だ。
施設の玄関前まで来た時、スロープの脇に武器を見つけた。
長さは約80cm、先端にバネ仕掛けらしい鎌状の刃。刃渡りは約10cm。
反対側の端は革巻きの握りになっている。恐らく、仕込み杖のような武器。
「Rさん、あれを。」
姫の視線を辿る。スロープを登り切った所。
コンクリートの床に人型の影が焼き付いていた。
大きさから見て、かなり体格の良い男の影に見える。
落ちていた武器の持ち主だとすれば。
『残り2人の内1人だ。』
低く太い声が響く。この声と気配。一族最強の式。御影。
『本家からの分離に備え、分家の長が雇い入れた術者達の、最後の生き残り。』
「別系統の術者なんですか?」
『そうだ、一族の血に連なっていないから、血縁相克にもならない。
遠慮無く始末できた。ただし、結界の中にいるのは間違いなく分家の術者。
この後はお前たちの仕事、心してあたれ。』
床に焼き付いていた男の影は見る間に薄れ、御影の気配も消えた。
遍さんの話の通りなら、この結界の中に御影は入れない。
何かの影に潜んで気配を消し、
術者が結界から出るタイミングを待っていたのだろう。
結界の強固さから見て、かなりの力を持った術者。
それなりの警戒もしていた筈なのに、仕込み杖の刃を操作するだけで精一杯。
文字通り、一瞬の出来事。
「残った術者は1人、ですね。Rさん、行きましょう。」
俺の左手を握る姫の右手に力がこもった。2人、施設の入り口に歩を進める。
自動ドアは反応しなかった。
施設内の様子から見ても、おそらく自家発電装置は動いていない。
大きな自動ドアから少し離れた場所にある夜間出入り用のドア。
本来オートロックだろうが、それでは御影が始末した術者も不便だったろう。
ドアノブに手をかけて引くと、すんなりとドアは開いた。
やはりオートロックに細工がしてある。
俺が先にドアをくぐり、姫が続く。問題なく結界の中に入った。
分家の血を引く者でなければ、この結界の中には入れない。
かつて自分達が拉致しようとした、分家の血に連なる娘。
結界を張った術者は、まさにその娘/姫を、
当主様が此処に派遣するとは予想していなかったんだろう。
そして姫の他にも俺が、分家の血に連なる術者が、もう1人いる事も。
姫は何の迷いも無くロビーを抜け、先に立って非常階段に向かった。
まるで郊外のショッピングモールで買い物をする時のような、軽やかな足取り。
姫にはもう分かっている。最後の術者の居場所。
重なった意識を通して、俺にもその部屋が見えていた。
3階、廊下の突き当たり。306号室。
「少し、焦げ臭いですね。」 「はい、火の気は無いみたいですが。」
その部屋のドアの前まで来ると、中の術者の気配が普通ではないと分かった。
確固たる存在と言うよりも、ボンヤリとした、雰囲気のような気配。
強い妄執に囚われていながら、人の形を保っていない。
生きた人間の気配がこんな風に拡散しているのを感じるのは初めてだ。
正直、不安もある。しかし、このドアを開けなければ仕事は始まらない。
1つ深呼吸をして、ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。
ドアを開けると同時に、激しい憎悪が溢れてきた。
かまわずドアをくぐる。始めに俺、次に姫。
黒い霧のような、靄のようなモノが部屋の奥に蟠り、視界を遮っている。
それは飛び回る無数の小さな虫。
ショウジョウバエよりもずっと小さな、黒い虫の群れ。
その羽音が重なって、低い唸り声のように聞こえた。いや、これは。
『・・・すこしで、もう少しで、奴らを滅ぼすことができたのに・・・』
『・・・あの、霊剣を持った男さえ現れなければ、契約通り■◆は・・・』
『・・・の命と引き替えに、何としてもKの仇を、復讐を・・・』
部屋の奥に蟠る生きた黒い靄の中に、呪詛の声が重なり合う。凝り固まった憎悪。
姫の眼を見る。姫は優しく微笑んで、しっかりと頷いた。
よし。自分を信じて、腹に力を込める。
『敵の術者がこの部屋に入った事にも気付かないとは、呆れたな。
闇に魂を食い尽くされ、感覚までも奪われたか。』
沈黙。
その直後、黒い靄は一瞬で凝縮し、部屋の奥の様子が見えた。
窓際に置かれたベッド。その上に横たわる人物は、
焦げた布の切れ端と夥しい数のガーゼで体中を覆われていた。
わずかに見える皮膚は、まるでミイラのように乾涸らびている。
点滴や栄養補給をしている様子はない。本当に、この状態で生きているのか。
凝縮した黒い靄は、横たわる人物の胸の上でゆらゆらと蠢いている。
まるで黒い炎。そして。
人物の左手、紫色に変色した薬指だけが、乾涸らびずに、元の状態を保っていた。
間違いない。この人物こそ、最後の術者だ。
『本家の術者か。私を始末しに来たのだろう。さっさとやるが良い。
ただし、決して我らの憎しみは消えず、いつか必ず本家を滅ぼす。忘れるな。』
部屋の中に響く低い声。術者の胸の上、黒い炎が発する声。
姫がベッドの脇に歩み寄る。俺も姫の横に立った。
「私はL、憶えてますよね?あなたに聞きたい事があって、此処に来ました。」
『L...あの時の、娘か。言って見ろ、今更隠す事など何もない。』
『本家と分家の争い、先に手を出したのは分家の方です。
なのに何故、本家を恨み、滅ぼそうとするのですか?』
姫の声は強い言霊を宿していた。その言葉はきっと、男の心に届いている。
『確かに、先に手を出したのは分家。しかし、そう仕向けたのは本家だ。
当主と『上』は卑劣な分断工作で分家を弱体化させ、滅ぼそうとした。
黙って滅びる選択肢などない。我らは生き残るために、戦うしかなかった。』
姫は目を伏せて小さく溜息をついた。
「仲間から何を吹き込まれてきたか知らないが、本家は分断工作なんかしてない。
お前達のやり方や考え方に嫌気がさして分家を離脱した者達を保護しただけだ。
力を持たない者の命を代償にして外法を使い、力を持つ者を生み出すなんて、
そんな考えが分家の全員に支持される訳がない。だからお前達は孤立した。
その左手、薬指の契約にも耐えられたなら、お前も相当な力を持っていた筈だ。
だが、その力が誰かの命を代償にして与えられたものだとしても、
お前は何も感じないのか?」
『力を持つ者を生み出すためには、それなりの犠牲は必要。当然だろう。』
「だから親を殺して子供を拉致しても良い。
拉致した子供に術を仕込んで代にしても良い。随分と手前勝手な理屈だな。
一体、お前は誰に育てられた?両親の記憶はあるか?
お前自身が拉致された可能性もあるぞ、あの人が、Kがそうだったように。」
『Kが、拉致された?出鱈目を言うな。Kを殺したのは貴様達だろう。
酷い拷問をして代の在処を聞き出し、その後で殺した。そんな奴らの言葉など』
『黙れ。』
腹の底から湧き上がる激しい怒り、しかし俺の声は自分でも驚くほど冷たかった。
『あの人を生かしたまま捕らえる程の力を持った術者が本家にいたなら、
お前たちはとうに殲滅されていた。第一、お前はあの人の最期を誰から聞いた?
そいつはあの人が拷問され、殺されるのを黙って見届けた後、
対策班の手を逃がれたのか? 幾ら何でも不自然過ぎる。
良く考えろ、おかしいとは思わないのか?』
『...じゃあ誰が、Kを。
それにあの術の代は、絶対に見つからない方法で隠してあったのに。』
『あの人は外法を使う非を悟り、代を持ち出してLさんの術を解いたんだ。
だからそれを知った仲間に襲われた。
左胸に大きな深い傷があって、酷い出血だったよ。』
ふと、施設の入り口近くに落ちていた仕込み杖を思い出した。
その先端に仕込まれた鋭利な刃。あれなら、もしかして。
『間違いなく刃物傷。あれ程の力を持っていた人があんな傷を負うなんて。
どんな武器が使われたのか、心当たりが有るんじゃないのか?』
『貴様こそ、あの場所にはいなかった筈だ。何故、Kの最期を知ってる?』
男の声の調子が変わっていた。
俺の心に浮かんだ映像、あの人の胸の傷と仕込み杖。
間違いない。姫の力がそれらの映像を男の心に伝えた、だから。
『死の際に、あの人がRさんに会いに来たんです。本当に凄い術でした。
あの人はRさんを心から愛していたから、最期はRさんの腕の中で...
とても穏やかで美しい死顔。
自分の不幸も、自分を不幸にした人も、全てを許して。』
あの人の最期の微笑み、一筋の涙。
その映像も、この男の心に伝わっているだろう。
『...私は、騙されていた、という事か。』
『いいえ、あなたを騙していたのはあなた自身です。
心の隅の疑問を、敢えて無視した。
薄々気付いていたのに、それを認めるのが怖かったから。』
『その通り、だな。物心付いてからずっと、敵は本家だと信じてきた。
ただ憎んで、戦うだけ。私に出来るのはそれだけ。
疑うのが怖かった。憎しみと戦いが無意味だとしたら、
私が生きている事自体が無意味だから。』
『そうやって自分を誤魔化し続け、挙げ句の果てが、その有り様か?
お世辞にも、男前とは言えない姿だが。』
『その通り。まさに、その通りだよ』 乾いた、笑い声。
『自ら動く事も、死ぬ事さえも叶わぬ、生ける屍。
Kに両親がいない、その記憶すらない。それも随分前から知っていた。
それを知った時に調べていれば、Kの拉致のことも分かった筈だし、
別の道を、Kに用意出来たかも知れない。だが、怖かった。
Kを失いたく無かった。本当に、私は馬鹿だった。』
そうか、この男は、『あの人』を愛していたのだ。だからこそ、
対策班が『あの人』を拷問して殺したという話の嘘を、見抜けなかった。
そして結局は、自らの魂と引き替えに、何の救いもない計画を進めてしまった。
本家を、滅び行く自分達の道連れにする。それが『復讐』だと信じて。
『生きる意味は、誰かに与えられるものじゃなく、自分で見つけるものだろう。
本家と分家の争いを完全に終わらせるために、俺達は此処に来た。
お前と同じ、分家の血筋に生まれた者として。』
『貴様が、分家の...そうか、当主は『約束』を未だ。』
『当主様は、外法を使っていない者の罪を問わず、
望む者には本家への復帰を認めると仰ってる。
外法に手を染めた者で、残ったのはお前1人。
その薬指、『不幸の輪廻』との通路を封じれば全てが終わる。
そのためには、お前の力が必要だ、分かるだろう?』
男の胸の上、黒い炎は薄れ、次第にその輪郭を失いつつあった。
『長く続いた争いを終わらせ、皆が一族に復帰する役に立つのなら、
私の命にも少しは意味があったという事だ。』
乾涸らびた顔に表情は読み取れない。しかし、男は確かに微笑んでいた。
『まともに話を聞いてくれてホッとしたよ。
俺達の言葉が届くかどうか、正直自信が無かったからな。』
『『誰に育てられた?』と聞かれた時、貴様の話を聞くべきだと分かった。
私は祖父母に育てられたが、父と母の記憶は全く無い。』
祖父母に育てられたのなら、拉致、とは言えないかも知れない。
しかし、恐らくこの男も、長い争いの最中に生まれ、
否応なく争いに巻き込まれた被害者。
『今更記憶を辿ろうとも思わないし、罪を逃れようとも思わない。
全ては、私自身の犯した罪。
有り難い御言葉と御心遣いに感謝すると、当主様に伝えて欲しい。
闇に侵食され、異形に成り果てた私の命で良いの、なら、喜んで...」
部屋の中に冷気が満ちていく。この感覚、迷わず短剣を抜いた。
男の左手、薬指が小さく震えている。何かが通路を使って。
『作り出した術者も、雇い入れた術者も、遂に滅びた。』
違う、先程までの声ではない。嗄れた、呟くような声。
『我が力と知恵の限りを尽くしてなお、一族の運命を変えることは出来なんだ。
しかも、我らが血に繋がる者が幕を引くとは、皮肉な事よ。
全て、あの女の、描いた筋書きか。なれど、●明が遺言、しかと当主に伝えよ。
術者を軽んずれば、早晩一族の命運は尽きる。忘れるな。』
これ以上、聞く必要は無い。一刻も早く通路を封じないと『不幸の輪廻』が。
男の左手を押さえ、薬指の付け根に短剣の刃をあてた。力を込める。
硬く乾いた感触。切り離された薬指は炎に包まれ、灰も残さずに燃え尽きた。
「Rさん、少し離れて下さい。」
姫が俺の真横に立っていた。3歩下がって距離を取る。
金具に皮紐を通して胸にかけた宝玉を、姫は両手で捧げ持った。
額の前、右掌の上に宝玉。
『青き・の・・て恵み給え、降らせ・・・清らなる・・・・祓い・・・』
宝玉は透き通った深い青に変わり、ボンヤリとした光を放っている。そして。
ポツリ。
水滴が俺の肩に落ちた。部屋の中に、無数の水滴が降り注ぐ。
雨、だ。コンクリートの天井で空から仕切られている部屋の中に、
雨が降っている。
「Rさん、濡れます。一旦部屋の外へ。」
姫に促され、開けたままのドアを2人でくぐった。廊下には雨が降っていない。
振り向くと、部屋は不思議な明るさに満たされ、雨は勢いを増していた。
これは、まるで天泣。屋根の下に降る天気雨。
ふと見ると、男の体の厚みが半分程になっていた。
雨が降り続くにつれ、その厚みはさらに減っていく。
そして、着物の燃え残りやガーゼの色が白く変わっていくのが、
遠くから見ていても判る。どのくらい降り続いただろうか。
床を濡らした水が、部屋の外にも流れ出している。
突然、青く輝いていた宝玉が元の黒に戻った。雨は急激に勢いを弱めていく。
「Rさん、行きましょう。」 「はい。」
もう一度部屋の中に入り、ベッドに歩み寄る。
男の体は跡形もなく消えていた。
ベッドの上に残るガーゼや着物の切れ端は漂白されたように真っ白。
穢れを祓い、憎しみと哀しみを清らかな水に流す。それがこの宝玉の力。
分家の血に繋がる俺と姫が、この役目を担った事で、遠い約束が果たされる。
つまり、もう分家は存在しない。
「Rさん、これ。Sさんに教えて貰った通りです。」
姫の指さしたガーゼが微かに動いていた。
そっとガーゼをめくる。 奇麗な、青い金魚。これは。
青の宝玉の力と、その使い方を教えてくれた時、Sさんは俺達に言った。
『その魂が完全に侵食されているなら、肉体は塵一つ残さず消滅する。
でも、侵食されていない部分が残っていれば、
宝玉はそれを水に関わる生物に再構成する。そこに注意して。』
不思議な雨が降った後に残されたのは、可憐な青い金魚。Sさんの言葉通り。
姫は濡れたガーゼで金魚をそっと包み、
ポケットから取り出した小さなビニール袋に入れた。
「車に戻りましょう。早くペットボトルに移してあげないと。」
「お屋敷に戻る前に、小さな水槽を買わなきゃいけませんね。」
『邂逅(下)①』了
休日の生活習慣改善のため、早い時間の投稿2日目。
本日投稿予定は1回、任務完了。