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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第3章 2010
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2106 玉の緒(結)

2106 『玉の緒(結)』


少女が沖縄に帰ってから暫くの間、お屋敷の中は寂しくなった。

でも時が経つにつれ、少女を恋しがってぐずりがちだった翠も元気になり、

俺の傷も順調に回復して、お屋敷は元の賑やかさを取り戻しつつあった。


そして、庭の桜が咲き始めた頃。

久し振りに川の神様のお社へ参内すると決めた。

立ち入り禁止期間に参内を休んだのは3回。

皆で相談して参内するのを決めたのは一昨日。

その後も翠が神託を受けなかったのだから、

既に立ち入り禁止は解けているだろう。


俺が4駆を運転し、Sさんと二人で出発した。車の運転は本当に久し振り。

Sさんは助手席の窓を全開にして、山道の景色を眺めている。

少し寂しそうな横顔。


「炎さんと紫さんの事を考えてる。ですよね?」

Sさんは山道の景色を見詰めたまま、微笑んだ。

「正解。じゃ、どんな風に考えているかは?」

「もう少し炎さんに、優しくすれば良かった。あの縁談も、

もう少しちゃんと聞けば良かった。こんな感じで、どうですか?」


Sさんは眼を丸くして俺を見詰めた。

「驚いた。術も使ってないのに、どうして?」

「炎さんはあの晩、僕に紫さんの事を話してくれました。

どんな内容だったか、桃花の方様の術をSさんも聞いていたんですよね?」

Sさんは小さく頷いた。


「『Sが俺との縁談を断ったのを知った時、紫は『自分を妻に』と言った。』

紫さんはずっと炎さんが好きだったのに、何故縁談が持ち上がる前でなく、

Sさんが縁談を断ったのを知った後で『自分を妻に』と言ったんでしょうね?

もしSさんが縁談を承知したら、

自分の想いは永遠に報われないと分かっていたのに。」


Sさんは黙ったまま、俺の横顔をじっと見詰めている。


「答えは簡単です。

Sさんに縁談を断られて、炎さんはとても落ち込んだんですよ。

他の人には弱みを見せなかったでしょうけれど、

紫さんはとても炎さんの様子を見ていられなかった。

だから、秘めてきた自分の想いを、思わず口にしたんです。」


「Sさんもそこに気付いて、あの縁談が全て『計画』ずくだった訳じゃなく、

その裏に炎さんの恋愛感情が有った事を知った。それなら、

『もう少し炎さんに』・『あの縁談も』、そう思うのは当然かな、と。」


そう、炎さんの気持ちを知ったのならそれは当然。

俺自身を卑下しているのではない。

あの縁談には、術者を生み出す計画だけでなく、

炎さんのSさんに対する恋慕の情が含まれていた。


今度の件で、それがSさんに伝わった。それを、むしろ嬉しいと思う。

特殊な出自故に、あまりにも大きな期待を背負って生きる。

炎さん達は、物心ついてからずっと、その宿命と向き合って来たのだろう。

せめて炎さんの気持ちだけは、Sさんに知って欲しかった。


Sさんは右手をそっと俺の左手に重ねた。

「半分正解。私、もう少し炎に優しくすれば良かったって、

縁談もちゃんと聞けば良かったって、確かにそう思った。

でも、そう思っただけ。今と違う自分を望んではいない。」


「炎と紫の魂が『不幸の輪廻』に取り込まれたとしたらとても悲しいし、

何か自分に出来る事はないかと考える。

きっとあなたも、Lも同じ気持ちだと思う。

ただ、炎にもう少し優しくしていても、ちゃんと縁談を聞いていても、

何も変わらない。私の答えは1つ。何があっても、私には、あなただけ。」


「有り難う御座います。

Sさんはそう言ってくれると思ってたから、嫉妬はしませんでしたよ。」

「ふふ、やっと、自分に自信を持ってくれたのね、嬉しい。

でも、答えは未だ半分残ってる。残りの答えを聞かせて頂戴。」


Sさんも俺と同じ疑問を持った筈だ。


「どうやって紫さんは炎さんに『あれ』の存在を伝えたのか。

それを考えていた。どうですか?」

「お見事、正解。」 「Sさんは、その方法に心当たりが?」

「いいえ。紫の適性を併せて考えても、思い当たる術は無い。

炎と紫の絆が鍵だと思うけれど、その場の経緯が分からないとそれ以上は。」


「紫さんの件についての調査は進んでいるんですよね。」

「今も調査は継続中だけど...

おそらく『あれ』は依頼人の中に潜んでいたのね。

一族に害をなすには、力のある術者の中に潜み、機会を待つのが早道だから。

紫の中に入り込んだ『あれ』は依頼人を殺し、

その魂を『不幸の輪廻』に送り込んだ。

当然、紫が業に呑まれたと誰もが思うし、紫より力のある術者が派遣される。」


「じゃあ、最初からそれが。」


「そう、『あれ』は宿主の力を自分の力の触媒として使う。

だから、どれだけの力が使えるかは宿主の力の強さに依存する。

炎クラスの術者が宿主なら、どんな術者にも力で劣ることはない。

それに、休眠を続けていれば、何時かは当主様に接触する機会も巡ってくる。

炎の中で休眠し、好機が来れば目覚めるようにトリガーをセットした。

ここまでは、完璧な計画。」


「でも、どうしてか、紫は『あれ』の存在に気付いて、

それを炎に伝えようとした。そして紫が死んだ時、炎も気付いた。

自分の中に『何か』が入り込んでいる。しかも、全く気付かない内に。

それなら紫と自分に入り込んだのは間違いなく『あれ』。

そうでなければ、そんなに容易く入り込まれる筈がない。

ただ、気付いたとしても、どう対処すべきか。炎は焦ったでしょうね。」


「例えば、炎さんがその存在を『上』に伝えようとすれば、

『あれ』が目覚める訳ですね?」


「そう、その名やその存在を口にすれば『あれ』が目覚めて、

自分は完全に乗っ取られる。炎の力を触媒にすれば、

『あれ』は一族を壊滅させるほどの力を使えたでしょうね。

炎は必死で考えた。その答えが、あなた。

『人質を取ってでもRを呼ぶ』と。」


炎さんが心に幾重にも鍵を掛けたまま、

それでも『言の葉』の適性で『あれ』の存在を感知出来る可能性。

さらに『あれ』を滅ぼす事の出来る神器の持ち主。だから、俺。

そう思ったから、炎さんは俺の適性と神器の短剣に全てを賭けた。

勿論、俺がそれに気付いた瞬間、自分の命は無いという覚悟の上で。


しかし、その存在に俺が気付いた時、『あれ』は俺と炎さんを嘲笑っていた。


「どうして『あれ』は、さっさと僕を殺さなかったんでしょうか?」

「先ずは様子見。炎とあなた、どっちの中に潜んでいるのが有利なのか。

次に油断、『たかが人間に何が出来る』。人間を見くびっていたのね。」


此所まで話してくれたなら、もう1つ、質問しても良いだろう。


「ずっと、疑問に思っていたんですが。」 「何?」

「僕があの術で『あれ』に対処すると、炎さんは予想してたんでしょうか?

予想していのたなら、僕があの術を使えるのを知っていた事になりますよね。」


Sさんは暫く窓の外を見つめた後、小さく溜息をついた。


「今考えても、あなたが対処する方法はあれしかなかった。

でも、それはあくまでも後知恵。私があなたの立場だったとして、

あの術をあんな風に使って対処する方法を思いついたかどうか分からない。

炎がそれを期待していたとしたら、あなたと炎には共通点が有ったという事。

術に対する感覚、極限状態での行動や考え方、そして覚悟。」


言われてみれば、炎さんも俺も、Sさんを好きになった。

確かに、似ている部分があるかも知れない。


あの晩、炎さんは俺を『いちいち気に触る』と言った。

それは、一種の同族嫌悪から出た言葉だったのだろうか。


「初歩的だし、私の得意な術。だからとうに教えてある、

炎がそう予想してもおかしくない。でも実際には、

私があなたにあの術を教えたのは事件の前日。ギリギリのタイミング。

ずっと考えてたの。どうしてあの日、あなたにあの術を教えようと思ったのか。

でも、分からない。不思議、としか言いようが無い。

それにもっと不思議なのは。」


「その前の晩。僕が何故、あの予知夢を見たのか、ですね?」

「そう、その夢を見たからこそ、あなたはあの術を試す気になった。

まるで予行演習。一度も試した事がない術が、

精神的に追い込まれた状況で成功する確率はゼロに近い。」


確かに、偶然で片付けるにはあまりにも...

その直後、ある『名前』が脳裏に閃いた。


『憶えておいて欲しい』と言われ、一生忘れないと誓った名前。

何故その名前が閃いたのか、全く分からない。

でも、思い出せたんだから俺は大丈夫。そう思った。

魂が穢れているなら、その名前を思い出せる筈がない。


『俺の魂は穢れている。しかしSさんと姫の気持ちを汲んで、

当主さまと桃花の方様はそれを隠したのではないか。』


心の隅にずっと蟠っていた不安が、跡形もなく溶けていく。

でも、一連の信じ難い幸運を喜んでばかりはいられない。

もう1つ、最大の疑問が残っている。


「今回の幸運は偶然が重なった結果なのか、あるいは一種の御加護なのか、

それは確かめようがありません。

でも、絶対に確かめておかなければならない事が有ります。」

「何故『あれ』が現れたのか、どんな経緯で、誰が関わっているのか。でしょ?」

「はい。ただでさえ数少ない『あれ』の記録は、どれも200年以上前のもの。

しかも神様の御加護を受けた術者達によって、全て封じられていた筈なのに。」


あれから何度も、俺なりに図書室の記録を調べてみた。

『あれ』は悪霊というより、邪神に近い存在。

高位の精霊が人間に害をなすように変化したもの。


だが、それらは既に封じられ、200年以上その活動は確認されていなかった。


「血眼になって『上』が調査してるのも、まさにそれよ。

『あれ』の封印を破り、邪な契約を結んで一族を壊滅させようとした者がいる。

そう考えるのが一番単純な解釈だから。

それに『あれ』が焼き尽くされ、契約はまだ完結していない。

それなら『あれ』の封印を破った者が、生きている可能性がある。」


そこまで話すと、Sさんは微かな笑みを浮かべた。


「ただ、どれ程の力を持った術者でも、二度三度続けて封印を破るのは不可能。

生きているとしても、今回の失敗でかなりのダメージを負ったのは間違いない。

あの後『不幸の輪廻』の活動は通常のレベルに戻ったし、取り敢えず一段落。

それは間違いないと思う。ただ、念には念を入れて、そういう事。」


封印の場所を知り、それを破る力を持った者。

一族に害をなす計画を立て、『あれ』と契約した者。

依頼を装い、全く疑われずに紫さんを呼び出した者。

Sさんは敢えて口にしなかったのだろうが、

それらの条件を満たすのは術者、それもかなり高位の術者だけだ。


しかも依頼の経緯を考えれば、1人で実行出来る計画とは思えない。

一族に縁の術者達か、あるいは別の系統の術者達か。

どちらにしても、『上』の調査の結果によっては、更なる対応が必要になる。

大がかりで、しかも、かなり気の重い。いや、今それを考えるのは止そう。

全ては『上』の調査次第。その結果が出ない限り、俺たちに出来る事はない。

ただ、細心の注意を払って日々を過ごし、自分自身と家族を守る。それだけだ。


車を停め、久し振りに参道の入り口に立つ。 思わず息を呑んだ。


2月の2回。3月の1回。

計3回の祭祀と掃除の日は『立ち入り禁止』で参内していない。

あちこち、たくさんの落ち葉が積もっているだろうと思っていたが...


参道にも、手水舎とその周辺にも、全くと言って良い程落ち葉は見えない。

そして、いつも俺が落ち葉を掃き集める場所に、落ち葉の山。


「これ、どういうこと...一体誰が?」 Sさんも落ち葉の山を見つめている。

風が吹けば、落ち葉の山は緩やかに崩れていく。という事は。


「Sさん、ちょっと拝殿と本殿の様子を見てきます。」

小走りで拝殿に向かった。もしかしたらまだ。

「待って。R君、走ったりしたら傷跡が。」


拝殿、瑞垣の外から様子を見る。やはり落ち葉は見えない。本殿は?

本殿の正面。瑞垣の中に入ってすぐに、女の子の声が聞こえた。


「兄様、こっちよ。」 「もう、お仕事は済んだのだから、早く帰らないと。」

「嫌だ。少し遊びたい。」パタパタパタ、軽い足音。

右側の廊下、奥の方から近付いてくる。


「あっ!」

小さな、5~6歳の女の子が、俺の右側、3m程先の廊下で派手に転んだ。

白い着物。少しの間を置いて、大きな泣き声。

思わず駆け寄ろうとしたが、何とか立ち止まる。

女の子の後を追ってきたのだろう。12~13歳の少年が女の子を抱き上げた。

「だから言ったろ。お社で走ってはいけないって。」


次の瞬間、女の子を抱いた少年と目が合った。女の子と同じ、純白の着物。


少年は、俺の目を真っ直ぐに見つめた後、深く頭を下げた。

「このお社の祭主様だよ。紫、ご挨拶なさい。」

...やはり、そうだった。あの夢の中の会話が鮮やかに蘇る。

少年が女の子の涙を袱紗で拭う。女の子は一度鼻をすすってから小さく頷いた。


「祭主さま、紫と申します。

今日はお仕事を仰せつかったので、兄様とこちらに参りました。」


2人に歩み寄り、ゆっくりと、玉石の上に跪く。

少年と女の子は、澄み切った笑顔を浮かべている。


「ご助力頂き、心から感謝致します。今後機会がありましたら、是非よしなに。」

一礼して顔を上げる、既に2人の姿はない。

立ち上がり、振り返ると、すぐ後ろにSさんが立っていた。


「Sさんの答えは正しかった。僕は、そう思います。」

Sさんは大きく、何度も頷いた。奇麗な眼が赤く潤んでいる。

そっと、小さな肩を抱いた。


「あの晩の出来事。眼が覚める前に不思議な夢を見たんです。

川の神様が2人の魂を救って下さる夢。

それはきっと正夢だと、ずっと信じていました。」


「もし、私が炎を受け入れていたら、こうはならなかった。

縁談を断って、あなたと出会えたから、あなたを愛したから、こんな風に。

そして、炎と紫にとっても、これはハッピーエンド。ね、そうでしょ?」


「はい。間違いなく、ハッピーエンドです。」

「帰ったら直ぐ、Lにも話して上げなきゃね。」


「今日は腕によりを掛けて、僕が夕食を作ります。

皆で美味しいものを一杯食べて、元気出しましょう。」


鎮守の森、廃村の跡、彼方此方で桜の花が咲き始めていた。

厳しい冬が終わり、もうすぐ新しい春がやって来る。


Sさんと、姫と出会って5度目の春。

家族5人。そして、沖縄に帰りノロになるための修行を始めたあの少女。

きっと、それぞれの胸の中に、暖かい春の風が吹いている。


『玉の緒(結)』了/『玉の緒』完

次作の準備作業のため、いつもより早めの投稿です。

本日投稿予定は1回、任務完了。

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