0801 大晦の宴
R4/6/06追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですので、とても嬉しく思います。
有り難うございました。
0801 『大晦の宴』
廃村の中に、新しいお社、御陰神さまの御寝所が完成した。
一連の祭礼も滞りなく進み、いよいよ御遷座の祭礼の日。
御陰神さまの依り代になった縁から、
お社に関わる全ての祭礼は姫が指揮を執っている。
時折、戸惑っている様子も見られたが、全体としては手際良く祭礼を進めていた。
祭礼の期間中、翠を抱きながら姫を見守っていたSさんは、満足そうだ。
「うん、一人前。Lも、もう大人ね。」 それから俺を見て、悪戯っぽく笑う。
「あの凛々しい姿。惚れ直したでしょ?」
「はい、それはもう。結い上げた髪も、首筋の線も、非の打ち所がありません。」
「...何だか、見るべき所がずれてるような気がするけど。
それより、もうそろそろ『良い』んじゃないの?あなた達。
相談なら、いつでもOKよ。」
「何もこんな所でそんな話を。第一、それはLさんの意志が最優先ですから。」
「ふうん、私、Lは『待ってる』と思うけど。」
「だ・か・ら、今その話は無しで。罰が当たったらどうするんです。」
「悪い事する訳でもないのに、罰が当たる筈ないでしょ。ね~。」
Sさんは翠の頬を指先で触った後、頬ずりをした。
初めてこの廃村に来た時、森は深い緑に包まれていた。
そして今、森を様々な色に染め上げた紅葉が、秋の深まりを知らせている。
俺がお屋敷で暮らし始めて3度目の冬が、静かに近付いて来ていた。
2つの新しいお社、俺はその管理を『上』から委託されている。
お社やその周辺の掃除、Sさんや姫の指導を受けながらの定期的な祭礼。
一族の末席に名を連ねる事になり、
以前にも増して、日々の仕事と修行に精を出していた。そして。
冷え込んだ日には時折雪がちらつくようになった12月中旬のある日。
Sさんと翠が姫の部屋で寝た晩、俺は1人自分の部屋で寝ていた。
(姫の部屋のベッドは大人2人でほぼ満員、翠でギリギリだ。
当然俺がはじき出される。これは結構寂しい。)
不思議な、夢を見た。
「久し振りだね。」
あの川で会った初老の男性、川の神様。
「はい、お久し振りです。
その節は私たちを助けて頂き、何とお礼を申し上げて良いか。」
「いや、御陰神さまをお諫めするのは私の役目。礼には及ばない。
むしろ、社を日々しっかり管理して貰い、こちらこそ感謝している。
今後とも宜しく。」
「はい、心を込めて務めさせて頂きます。」 男性は満足そうに眼を細めた。
「ときに、あの日君の使っていた釣り道具だが。」
「はい。」 俺の釣り道具?あの時のフライフイッシングに使った?
「あれは海、というか河口の釣り場でも使えるのかね?」
「使える事は使えますが、あの仕掛けで海の魚は心許ないです。」
「そうか、海の魚、例えば鱸を釣るのに良い道具はないかな?」
「スズキでしたらフライよりもルアー、疑似餌を使う方が良いと思います。」
「ルアー...では2種類の釣り道具をそれぞれ一式ずつ社に納めて貰いたい。
それと、酒。これは洋酒では無く日本酒を。」
「釣りを、なさるのですか?」
「うん、年末に旧友の招待を受けているのだが、
会うのは本当に久し振りなので、何か土産話をと思ってね。」
朝食の後のお茶の時間、その夢の話をするとSさんは微笑んだ。
「きちんとしたお社が出来たから、『外出』を御考えになっても不思議じゃ無い。
相応しい御品を納めて差し上げなさいな。絵馬みたいに、拝殿の壁に飾って。
あ、お酒も絶対に忘れちゃ駄目よ。」
翌日、俺は街の釣具屋に出掛け、フライとルアーの釣り具一式を買い揃えた。
俺のお気に入りのルアーと、プロが丁寧に巻き上げた美しいフライも追加。
日本酒は、以前父に教えてもらった銘柄。『ま○ろし』、相応しい名前だ。
拝殿の壁にディスプレイした釣り具を、
姫は『綺麗ですね』と言ってくれたので、間違いない選択だったのだろう。
しかし、最初に奉納されたのが絵馬とか灯籠でなく、釣り具って...
釣り好きの店主がやってる喫茶店や床屋じゃあるまいし、
いや、お酒も一緒だから、これで良いのか?
いよいよ大晦日。天気が良いので、気温の割に暖かく感じる。
御陰神さまのお社の掃除を済ませてから、川の神様のお社に向かった。
Sさんは車で翠と一緒に待っていて、俺と姫が掃除をする。
姫は本殿の周辺、俺は拝殿と参道の周辺、手分けをして作業を進めた。
いよいよ参道の掃除が終わるという時、拝殿の前に人影が見えた。
Sさんが様子を見に来たのだろうかと思ったが、違った。
「やあ、釣り具を納めてくれてありがとう。美しい釣り具だ、気に入ったよ。」
...川の神様だ。俺が納めた釣り具と日本酒を持っておられる。
「気に入って頂けて何よりです。」
「うん、それで、今日は折り入って頼みがある。」
「何でしょう?」
「この釣り具を試してみたのだが、どうも上手くいかなくてね。
ここは『餅は餅屋』で。実演は、やっぱり君に、任せようと思う。」
「何処で、実演をするんですか?」
「旧友の所だよ。招待してくれてる旧友の社の前に河口があるんだ。」
神様の旧友って、やっぱり神様ですよね。旧友の社って仰ったし。
「そこで釣りをしたら夢中になって帰れなくなるって事は?」
「大丈夫、細君との約束は守る。第一、君を帰さなかったら、
社の管理をする人がいなくなるだろう。そうなれば困るのは私だ。
それに君たちの時間ではほんの一瞬、何の問題も無い。」
神様相手に断るという選択肢があるのかどうか。
例えあったとしても、実際に断る勇気が俺には無かった。
「では、行こう。」 川の神様が俺に釣り具を手渡し、背を向けて歩き出した。
慌てて後を追う。鳥居をくぐった瞬間、目眩がして思わず眼を閉じた。
眼を開けると、大きなお社の参道に立っていた。
参道の脇には大きな花茣蓙が敷かれ、車座になった男達が酒盛りの真っ最中。
川の神様が人々に歩み寄る。少し離れて後を追う。
「△木野の主、招待、感謝する。」
「おお、○瀬の主。来てくれたか、随分久し振りだ。まあ、飲め。
おや、その美丈夫は?」
「我が社の祭主だ。釣りの技に秀いでているので、座興にと思い連れて来た。」
「Rと申します。お見知りおきを。」 慌てて俺も頭を下げた。
「ほう、釣りの技とな。それは面白い、明るい内に見せてもらおう。
皆の者、○瀬の主が釣りの上手を連れてきたとの事。河へ参るぞ!」
あの、あんまりハードル上げないで下さい。俺、一応人間なんで。
男達は立ち上がってぞろぞろと歩き出し、お社の前を流れる河に向かった。
酒と肴を捧げ持って、従者らしき人たちも続く。
河幅は広く、数百m下流はもう海。ここが、その、河口の釣り場か。
△木野の主様が振り向いて、俺が持っている釣り具を見つめた。
「疑似餌の釣りは見た事がある。毛針の釣りを見せてくれ。」 「はい。」
『実演』なら、見栄えが全て。
ティペットに極彩色のストリーマーを結ぶ。
小魚を模した大型のフライ、ピンクと青の羽毛に銀色のフラッシュが美しい。
男達は杯を傾けながら興味津々で俺を見ている。
「あれが毛針か?」 「何やらきらきら光って、バケに似てるな。」
ゆったりと、竿を前後に振りながらラインを繰り出していく。
男達が黙る。しん、と、静けさが辺りを満たした。
ラインが充分に出たところでキャスト、『おお!』というざわめき。
4回目のキャスト、フライを川縁に沿って流すとアタリがきた。
アワセを入れ、リールを巻いて魚を寄せる。40cm程の小さなスズキ。
あくまで『実演』。それに今日はナイフも持っていない。
丁寧にフライを外し、可愛いスズキを河へ戻した。
振り向いて片膝をつき、観客に向けて頭を下げた。
「お粗末様です。」
湧き上がる拍手と歓声の中、1人の男が歩み出た。拍手が止む。
「神職が西洋かぶれとは情けない。皆様方、釣りは道具ではなく腕、ですぞ。」
身長180cmを優に超える偉丈夫。右手に竹竿を持っている。
立ち姿が、堂に入っていた。これは相当な腕の持ち主だ。
川の神様がにっこりと笑う。
「やはり出てきたか、住吉○の主。見ての通り、この者は中々腕も立つぞ。」
「では是非、此処で勝負を。△木野の主、宜しいですかな?」
「面白い。益々宴が盛り上がる。異存ないな、○瀬の主?」
「もちろんだ。R、頼むぞ。」
ちょっと待って下さい。『実演』で『座興』、の筈ですよね?
「勝負となれば、どうか使い慣れた疑似餌を使わせて頂きたく。」
「構わん。仕掛けは任せる。」 △木野の主様は上機嫌で杯の酒を飲み干した。
ルアーの竿を継ぎながら、川の神様にそっと尋ねる。
「負けたら帰れないって事には、ならないですよね?」
「案ずるな。勝負事は酒の肴に最適。勝っても負けても問題ない。」
「太陽があの山に沈むまでを刻限とし、
それまでに釣り上げた魚で、勝負を決める。両名、それで良いな?」
「は。」 頭を下げつつ、横目で相手の釣り具を観察。
2m半程の竹竿。 釣り糸は太い、麻糸?
釣り針は貝殻か鹿の角の削り出し。多分エサ釣りだろう。
釣り針のサイズからして、エサは魚の切り身か、大きめのアオイソメ。
リールがないから遠投は出来ない。川縁近くを狙う釣り、か。
「では、始め!」 △木野の主様の御声が響いた。
男達がやんやと騒ぎながら杯を傾ける。すっかり出来上がった方々も多い。
案の定、相手は川縁近くに仕掛けを投げ込んだ。
川縁だけでは『大物』を期待できない。
手返しの早さ、『魚の数』で勝負する気だろう。
すぐに60cm位のスズキを釣り上げた。男達から歓声が上がる。
ゆっくりと川縁を歩き、慎重にポイントを探す。
何処かに澪筋、深みがあるはず。『大物』は、多分其処に居る。
初めての釣り場だ。この釣り場を知っている相手に対抗するなら、
相手の仕掛けの届かないポイントで『大物』を狙う他に勝算は無い。
相手は既に2~3尾を釣り上げている。
大柄な体に似合わず、身軽に岩場を飛び回り、
次々と新しいポイントを探っているようだ。
太陽は既に低く、山の稜線に近付いている。期限まで、多分あと20分位。
突然、俺の目の前で数尾の小魚が跳ねた。眼を凝らす。
十数m先で水の色が変わっている。深い、澪筋だ。
跳ねた魚は小さなボラのように見えた。
リーダーにミノー(小魚型のルアー)を結ぶ。鉄板の、マッチザベイト。
空を見た、小さな雲が太陽に向かって流れて行く。よし、あの雲を待とう。
「どうした客人、もう時が無いぞ。」 誰かが叫んだ。
振り向いて、胸に左手を当てて大袈裟に最敬礼。男達がざわめく。
一か八かの大芝居。まあ、酒宴での余興だし、派手な所作ほど受けるだろう。
雲が太陽を隠して、辺りが薄暗くなる。
好機。 ルアーをキャストし、澪筋に添って泳がせた。
澪筋から川縁へのかけ上がり、ふっ、と巻きが軽くなる。
掛からなかったが、この反応。やはり、何かいる。
焦る心を抑え、ゆっくりと数えて間を取った。
...98、99、100。よし、もう一度キャスト。リールを巻く。
同じ場所でガクン!と強烈なアタリ、思い切りアワセを入れる。
竿が満月にしなり、ドラグが効いてラインが出ていく。男達の歓声。
しっかり、リーダーシステムを組んである。スズキなら絶対、大丈夫。
「ほう、ああして竿をあおり魚を寄せるのか。」 「確か、ポンピング、とか。」
男達が好き勝手に話しながら俺を見ている。
数分のやりとりの後、魚が水面に浮いた。デカい、メーター近い大スズキ。
リーダーを掴み、スズキを抜き上げる。男達の大歓声。
「数と総重量では住吉○の主、大物では客人。見事な勝負だった。
私の独断で、この勝負引き分けとする。皆の者、それで良いな?」
男達が代わる代わる俺の肩を叩き、祝福の声を掛けてくれる。
「確かに、見事な技だ。」背中を叩かれた。太い腕、住吉○の主様だ。
「いや、こちらこそ素晴らしい釣りを見せて頂きました。」
「ルアーでの釣り、今度私も試してみるとしよう。」
男達はお社の参道の脇に戻って酒盛りを再開するようだ。辺りは既に薄暗い。
松明の明かりの中、川の神様が俺に向かって手招きをする。
「期待に違わぬ働き、私も鼻が高い。これを。」
なみなみと酒を注いだ杯。
「これを飲むと帰れない、とか、ありませんか?」
「もう信用してくれても良いんじゃないか?
ほら、ご覧。君が納めてくれた酒だ。此処のものではないから飲んでも大丈夫。
ただ、料理を食べるとまずい事になる。
料理を勧められる前に、これを飲んで早く帰りなさい。」
緊張していたので喉がカラカラだ。杯を受け取り、一気に飲み干した。
白ワインのような爽やかな香りが口から鼻に抜けてくる。く~っ。美味い。
「それでは失礼いたします。」 「ご苦労だった。」
「おや、客人はもうお帰りかな?そろそろ料理の準備も整うが。
鱸は美味いぞ。焼いても刺身でも。」 △木野の主様だ。
「明日の祀りに障りがあると困るので、先に帰らせる。」 川の神様が微笑む。
「うむ、それにしても見事な釣りの腕、眼福であった。
ところで客人は神職なのに、帯剣していないようだが。」
「未だ半人前にて。」 まあ、半人前にも届いてないと思うけど。
「ふむ。では、これを。今日の褒美だ。」
△木野の主様が腰の短剣を取って俺に差し出した。
「それは、あまりに恐れ多く。」
「R、断るのはむしろ失礼。頂きなさい。」
「は。」 膝をついて短剣を押し戴く。
「今日は楽しかったぞ。」 △木野の主様の笑顔は少しだけ、父に似ていた。
「Rさん。Rさん、どうしたんですか?」
姫の声? あれ? さっきまで...。
俺は川の神様のお社、参道に立っていた。夢、か?
「Rさん、それは?」 落ち葉を掃いていた竹箒が、足下に落ちている。
代わりに、俺の両手は長さ50cm程の短剣を握っていた。
「これ、本当に?」 短剣を持ち替えて、柄を右手で握った。
「駄目です!」 姫が慌てて俺の手を押さえる。
「え?」
「その剣を、理由無く抜いてはいけません。『収まり』がつきませんから。」
「抜いてはいけない?」
「はい。一体何処でその剣を?川の神様から頂いたのですか?」
「その神様が仰った通り、お社の管理をする時に帯剣すれば良いのよ。」
夕食後のコーヒーを飲みながらSさんが言った。
「『上』に報告する必要はありませんか?」
「勾玉と同じです。神様が持ち主を指定なされたのですから、
この剣をRさん以外の人が持てば障りが有ります。それも『祟り』級の障りが。」
「それにしても。」 Sさんが苦笑する。
「おとうしゃん、まぶちいでしゅね~。」 姫は翠を抱いて微笑んだ。
元旦の朝を、俺は1人、自分の部屋で迎える事になった。 まあ、無理も無い。
俺の全身を覆う夥しい『光塵』は、夜明け近くまで煌々と光り続け、
部屋中を明るく照らした。 大晦なのに、俺は一睡も出来なかった。
『大晦の宴』完
本日投稿予定は1回、任務完了。所用で外出しますので早めの投稿。
明日は次話の検討と準備のためお休みを頂きます。
代わりに別系統のお話を投稿、そちらもお楽しみ頂ければ幸いです。