1004 光と影(下)②
R04/6/29 追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですが、評価を頂けると嬉しいです。
本当に、有り難う御座いました。
1004 『光と影(下)②』
6時5分前。
フロントでAさんと待ち合わせて、あの家族の部屋へ向かう。
ノックをするとドアが開き、父親が顔を出した。
部屋の中、男の子は寝室の布団に寝かされている。
「準備を進める間、ご両親とAさんは手前の和室で待機して下さい。」
集中した姫の気迫に気圧され、3人は黙って頷いた。
まずは姫が和室に結界を張る。これは両親とAさんを『隠す』ため。
「少し位なら声を出しても大丈夫ですが、この部屋からは出ないで下さい。
この中にいれば、黛弓さんからはあなたたちが見えません。」
今度も、3人は黙って頷いた。神妙な表情。
「寝室には、特別な結界を二重に張ります。」
いよいよ本番。男の子が寝かされている布団の4隅。
姫の指示通りに、俺が作った護符を、敷布団と畳の間に挿んでいく。
『あるもの』を和紙で包んだ、特殊な護符。 これで一重。
それから姫は両足を引き摺るように、時々体を反転させながら、
男の子が寝かされている布団の周りを大回りに一周した。 これで二重。
「全ての準備が整いました。私の封を解くと、亨君が眼を覚まします。
さっきも言った通り、絶対に部屋から出ないで下さい。」
男の子の枕元に姫が座った。俺も姫の隣に座る。
気のせいか空気が重たい。少し、視界も霞んでいるような。
姫は深く息を吸い、左手の甲を男の子の首筋に当てた。
男の子の目が、ゆっくりと開く。 感情のない、冷たい眼。
「亨君、眼が覚めた? いいえ、今は『黛弓さん』と呼ぶべきですね。」
「あなた、昨夜の。」 昨夜、障子の向こうから聞こえた、女性の声。
「そう。あなたと同じように、私にも他の人とは違う『力』があります。
今日のお昼みたいな事があると哀しいので、体の動きは封じておきました。
少し不自由でしょうけど、話が済むまで我慢して下さいね。」
「何故、こんな事を?」
「亨君を助けたい、それだけです。勿論、あなたの事情も有るでしょうし、
言いたい事があるならお聞きします。遠慮無くどうぞ。」
「あなたに、一体、何が分かるって言うのよ?」
女性の声は怒りに満ちていた。
「今朝、あなたの記憶の欠片を読ませてもらいました。
だから亨君とあなたの関係は、大体分かります。
あなた自身が忘れてしまっている事以外なら、ですけど。
そうですね、幾つかお話ししましょうか?」
「...」
「あなたと亨君の出会いはどうです?放課後の音楽室。」
「止めて!」
何処かが、何かがおかしい。この女性は何故、何を隠そうとしているんだ?
「自分が生霊を飛ばす事がある。
ずっと前から、あなたは自覚していましたね?
生霊がしてきた事や、これからする可能性の有る事も。
だからこそ亨君が生まれた時、身を引くと決めたんです。
愛する人に子供が出来たなんて耐えられない。
けれど、それで生霊が飛び、愛する人の子を傷つけてしまったら、
もっとずっと、辛い思いをすると分かっていたから。」
部屋の空気がますます重くなり、時間の流れが止まったように感じる。
「そして全てを忘れるために、遠い土地で新しい生活を始めた。
小学校の非常勤講師。でも、教え子の中に亨君がいた。
亨君の父親が転勤したために起きた、皮肉な偶然。」
「お願いだから、もう止めて。」
「始めは、お互い何も知らなかった。
教師と生徒。亨君はあなたを慕い、
あなたも真っ直ぐに自分を慕ってくれる亨君が愛しくて仕方がなかった。
だからある日、あなたは出来心で亨君の出自を調べた。
そして、亨君が愛する人の子だと言う事を、知ったんです。」
「...止めて。止めてよ。」
男の子の口から聞こえる女性の声は、弱々しく震えていた。
「復讐するつもりなんか無かった。
だから、もう亨君には会わない、あなたはそう決めた。
でも会いたかった。 どうしても、亨君に会いたかった。
そして、あなたに会いたいと願う亨君の心の声を、
無視する事も出来なかった。」
「そうよ! だから...だから、気付いた時には、
私の半身が、全部を、あの子に話してしまってた。
『君の母親が私の恋人を奪った。君の父親は私を捨てた。』
本当はそんな事、あの子には話すつもりなんて無かったのに。」
どういう、事だ?
この女性の話は、会議室で両親に聞いた話と、全く違う。
これでは、まるで。
「それでもあの子は私に会いたいと望んでくれたの。
だから私は毎晩のようにあの子と同じ夢を見て、夢の中であの子に会った。
そしてあの子は、いつでも私を受け入れられるように、心の扉を壊した。」
「夢の中で何度も心を重ねる内に、あなたは知った。
亨君がそんなにも自分を慕ってくれる理由。
『本当に亨君を必要としている人間は自分しかいない』と。
だから、あなたは憎しみを抑えられなくなった。それで復讐を。」
「仕方が無いじゃない!!
私の憎しみとあの子の哀しみが重なると抑えが効かなくなって...
本当は、ただ、同じ夢の中で一緒にいられるだけで、幸せだったのに。」
俯いて溜息をついた後、姫は顔を上げて話を続けた。
「あなたの憎しみと、度重なる深い憑依。
そして亨君自身の哀しみと両親への激しい怒り。
その結果、亨君の心は壊れた。 おそらく体も、そう長くは保ちません。
あなたはそれで良いんですか? このまま亨君の命が尽きてしまっても?
復讐を遂げても、亨君を失うのでは意味が無いでしょう。」
「あなたなら、あの子を助けられる、そう言いたいの?」
「助ける方法は考えましたが、確実に助けられるとは限りません。
亨君があなたを受け入れたまま死ぬと決めたなら、
私にも、いいえ、誰にも助ける事は出来ないでしょう。」
「...教えて頂戴。あの子を助ける方法を。」
「今此処で、体を捨てる事が出来ますか?
あなたは『力』を持っています、だから、その意味が分かる筈。」
「...ずっと、このままで?」
「支えて上げて下さい。会えなくても、話せなくても、亨君には分かります。
あなたが自分の中にいる、そしていつも自分を愛してくれている、と。
あなたの憎しみと亨君の哀しみが消えれば、復讐は無意味。
ただ、その後、亨君がどういう答えを出すか、それは誰にも分かりません。」
「Lさん、だったわね。」 「はい。」
「どうして見ず知らずの私たちに、ここまでしてくれるのか分からない。
そんな事をしたら、あなたも無事ではいられないんじゃないの?」
え?姫が無事ではいられないって...
「私の『力』は、あなたより強いです。
私はこの『力』を、正しいと信じる事に使いたい。
そうでなければ、今、私が生かされている意味がありません。
心が壊れて、意識もほとんどないはずなのに、
亨君は私の『名前』を尋ねてくれました。
その意味を、私なりに、とても真剣に考えたつもりです。
それが、私への、あなたの興味から発したものだったとしても。」
「...ありがとう。あなたに会えて、本当に良かった。」
男の子の眼が、ゆっくりと閉じた。
姫はポケットの中から小さな白い袋を取り出した。
封を解き、右掌にあの紙片を載せる。
姫が何事か呟くと、紙片が淡い金色の光に包まれた。
「やっぱり、正しかった。 Rさん、亨君の胸を。」
「はい。」 一礼してから布団を捲り、男の子の浴衣の胸をはだけた。
金色に光る紙片を、姫が男の子の胸に置く。
紙片は一瞬強い光を放った後で、吸い込まれるように消えた。跡形もなく。
男の子の浴衣を直し、元通りに布団をかけた。もう一度、一礼。
気のせいか、男の子の寝顔は安らかで、微笑を浮かべているように見える。
姫は畳に手をつき、深く一礼してから立ち上がった。俺も姫に倣う。
二重の結界を解き、姫と俺は寝室を出た。
「これで、私に出来ることは全て済みました。
明日の朝まで寝かせてあげれば亨君の意識は戻ります。
暫くは記憶の混乱があるでしょうが、そのうち安定するでしょう。
その後どう生きていくかは、亨君自身が決める事です。」
「私は、黛弓にも亨にも...」 母親の顔は真っ青で、視線が定まらない。
「真実は1つ。でも、人によって、それぞれ捉え方は違います。
誰の言葉が正しいのか、それを決めるのは私の役目ではありません。
約束通り、私は全力を尽くしました。
亨君に一番良いと思う方法を選んだつもりです。
何か問題が有れば、Aさんを通して連絡を下さい。これにて、失礼します。」
声もなく、呆然と佇む両親を残して、Aさんと俺たちは部屋を出た。
「Lちゃん、あなた、大丈夫?」
Aさんもあの言葉を気にしているのだろう。
「Sさんが力を貸してくれたから、私は大丈夫です。
でも...とっても、とってもお腹が空きました。」
「超特急で夕食を準備して部屋に運ぶから。そう、三人前でも四人前でも。
ちょっとだけ待ってて。R君、くれぐれもLちゃんをお願いね。」
「はい。任せて下さい。」 Aさんは俺の右手を両手でしっかりと握った。
俺たちの部屋の炬燵は大きなものに取り替えられ、
山のような料理が並べられていく。本当に四人前くらいはあっただろう。
姫と俺が釣り上げた魚も、見事な焼き魚になってお膳に並び、
ぴーん、と鰭を張っている。姫はそれを、とても喜んだ。
そして見ている俺たちが気持ち良くなる位、
快調なペースで片っ端から料理を平らげていく。
「Lちゃんの食べっ振りを見てるとお腹が空くわね。
今夜は私もここで夕ご飯食べても良い?」
「どうぞ、Aさんなら大歓迎です。」
食べるのに一生懸命の姫に代わって俺が答えると、
Aさんは電話で料理とお酒を追加して、気が付けば3人で大宴会状態。
姫に負けじとAさんと俺も料理を食べて、お酒を飲む。
俺の杯で一杯だけ、姫もお酒を飲んだ。
料理を全部食べ終わると、姫は炬燵に突っ伏して眠ってしまった。
そっと抱き上げて寝室に運ぶ。 Aさんはすっかり安心した表情。
電話で仲居さん達を呼び、綺麗に後片づけを済ませると、
上機嫌で引き上げて行った。
俺はAさんが最後に追加してくれた徳利のお酒を飲みながら、
今日の出来事について、ボンヤリと考えていた。
それはまるで、夢の中の出来事。
でも俺の左手には包帯が巻かれ、鈍い痛みが残っている。
『誰の言葉が正しいかを決めるのは自分の役目ではない』と姫は言った。
でも姫は自分が正しいと思った事のために、あの術を使った筈だ。
なら姫は何を、誰の言葉を、正しいと信じたんだろう?
ゆっくり風呂に入って着替えた後、左腕のガーゼと包帯を取り換えた。
傷口の縫い目は小さく、細かく揃っている。
あの軽薄な医者、かなりの腕らしい。
寝室の障子を開けると、黒い雲が月を隠していた。
生け垣の木の葉が時折激しく揺れる。
天気によっては、明日の出発時間を早めた方が良いかもしれない。
もう一枚、姫に薄い布団を掛けてから、部屋の灯りを消した。
本当に、この一日で色々な事が...眠い。
『光と影(下)②』 了
本日投稿予定は1回、任務完了。