0902 舞姫②
R4/6/06追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですので、とても嬉しく思います。
有り難うございました。
0902 『舞姫②』
翌朝。
稽古場に着くと、ドアの向こうから囁くような声が聞こえた。
『話してやっても良いが、それを聞いたとて人には。神懸からねば...』
嗄れた、微かな声。 思わず、耳を澄ます。
「どれだけ考えても、辿り着く事は出来ないと?」
『人に、神の御心が予想出来ると思うのか?』 「いいえ、でも。」
稽古場に、Sさん以外の誰が? そっと、ドアを開く。
Lは床に胡座をかいていた。
稽古前の瞑想をしていたのか、振り返った、穏やかな表情。
??? L以外に人影はない。 でも、確かに声が。
「お早う御座います。」 「あ、お早う。1人、なの?」
「はい。少し考えたい事があったので、
いつもより早くSさんに送ってもらいました。」
「...話し声が、聞こえた気がしたんだけど。」
「ええと、考え事に夢中で、無意識に舞の台詞を口にしたかも知れません。」
いや、あれは男の人の。でもそれ以上何を聞けば良かったのだろう。
そしてLの笑顔を見る時。胸の奥、得体の知れない感覚。
少し、いや、とても怖いけれど、どうしようもなく惹きつけられる。
その日の稽古の後も、Sさんは褒めてくれた。
でも、少し不安。稽古の間、ずっと感じていた微かな視線。
シャワーの後、着替えているLに問いかける。
「L、今日、稽古の時に変な感じがしなかった?」
振り向いたLは小さく頷いた。
「ずっと、誰かに見られてる感じがしましたね。多分、稽古を始める前から。」
やはり、Lもあの視線を感じていたのだ。
「何、だと思う?」
「随分と舞が仕上がって来たので、見物の御方が増えているんでしょう。」
「『見物の御方』?それに、『増えた』って、最初から誰かが?」
「はい。きっと、悪い事ではないと思いますよ。」
Lは微笑んでいた。背筋が、冷える。
私と同じ稽古の間。
一体、この娘は何を見て、何を感じているのだろう?
稽古で『見物の御方』、それなら神事では一体何が。
心臓が、ドキドキする。本当に怖いけど、その日が待ち遠しい。
半月後、いよいよ神事の日。豊年祭り、今年は12年に一度の大祭。
一連の神事の最後を飾るのが、私とLの舞。着替えて、段取りと道具を確認する。
何より、今日使うのは真剣。事故があれば一大事。一つ一つ、丁寧に。
真剣を使う以外、全ては今までの稽古通り。そう、思っていた。
「紫さん。」 「何?」 あの笑顔。 まただ、もしかしてLは。
「斬りかかる時、もう少しだけ踏み込めませんか?左右、半歩ずつでも。
その分、剣の振りも速くできますよね?」
...やはり、そうだ。Lは私に呼びかけている。
『一緒に行こう』と。でも、何処に?
「あれ以上速く剣を振ったら、躱すのが。今日は真剣なのに、大丈夫?」
「少年は、本気で米盗人を斬るつもりです。手加減する訳がありません。」
「そう、だけど。左右半歩ずつなら、米俵まで丸々一歩近い所で『烈風』を。
剣筋を飛び越える時、米俵までの距離が近すぎて危ないと思う。」
「少年はそんな事に頓着しません。それに相手は神様。だから、大丈夫です。」
滞りなく神事は進み、私とLの出番も近い。
控えの間から客席が見える。ゆらゆらと客席を照らす篝火。
薄暗いけれど、確かに兄様と、Sさんの御顔も。
Lが大きく、深く息を吸った。ゆっくりと吐く。
「緊張しますね。」 「そうね。頑張らないと。」
「はい、打ち合わせ通り。思い切り、私を斬って下さい。」
私が、Lに斬りかかる。いや夜警の少年が、神様に。
そう。手加減など無く、本気で。
ふと、夜警を命じられた少年の気持ちを思う。
夜警に任命された少年は、自分の使命を果たす事だけを考えていただろう。
米盗人を斬り捨て、村人の命を繋ぐ米を守り、
自分の取り柄である剣の腕前を証明するために。
今夜私は、自分の取り柄を証明し、兄様の期待に応えられるだろうか。
自分の、取り柄。 深呼吸。 じわり、と神器の剣が重くなる。
稽古で使っていた木剣には鉛が仕込まれていて、
重さやバランスは、神器の剣と寸分の違いも無い筈なのに。
物心付いてからずっと、自信を持てるものは1つもなかった。
兄様達も姉様達も、本当に気を遣って、優しく接して下さったけれど。
その度に、自分が『出来損ない』なのだと思い知らされる日々。
厳しい修行に耐える兄様、姉様。でも私にはそんな行が課された事さえない。
そんな中、初めて褒められたのが「舞」。
やっと見つけた居場所、必死に稽古をした。
そして今年、12年に一度の大祭でLの対手を任された。
嬉しかったけれど、実際にLに会って、本当に驚いた。
『過激派』から救い出された、不幸な娘。そう聞いていた。
でも、違う。その身体に仕込まれた黒い呪いと正面から向き合って一歩も退かず、
何よりその舞と謡の才。正直これでは私のどんな努力も届かない、そう思った。
でも兄様は、『舞において、あの娘に比肩し得る者はお前だけ。』と。
背中の、温かな感触。Lの、右掌。
「さあ、出番です。」
頷いて深呼吸。 不思議な程スムーズに、最初の一歩を踏み出した。
舞台を右から左へ、左から右へ。独白が続く。
出来るだけ、場違いな程コミカルに。客席から聞こえる笑い声。
墨染めの衣に身を包み、大役に気負う少年の心を。 そして。
静かに米俵の前で胡座をかいた。 舞台の照明が更に暗くなる。
風が、吹いた気がした。 いや、本当に蝋燭が揺れて。
客席が、しん、と静まりかえった。
何時の間にか、白い衣が目の前に。立ち上がって剣を抜く。
客席のどよめき。 そう、この剣は神器。 今夜だけ授けられた、私の誇り。
白い人影を追い、問い詰める。 始めは軽妙な台詞のやりとり。
人影は面白がるかのように曖昧に答え、舞台狭しと逃げ回る。
しかし、次第に高まる緊張。 遂に人影を追い詰めた。
背後は積み上げられた米俵、逃げ場はない。 ゆっくりと、剣の切っ先を正面に。
人影は、Lは微笑んでいた。 その直後、胸の奥で何かが弾けた。
自分の頬にも、笑みが浮かんでいる。身体が、剣が軽い。まるで羽根のように。
怖い、怖くてたまらない。でも、今こそ踏み込もう、Lが待つ場所へ。
逃がさない、決して。
踏み込んで左からの袈裟懸け。そして。
一瞬の目眩。体勢を立て直し、薄闇に煌めく白刃を躱す。
右、そして左。 まるで風に舞う落ち葉のように身体が動く。
刃の向こうに少年の顔...いや、これは私の。何故?
激しい気合いと共に右下段からの刃。 速い。
また、ひとりでに笑みが浮かぶ。
右足に力をこめると、まるで嘘のように身体が浮いた。
左足を前、前後に揃えた両足。 足袋を通して伝わる、冷たい感触。
刃の向こう。 眼を大きく見開いた、自分の顔が見える。 どうして?
『吾はこの地の草木と稲を司る○△◆之命。かつて、其方の剣技に救われた。』
Lの声が、空気を震わせる。 稲の神様がその正体を。
この舞の最後を飾る、古から伝えられた謡。でも、今までこんな声は一度も。
私は、一体何を... !? まさか。
斬り上げた剣の上に立つ、L。 穏やかな、笑顔。
『吾が与えた恵みを護らんとする、その意気や良し。』
違う。これは、稽古してきた台詞ではない。目眩、吐き気を堪える。
直後、目の前に稲田が見えた。黄金の穂波を揺らす、爽やかな風。
『今、吾が立ちしは、其方と稲を、つまり一族と米を繋ぐ橋の上。』
そうか。それでこの剣の、神器の号は。
『一族の者の心に、この橋が架かる限り、吾も誓いを守ろうぞ。』
ああ、恐らくこれが、この舞の真の姿。 ここで、御礼の口上を。
それでLと私のお役目は...
突然、剣を握る右手から力が抜けて、気が、遠くなる。
嫌な、感触。 眼の前で、Lの身体が舞台に頽れ落ちるのが見えた。
神器は、この剣だけは何に代えても。 身体を丸める。左の肩に衝撃。
どこか遠くで、誰かの、叫ぶ声。
「頑張ったんですが...やっばり、分かりませんでした。」
『いや。全ては、あの晩に起こった通り。見事。
我と共に来い。お前達ほどの舞姫なら、あの御方のお側でも十分に。』
夢?
Lと、もう1人。 それは最初から稽古を見ていたという、視線の主?
『もし我と共に来るなら、おまえの身に仕込まれた黒い呪いも力を失う。』
「そうすれば、もう誰も、私のせいで苦しまなくて済むんですね?」
『そうだ。悪い話ではないだろう。』
眼の前に、俯いたLが立っている。
右足の足袋は紅く染まり、その前に蟠る、白い靄。
「でも、紫さんにはお兄さん、炎さんが。私、1人だけでも?」
『それも、良かろう。あの御方は』
「L、駄目!」 自分の大声に驚いた。
「SさんがどれだけLの事を。それなのに。お願い、絶対に行っちゃ駄目。」
ずっと、話し声が聞こえている。 聞き慣れた、懐かしい声。 夢の、続き?
「許してくれ。この神事を、紫が自立する切掛にして欲しかった。」
「あなたたちの事情は分かるし、指導していた私も気付かなかった。
だからあなたが、いいえ誰も責めを負う必要はない。勿論、Lも紫も。」
「しかし、その娘は。もし足の傷が。」
「理由は分からないけど、今のところ普通の切り傷と違いが無い。
紫も立派に自分の一歩を踏み出した。それで良いでしょ?
『終わり良ければ』よ。正直、少し悔しいけど。」
「もし対手が俺でなく紫だったなら、12年前のあの晩、
同じ事が起きて新たな契約が成されていただろう。つまり、俺の力不足。」
「舞において紫は俺を越えたが、今夜の事はその娘と紫の相性が生んだ奇跡。
未だ、その娘が単独でお前の舞を越えたとは言えない。」
「有り難う、と言った方が良いのかしらね...あ!L、あなた。また血が。」
「大丈夫です。」 「何言ってるの。その傷は。」
傷? Lは、足に怪我をしたの? そう言えばLは剣の上に、それから...
体に力が、戻ってくる。 眼を開けた。見覚えのある天井、舞台傍の控え室。
「紫!」 のぞき込む兄様の御顔。 Sさんと、Lも。
夢じゃ、なかった。ゆっくりと、上体を起こす。私の両手を包む、温かな感触。
「紫さん、良かった。」
綺麗な眼、屈託の無い笑顔。胸が、詰まる。L...
「御免、ね。私がもっとしっかりしていれば剣は、きっとその足の怪我も。
もしLの命に関わるなら、償いは必ず、私の命で。だから、許して頂戴。」
「傷は大したことありません。それに紫さんはとてもしっかりしてましたよ。
私を呼び止めてくれたのは紫さんでしょ?声が、聞こえました。」
「2人共に神懸かるなんて、私も炎も予測出来なかった。
紫の『烈風』は奥義の域に達していたし、Lの、『あの声』は...」
「そう、あれは間違いなく『◎韻×』。
俺にも、Sにも使いこなせない、遠い古の奥義。」
「炎、その術の名を口にしては」
Sさんの言葉に頓着せず、兄様はLの前で片膝を付いた。
「貴方の名はL。その名の由来を御存知か?」
「はい、私の母が。Sさんから聞いています。」
「正直、私は『現人神』を信じてはいなかった。しかし、間違っていたようだ。
兄姉皆が力を尽くし、引き出してやれなかった紫の才を、貴方は。」
床に片膝を着く姿が、涙で霞む。 兄様。
「どうか今後も、紫と親しくしてほしい。真の、友として。」
「あの、今も紫さんは大事な友達です。それに、一族でも忌み嫌う人の多い、
こんな私を普通に友達にしてくれたのは紫さんだけで。」
「私たちが造り出された経緯も承知の上で、既に望みは叶っていると?」
「はい。」
「それなら、約束を。私と紫は、何時か必ず、貴方の恩に報いる。
『その時』には、この命と引き替えにして助けると誓う。
貴方を、あるいは、貴方の所縁の者を。必ず。」
『舞姫②』了/『舞姫』完
本日投稿予定は1回、任務完了。
『舞姫』は完結、明日から次作『光と影』投稿予定です。