1002 光と影(中)
R04/6/29 追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですが、評価を頂けると嬉しいです。
本当に、有り難う御座いました。
1002 『光と影(中)』
2人で荷物を解いて服をクローゼットに整理したり、
炬燵に入って地元TV局のご当地CMを見て盛り上がったりしてるうちに、
6時55分のニュースが始まった。良い頃合い、かな。
「温泉、入りましょうか。」 「はい。」
部屋の風呂にも温泉のお湯が引かれているし、大きな湯船も有る。
でも、いきなり2人で風呂に入るのは気まずいし、姫に失礼。
何となく、そんな気がした。
温泉に向かう途中でフロントに寄り、Aさんに食事の時間を伝える。
「これからお風呂を頂くので、夕食は8時にお願いします。」
「承知致しました。明日の朝食は何時に致しましょう?」
「え?でも朝食は。」 これまで、朝食はいつも大食堂で食べていた。
Sさんが板長さんの『普通の』朝食を凄く気に入っていたから。
「話があるの。私が行くから。またまた御免ね。」 Aさんは小声で囁いた。
「了解です。」 俺も出来るだけ小声で答える。
「では、朝食は8時半でお願いします。」 「確かに、承りました。」
温泉には室内の大きな湯船と、それより少し小さな露天風呂。
露天風呂に入っている客も多いのだが、
移動する時に寒い思いをするのが嫌なので、俺はいつも室内の湯船。
この温泉は少し温め、長い時間入っていても湯疲れし難い。
ゆっくりと温泉を堪能し、ペットボトルの冷たいお茶を買う。
温泉の入り口近くのソファに座り、お茶を飲みながら待っていると姫が出て来た。
「お待たせしました。あ、お茶、私にも下さい。」
俺の手からペットボトルを取ってお茶を飲む。
「冷たくて美味しい。」上気して薄紅色に染まった頬にペットボトルを当てた。
備え付けの花柄の浴衣に、ほんの少し栗色がかった髪が映える。美しい。
「Lさん、浴衣似合ってますよ。とても、綺麗です。」
姫の頬がますます紅くなった。 「有り難う御座います。」
「湯冷めしないうちに部屋に戻って食事にしましょう。」 「はい。」
部屋に戻って暫くするとフロントから確認の電話があり、夕食が運ばれてきた。
Aさんと仲居さんが炬燵に料理を並べていく。
とても豪華な料理、俺と姫は思わず顔を見合わせた。
料理を並べ終わると仲居さんは部屋を出て、Aさんだけが残った。
「何だか凄い料理ですね。ちょっと気が引けます。」
「面倒かけてるから、せめてもの気持ち。気にしないで。
それより、板長さんの特製。味は保証付きよ。」
「それで、R君。」 「はい?」
「お酒も付けたけど、1本だけ。お代わりは駄目よ。」 「了解です。」
まあ、酔いつぶれて寝てしまったら気まずいことになるしね。
「じゃ、ゆっくり食事を楽しんでね。」
Aさんはいつもと変わらない笑顔で部屋を出て行った。
フロントで『明日話がある』と言ってたから、何か新しい問題が起きたんだろう。
それなのに、不安や戸惑いを全く感じさせない。さすがの気配り。
食事を済ませ、食器を片付けてもらうとそれからは2人きり。
何となく微妙な空気になった。
「そう言えば、今夜辺りから満月ですよ。」
照れ隠しに奥の間の障子を開ける。
良く晴れた空に、ほとんど真ん丸の明るい月が浮かんでいた。
「すごく綺麗なお月さまですね。」 姫が俺の右隣に並ぶ。
しばらく2人で月を眺めた後、姫の肩を抱いた。ここは俺が、リードしないと。
「そろそろ寝ましょうか?」 ああ、我ながら何て陳腐な台詞だ。
姫が障子を閉じて部屋の灯りを消した。
「あの、私、もう一度シャワーを使います。待ってて下さい。」
夕食の前、お風呂に入ったばかりなのに。舞い上がっているのはお互い様かな。
布団の中で待っていると、五分ほどで姫が戻ってきた。俺の隣に座る。
俺も上体を起こし、姫を抱きしめた。
帯を解いて浴衣をそっと脱がせる。姫は下着を身に着けていなかった。
障子越しの月の光に照らされた肌は、まるで新雪のように白く、美しい。
「とても綺麗で、ドキドキします。」
「お月さまが明る過ぎて、恥ずかしい、です。」 消え入りそうな、小さな声。
そっと姫の体を抱く。俺の右手が肩に触れると、姫は小さく身を震わせた。
シャワーを使ったばかりなのに肌がとても冷たい。
かなり、緊張しているのだろう。
「Lさん。」 「はい。」
「怖いですか?」 「少し、怖いです。ごめんなさい。」
「謝ることはありません。」 それは旅行を決めてから、ずっと考えていた事。
「安心して下さい。今夜は最後までは、しませんから。」 「そんな。」
出会った時、姫は15才。
掛けられた術の影響で、その心も体も、男性を拒絶していた。
それから3年近く、2人の時間と思い出を積み重ねてきたけれど、
何故姫が俺を好いてくれたのか、未だに分からない。
それがどうしても、心の奥に引っかかったままだった。
だから、Sさんがお膳立てしてくれた旅行とはいえ、
『急ぐ』必要は全く無い、そう考えていた。
姫の心に傷を残す事だけは絶対に避けなければ、と。
「Lさんの心は僕を受け入れてくれていても、Lさんの体は僕が怖いんです。
初めてなんですから、怖いのは当たり前ですよね?」
「でも。」 「だから、Lさんの体に僕を憶えてもらいます。」
「そしたらきっと、体の準備もできますよ。
最後までするのはそれからでも良いでしょう?
折角2人きりなのに、Lさんが怖かったり痛かったりしたら、僕が辛いです。」
「ありがとう、ございます。」
姫は小さく息を吐いて、俺の胸に頭を預けた。
「でもLさん。」 「え?」 「慣れてもらう為には。」 「はい。」
「あんな所やこんな所に触ったり、少~し恥ずかしい格好をしてもらったり、
色々しないといけないんですよ?覚悟は良いですね?」
「...Rさんって、やっぱり『変態』なんですか?」
「僕が『変態』なら男はみんな『変態』ですから。安心して下さい。」
「変な慰め方。」 姫は優しく微笑んだ。
夜中、ふと眼を覚ますと、姫が浴衣を羽織って布団に座っていた。
少し開いた障子から、月の光が差し込んでいる。庭の玉石が光って見えた。
「どうしたんです?風邪引きますよ。」
姫は布団に潜り込んで、俺の胸に顔を埋めた。
「Rさん、私の体、本当に準備が出来ると思いますか?」
「出来ますよ。もし、この旅行の間に準備が出来なくても焦らないで」
「嫌!そんなの嫌です!」 突然の、強い声。
「どうしたんです?」 一体どうしたんだろう、少し胸が騒ぐ。
「Rさん、約束して下さい。」 「何の、約束ですか?」
「準備が出来なくても、この旅行の間に、最後までするって。じゃないと私」
姫の頬を涙が伝っていた。そっと涙を拭って、頬にキスをする。
この様子。きっと姫には姫の、考えや事情が有るんだろう。
この旅行の間に、姫の考えや事情を理解出来れば良い。
「分かりました。約束します。
でも、1人で布団から出て寂しくしてたら、出来る準備も出来なくなります。
準備をするためには、朝までずっと手を繋いでなきゃ駄目ですよ?」
「はい...ごめんなさい。」
「Rさん、Rさん。」
眼を開けると姫が俺の顔を覗き込んでいた。
障子がうっすらと茜色に染まっている。
「もう、手を離しても良いですか?」
そういえば昨夜、そんな話を...そっと抱き寄せて、おでこにキスをした。
「はい、これで手を離しても大丈夫。」
8時25分にフロントから電話があり、朝食が運ばれてきた。
2人の仲居さんは部屋に入らず、Aさんにお膳を渡して戻っていった。
Aさんが炬燵にお膳を並べる。
白いご飯、お味噌汁、焼き魚とほうれん草のおひたし。
料理からふわふわと湯気が立って良い香りが部屋を満たす。これ、最高。
「食べ終わったら電話してね。少し、話があるから。」 「了解です。」
食器を片付けてもらった後、3人で炬燵を囲む。
お茶を飲み干してから、俺は尋ねた。
「それで、Aさんのお話って何ですか?」
Aさんは俺の湯呑みにお茶を注いで、静かに話し始めた。
「まず、あの御家族の事なんだけど。
紹介して下さった常連さんに事情を聞いてみたの。」
「何か新しい情報が有ったんですね?」
「そう。あの男の子は小学2年生。
様子がおかしくなったのは去年の夏休み辺りから。
秋からは学校にも行けなくなって、
それを知った常連さんが此処を勧めた。転地療養って感じね。」
「男の子の様子がおかしくなった原因は分かりませんか?」
「それは全然。ご両親が話したがらないみたい。」
原因が分からないのでは対応のしようがない。
「それとね。」 Aさんは声を潜めた。
「今朝も一件、苦情があったの。」 「昨夜変な人影を見た、と?」 「そう。」
「人影を見たお客さんに、共通点はありませんか?」 初めて姫が口を開いた。
「共通点?」 Aさんは何か思い当たる事があるようだ。
「女性、比較的若い女性ね。ご夫婦が2組...それと恋人同士が1組。」
「それは多分重要な情報です。そのお客さん達は今夜も宿泊を?」
「今朝苦情のあったご夫婦が1組だけ。今夜は部屋を移って頂く事になってる。」
「その部屋には対策をして置いた方が良いです。案内して下さい。
それから白米を少し頂けますか?ほんの一握りだけで良いですから。」
「分かった。」 Aさんの表情がぴいんと引き締まった。
「どうぞ、この部屋よ。」 Aさんが件の部屋の鍵を開けた。
姫の指示に従い、俺は全ての窓、最後に部屋のドアに手を触れて結界を張った。
「これで大丈夫。夜は出来るだけ部屋から外へ出ないように伝えて下さい。」
「ありがとう。白米はフロントに届けて置くから。」 「了解です。」
「それじゃRさん、部屋で支度して釣りに行きましょう。」
「晴れてるけど、多分まだ水温が低いから釣れるかどうか。」
「今の時期、釣りは難しいわよ。昼ご飯はどうする?」 Aさんは心配そうだ。
「1時でお願いします。」 「分かった。早める時は電話してね。」
支度をして部屋を出た。釣り具はレンタルだから手ぶらで良い。
ロビーから玄関を抜けると、あの男の子が立っていた。
「おはよう。亨君、1人なの?」 姫が微笑んで視線を合わせる。
「Lさん、と、Rさんは、兄妹?」 「え?」 「それとも、お友達?」
「ふふ、私、Rさんのお嫁さんなの。
私たち、夫婦に見えない?ちょっとショックだな~。」
「Lさんは、Rさんが好き?幸せ?」
姫が意味ありげに微笑んで俺を見た。
違和感。普段の姫なら絶対に、こんな大人びた対応はしない。
そうか、そういう事か。俺もかがんで男の子と視線を合わせる。
「僕たち、新婚旅行なんだよ。だから、すごく幸せ。」
「だよね~。」 姫が俺の手を取る。
「これから2人で釣りに行くの。少し寒いから、亨君は早く部屋に戻ってね。」
「新婚、旅行...」
呟く男の子を残して俺たちは手を繋いだまま釣り場へ向かった。
「もう、そろそろ帰りましょうか?」
ルアーを投げ初めてから約1時間半。小さなアタリもない。
天気は良いが風も強め。気温はそれほど高くない。
やはり水温も低くて魚の活性も上がっていないのだろう。
ずっと風に吹かれているとさすがに体も冷えてくる。
「う~ん。明日はもっと暖かくなるみたいですから。明日に期待ですね。」
「じゃあ、体も冷えちゃったし、お風呂で温まってから昼ご飯にしませんか?」
「あの、それなら...」
「2人で部屋のお風呂、それでも良いですか?」 「はい。」
フロントで白米の入った小さな封筒を受け取り、部屋へ戻った。
「わざと、あの男の子を刺激したんですね?」
炬燵で食後のお茶を飲みながら、姫に尋ねた。
「はい、あの子の体に入り込んだ人を呼び出したくて。」
「その人、まだ生きているような気がするんですが。」
「私もそう思います。多分、生霊ですね。力が強いし、とても厄介です。
Rさんは何故、その人が『まだ生きている』って思ったんですか?」
「何て言うか、もし死んだ人ならもっと、
それこそ一日中男の子につきまとうような気がして。
それに旅館のお客さんが人影を見たのは夜、なら昼間働いてる人かな?と。」
「私も同じ意見です。それに生霊は『あり方』を変えられないから、
入り込まれると相手の心が壊れて、大きなダメージを受けます。」
「それであの子はあんな状態に?」
「まず間違いありません。死霊なら『あり方』を変えられるから、
相手の心がそこまで大きく壊れることは無い筈なので。」
成る程、それで姫は『とても厄介』だと。
ん? 男の子の心は大きく壊れて、なのに何故あの子は姫の名前を。
姫は『縁』と言った。そして生霊。じゃあ、その『縁』って。
姫と、男の子に入り込んだ人の...もしかしてその人は。
「Rさん。どうか、しましたか?」
「あの子がLさんの名前を聞いたのは、その生霊がLさんに興味を...」
「今夜、それを確かめられるかも知れません。」
姫が立ち上がり、壁にかけた上着のポケットから封筒を取り出した。
奥の間の障子とサッシを開く。庭から爽やかな風が吹き込んだ。
Aさんが用意してくれた封筒。
「そのお米で、一体何を?」 「これで手がかりを探ってみます。」
姫はサッシの外の濡れ縁とその下の地面に数粒ずつ、白米を撒いた。
「小鳥が食べちゃったら困るから、あとはとっておきますね。」
サッシと障子を閉め、上着のポケットに封筒を戻した。
「少し寝不足気味なのでお昼寝します。Rさんはどうしますか?」
お互い緊張して気疲れしていたせいもあったのだろう。
俺たちが眼を覚ましたのは夕方5時を過ぎてからだった。
のんびりとお喋りしながらTVを見て、今度は2人で大浴場に出掛けた。
そして今夜もAさんの心尽くし、板長さん特製の豪華な晩ご飯を食べてお腹一杯。
濡れ縁に撒いた白米の様子を確かめて、準備は整った。
「Rさん。」 「はい?」
「あの、折角昨夜約束してもらったのに、申し訳ないんですけど。」
生霊が寄ってくるかもしれない夜だ、気分が良かろう筈がない。
「分かってます。今夜は手を繋いでいるだけでも良いんじゃないですか?」
姫は俺の胸に顔を埋めて小さく首を振る。
「慣れるだけなら平気です。早く準備が出来るようにしないと。」
満月の光が障子を照らしていた。
「Rさん。」
マズい。いつの間にか寝てた。眼を開け、ゆっくりと上体を起こす。
姫の視線を辿ると、障子にぼんやりと人影が映っていた。
「・こに・る ・のおんな・ あ・なにしあわ・そ・に ・たしは
私たちはこ・なに こんなに不幸なのに ・るせない。」
ベトベトと粘り着くように濃密な怨嗟の声。聞くだけで吐き気がする。
息を詰めて、姫をしっかり抱きしめる。姫も無言で障子を見詰めていた。
ショートカット、おそらくスキーウェア。ジャケットの襟のファーまで分かる。
やはり、女性だ。気配が更に近付く、もう、濡れ縁に。
「あ」 驚いたような声。そして突然気配が消えた。
「今の、凄かったですね。まだ鳥肌が。Lさんは大丈夫ですか?」
姫は俺の腕の中で震えている。
「どうしてあんな風に。あんなに、あんなに人を憎むなんて。」
翌朝。日の出を待って、俺と姫は濡れ縁周辺に撒いた白米を検めた。
濡れ縁の上の白米のうち、3粒が赤黒く染まっている。微かだが、辺りが生臭い。
「これ、血ですかね?」 「はい、素手では触らないで下さい。」
姫がフロントに電話を掛けると、Aさんが割り箸と灰皿を持って来てくれた。
赤黒く染まった米を、俺は慎重に割り箸で灰皿に移した。
灰皿を姫に渡してから、もう一度濡れ縁の下の地面を確かめる。
「他の米には異常ありません。」 「ありがとうございます。」
姫は庭に降り、濡れ縁の端に置いた灰皿の上に、左手をかざした。
目を閉じて深呼吸。 Aさんも息を詰めて様子を見守っている。
ぴいん、と空気が張り詰める。 暫くして、姫は眼を開けた。
「大体、事情が分かりました。」
そして今度は灰皿に右手をかざす。3粒の米が燻り始めた。
煙と共に異様な気配が立ち上り、Aさんが口を押さえてトイレに駆け込んだ。
米が完全に灰になったのを確かめてから、姫はサッシと障子を閉めた。
「あれ、何だったの?」 Aさんの顔はまだ蒼白い。
「足跡みたいなものです。あの男の子の心を通路にしてやってきたものの。
焚き上げることは出来ないので燼滅しました。
『本体』もこの近くまで来てるみたいです。
Aさんには刺激が強すぎましたね。ごめんなさい。」
「私は良いけど...『本体』って。お客様が見た人影、生霊なの?」
さすがに勘の良い人だ。
「はい。今後暫くは飛び込みのお客、特に若い女性は絶対に断って下さい。」
「分かった。フロントにも伝えて置く。」
Aさんが部屋を出て行くと、姫の顔が一気に険しくなった。
あのSさんに、術者として『もう一人前』と言われた人。
姫なら、生霊がどんなに強力でも、上手く対応出来るだろう。
それ程の術者が対応に苦慮しているとしたら、それは。
「『祓った後』の事を考えているんですね?」
「はい。正直、まだどうすれば良いのか判りません。
あまりにも憑依の段階が深くて、
憑依を完全に解けばあの子の心自体を維持できなくなります。」
「つまりあの子の命も?」 「はい。」
体の組織に深く食い込んだ腫瘍を切除できないのと同じような感じだろうか。
姫は黙って考え込んでいたが、突然立ち上がった。
「考えるのは後にして、釣りに行きましょう。」
「確かに今日は水温も上がっていそうですが、良いんですか?」
「釣りをして、とっかかりを作ります。Rさんも協力して下さいね。」
優しく微笑んだ姫は、とても綺麗だった。
『光と影(中)』了
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