1302 道標(中)①
1302 『道標(中)①』
その占いハウスは、繁華街の裏通りにあった。
自動ドアをくぐると左側に受付。建物の奥に向かって廊下が伸びている。
廊下の両側には色とりどりのドアが並んでいた。
あれが、それぞれ占い師の部屋だろう。
「済みません、11時に予約したLとRですが。」
「はい、ノロタンさんの予約ですね。料金は前払いでお願いします。」
時間外の予約は結構あるのか、受付の女性はにこやかに対応してくれた。
「ノロタンさんは『青の部屋』です。部屋の中に入ったら座ってお待ち下さい。
ノロタンさんから声を掛けるまで、黙っていて下さいね。」
「本当に、相談の内容から、当てるんですか?」
「はい、相談したお客さんは皆そう言います。
評判良いですよ。では、どうぞ奥へ。」
廊下を進むと、右側の一番奥に青いドアが見えた。突然姫が立ち止まる。
「どうしたんですか?」
「残念ながら、本物です。念のため『鍵』を掛けて下さい。」
深呼吸、『鍵』は問題ない。ドアをノックした。
「どうぞ。」 若い女性の声。
ドアを開けると手前に椅子が2つ、テーブル、奥に椅子がもう1つ。
奥の椅子の向こうは水色のカーテンで仕切られている。
その向こうに、人の気配。
「最初に、あなた達が何を相談したいのか、その内容を見ます。
暫くそのまま、座って待っていて下さい。」
姫と並んで椅子に座る。安っぽいアルミのパイプ椅子。
テーブルの上には小さな籐のカゴ、中には沢山のカードとボールペンが一本。
姫がカードを一枚取り、左手の人差し指を唇にあてたまま俺の前に置いた。
若い女性の写真、電話番号、メールアドレス。
筆記体の太文字。 『Norotan』 これは。
あの時、少女が俺の胸ポケットに押し込んだカードだ。
なら、カーテンの向こうにいる占い師というのは。
「おかしい、何にも見えない。こんなの初めて、何かの悪戯?」
カーテンが開いた。
「あ、あの時のお兄さん。」 「やっぱり、君だったのか。」
相変わらず派手目の化粧。私服だと、とても高校生には見えない。
少女は俺をじっと見つめた。あの時より、ずっと強い力を感じる。
こうして、依頼人の心を読む。つまり、この少女は『本物』。
「ふ~ん、心を読まれないように出来るんだ。
なら、お兄さんも私の同類って事ね。
そっか...本土にカミンチュがいてもおかしくない。」
少女は姫をチラリと見て、俺に視線を戻した。テーブルの向こうの椅子に座る。
「これが奥さん?綺麗な人、若いし。で、要件は何?
心を読まれないようにしてるんだから、
何かを占って欲しい訳じゃないんでしょ?」
「1つは、君の力が本物かどうか確かめる事。」
「本物。お兄さん達が私と同類なら、もう分かってる筈。」
「もう1つは、君が組織に属しているかどうか確かめる事。」
「組織...もしかして私をスカウトに来たの?
占いの仕事だったら、考えても良いかな。ギャラ次第だけど。
客取られた古株達がウザくて、最近ここ居辛いから。」
「あのさ、こんな風に力を使ってると、その内マズい事になるよ。
凄く怖い人がお客になったり、犯罪に関わる相談が持ち込まれたり。」
「ホントに危ない相談なら逃げれば良い。部屋の奥に非常口があるし。」
「力を持つ者は、力をコントロールする方法を学ぶ必要がある。
でも、あなたにはその気がない。」
ゾッとするような、冷たい声。姫のこんなに厳しい表情は初めて見る。
「他人に対して力を使う者は、その結果に責任を持つ義務がある。
でも、あなたにはその覚悟がない。」
少女は驚いたような顔をしたが、すぐに皮肉な笑みを浮かべた。
「若いのに、言ってることがおばあさんみたい。
1回20分の占い。そんなんで力をコントロールする必要なんて無い。」
「使い始めて1年位は、使えば使うだけ力が強くなる。
1回20分、それで1日何人の相手してるの?
週4日、予約が取れないほどの回数。
それだけのトレーニングをしたら、占いを始めた時より、
今はもっと、ずっとハッキリ見えるようになってる筈。そうでしょ?」
少女の顔に微かな怯えが見えた。
「それは...前より楽に見えるようになったけど、それが。」
姫はポーチの中から白い小さな袋を取り出して、少女の前に置いた。
「強い力には色々なモノが寄って来る。夜、灯りに集まる虫たちのように。
おかしな事が起こったら、この袋の中身を部屋の四隅に置いて。それと。」
カゴからボールペンを取り出し、さっきのカードに数字を書き込んだ。
「どうにもならないと思ったら、此処に電話して。私の携帯。」
カードを白い袋の隣に置いて立ち上がり、そのまま部屋から出て行く。
「何なの、あの人。」 少女の顔は青ざめていた。 俺も立ち上がった。
「陰陽師だよ、超一流の。怒らせると、とても、怖い人だ。
だから君、目上の人と話す時は、もう少し言葉遣いに気を付けた方が良いね。」
姫は黙ったまま川沿いの歩道を歩いている。その横顔は未だ冷く強張っていた。
「機嫌、悪そうですね。」
「何だか、とても腹が立ちます。力を、あんな風に。」
姫がこれほどストレートに怒りを表すのは見た事がない。
姫の経験した境遇、いつも正面から自分の力と向き合って来た姿勢を考えれば、
力を玩具のように扱う少女が腹立たしいのも無理はない。だけど。
「僕は、自分がとても恵まれているんだなって実感しました。」
「恵まれているって、何故、ですか?」
「もし母が僕の感覚を封じてくれなかったら、SさんやLさんに会えなかったら、
僕自身があんな風に力を玩具にしてたかも知れない、そう思ったんです。」
「それで自分が恵まれている、と?」
「はい。逆に、あの子はとても可哀想です。力と向き合う心構えや、
力をコントロールする方法を、教えてもらっていないんですから。
きっと、親身になって生活態度を注意してくれる人もいないんでしょう。」
姫は歩きながら左手を俺の右腕にからめた。
「私とRさんに会ったのは、あの子にとって幸運の始まりかもしれない。
怒らないで、そう考えた良いという事ですね?」
「怒った顔も綺麗ですが、やっぱり僕は笑ってるLさんが好きですから。」
「...私も、Rさんの事、大好きです。」
姫の頬はほんのりと紅に染まっている。美しい。
駐車場で車に乗り込む頃には、姫はいつもの笑顔に戻っていた。
単独での初仕事を終え、榊さんの運転で病院から戻る途中、
見覚えのある道を通った。榊さんが良く使うという川沿いの抜け道。
それはあの占いハウスのある裏通りに繋がっていた。
占いハウスが見えてくる。入り口で2人の男性が言い争っているようだ。
「榊さん。ちょっと、あの占いハウスの前で止めて下さい。」
「良いけど、R君はあの占いハウスを知ってるのかい?」 「はい、別件で。」
榊さんが路肩に車を停め、窓を開ける。男の怒声が聞こえた。
「こっちはちゃんと予約したんだ。ふざけんな。」
「ですから、ノロタンさんは病気で休んでるんです。
治って戻りましたらこちらから連絡しますので、
今日はどうかお引き取り下さい。」
「今日じゃないと困るって言ってるだろうが。じゃ、ソイツの家を教えろ。」
ドアを開け、榊さんが車から降りた。俺も車を降りる。
「よう、○中、久し振りだな。何か揉め事か?俺が相談に乗ってやるよ。」
「あ、榊さん。揉め事じゃないです。今帰るところで。じゃ、失礼します。」
男は慌てた様子で、路肩に停めた車に乗り込んだ。
「ありがとうございます。お陰様で、本当に助かりました。」
グレーのスーツの男性が、榊さんに深々と頭を下げた。受付の責任者だろう。
「さっき、ノロタンさんは病気で休んでると仰いましたか?
僕も一週間くらい前に相談に来たんですけど。」
「はい、病気というか、昨日から無断で休んでます。
ケイタイでも連絡がつかなくて。
ノロタンさんは毎日予約が一杯なので、本当に困ってるんですよ。」
「さっきの男もノロタンさんの予約をしてたんですね?」
「今朝、電話で事情をお話したんですが...」
榊さんが警察手帳を取り出した。
「◇山組には話をしておく。もし何かあったら■○署に電話してくれ。
『分署の榊に繋いでくれ』と言えば分かる。」
男性は驚いた顔をして、もう一度頭を下げた。
◇山組は、最近台頭してきた怖い団体。
御陰神様の一件で、その中枢が本部事務所ごと壊滅した○◇会に代わって、
勢力を伸ばしていると聞いていた。
「R君、まだ用があるかい?」
「いいえ、ありません。有り難う御座いました。」
「じゃ、戻ろう。そろそろクーラーが恋しい。」
見送る男性を残し、榊さんと俺は車に乗り込んだ。
「ふ~、生き返った。R君、分署に戻ったら一杯、どうだ?」
ビールではない。榊さんご自慢の水出しコーヒーのお誘いだ。
「頂きます。2杯、良いですか?」 「おお、良いとも。」
『昨日から無断で休み』 『ケイタイでも連絡が取れない』
分署からお屋敷へ帰る途中も、受付の男性の言葉が耳を離れない。
○中という男の動きは榊さんが抑えてくれたが、
欠勤が長引けば、他にも厄介な客が出てくるかもしれない。
人間だけじゃなく、少女の力に引き寄せられるモノも...
初めての仕事で感覚を最大限に拡張した名残なのか、
どうにも嫌な予感が消えない。
お屋敷へ着くと、すぐに姫が玄関から出てきた。
車を降りると、翠を抱いたSさんも玄関先に立っていた。
「おかえりなさい。初めてのお仕事、ご苦労さま。首尾はどうだったの?」
「とにかく全力でやりました。分かった事は榊さんに伝えましたが、
上手くいったかどうかは今後の捜査を見てみないと、何とも。」
「じゃ、Rさん、早速、夕食にしましょう。美味しいもの、沢山作ったんです。
沢山食べて回復しないと。あ、その前にシャワーが良いですか?」
夕食を食べ終わり、キッチンで食器を洗っていると、
リビングで俺のケイタイが鳴った。
「榊さんかも。代わりに出て下さい。」 リビングに声を掛ける。
風呂上がりの姫が、キッチンにケイタイを持ってきてくれた。
「榊さんじゃないみたいです。」
画面に表示された『非通知』の文字、嫌な、予感。
「もしもし。」
受話器の向こうで息を呑む気配。しばらくして小さな声。
「あの、私、占いハウスの...」
「やっぱり君か。どうした、何があったんだ?」
「あの時のお兄さん?お願い、助けて。助けて下さい。」
少女は泣いていた。嗚咽が聞こえているが、それ以上言葉が出てこない。
深く息を吸い、下腹に力を込めた。
「落ち着いて聞いてくれ。君を助けたい。俺はどうすれば良いかな?
このまま話を聞いた方が良い?それとも其処へ行った方が良い?」
嗚咽の合間に、少女はようやく声を絞り出した。
「...ここに、きて、下さい。私、殺される。」
「分かった。出来るだけ早く行く。場所を教えてくれ。」
話しながらリビングに移動する。
姫は少し背中を丸めて、PCのモニターを見詰めていた。
地図ソフトを起動した姫に聞こえるように、大きな声で復唱する。
「△市 大×台 5丁目 ○松アパート 202号室。」
直ぐに、姫が振り向いた。肩越しにPCのモニターを確認する。
「今、場所が分かった。30分位で行けると思う。
着いたらドアの前から電話する。今使ってる電話の番号は?」
電話番号をメモしている間に、姫はリビングを出て行った。
部屋で着替えるつもりだろう。
「俺たちが着くまで、誰が来ても絶対にドアを開けるな。分かった?」
「分かった。」
電話を切り、Sさんが持ってきてくれたポロシャツとジーンズに着替える。
「お酒、飲まなかったのはこのためね。分かってたの?」
「仕事の帰り、榊さんと一緒に占いハウスの前を通ったら、
あの子の予約をキャンセルされたって、男が騒いでて。
受付の人が『あの子が昨日から無断で休んでる』と言ってたので、
ずっと嫌な予感がしてたんです。今夜あたり、何かあるかもって。」
「相変わらず冴えてる。でも大事なのはこれから、急いで。」 「はい。」
受付の人や本人の話からして、あの少女は占いハウスの稼ぎ頭。
そう簡単に、スタッフが少女の住所を漏らす事はないだろう。
そして、あの男と◇山組の動きは、榊さんが封じた。
それ以外の可能性...
もし、あの男以外の人間が、あの少女の部屋に入り込んだのなら、
少女が俺のケイタイに電話する機会はない。 きっと今頃は、もう。
しかし、このタイミングでの電話。
そう。 今までも、そうだった。 今回も同じ。
『それ』は、静かに穏やかに、抗いようのない『覚悟』を促す。
人ならぬモノと対峙する、『覚悟』。
だからこそ姫が、同行の準備をしてくれている。
やるしかない。 玄関へ、早足で歩きながら集中力を高めていく。
「準備、完了です。」
Tシャツとジーンズに着替えた姫が、玄関で微笑んでいる。
右手に、プリントアウトした地図。
靴を履き終わると、Sさんが俺の手を握った。車のキー?
これは、マセ●ティの...この人も、姫も、本当に優しい。
俺は、俺には。あの少女のために、何か出来る事があるだろうか。
ムッとする熱気の残る、夜の道。 俺と姫は少女の部屋を目指した。
『道標(中)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。
気付かない内に、ブックマーク登録が増えていました。
読んで下さる方がおられる事は、正直とても嬉しいです。
本当に、有り難う御座います。