1401 呪物①
1401 『呪物①』
「正月早々、かなり珍しい仕事が来たわよ。もし本物なら、だけど。」
電話を切ったSさんが、明るい笑顔でリビングに戻ってきた。
「どんな仕事ですか?私とRさんで出来る仕事なら何でも。」
姫はSさんの体を気遣っている。Sさんは妊娠5ヶ月目に入っていた。
「呪物の処理はLやR君の分野じゃない。
この仕事はどうしても私が行かないと。」
Sさんは何だか楽しそうだ。まあ、検診の結果は順調だし、
やる気になっているのは、体調の良い何よりの証拠だろうけれど。
「場所、遠いんですか?僕が呪物を預かって来るという方法も有りますよ。」
「依頼人は私の従姉弟たちなの。前から翠とR君に会いたいって言われてたし、
良い機会だからみんなで出掛けましょ。私、体調は良い。全然平気。」
「従姉弟たちって、もしかして葵さんと暁君ですか?」
「そう、久し振りよね。R君と翠は初めてだから紹介してあげる。」
40分程車を走らせて、市街地の山手にある閑静な住宅街に着いた。
広いガレージに車を停め、玄関に廻る。Sさんがインターホンのボタンを押した。
「はい、どなた?」 「私よ、S。早速みんなで押しかけてきたわ。」
「ちょっと、じゃ、翠ちゃんも一緒なの?」
応答が途切れ、玄関の向こうで気配が勢いよく近づいて来る。
ドアが開いた。
「いらっしゃい。あ、ホントだ~。」
女性はしゃがんで翠と視線を合わせた。
「翠ちゃん、こんにちは。」 「こんにちは。」
「可愛い~。ね、抱っこして良い?」
人見知りした翠が姫の後ろに隠れてしまったので、女性は立ち上がった。
「ま、初めてだから仕方ないか。S、Lちゃん、久し振り。」
華やかな笑顔。2人とはタイプが違うが、この人もかなりの美人だ。
くっきりした目鼻立ち、背の高さは姫と同じくらい。宝塚の男役みたいな雰囲気。
「本当に久し振り。紹介するわ、こちらがR君。」 「初めまして、Rです。」
一礼して顔を上げると、女性はサンダルを履いて玄関に降りた。
しげしげと俺の顔を見詰める。右に回り込み、それから左へ。
デッサンのモデルを観察するような、真剣な視線。 何だか、気まずい。
「うん、なかなかの美形ね。さすがに2人とも御目が高い。
君が今、一族中で話題の『言霊使い』なんだ。私、葵。宜しくね。」
「姉さん、Sさんはお腹に赤ちゃんがいるんでしょ。立ち話は良くないよ。」
玄関の奥に少年が立っていた。姉弟だから当然だが、かなりの美少年。
高校生? どちらかというと女顔で線が細い。 ちょっと、コンプレックスが。
「あ、御免なさい。私ったら、気が利かなくて。R君。これ、弟の暁。
さ、みんな中へ入って。早く早く。」
案内された客間でソファに腰掛けた。
とにかく広い、豪華なソファとテーブル。
翠は姫に抱かれて、飾り棚の中身に興味津々。
やがてコーヒーとケーキが運ばれてきて、雑談になった。
お互いの近況や俺の裁許の事、そして翠の事。
Sさんと葵さんはとても楽しそうだ。葵さんと暁君は術者ではないらしい。
御両親が海外に長期出張、始めは一家で移住したが、
暁君の高校進学を機に葵さんと暁君は帰国。去年の3月から2人暮らし。
一族の人で、術者じゃない人に会うのは初めてだ。
何だか、『普通の会話』が新鮮に感じる。
ふと、暁君の視線に気が付いた。時折Sさんに向けられる憧憬の眼差し。
純粋な慕情が伝わってくる。Sさんは暁君の初恋の人、なのかも知れない。
「さて、おしゃべりも楽しいけど、そろそろ仕事の話をしないと。」
「そうね、お願い。」
テーブルの上が片づけられ、暁君以外は全員ソファに腰掛けた。
飾り棚の中身に飽きたらしく、翠は姫に抱かれて眠そうにしている。
「問題の品物、今、暁が取りに行ってる。
怪しいと思ってからはずっと『保管庫』に入れてあったから。」
「ホントに呪物なの?」
「分からないけど、ちょっと嫌な感じ。あんなの初めて。」
暁君が応接間に戻ってきた。白い布の包みを持っている。
「これです。」 テーブルの上で包みを解く。
トランプ? 厚手の紙にレトロな絵柄。木の箱もある。
トランプも箱も、状態はかなり良いが、古いものなのだろうか。
「暁君、これ、何処で?」 Sさんの眼が輝いている。
「去年のクリスマス前に、ネットのオークションで手に入れました。
もしかしたら19世紀のものかも知れません。
安かったし、状態が良かったからレプリカだと思ってたんですけど、
届いて確認したら、オリジナルの木版印刷みたいなんです。」
少年は緊張した口調で答えた。頬が少し赤く染まっている。
なるほど、暁君と葵さんの趣味はアンティークの収集と言う訳だ。
飾り棚の中、綺麗にディスプレイされたチェスの駒やタロットカードも、
2人の収集物だろう。
「どうしてこれが呪物だと思ったの?」
「手に取ると、凄く嫌な感じがするんです。絵や模様はとても、綺麗なのに。」
Sさんがトランプを手に取った。慣れた手つきでシャッフルし、
扇形にカードを広げる。その途端、全身の毛が逆立った。
このトランプはまるで、『窓』。
窓の向こう側に、何者かの、禍々しい気配。
少しだけ開いた窓の隙間から、『それ』がこちらの様子を窺っている。
カードを配ってゲームを始めれば、
間違いなく、『それ』が窓から手を伸ばしてくる。
「確かに呪物ね。それもかなり強力。
呪物を使う呪いは時間と相手を限定できないから、成功率は低い。
作るのにも手間がかかるから、本物は滅多に無いんだけど。」
「本物って、やっぱりそれ持ってると悪い事が起こるの?」
「『保管庫』の中なら問題無い。
でも、直接手に取ったり眺めたりすると影響を受ける。
遅かれ早かれ体を壊すし、心も蝕まれる。
強い呪いを封じて、相手に送ったものだから。」
「これは多分、作られてから100年以上経ってる。
でも、その力はほとんど弱まってない。使用された痕跡も感じない。
多分、想定外の事態が起きて倉庫か屋根裏にでも埋もれてた。
これを贈られた人はとても運が良かったのね。
それに、運が良いのは暁君と葵も同じ。
変だと感じて、直ぐに『保管庫』に入れておいたのは正しい判断だった。」
「あの、やっぱり焚き上げないと駄目ですか?」 暁君は不安そうな表情。
駄目どころか、一刻も早く処理しないといけない気がするが、
暁君はそこまで強い気配を感じていないという事だろう。
術者ではないのだから無理もないし、変だと感じただけで大したものだ。
「焚き上げると中の呪いが解放されるから、
何が起こるか予想出来ない。却って危険なの。」
確かに、焚き上げて済むなら、Sさんでなければならない理由はない。
「でも呪いの力を消してしまえば、これは呪物ではなく、
アンティークの、お洒落なトランプ。」
暁君はホッとした表情を浮かべた。
Sさんは白い布の上でカードを扇形に広げた。
それから、カードを囲むように、白い布の4隅に星のような形の紙片を置く。
初めて見る、特殊な結界。
眼を閉じて深呼吸。小声で何事か呟き、胸の前で印を結ぶ。
微笑んで、眼を開けた。
「見てて、もうすぐよ。」
やがて、扇形に広げられたカードの端に小さな炎が見えた。
炎は次第に勢いを増し、カード全体が炎に包まれる。
しかし、全く熱気を感じないし、カードや白い布が焦げる事もない。
驚いて何か言いかけた葵さんと暁君に、Sさんが『黙ってて』の合図を送る。
突然、トランプの上、50cm程の高さに、小さな紫色の光が現れた。
それは、一度強く輝いた後、ゆっくりと降下し、
白い布の上で小さく跳ねて輝き続ける。まるで紫色の火花のようだ。
もう一つ、また一つ。無数の小さな光が白い布へ舞い降りる。
その幾つかは白い布から零れ落ちて、テーブルの上で輝いていた。
しかし、何故かカードの上には一つも降下しない。
姫は小さく溜息をついた。
「とても、綺麗。これが、『○◆の雪』。初めて見ました。」
小さな紫色の光が舞い降りるにつれ、カードを包む炎の勢いは弱まっていく。
しばらくすると降下する光の数は減り、ついには現れなくなった。
白い布やテーブルの上の光も、かなり輝きを弱めている。
間もなく、カードを包む炎も消えた。
「これで良し。光が見えなくなったらそれでお終い。」
「『○◆の雪』って」 「さっきカードに火が」
葵さんと暁君が同時に口を開き、顔を見合わせた。
2人が微笑みあう仕草が実に絵になる。まるでドラマのワンシーンみたいだ。
とても仲の良い姉弟なのだろう。2人の間の特別な、強い絆を感じる。
「あの炎は、カードに込められていた呪いが形をとったもの。
呪いのエネルギーを光に還元したから炎は消えた。もう大丈夫。
もう暫く、そうね、30分もすれば暁君が触っても、全然障りはない。」
「ありがとう御座いました。」 暁君は丁寧に頭を下げた。
「どう致しまして。アンティークはどうしても色々あるから、
変だと思ったらすぐに連絡して。何か問題があれば対応してあげる。」
「はい。」 満面の笑み、暁君は本当に嬉しそうだ。
「呪物の処理って、もっと時間が掛かると思ってたわ。
何十年とか、何百年とか。」
「厳重に保管して呪いが弱まるのを待つだけなら、
術者に依頼する必要は無いでしょ。
そのまま置いておくと、呪いが弱まるまですごく時間がかかるし、
下手をすると、その間にも被害者が出てしまう。
やり方は色々あるけど、さっきのが一番早い。」
「本当にありがとう。あ、お昼ご飯食べていくよね?
美味しいお節があるの。さ、支度するから暁も手伝って。」
「はい。」 2人は慌ただしく応接間を出て行った。
廊下を走る足音。
『呪物①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




