表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第2章 2008~2009
63/279

1502 名残雪②

1502 『名残雪②』


翌日、朝食の後で一旦この街を離れ、次の目的地を訪れた。


Sさんが設定したミッション。

小さな博物館を密かに(普通に入館して)調査する。

『一族にまつわる収蔵品が展示されているかも知れない』とSさんは言った。

でも今回は見事な空振り。 『良く出来たレプリカ』だと姫は笑った。

まあ、写真だけでは分からない事も沢山ある。

博物館近くの食堂で早めの昼食を食べて、その街に引き返す。


昨日、学生が座っていた2番線のホーム近くのベンチに陣取った。

13時45分。長丁場になるかも知れない。

姫が時刻表を確認している間、売店で飲み物とお菓子を買う。


「さっき、同じ路線の電車が来ましたが異常なし。

やっぱり時間も関係ありそうですね。」

「それらしい電車は何本あるんですか?」

「次の電車は14時12分、その次が14時35分、

この2本は少し早いような気がします。

昨日の時刻からみて、15時5分、15時23分、15時45分。

どんなに遅くても16時2分、この4本でしょうね。

昨日は16時を過ぎたら現れませんでしたから。」


時計を確認する、13時58分。

可能性は低いだろうが、次の電車まで14分。


姫の予想通り、14時12分と14時35分の電車には異常なし。

そこに、駅員が近寄ってきた。人の良さそうな、穏やかな笑顔。


「お客様、何かお困りですか?」 親切と偵察。


閑散とした休日のホーム。

難しい顔をして長時間座っている男女の2人連れ。

しかも女性は飛びっ切りの美人。

当然、俺が駅員でも気になる、仕方ない。

『駅員の余計なお節介に困ってます』とは言えないので、

出来るだけにこやかに応じるしか無い。


「彼女の御両親と待ち合わせしてるんですが、

どうも、○▲県の大雪で、遅れてるみたいなんです。

どんなに遅くても、4時2分の電車には間に合うと思いますけど。」


姫は俯いて俺の左肩に頭を預けた。いかにも心細そうだ、さすが演技派。


「それで2番線の近くに。分かりました。早く会えると良いですね。」


駅員が立ち去ると、姫は小さく笑った。

「ああいうのが、『立て板に水』なんですね?」

「演技派の美人が傍にいれば、

僕みたいな大根役者でも、どんな台詞でも、

それらしく聞こえますからね。簡単ですよ。」


次の電車までは少し間がある。2人でお菓子を少し食べた。

やはり温かいものが飲みたいので、自販機でお茶を買い直す。

姫のリクエストはホットレモネード。

お菓子と温かい飲み物。少し体を動かして気分一新。次の電車に備える。

15時。多分、あと3分と少し。


15時3分、辺りの空気が変わった。 始まる。

親子の姿は現れないが、微かな気配を確かに感じた。

感覚を最大限に拡張して気配に同調する。

探るのは『会話』。 あの親子の、最後の会話。


『お母さん、雪、雪が降ってるよ。綺麗だね。』

『本当だ。寒くない?』 『少し寒いけど、平気!』

『雪も綺麗だけど、春になったら、お母さんが育った村の桜を見せたかったな。』

『お母さんの育った村の桜って、この雪よりも綺麗なの?』

『もっとずっと、綺麗。数え切れない桜の木に、一斉に花が咲いて。

お母さんが見た、世界で一番綺麗な景色だもの。』


『一緒に、その桜、見たかったね。』

『御免ね、お母さんがしっかりしてなかったから。怖くない?』

『大丈夫。僕、お母さんが大好きだから、何時までも一緒だよ。』

『ありがとう。でも、あの桜、見せてあげたかった。』


続いて起こる、感情の爆発。

死を決意するまでの母親の記憶。『その日』の前夜、2人の会話。

そして駅までの道程。歩道の脇、立ち枯れたような姿で春を待つ桜並木。

一瞬の間に様々な感情と映像が迸る。


走馬燈どころでは無い。

まるで目の前で次々と爆発する打ち上げ花火。

昨日よりはましだが、やはり激しい情動に意識が呑み込まれそうだ。

腹に力を入れて耐える。

やがて唐突に、気配は消えた。


目を開け、ハンドタオルで額の汗を拭う。 気温は4℃、文字通りの冷や汗。


「あの会話。『桜の花』が2人の心残りなんですね?」

「はい。生きる事の全てを諦めた2人の、最後の望み。

だから、とても強い、心残りです。」

勿論、自殺は罪。我が子を道連れにしたのだから、母親の罪は更に重い。

そして、電車への投身。数え切れない人達に迷惑を掛けたのは間違いない。


しかし、『死ぬより辛い事』がこの世にはある。

厳然として、ある。


以前の事件。校舎の屋上から身を投げた女子高生の件も、そうだった。

姫に仕込まれていた術の件では、俺自身、自分の死を考えた。

そして、おそらくは姫も。


罪は罪。しかしそれは、決して許されぬ類いの罪ではない。

そして、このままでは遅かれ早かれ、2つの魂が『不幸の輪廻』に取り込まれる。

誰1人、それを悲しむ人のいなかった、孤独な親子の死。

不幸はもうそれだけで、十分ではないか。これ以上、天は何を。


「何とか、助ける方法はありませんか?」

「2人が身を投げたのは2月、雪の降る午後。

2人にとって季節は常に冬だし、その魂はこのホームに縛られています。

このままでは、絶対に心残りは消えません。

世の中を憎む代わりに、2人は強く、とても強く心を閉じてしまった。

もし心を開いてくれなければ無理にでも...それだけは避けたいんですけど。」


重い、沈黙。


Sさんなら、取り敢えず2人の魂を人型に封じて。

いや、Sさんがいたとしても、100%上手くいく保証は無い。

今、姫と2人で出来る事、それは。


姫が顔を上げた。俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「Rさん、何でも良いですから、2人に呼び掛けて下さい。

Rさんなら、もしかしたら。」

俺が2人に? そうか、『言霊』。 その後で姫は。


辺りの様子を確認する。未だ閑散としたホーム。

少し離れたベンチに学生らしき若い男性。

イヤホンをしている、大丈夫。お節介な駅員の姿もない。

振り返る、広告のパネルを挟んで背中合わせのベンチ。

端の席に、白人らしき親子連れ。

並んで居眠りをしている。多分、こっちも大丈夫。


でも、これ以上客が増えたら、絶対に無理。

そして明日は連休最終日、確実に今日より客は増えるだろう。

おそらく次の電車、それが最初で最後のチャンス。

失敗は許されない


「分かりました。やってみます。その後は、お願いしますね。」

「はい、任せて下さい。」


15時18分、多分あと4分弱。

姫は『何でも良い』と言ったが、一体何と呼び掛ければ良いのだろう?

二人の心残りは桜、満開の桜。


ふと、去年の春、4人で出掛けた桜の名所を思い出した。


明るい陽光に照らされた、山一面の桜。

ライトアップされてはらはらと散る夜の花吹雪。

翠を抱いたSさんも、大学の入学式を控えた姫も、本当に楽しそうだった。

そう、あの2人が見たかったのも、きっとあんな景色。


目を閉じて深呼吸。

できるだけ鮮明に、あの日の景色を思い出す。

飛び交う小さな鳥の声を、桜の花びらを運ぶ風の音を。

そして楽しげな人々の声を。


「もうすぐです。」 姫の声。

目を開ける。数秒後、目の前に2人の姿が現れた。

今、だ。 2人の会話が終わる前に。

立ち上がる。 深く息を吸い、下腹に力を入れた。 自分の力を信じる。


『こんにちは。母子、仲睦まじくて何よりですね。

お二人も桜を見にいらしたのですか?

お望みとあらばご覧に入れますよ。山一面、満開の桜。』


花びらのような、綿雪のような白いものが、辺りを漂っている。

これが、『言霊』?


母親の左手が微かに動いた。

右腕で男の子を抱き抱えるようにしながら、ゆっくりと振り返る。

『今、あなたは満開の桜と?』 『はい、確かに。』

紺色、半袖のワンピース。

男の子は、やはり半袖の白いシャツに黒い半ズボン。


二人の服装は質素だが清潔で、

男の子のシャツにはぴしりとアイロンがあててあった。

精一杯の一張羅、二人なりの死装束。

雪の降る日にこの服装では、さぞ寒かったろうに。 涙、が。

姫が立ち上がる気配。


『春が来る。花待里はなまつさとに、春が来る。』 親子の視線が姫に移る。


唄うような、囁くような、『あの声』。

限界まで声量を抑えてはいるが、澄んだ声に、不思議な響きが幾重にも重なる。

耳鳴り、酷い目眩。でも、しっかりと床を踏みしめた。

術者になった以上、もう耳を塞ぐ訳にはいかない。

姫の術、最後まで見届けなければ。


『命燃ゆ。今ぞ盛りと咲き誇る、山一面の桜花さくらばな。』


思わず息を呑む。

いつの間にか、俺たちは無数の桜に囲まれていた。

見渡す限り満開の桜。桜。桜。 明るい日差し、青い空。


『風に舞い、里に降り積む花吹雪。』


辺りを吹き抜ける一陣の風。さわさわと、桜の枝が揺れる音。

降りしきる花吹雪を両手に受けて、母子は小さく溜め息をついた。


『とっても、とっても綺麗だね。』 『綺麗。』

『これが、お母さんの育った村の桜なの?本当に、世界一だね。』

『そうよ、世界で一番綺麗な景色。これで、もう...』

母親は男の子を抱き上げて、愛おしそうに頬ずりをした。

『御免ね。』 『お母さん、大好き。』


突然、2人の姿が眩い光に包まれた。 思わず目を閉じる。


「Rさん、早く。上手くいきました。急ぎ撤収です。」

ホームに電車が滑り込んでくる。15時23分の電車。

線路に身を投げる親子の姿は無い。

姫はお菓子や飲み物を手早く紙袋に詰め込んだ。他の荷物は俺が持つ。


「ねぇパパ、綺麗なお花が沢山見えたよ。前にお花見で見た桜の花。」


心臓が、停まるかと思った。 姫の顔も緊張している。

声が聞こえたのは俺たちの斜め後方、姫と顔を見合わせた後、そっと振り返った。

灰色の瞳の女の子。

居眠りする父親の肩に両手をかけて、揺り起こそうとしている。


「パパ!お歌が聞こえて目が覚めたの、そしたら桜でいっぱい。聞いてる?」

「うん、なっちはお花いっぱいの夢を見たんでしょ?パパもその夢、見たいよ。」

「もう、夢じゃ無いのに。」

女の子は父親の肩から手を離し、頬を膨らませた。


ベンチの脇を抜ける時、女の子と目が合った。思わず声を掛ける。

「お嬢ちゃんも、桜の花、見えたの?」 「うん、とっても沢山。」

女の子は嬉しそうだ。姫がすっと屈んで、女の子と視線を合わせた。

「桜の花、とても綺麗だったでしょ?」

「うん、凄く綺麗だった。私、桜の花、大好きなの。」


「お嬢ちゃんはとても良い耳と目を持ってるのね。

だからあの歌が聞こえたし、桜の花が見えた。」

「なっちの耳と目が?」

「そう。だから大きくなっても、その耳と目、大事にしてね。バイバイ。」

「うん、バイバイ。」


ホームを出ると、冷たい風に乗って白いものが舞っていた。

花吹雪ではなく、雪。


「この雪、名残雪だと良いですね。」

「はい、少しでも早く、春が来るように。」

ホテルまでの歩道沿い、十数本の桜が並んでいる。

あの母親の記憶の中に見えた桜並木だろうか。

花芽が少し膨らんでいるように見える。

姫も桜を見ていた。少しやつれたような、横顔。


この人に必要な、実感出来る身近な将来、それは。


「Lさん、今年の誕生日で二十歳ですよね?」 「はい。」

「二十歳になったら、入籍しましょう。」 「入籍って...」

「約束した通り、婚約者じゃなくて、正式に僕のお嫁さんになって下さい。

そして、大学を卒業したら、僕たちの子供を迎える準備。どうですか?」


「Rさん、酷いです。歩きながら、そんな事言うなんて。

でも...嬉しい。とても、嬉しいです。」


姫はハンカチで涙を拭った。小さな肩をそっと抱き寄せる。

「入籍は8ヶ月後、卒業は3年後。でも、『過ち』があったら、

卒業前の出産もあり得ますよ。なんだかドキドキしますね。痛。」

左頬をつねられた。


「正式なお嫁さんが妊娠するのは『過ち』じゃないです。

授かる子供にも失礼ですよ。」

「御免なさい。『Lさんとの過ち』って設定が、その、良いなと思って。」

「ふふ、ホントは何となく分かります。ちょっと、ドキドキしますよね。」


おお、俺の嗜好を理解してくれるとは、さすがに姫だ。


「でも、もっとドキドキする設定があります。」 「どんな設定ですか?」

「入籍した後は避妊をしないんです。すごく、ドキドキするでしょ?」

「...それは。」


「きっちり計画するのも大切だけど、家族なんだから、

もう少し良い加減に、のんびり生きても良いですよね。

『できちゃった。』『え、大学は?』なんて、素敵です。

『休学して出産したのに、復学直前に次の妊娠が発覚』

これは、さすがにちょっと赤面ですね。」


姫...演技派なだけじゃなく、妄想癖が。 いや、妄想じゃないな。


「お屋敷の広さは十分。子育て以外の雑用は式に手伝ってもらうとして。

当面の問題は車、5人乗りでは足りませんね。7人乗り以上で検討しないと。」

「Rさん、5人乗りで足りなくなるのは、

どんなに早くても来年の10月。幾ら何でも、気が早いです。」


不意に、涙が溢れた。 嗚咽が漏れて、止められない。

「Rさん、どうしたんです。プロポーズした方が泣くなんて。」


悲しみの涙ではない。

女性として、母として生きる未来を、姫は自ら語っている。

それは、俺と、そしてこれから生まれてくる子供達と、

ずっと共に生きていくという、確固たる意思表示。


伝説の天女が、みずから羽衣を脱いでくれた。

それがどうしようもなく嬉しくて、涙が止まらない。


「泣かないで下さい、Rさん。」

俺の背中をさする姫の手。とても温かく、柔らかい。

「御免なさい、もう、大丈夫です。」 


降り続く、白い雪。

それはまるで、立ち止まった俺と姫を包み込むように。


『名残雪②』了/『名残雪』完

本日投稿予定は1回、任務完了。『名残雪』完結できました。

次作と、別系統の作品準備のため、明日からお休みを頂きます。

別系統の作品は明日から投稿予定です。宜しければそちらもお楽しみ下さい。

本作も、出来るだけ早く次作を投稿できるよう頑張ります。


2024/04/21追記

暖かくなったおかげなのか、少しだけ、体調が良くなりました。

近い内に新作を投稿出来るよう頑張ります。

そして更新も出来ない内に沢山の『いいね』を頂きました。

本当に、とても嬉しいです。有り難う御座います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ