1304 道標(下)①
1304 『道標(下)①』
光の圧力さえ感じるような、強い日差し。
そもそも暑さの『質』が違う。こんなの初めてだ。
飛行機が那覇空港に着陸したのは午後12時過ぎ。
翠の事を考えると午前早くの便が良いと思っていたのだが、仕方ない。
何しろ夏休み、トップシーズンの沖縄。しかも前日の予約。
それを考えれば、人数分の空席があっただけでラッキーだろう。
飛行機の予約の関係で旅行は3泊4日の予定だが、
那覇市内のホテルを予約出来たのは2泊分だけ。
その間に空室が出なければ、宿泊先を変更する事になる。
別のホテルや旅館も探しているが、今のところ予約が満杯。
台風が近づいているという情報もあり、不確定要素が多いのが心配だ。
ロビーを出て、配車係からレンタカーの鍵を受け取る。
『なるべく目立たない車にして』というSさんの指示通り、4ドアのミニバン。
早速車を出す。まずはホテルにチェックイン。
ホテルのレストランで昼食を済ませてから、少女の祖母が住む集落へ向かう。
○×村、海岸沿いの小さな集落。
ナビの画面で見た感じでは、1時間半程で到着出来る筈。
翠は姫に抱かれたまま、ずっと寝ている。環境の変化は気にならないらしい。
集落につながる海岸沿いの国道、窓を閉じていてもセミの声が聞こえる。
少女の案内で、信号の無い小さな交差点から海側の脇道に入った。
大きな石の側を通り過ぎた時、後部座席で姫の声。
「凄い、こんな事が。」
助手席のSさんの表情が変わった。道の先を見つめる眼が輝いている。
「瑞紀ちゃん、あなた『お祖母さんがノロをしてた』と言ったわね。」
「はい、歳を取って体調を崩すまではずっと。そう聞いてます。」
「それは違う、お祖母さんは今も正真正銘のノロ。その力で集落を護ってる。
もしかしたらと思っていたけど、やっぱり、この先の集落は一種の聖域。」
さらに車を進め、赤瓦の建物が並ぶ集落に出た。
「そこに車を停めて待ってて下さい。たか子おばさんに話してきますから。」
「たか子おばさんって?」
「私の母の、姉です。ずっとお祖母さんの世話をしてます。」
「そう。じゃ、あなたの首のアザを見せて、事情を説明してね。」
「はい。」 少女が走り寄ったのは、辺りで一際大きな家。
暫く待っていると、少女が戻ってきた。
「お祖母さんに会えるそうです。私たちが来るのが分かってたみたいで。
あ、車はあの広場に駐めて下さい。」
俺たちは少女の案内で家の中に入り、応接間に通された。
廊下の反対側は大きな畳間。壁の一部が大きな仏壇になっている。
全ての窓が開け放たれていた。
クーラーはないが、部屋を吹き抜ける風が涼しい。
「いま、たか子おばさんが準備をしてます。もう少し待ってて下さい。」
テーブルにグラスを並べ、麦茶を注ぐ。
「瑞紀ちゃん、この家には良く来たの?」
翠を抱いた姫は興味深そうにあちこち見回している。
「はい。お正月とお盆と、豊年祭り。他にも色々。何だか、懐かしいです。」
良い香りの麦茶を飲んでいると、廊下の奥から足音が聞こえた。
50歳位の女性が応接間の入り口で膝を突き、俺たちに頭を下げた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。
母の言い付けでお迎えの準備をしておりました。
瑞紀を助けて頂いたそうで、本当にありがとうございます。
母も是非お礼が言いたいと申しておりますので、どうぞ奥の部屋へ。」
女性の案内で廊下を進む。台所を抜けて右に曲がり、再び廊下。
女性は突き当たりのドアを開けた。
「どうぞ、中へ。」
先に少女が部屋へ入る。次にSさん、翠を抱いた姫、そして俺。
最後に女性が部屋へ入って、ドアを閉めた。
八畳程の畳間、奥に介護用のベッドがあり、年老いた女性が横になっている。
ベッドの背もたれを調整したんだろう、少し、体を起こしていた。
その目を見た途端、俺にも分かった。
この人は『本物』だ、しかも飛びっきりの。
Sさんがベッドに歩み寄り、畳の上に正座をした。俺たちもSさんにならう。
「私、Sと申します。天命により、術者の道を修める者。
縁有ってノロ雲上にお会いできて光栄です。
瑞紀さんに掛けられた呪いを祓うために、どうかお力をお貸し下さい。」
女性が老女の耳許で話しかける。方言に翻訳してくれているらしい。
「・・・あんし・・・がーらだまぬ・・・うかみんちゅに・・・ぐりさぬ・・・」
老女は顔の前で手を合わせ、俺たちに頭を下げた。
「これ程の力のある方々が孫を護って下さって幸運でした。
お礼の申し上げようも御座いません。」
女性が通訳してくれるので、意思疎通に問題はない。
「瑞紀さんに掛けられた呪い、瑞紀さんの血縁と関わりがあるように思います。
ノロ雲上におかれましては、何か心当たりがお有りでしょうか?」
女性の通訳を介して会話が続く。俺達は2人の遣り取りに耳を澄ませた。
「・・・いちむ・・・うむいあたゆん・・・いちじゃまぬ・・・」
「確かに、一門の誰かが関わっているようです。
今からそれを調べるのでお待ち下さい。」
「私たちはこのまま此処にいても?」 「どうぞ。」
女性は一旦部屋を出て、木製の小さなたらいと木の枝を持って戻ってきた。
たらいを畳に置き、木の枝を老女に渡した。たらいには、水が八分目程。
翠は起きているが、姫の腕の中で老女の方を見つめていた。
姫とSさんも老女を見詰めているが、2人とも、目の輝きが普通じゃ無い。
まあ『別系統』の術者、しかもこれ程の力...
いや、今は考えない事にしよう。俺だって、純粋に興味がある。
老女は両手で枝を捧げ持ち、眼を閉じて小声で何事かを唱えた。
次第に辺りの空気が張り詰めていく。やがて眼を開けた。
黒い枝から小さな葉を一枚取る。
「くり・・くぬ・・あ○りうふぐ・・。」
その葉を女性に渡す。女性はその葉をたらいの水に浮かべた。
さらに小さな葉をもう一枚。
「くり・・や・・くししま△く・・。」
次々に浮かべられた葉、その数は11枚。
不思議な程に、それは綺麗な円を描いている。
老女は再び両手で枝を捧げ持ち、眼を閉じて小声で何事かを唱えた。
眼を開け、右手で持った枝をたらいの上でゆっくりと振る。二度、三度。
枝を女性に渡し、老女は水面を見つめた。
...これは。 俺たちの見ている前で一枚の葉が茶色く変色した。
その葉から、真っ赤なものが一筋、たらいの底に向かって沈んでいく。
血?
「・・・ちむん・・・はじかさぬ・・・うくぅいけーし・・・ねーぶん・・・」
「事情が分かりました。一門の者がこのような事に関わり、
お恥ずかしい限りですが、これは自分が責任を持って始末します。
ですから、この事は、くれぐれも内密にお願い致します。」
その直後、Sさんが畳に手をつき頭を下げた。
「ノロ雲上は既にご高齢。
体調も優れないのに、そのような事をなさるのは体に毒です。
瑞紀さんと関わったのも多生の縁。
この呪いの始末、私達に任せて頂けませんか?」
顔を上げて、老女を見つめる。
女性は少し驚いた顔をしたが、やがて老女の耳許で囁いた。
老女もまっすぐにSさんを見つめた。
ぴいん、と空気が張り詰める。 重い沈黙。 どの位、そうしていただろうか。
「・・・うぃーしに・・・はじちりむぬや・・・てぃとぅらち・・・」
「お言葉に甘えて、お任せいたします。不心得者は煮るなり焼くなりご存分に。
ただ、先程も申し上げた通り、くれぐれも内密にお願い致します。」
「有り難う御座います。万事心得ました。ご安心下さい。」
Sさんはハンドバッグの中から、小さな袋と白い紙を取り出した。
袋の中から人型を取り出し、小声で呟く。
右手で人型を持ち、その下端で、茶色に変色した葉に触れた。
たらいの底に沈んでいた赤いものが、真っ赤な細い筋になって、
茶色の葉に伸びていく。みるみるうちに、人型の半分程が赤黒く染まった。
人型を白い紙に手早く包んで小さな袋に納め、
Sさんはもう一度、老女に向かって深々と頭を下げた。
「では、私達はこれで失礼致します。ノロ雲上、どうかご自愛の上、
これからも末永くこの集落をお護り下さいますように。」
Sさんが立ち上がると女性が部屋のドアを開けてくれた。
俺と姫も立ち上がって老女に頭を下げる。
少女も立ち上がったが、少しよろめいた。
慌ててその手を取って支える、足が痺れたらしい。
「ばいばい。」
翠の声。思わず振り向いた。 姫の腕の中、老女に向かって手を振っている。
Sさんも驚いた顔で、翠を見つめている。
「ばいばい。」 翠がもう一度手を振った。
「・・・ばいばい・・・」
翠に向かって手を振り返す老女の目に、涙が光ったように見えた。
ホテルのレストランで夕食を食べ終え、部屋に戻るとSさんは言った。
「ノロ雲上との面会も無事に済んだから、
もう、ご両親に電話をかけて事情を話しても良いわよ。
ただし、『口止めされてるから沖縄にいる間何処にいるかは話せない』って、
そう言ってね。準備が出来る前に、本体がこのホテルに来ると色々面倒だから。」
少女は早速ケイタイを持ち、席を外して両親に電話をかけた。
10分程話していただろうか。
電話を終えて戻ってきた少女の眼は赤く、少し思い詰めた表情。
「どうしたの?」 姫が心配そうに問いかけた。
「両親が『きちんとお礼を』と言ってました。
あの、Sさん、Lさん、Rさん。
見ず知らずの私のためにこんなに良くしてくれて、本当にありがとう御座います。
私、今までちゃんとお礼も言えなくて、御免なさい。」
「お礼を言うのは未だ早い。本番は明日の夜。
今夜はしっかり寝て明日に備えて。」
「明日、呪いの始末をつけるんですか?」
「そう、ノロ雲上の依頼を受けたから、これはもう私の仕事。
あなたには悪いけど、呪いを始末する方法は私が決める。
そう、ノロ雲上の、希望通りに。」
翌日、台風の影響で朝から強い雨。
「Rさん、瑞紀ちゃん知りませんか?
朝ご飯食べた後、暫く姿が見えないんです。」
「いいえ、知りません。」
「護符を持たせてるから大丈夫だと思うけれど、少し心配ね。」
その時、ノックの音。ドアを開けると、少女がびしょ濡れで立っていた。
オレンジ色っぽい封筒を、右手に持っている。
「瑞紀ちゃん、どうしたの!そんなに濡れて。」
姫が浴室に走る、タオルを取りにいったのだろう。
「昨夜言ったでしょ。今夜が本番なのに、体調崩したらどうするの。」
「あの、Sさん、これ。」 少女が封筒をSさんに差し出した。
「お金?どうして?」
「あの、呪いを祓うのは、普通に頼んだらすごくお金がかかるって聞いて。
それに飛行機のチケット代やホテルの宿泊代もあるし、食事代も。
全然足りないかも知れないけど、これで...」
少女は封筒を差し出したまま俯いた。
「アルバイトして貯めたお金?」 「はい。」
Sさんは一度封筒を受け取り、改めてそれを少女の両手に握らせた。
「どうして?」
「確かに、頼まれた仕事なら、それなりの報酬と必要経費を貰う。
でも、あなたに一緒に来て欲しいと言ったのは私。
それに、あなたも聞いた筈よ?
呪いの始末も、私がノロ雲上に頼んで、やらせて貰うことになったの。
だからこの件で、あなたからお金を受けとる理由がない。」
「でも、それじゃ私の気持ちが。両親にも。」
「じゃあ、こういうのはどうですか?」
姫が少女にタオルを渡しながら話しかけた。
「沖縄で食べる夕御飯は明日でお終いですよね。
だから明日、みんなで食べる夕御飯の代金を瑞紀ちゃんに持って貰いましょう。
お金の話はそれでお終いって事で。」
台風の影響を心配した予約客のキャンセルが出たため、
俺たちは明日も、同じホテルに宿泊できる事になっていた。
「良い考えね。ホテルのレストランだから結構高いわよ。瑞紀ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です。それでお願いします。」
「じゃ、早く体を拭いて着替えて。温かいシャワーを使った方が良いかも。」
「はい。」 少女はようやく、ホッとした笑顔を浮かべた。
その夜、俺たちは早めの夕食を済ませて、7時前に部屋に戻った。
暫く地元のテレビ番組を見たり、翠の相手をして遊んだりしながら、
交代でシャワーを使った後、Sさんが言った。
「今から準備を始める。皆は10分後、此処に集合。
朝まで部屋から出られないかも知れないから、何か買うなら今の内にね。」
俺は一階の売店で辛口のチューハイを6本買った。ジャンキーなつまみも少し。
部屋に戻ると、備え付けの机にSさんが小さな祭壇を設えていた。
祭壇の横に、折り畳んだタオル。
机に白い袋を2つ置き、1つ目の袋から取り出した人型を祭壇に安置した。
それは少女の髪を仕込んだ人型、沖縄に発つ前に少女の部屋から回収したもの。
そして、もう1つの袋から取り出した人型をタオルの上に置いた。
半分が赤黒く染まった人型。呪いを祓うのに使うのだろうか?
裏返した空き缶の底に、姫が小さなロウソクを立てて火をつけた。
部屋の灯りを消す。
「じゃ、始めるわよ。ロウソクの火が消えたら、要注意。
特に瑞紀ちゃんは気をしっかり持って。L、お願いね。」
「はい。」 少女は翠を抱いた姫と同じベッドに座っていた。
Sさんが3人の周りに結界を張る。
それから祭壇の人型をタオルの上に移して、2つの人型を並べた。
赤黒く染まった人型だけを、白い紙で覆う。
Sさんと俺がもう1つのベッドに座り、結界を張って、準備は完了。
誰も喋らない。ゆっくりと時間が過ぎていく。
ロウソクは少しずつ短くなっていった。
ロウソクが燃え尽きそうになると、Sさんは新しいロウソクに火を点ける。
2本目、3本目。4本目のロウソクが半分まで燃えた時、炎が大きく揺れた。
少女の肩がびくっと震える、姫が少女の手を握った。
翠は既にベッドの上で寝ている。
ロウソクの炎はもう一度大きく揺れて、消えた。
部屋の中を満たす闇。暫くすると眼が慣れ、
薄いカーテン越しに漏れる街の灯りで、部屋の中が見えてくる。
ふと、背後にゾッとするような気配を感じた。少女の顔が強張っている。
ゆっくりと振り返る。薄いカーテン越し、窓の外に黒い人影が浮かんでいた。
俺たちの部屋は6階、当然人間ではない。その気配は更に密度を増した。
『やっと みつけた』
少女の頬を伝う涙が光って見える。
「〇吉おじさん、どうして?」 少女の体が傾いた、姫が抱き止める。
突然、Sさんが机に駆け寄った。
『返れ・・・・・は射手へ』
その直後、窓の外の気配が消えた。カーテン越しに見える街の夜景が美しい。
「これでお終い。」 Sさんは部屋の灯りを点けた。少女は気を失ったままだ。
少女を姫に任せ、Sさんと一緒に祭壇を片付けた。
タオルの上の白い紙に真っ赤な染みが拡がり、その中心に縫い針が刺さっている。
少女の人型は大きく破れ、ちぎれかかった部分から髪の毛が見えていた。
Sさんが、ベッドに面した窓を少しだけ開ける。
少女の人型から取り出した髪の毛を空き缶の燭台に置き、窓際で焚き上げた。
残った人型と紙の祭壇、折りたたんだタオルをまとめて紙袋に入れて封をする。
「ホントはすぐに燃やした方が良いんだけど、
これ以上は多分、火災報知器が反応する。
明日の朝まで、そうね、浴室に置いといて。呪いの力は消えてるから、
このままで問題ない。針が入ってるから気を付けてね。」
指示通り、浴室の棚の上に紙袋を乗せてベッドへ戻った。
Sさんは缶チューハイを飲んでいた。
「さっきのは、禁呪ですか?」
「いいえ、呪い返しは禁呪じゃない。心配しないで。」
姫が缶チューハイを渡してくれた。俺は買っておいたつまみの袋を開ける。
「術者自身の憎しみで相手を殺すのは禁呪ですが、
さっきの術は相手の呪いを再構成して返すものなので大丈夫。それよりも。」
「それよりも、何ですか?」
「どんな理由があれ、術者が血縁に手をかけるのは禁呪だし、大罪です。
血縁相克の大罪。だから呪いの始末を、Sさんが引き受けたんです。」
「呪いの本体は、やはり瑞紀ちゃんの血縁なんですね?」
さっき、少女は『〇吉おじさん』と言った。それが、呪いの本体。
「多分、叔父。つまりあのノロ雲上の息子。」
「そんな。」
「あのノロ雲上ほどの力を持つ人は、一族の術者にも滅多にいない。
できるだけ長生きしてあの土地を護るべきだし、是非そうして欲しい。」
あの老女が呪いを返せば相手は息子。結果的に、それは禁呪で、大罪。
Sさんは、だから老女が寿命を削る事のないように。
「さて、もうこの話はお終い。明日の予定なんだけど。」 「はい。」
Sさんはレンタカーの中にあったパンフレットを取り出した。
「天気も良くなるみたいだし、この水族館に行ってみたいな。
L、R君。ジンベエザメよ、どう?」
「賛成です。きっと瑞紀ちゃんにとっても、良い気分転換になります。」
「そうですね。翠も生きた魚を見るのは初めてだから喜ぶかも知れません。」
ホテルの夜は穏やかに、更けていった。
『道標(下)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。
『道標』は大好きな作品ですが、文字数が多いので作業がギリギリ。
でも、上手くいけば明日、完結。頑張ります。