1301 道標(上)
1301 『道標(上)』
暑い。
強い日差し、道路のアスファルトに逃げ水が見える。
梅雨が明けて約半月、ほとんど真夏。
榊さん行きつけの喫茶店で打ち合わせを終え、車を停めたコイン駐車場に戻る。
千円札を両替して料金を投入していたら、背後から声を掛けられた。
「ねえ、あれ、お兄さんの車でしょ?」
振り向くと、セーラー服を着た少女が立っていた。
右手でロー○スを指さしている。膝上の短いスカート、派手目の化粧。
もともと綺麗な顔立ちなんだろうが、これでは駄目だ。
セーラー服なら絶対に膝小僧全体が見えてはいけないし、化粧なんて言語道断。
正統派セーラー服嗜好の俺としては、
神聖なる御衣を穢されたような気がして、不快になる。
少しでも早くこの場から...
「俺の車だけど、何か。あ!」
俺をあざ笑うように、百円玉が一個、指をすり抜ける。
それは軽い音を立てながら、少女の足下に転がった。
少女がかがんで百円玉を拾う。白い足、下着が見えそう。
あのね、それ、セーラー服ですよ? ますます、不快になる。
「はい、どうぞ。」 少女が歩み寄り、掌に載せた百円玉を差し出した。
「ありがとう。」 軽く頭を下げて、百円玉を受けとる。
少女はじっと俺の顔を見ている。
...微かな違和感、これは?
「あれ、外車だよね。お兄さん若いのにお金持ち?」
「悪いけど、時間無いからさ。」
歩き出した俺の前に立って、少女は両手を広げた。
「ちょっと位、話聞いてくれても良いでしょ。
今日テストで学校が午前中だったから、バイトの時間までヒマなんだ。
ね、車で何処か連れてって。カラオケでも良いよ。」
「だから、時間無いんだって。」
「もう、鈍いな~。私、お兄さんとお友達になりたいの。」
「へ?」
「お兄さんカッコイイし、良い人みたいだから気に入っちゃった。」
だからね、それ、セーラー服ですよ? 何、その物言い?
腹の底から怒りが湧き上がってきたが、深呼吸して心を静める。
もしかしたら何か事情があるのかもしれないし、
他人に俺の嗜好を押しつける理由もない。
「俺、一応妻子持ち。誤解されると困るから、女子高生の友達は要らない。」
少女の横をすり抜けてロー○スのドアを開ける。
「じゃ、これあげる。気が向いたらで良いから、連絡して。」
少女は名刺のようなカードを俺の胸ポケットに押し込んだ。
素早く運転席に乗り込み、ドアを閉める。
「待ってる。メールでも、電話でも。私、今」
少女の声はエンジン音にかき消された。
ロー○ス乗ってて、こんな面倒臭い目に遭ったのは初めてだ。
初仕事の打ち合わせの日にこんな事が起こるなんて、嫌な予感。
姫と2人、翠の相手をして遊んでいると、Sさんがリビングに入ってきた。
「R君。今日の打ち合わせ、あの男の子の件よね?交通事故の。」
「はい。依頼の内容と、それから病院に行く日時を詳しく確認してきました。」
「それだけ?」 「そうです。」
「じゃ、これは何かしらね?」
小さなカードをテーブルに置いた。姫がそのカードを手に取る。
「これ、誰ですか?何だか派手な感じの女の人ですね。」
音を立てて、顔から血の気が引く。
マズい、あのまま胸ポケットに。 いや、待て、2人は俺の心が読める。
あった事をそのまま話せば問題ない。思わず、笑みが浮かぶ。
「ちょっと、R君。何笑ってるの?」
「ナンパされたんですよ、それも女子高生に。笑えますよね。」
「ナンパ?」 「はい、カラオケ行こうって。ビックリしました。」
「大人っぽいけど、本当に高校生なんですか?。」
姫からカードを受けとる。 少女の写真。電話番号とメールアドレス。
何かのロゴみたいな筆記体の文字。思わず、溜息。
「制服着てたし、実際に見た感じは確かに高校生だったんですが、これは。」
「制服って、セーラー服?」 Sさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「セーラー服です。でも、スカートは短すぎるし化粧してるし、邪道ですね。」
「あの、邪道って何ですか?」 姫が不思議そうな顔で俺を見る。
「邪道っていうのは...その、校則違反って意味で。多分化粧も違反だし。」
馬鹿か俺は。
いくらSさんに乗せられたとは言え、危うくセーラー服嗜好を姫の前で。
まあ取り敢えずセーフ、それとなく掌で額の汗を拭う。
「校則が無い高校もあるわよ。とにかく、これは要らないのね?」 「はい。」
Sさんが俺の手からカードを取り、天井に向かって投げ上げた。
何事か小声で呟く。
カードは空中に静止したまま炎に包まれ、灰も残さずに燃え尽きた。
「さて、洗濯の続き。」 Sさんはリビングを出て行った。
Sさんを追いかけようとする翠を、姫が優しく抱き上げる。
「お母しゃん、今忙しいから。お姉ちゃんと遊ぼうね~。」
「Sさん、機嫌悪くしましたかね?」
「Sさんも、私も、怒ってなんかいないですよ。
Rさんの力が発現すれば、Rさんの本当の顔が見える人も増えます。
時々こんな事があっても仕方ないって、覚悟しなきゃいけません。」
翠は姫の右肩に頭をもたせて、眠そうにしている。
姫の横顔は少し寂しそうだ。何だか、胸の奥が痛い。
「外出した時、目立たなくしていられる方法ってありませんか?」
「う~ん、難しいですね。そういう術も有りますが、
そんな術を使うと、Rさんの感覚もかなり鈍くなっちゃいます。
それにRさん、前に私に言ったじゃないですか。
『税金みたいなものだから我慢して下さい』って。」
「我慢...じゃあ、Sさんの護符に、何か良いのがないですかね。
え~と、そう、『女難除け』みたいな。」
「女難除けの護符なんて、胡散臭い占い師じゃあるまいし。
大体、女の子に声掛けられるだけじゃ女難とは言わないでしょ。」
洗濯機の操作を終えたんだろう、Sさんがリビングに戻ってきた。
寝てしまった翠を姫から抱きとって、頬ずりをする。
「そう言えば、不思議な占い師の話を聞いたんです。大学で。」
「どんな、話?」 Sさんは翠をソファに寝かせ、団扇でそっと扇ぐ。
「街の占いハウスに、凄く良く当たる占い師がいるっていう話なんですけど。」
「占い師?占いハウスの?」 相鎚を打ってはいるが、あまり興味は無さそう。
「はい。ただ黙って座るだけで、占って欲しい事から当ててしまうって。」
「それ、コールドリーディングとは違うんですかね?」
姫をフォローするつもりで口を挟んだ。一応、この辺りは自習済みだ。
女子大生が街の占い師を訪れたなら、それはまず恋愛関係の悩み。
次に友人関係の悩み、その次に家族関係の悩みだろう。
取り敢えず人間関係に絞って会話を進めれば、
『当てた』ように思わせるのは、それ程難しくないような気がする。
「占い師の話をしてくれたのは私の大学の先生なんです。男の先生。
噂を聞いて行ってみたら、本当に黙って座ってるだけで、
何を占って欲しいのかをピタリと言い当てたそうなんです。
あ、相談は家族の事だったそうですけど、その解決策も。」
「名前や生年月日を聞いたり、書かせたりもしないんですね?」
「はい。事前の情報は一切必要ないらしいんです」
コールドリーディングは会話の上に成り立つ技術。
会話がなければ相手の情報を得られないし、
『当てた』ように思わせる事も出来ない。
「本物、なんでしょうか?」 少しだけ、背筋が冷える。
Sさんは団扇を止めて、小さく欠伸をした。
「街中で営業してる占い師に本物がいるなんて思えないけど。」
黙っていてもピタリと当てる占い師。何処かで聞いた事が...そうだ。
「沖縄出身の同期から、同じような話を聞いたことがありますよ。
黙って座るだけで、ピタリと当てる占い師の話。
ええと、ユタ。そう、ユタって言ってました。」
「確かに、沖縄には一種のシャーマン文化が色濃く残ってる。
中には本物もいると聞いた事があるけど、ここは沖縄じゃない。」
「沖縄にいるなら、此処にいてもおかしくないような気がしますが。」
実際、今俺の目の前に本物が2人もいる。それも、とびっきりの本物が。
「沖縄と北海道は別として、『上』は日本国内の術者と、
術者を生みだす家系の動向をほとんど把握してるの。
私たちの一族だけでなく、それ以外の系統に関してもね。
この辺りで活動してる術者がいれば『上』から連絡が来てる筈。」
「一族以外の系統まで、把握する必要があるんですか?」
「単独で活動する術者を警戒してるんです。
組織を離れたりして、単独で活動する術者はとても危険だから。」
少し、姫の表情が曇る。
「危険?」 どんなに優れた術者でも、単独で出来る事は限られる筈なのに。
「誰かに脅迫されて外法を使う、という事ですか?」
「それもあります。でも、一番危険なのは単独の術者が業に呑まれた場合です。
管理されていないので、処理されないまま暴走してしまいますから。」
「業に、呑まれる...」
「術者自身が悲しみや憎しみに囚われ、
生きたまま不幸の輪廻に取り込まれた状態。
似た状況の魂を取り込んで、不幸の輪廻に送り込む『端末』になってしまうの。
そうなったら、術者を処理する、つまり殺すしか方法は無い。」
ふと、3人の女の子を殺した男を思い出した。もしあの男が術者だったら、
女の子たちの魂は間違いなく、不幸の輪廻に取り込まれていただろう。
「『上』は北海道や沖縄についても、
術者の動向を把握したいと考えているんですか?」
「沖縄には民間のシャーマンが多いから、把握は難しいでしょうね。
ユタ、オガミサー、カミンチュ。
あと集落ごとにノロという神官がいる事もあるみたい。
ノロは琉球神道の流れを汲む公の神職で、ほとんどが女性。
まあ、その中にどれだけの本物がいるのかは分からないけど。」
「Sさん、今カミンチュって?」 姫の表情が緊張している。
「そう、神の人って書いてカミンチュ。どうかした?」
「『事前の情報なしで当てる』っていう占い師は若い女性で、
先生が『黙ってるのにどうして相談の内容が分かるの』って聞いたら
『私カミンチュだから』って答えたそうです。」
「じゃあ、沖縄の?」
その占い師が沖縄から移住してきたという可能性、当然あり得る。
「もし沖縄の...本物なら、単独かどうか確認しなきゃいけないわね。
R君、Lと一緒に確認して頂戴。
Lは何処の占いハウスなのか、先生に聞いてきて。」
「かなりの評判みたいですね。通常の時間では予約が出来なくて、
追加料金で時間外の予約を取りました。明日の午前11時です。
Rさん、大丈夫ですか?」
「はい、明日の修行は午後なので全然問題ないです。
でも、本当に本物なのか、何となくドキドキしますね。
不謹慎かもしれませんが。」
「もし本物で、単独の術者だったら、その後が大変ですよ。
Sさんが確認してくれると思いますが、
まず間違いなく『上』から指示が来ます。」
浮ついていた気持ちが、一瞬で冷めた。
そうだ、危険な存在は放置できない。全く、俺は何を浮かれて。
「どんな、指示ですか?」
「力の強さによります。力が弱ければ経過観察で済むでしょうが、
強ければ、力を封じる事になるかも知れません。これは気が重いです。」
「術で力を...相手の体に代を封じて魂の活動を制限する、と?」
「そうです。あまり使いたくない術ですけど、仕方有りません。」
魂や命の操作。それは、術者の寿命を削る危険な術。
「『禁呪』、なんですか?」
「はい。結果的に相手を助ける事になるとしても、
無理矢理に力を封じるのは気分の良いものではないです。
相手が抵抗したら、こちらの身に危険が及ぶ場合も有るでしょうし。」
もしその役目が、Sさんか姫に任されたとしたら、俺は。
「本物じゃない方が、良いですね。」 「はい。」
『道標(上)』 了
本日投稿予定は1回、任務完了。『道標』、投稿開始です。