1901 一期一会①
1901 『一期一会①』
少しだけ開けた窓の隙間。
リビングを吹き抜ける冷たい風が、秋の終わりを知らせている。
翠も藍も暖かい寝床で昼寝をしているが、
もう、窓を開けたままで過ごすには寒いだろう。
2人を起こさないように、そっと、でもしっかりと窓を閉めた。
「本当にあなた達、入籍だけで良いの?式だけでも挙げた方が良いんじゃない?
一生の事だし、女の子にとって純白のウェディングドレスは憧れなんだから。」
勿論、身内だけで式を挙げる事も考えたが、姫はそれを望まなかった。
姫には両親がいない。Sさん以外に近い親戚がいるという話も聞いていない。
根掘り葉掘り聞く気にはなれないし、何より姫の気持ちに添う形が一番。
既に俺の両親には『式や披露宴はしない』と話をして了解を貰っていた。
特に反対もされなかったのは、両親がSさんに遠慮したからかも知れない。
「式を挙げる代わりに写真を撮ろうと思ってるんです。写真館で。」
「結婚の、記念写真って事?」
「はい、親しい人達には、その写真を配れば良いかなと思って。」
「それならまあ...それでL、着物、それともドレス?」
「ドレスにしようと思ってます。着物はいつも着てますから。」
「じゃあ『○×◎』で仕立ててもらえば良いわ。私が頼んであげる。
それに『○×◎』は写真館も兼ねてるからお誂え向き。ふふ、楽しみね。」
Sさんは席を立って玄関へ向かった。早速『○×◎』に電話をかけるのだろう。
姫と俺が予想していた通りの展開。とても楽しそうだし、相変わらず気が早い。
『○×◎』は市内にある洋裁店兼写真館、経営者は一族の人だと聞いている。
Sさんや姫は、昔からお洒落着を仕立てて貰っていたらしい。
2人とも、普段からほとんど肌を露出しない。
姫も高校生になった夏頃から、ノースリーブのワンピースを着なくなった。
今時のデザインから2人の好みに合う服を探すより、
仕立てて貰う方が早いのだろうし、
オーダーメイドだからサイズもピッタリで良く似合う。
俺も『○×◎』の服が(というか『○×◎』の服を着た2人が)大好きだった。
その日の夕方。
夕食の支度をSさんに任せて翠と遊んでいると、玄関の電話が鳴った。
数回の呼び出し音に続いて電子音、さらにFAX用紙が吐き出される音。
「『○×◎』かしら。ドレスのデザインと見積もりを頼んだのは昼過ぎだから、
幾ら何でも早い気がするけど。R君、お願いね。」
「了解です。」 翠を抱き上げて、玄関へ向かう。
電話は未だFAX用紙を吐き出し続けている。
デザインの候補は何種類かあるのだろうか?
最後のFAX用紙。
末尾に記されていた文字と文様。『○×◎』の連絡先ではない。
腹の底が冷たくなる。これは『上』だ。つまり仕事の依頼。
俺は慌ててFAX用紙を並べ変えた、最初の用紙に記された件名。
『ポルターガイストに類似した事象に関する依頼について』
「おとうさん、『ぽるたーがいすと』って、なあに?」
「え~っと、これはお父さんとお母さんの新しいお仕事の名前。」
「ふ~ん。」 少し不満そうな翠を抱いたまま、俺はダイニングへ急いだ。
「確かにポルターガイストみたいですけど、これも陰陽師の仕事なんですか?」
「まあ、きちんと対応して始末を付けられるとしたら、今は私達位でしょうね。」
夕食を済ませ、翠と藍を寝かしつけてから、
Sさんは俺と姫をリビングに招集した。
配られたコピーを丁寧に読む。
確かに、その依頼の事件はポルターガイストに良く似ていた。
湯呑みとお椀、それに本がひとりでに移動するという。
テーブルの上を動くのではなく、空中を飛んで移動するらしい。
それも数mの距離を。
これまでに二度、いわゆる霊能者に依頼したが、
霊能者の前ではこの現象が起きない。
取り敢えず祈祷や御祓いをして貰ったが効果はなかったらしい。
その霊能者たちの手に負える相手ではなかったという事か。
ふと、依頼者の家族構成が気になった。
ポルターガイストが起こる家では、家族構成に特徴があると聞いた事がある。
「ポルターガイストは、思春期の女の子と関連する事例が多いと聞きましたが。」
「同居の家族は、両親と5歳の男の子が1人。
女の子でも思春期でもないし、この現象との関わりは分からない。
指定された日は3日後。物に関わることは私の領域だし、アシスタントは。」
「僕が行きます。Lさんは『○×◎』との相談があるかも知れませんから。」
依頼を受ければ下調べや準備でSさんが外出する事が多くなる。
それは、俺と姫が進めている計画にも好都合だった。
3日後は土曜日、みんなで昼食を済ませた後、Sさんを乗せて車を走らせた。
たまたま代理店に在庫があったのを即決で購入した、
以前と同じ型・同じ色のロー○ス。違うのは年式だけ。
当然、運転していて全く違和感は無い。快適なドライブになった。
依頼者の家は隣の○県△◎市、比較的古い町並みが残る地域。
「住所からするとこの辺りですけど、細い路地が多くて分かり難いですね。」
「ちょっと其処のバス停に停めて頂戴。電話して聞いてみるから。」
依頼者の家は、町並みの中でも一際古色蒼然とした、小さな日本家屋。
どう見ても、ポルターガイストという言葉とは結びつかない。
家の中に案内してくれた女性はYさん、
ご主人は他県に単身赴任中で息子さんと2人暮らし。
俺たちはこぢんまりとしたダイニングに通された。
居間と土間をあわせてリフォームしたのだろう。4人分の椅子、細長いテーブル。
廊下を隔てた部屋は畳敷きの和室、調度も古びた和風のものが多い。
ふと気配を感じて振り向くと、和室の襖から小さな男の子が覗いている。
人見知りなのか、俺が振り向くとすぐに奥へと引っ込んでしまった。
Sさんは男の子のいた方向をチラリと見た後、
挨拶もそこそこに依頼の話を始めた。
「資料は全部読みましたが、今の所、実害は無いようですね。
現在も変化がないのであれば、特別な対策を講じなくても良い気がしますが。」
Yさんは溜息をついた後、現象が次第に変化している事と、
その現象があの男の子に与えている影響について話し始めた。
「おかしな事が起こるようになったのは今年の8月頃です。
最初は私の思い違いかと思いましたが、9月の始めに本が飛ぶのを見たんです。
本当に驚いて、その後すごく怖くなりました。」
「念の為に聞きますが『何かの拍子に落ちた』というのとは、違うんですね?」
「はい、あの本棚からこのテーブルまでふわふわと。
時間は2~3秒、だったと思います。」
Yさんが指さした和室の本棚から、このテーブルまではざっと5~6m。
当然、何かの拍子に落ちた本が移動する距離ではない。
「9月中頃からはお椀や湯呑みも移動するようになりました。」
「それも実際に見たんですか?」
「はい、何度も。息子と一緒に見たこともあります。」
Yさんは一旦言葉を切って俯いたが、やがて、意を決したように顔を上げた。
「一番怖いのは息子の事なんです。息子はお椀が飛ぶのを見てとても喜びました。
そしてそれ以来、ひとりで遊ぶ時間が極端に長くなったんです。」
「時間の長さ以外に、普通のひとり遊びと違う所がありますか?」
「息子が居間にいる時、誰かが一緒に遊んでいるような気がするんです。
話し声がしたり、突然笑い声が聞こえたり。もし何かが息子に...」
「実際に誰かと話しているのを見た訳ではないんですね?」
「はい、私が居間に入るとそれらはピタリと止みますから。」
俺はメモを取りながら2人の話を聞いていたが、突然Sさんに声をかけられた。
「R君、今の話どう思う。これ、本当にポルターガイストかしら?」
「いいえ、ポルターガイストとは違う、ような気がします。」
「どうして?」
「この家にの中に、僕達とは異質な気配を感じます。
上手く言えませんが、例えば死者や動物の霊だとしても、ちょっと。」
「そうね、確かに異質だわ。人間とは違う、でも動物とも言えない。
どちらかというと。いや、予見を持つのは危険。まずは確かめてみないとね。
Yさん、これからこの家で起きている現象の正体を確かめます。
ただ、依頼を受ける前にも聞いたと思いますが、
私達の使う術と、その結果起こる事は、くれぐれも他言無用に願います。」
「はい、それは重々承知しています。」
「それでは、まず息子さんを此処へ。」
「剛君、私達、お母さんに頼まれて剛君とお話をしに来たんだけど。」
「僕、何も知らない。この家の中に友達なんていないよ。」
男の子の顔は冷たく強張っていた。
以前に依頼した自称霊能者たちにも色々聞かれて、嫌な思いをしたんだろう。
かなり強く、心を閉ざしている。
「何かを聞きたいんじゃないの。知らない人たちに色々聞かれて、
最近剛君が元気がないから応援してほしいって、お母さんに頼まれただけよ。
私達、魔法使いだから。」
「魔法、使い?」 少しだけ男の子の表情が緩んだ。
「信じられない?じゃあ良いもの見せてあげる。」
Sさんは持参したスーツケースから小さな鋏と紙を取り出した。
いつもとは違う、黒い紙。
鋏で手際よく黒い紙を切り、それを左掌の上に乗せた。
「これ、何だと思う?」 「蝶々。」
「そう、紙の蝶々。ね、右手を出して。」
Sさんは男の子の右掌に紙の蝶を乗せた。小声で何事か呟く。
男の子はじっと掌の上の蝶を見ている。
「じゃ、その蝶々、天井に向かって飛ばしてみて。思いっきり強く。」
男の子は力一杯、紙の蝶を投げ上げた。やはり、これは。
男の子の頭の上を大きな黒いアゲハチョウが一片、優雅に飛び回っている。
Yさんも信じられないという表情でアゲハチョウを見つめていた。
『剛君、これから暫くの間、眠ってて頂戴。』
アゲハチョウはゆっくりと男の子の肩に舞い降り、紙の蝶に戻る。
同時に男の子の目が閉じ、すうっと体の力が抜けた。
「眠っているだけですから、ご心配なく。R君、お願い。」
俺は男の子の体を廊下を隔てた和室に運んだ。母親が持ってきた毛布をかける。
「ポルターガイストがその家の子供と関係していたという事例もありますが、
剛君が寝ている状態でも何かが起こるとすれば、剛君は関係ありません。」
「これまで来て頂いた方々の前では、何も起こりませんでしたから、今回も。」
「それは、初めからポルターガイストだと決めつけて、
その現象を止めようとしたからです。」
「ポルターガイストを、止めないんですか?」 Yさんは不安そうな顔をした。
「ポルターガイストかどうか、確かめてみないと分かりません。
それにはまず、この現象の本来の姿を知る必要があります。
だから止めるのではなく、お膳立てをするんです。
何の邪魔も入らない状態で、一体何が起こるのかを見るために。」
Yさんが家中の雨戸とカーテンを閉めてまわる間に、
Sさんの指示通り、ダイニングの床に必要な物を準備した。
依頼に応じる際、Sさんが持参するスーツケース。通称『お出掛けセット』。
余程特殊な依頼でなければ、その中身だけで対応が可能な品々。
まずは白い杯に日本酒を注ぐ。黒い杯、こちらには米粒を盛った。
小さな燭台に細いロウソクを立てる。
Sさんは鋏で紙を切っていた。
銀色の星形を3つ、金色の半月形を1つ。そう言えば、昨夜は下弦に向かう半月。
最後に白い紙から小さな鳥の形を切り抜いてテーブルの上に置いた。そして。
Sさんは立ち上がり、暗くなったダイニングの壁に星と月を貼り付けた。
貼り付けた星と月に両手を当て、目を閉じて何事か呟く。
「これで準備完了。ポルターガイストにしろ、何か別のものにしろ、
怪異が力を増すのは夜と決まってる。」
雨戸とカーテンを閉めて灯りを消した室内は、昼とはいえかなり暗い。
その中でSさんの眼が輝いている。
まるでこれから起こる事を楽しみにしているようだ。
「Yさんはこの椅子に座って下さい。
護符を渡しておきますから、何が起きても大丈夫。
ただ、私が良いと言うまで声を出さないで下さい。良いですね?」
「はい。」 椅子に座ったYさんは、受け取った護符を握りしめた。
「さて、始めましょう。R君、ロウソクに火を点けて。」
Sさんも、Yさんの隣の椅子に座った。
「了解です。」 床に置いた燭台のロウソクに、ライターで火を点ける。
ロウソクに火が灯った瞬間、何故か、部屋が更に暗くなった気がした。
俺もSさんの向かいの椅子に座り、3人で床の杯とロウソクを見つめる。
白い杯に注いだ日本酒が、ロウソクの光を反射して妖しく光っていた。
『一期一会①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。『一期一会』、投稿開始しました。
今話をもって第2章は終了、次章にご期待頂ければ幸いです。