1303 道標(中)②
1303 『道標(中)②』
街灯の間隔が広く、暗い夜道。
アパートの駐車場から少し離れた路肩に車を停めた。
もう深夜と言って良い時間。出来るだけ静かに外階段を上る。
ドアの前で電話を掛けると、すぐにドアが開いた。
占いハウスで会った時とは別人かと思う程、少女は憔悴しきっていた。
まともに寝ていないのだろう。眼の下の濃い隈、赤く充血した目、そして。
少女の細い首から左の顎にかけて、大きな赤黒いアザ。
「話は後で聞く。あなたの髪の毛を一本頂戴。」 「はい。」
姫は、受けとった髪の毛を人型に仕込み、それを少女に渡した。
「これをベッドに置いたら、当座の荷物をまとめて。
2・3日分の着替え位で充分、とにかく急いで。」
アパートを出たのは数分後。最後に姫がドアに触れて結界を張った。
辺りの様子に気を配りながら、少女と姫を車に乗せる。
静かに車を出した。2・3分で市街地の大通り。
此処からお屋敷まで30分弱。慎重に車を走らせた。
バックミラーに写る少女の顔は、まだ少し怯えたように強張っている。
「少し、寝た方が良い。あんまり寝てないみたいだし。」
声を掛けると、後部座席の少女は小さく頷いて眼を閉じた。
やがて小さな寝息が聞こえた。規則的で特に乱れはない。
「寝た、みたいですね。」
「一安心です。今夜はこのまま寝かせて、話は明日聞きましょう。」
「そういえば、質問があるんです。」 「何ですか?」
「最初の電話、何故僕のケイタイにかかってきたんでしょうね。
Lさんのケイタイの番号を書いたんじゃなかったんですか?」
姫は微笑んだ。
「あの時は腹が立ってたから、自分の番号を思い出せなくて。
それで咄嗟にRさんの番号を書いたんです。」
「幾ら何でも、自分のケイタイの番号を。」
「良いじゃないですか。むしろRさんの方が、話しやすかったと思いますよ。」
そうか...姫のケイタイと承知してかけてくるなら、それは只事ではない。
覚悟して、実際にかければ俺が出る。確かに姫より話はしやすいだろう。
おっとりしているように見えて、こういう時、姫の配慮は実に細かい。
「最初からそれが、狙いだったんですね?」 「ノーコメントです。」
姫はシートベルトを外し、体を反転させて後部座席に右手を伸ばした。
そっと、少女の額に触れる。
「これで大丈夫。明日まで、ゆっくり眠れます。」
翌日。朝食を食べ終えて、俺と姫はリビングに移動した。
昨夜から、少女はソファに寝かされたままだ。
規則正しい寝息、眼の下の隈はかなり薄くなっていた。
姫が少女の額に左手をかざすと、やがて少女が目を開けた。
少し寝ぼけた表情。化粧してない顔は、意外に幼い。
「目が覚めた?此処は私たちの家、だからもう大丈夫。」
少し間を置いて、少女の目から涙が溢れた。両手で顔を覆う。
「怖かった、ホントに怖かった。私...」
「もう、大丈夫だから。ね。」 姫が少女の髪を撫でた。
少女が落ち着くのを待つ間に、コーヒーを淹れる。
Sさんがトーストを焼いてくれた。
2人でリビングに戻ると、少女はソファに座っていた。
しかし、蒼白い顔には生気が感じられない。
2・3日、まともな食事をしていないのだろう。
これでは話どころか、いつ意識を失ってもおかしくない。
テーブルにトーストをのせた皿とコーヒーカップを並べた。
白い湯気、良い香りが部屋を満たす。
「まずは軽い朝食、話はそれからにしよう。」
少女は頷いて、トーストに手を伸ばした。
しかし、その手は途中で止まり、小さく震えた。
「あの、頂きます。」 「どうぞ。」
Sさんと姫は翠の相手をしている。
俺は少女の斜め向かい、ソファに座って新聞を読んだ。
ごく普通の、平穏な朝の風景。
そう、少女の首に残る大きなアザ以外は。
やはり空腹だったのだろう。
少女はトースト2枚を残さず食べ、コーヒーを飲み干した。
「美味しかったです。ありがとう。」
少女の顔に生気が戻っていた。これならもう、話をしても大丈夫。
姫が少女の向かいに座る。俺は姫の左隣り。
Sさんはまだ翠の相手をしている。
「私はL、この『お兄さん』はRさん。
そしてあの人はSさん、私とRさんのお師匠様。
昨夜も言った通り、私たちはあなたを助けたいと思ってる。
でも、正直に話してくれないとあなたを助けられない。
だからSさんの質問には正直に答えて。分かった?」
少女が大きく頷くと、姫は席を立ち、Sさんから翠を抱きとった。
入れ替わりで、Sさんが少女の向かいに腰掛ける。
「最初に名前を聞かせて頂戴。」 「瑞紀です。○城瑞紀。」
「じゃあ、瑞紀ちゃん。今回の件、変だなって、最初に感じたのは何時?」
少女は俯いて少し考え込み、暫くして口を開いた。
「私カミンチュだから、変な気配を感じるのは当たり前なんだけど。
半月位前から、急に、友達が一緒に遊んでくれなくなって。それが最初です。」
「この2人が占いハウスに行ったのはその後ね?」
「はい。白い袋をもらいました。ケイタイの番号も。」
「袋の中身は使った?」
「はい、もらった日に使いました。その夜、いつもより強い気配を感じて。
あの紙を部屋の四隅に置いたら、気配が消えたんです。」
「なのにどうして、占いハウスを休んだの?」
「休む前の夜に、また感じたんです。
それまでで一番強い気配。時々、人影みたいなのも見えました。」
「紙の配置を変えたりした?」
「ううん、変えてません。怖くて、夜も寝られなくなりました。
外に出ようと思ったら余計に気配が強くなるし。もう、どうしようもなくて。」
「その、首のアザは?」
「あの...」 少女は俯いて涙を拭ったが、暫くして顔を上げた。
「昨日の夕方、少し眠ってる間に夢を見ました。
動けない私の首に、大きなヘビが巻き付いて、すごい力で。
苦しくて目が覚めたら、このアザが。」
「痛みもある?」 「はい。」 「ちょっと触っても良い?」 「どうぞ。」
Sさんは右手で、少女のアザにそっと触れた。
「どうしてそんな夢を見たのか、何か心当たりはある?」
「全然ないです。力が強くなったら色々なモノが寄ってくるって聞いたから、
それでかな、と思ってました。あの、占いハウスで、Lさんが。」
「力に寄ってくるモノくらいなら、あの紙で弾けるの。
部屋に入り込んでそのアザを残したのは、そんな生易しいモノじゃない。
明らかに、あなた個人に向けられた、強い呪い。」
「でも、私そんな、呪われるような事なんて。」
「今まで占ってきた中に、トラブルの種になりそうな相談は無かった?」
「浮気とか別れ話の相談は幾つかありましたけど、
危ないなって思った時は曖昧に答えてたから。」
「じゃあ、あなた自身の、男の人とのトラブルは?」
少女は俯いて、それから思い切ったように、顔を上げた。
「あの、私、Rさんにあんな事言ったのは、
Rさんがとても良い人に見えたからです。
友達が全然遊んでくれなくなって、他にも色々変な事が続いて。
とても不安で淋しかったけど、Rさんに会った時に感じたんです。
『この人なら相談出来る』・『この人と一緒にいられたら大丈夫』って。
だから、どうしても、Rさんと知り合いになりたかった。
逆ナンみたいに思われたかも知れないけど...
私、本土に来る前から、男の人とつきあった事はないです。本当です。」
「あなたは沖縄で生まれたの?」 「はい。那覇市で。」
「自分がカミンチュだって思ったのは何故?」
「小学生の頃、母の生まれた集落に遊びに行ったら、
親戚の年寄りに『セーダカーの生まれ』って言われたんです。
中学生になったら『カミンチュだ』、『ノロになれる』って言われて、それで。
でも『ノロになれる』って言われるのは、すごく嫌でした。」
力を持って生まれた事ではなく、その力故に強制される運命を嫌った。
俺達の、一族の術者では有り得ない。甘い、と言うしかない。
でも、この娘が一族に生まれていたらどうだったか...そんな事を思う。
「『60年ぶりにカミンチュが生まれた』って喜んでるのは親戚の年寄りだけ。
私、あの集落は好きだし、自分が力を持ってるのも気に入ってるけど、
ノロなんかになりたくない。両親もそんな事はさせたくないって。
でも、私をノロにしようとして、親戚が何度も何度も説得に来るんです。」
「それで沖縄から?」
「はい、父親の遠縁を頼って。高校2年になる時、転校して来ました。」
「どうして占いハウスでアルバイトをしようと思ったの?」
「生活費のためです。私の家、あんまりお金が無いから。
中学生の時、友達の相談を見て上げた事があったし、丁度良いと思って。」
「あなたの力は誰から伝わったと思う?」
「お祖母さん、だと思います。長い間、集落のノロをしてたと聞きました。」
「父方?母方?」
「母方です。でも母には全然力が無くて、
高校を卒業してすぐに那覇に出たって言ってました。」
「正直に答えてくれてありがとう、大体分かった。
それで、あなたが決める事が2つある。」
Sさんの表情は穏やかだ。しかし、その言葉は重く、厳しい。
この娘は、それを感じているだろうか。
「1つはあなたの力の事。Lから聞いたと思うけど、
今みたいな半端な使い方を続けてると、この先もっと酷い事が起こる。
一生その力を封じるのか。
ちゃんとした訓練をした上で、力を使い続けるのか。
どちらか選んで。力を封じるなら、やり方を教えてあげる。」
「これからも力を使うとしたら、ノロにならなきゃいけないんですか?」
「ノロの修行も1つの方法ね。ちゃんとした先生がいるなら、だけど。」
「私、力を使えなくなるのは嫌です。でも、ノロになるのも嫌。
ごめんなさい、今すぐには決められない。」
「じゃあ残りの1つを先に決めてもらおうかな。
そのアザを残した呪いを祓わないと、多分あなたは殺される。
呪いの祓い方は2つ。1つは、この呪いだけを無効にする方法。
もう1つは、呪いを掛けた本体まで辿って、呪いの力を返す方法。
それで、瑞紀ちゃん。あなたはどちらの方法が良い?
この呪いを無効にしても、次の呪いを掛けられたら同じ事だから、
完全に解決したいなら、呪いを返して本体を断つしかないんだけど。」
「『本体を断つ』って、私に呪いを掛けた誰かを殺すって事ですか?」
「勿論、そうなる可能性もある。半端にやれば、こちらの身が危ないから。」
「呪いを掛けてるのが誰だか分からないと、やっぱり決められない。」
「呪いを掛けてるのが誰だか分かったら、決められる? 友達とか、親戚とか。」
「それは...」 少女は俯き、顔を両手で覆った。嗚咽が漏れる。
「瑞紀ちゃん、力を使うというのは、結局そういう事よ。
いつも都合良く、上手くいく訳じゃない。自分や、誰かの命を左右する事もある。
だから半端な気持ちで使っちゃ駄目なの。」
「私、一体どうすれば...」
「ねぇ瑞紀ちゃん。私たち、明日から沖縄に旅行するの。
あなたも一緒に来て、私たちをその集落へ案内してくれない?
あなたのお祖母さんに会えたら、何か手がかりが見つかるかも知れない。」
俺と姫は思わず顔を見合わせた。
先週、姫の大学が夏休みに入ったから、何処かに旅行しようと話してはいたが、
目的地が沖縄だなんて初耳。しかも明日から?
少女は顔を上げて涙を拭った。
その目に微かな光が宿ったように見える。
「お願いします。あの、両親に電話しておいた方が良いですか?」
「それは駄目。呪いが絡んでるから、今は誰にも知らせないで。
明日、出来るだけ早くその集落に行って、お祖母さんに会いましょう。」
「分かりました。」
「じゃあ、決まり。R君、飛行機のチケット、追加で予約して頂戴。
レンタカーとホテルもね。」
Sさんは俺に目配せをして、優しく微笑んだ。
『道標(中)②』了
本日投稿予定は1回、任務完了。