0605 追憶(結)
R4/6/06追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですので、とても嬉しく思います。
有り難うございました。
0605 『追憶(結)』
その人の体を拭き清めて、新しい病衣を着せた。
これは私の、私だけの役目。
掛け布団を調え、額にキスをして、その手を握る。
何かの拍子に、その手は私の手を握り返すのだけれど、それは多分反射の一種。
この人が自ら望んだ事だから、その心を中有から呼び戻す手は無い。
魂から引き裂かれた心。
いいえ、魂との繋がりを無理矢理引き千切って、行ってしまった心。
Lも私も、全部置き去りにして。Lも私も、その心を繋ぎ止められなかった。
あの夜。
Kと自分の心が流した血に全身を染めて呆然と座っていた、この人の姿。
それを思い出す度に、どうしようもない無力感に苛まれる。
心がゆっくりと乾涸らびていくような、虚しさ。
私とLは、3人で重ねた幸せな時間は、この人に取って一体どんな意味を?
「ねえ、どうして?」
何度も何度も、口にした問い。もちろんその人は答えてくれない。
ずっと、考えている。 あれから、ずっと。
『私の事、愛してくれなくても、良い。一緒に来て、頂戴。お願い。』
『分かった。行くよ、一緒に。』
『馬鹿、ね。本気でそんな事、言うなんて。
ちゃんと、あの娘を守って、愛して、あげて。』
『Lの術を解いてくれ。』と、『そのためなら何でもする。』と。
誠心誠意。その願いを、あの人はKに伝えた。
Kはその願いを叶え、恐らくそれ故に、命を落とした。
瀕死の状態だと知れば、あの人がKに同情するのは当然。
とても、とても優しい人だから。
だけど、幾ら何でも、Kと一緒に行ってしまうなんて。
Lはどうなるの? 私には何の未練も無かったの?
Lに仕込まれた術を解いた途端に、裏切られても仕方が無い。
その可能性を、K自身が誰よりも分かってた。
だからこそあの時Kは『馬鹿、ね。』と。
そう、同情するふりをして、体良く断る事も出来たのに。
いくら約束したからって...待って、『約束』。
そう、そうだったの。私、馬鹿ね。
Kは敵だと、その考えに囚われて、思いが至らなかった。
相手が誰であろうと『約束』は守る。
だからこそ敵味方を越えて信頼され、愛される人。
そんな人だから、私とLは、そしてKは、この人を愛したのに。
この人が約束を守ったから、Kの深い憎しみと悲しみは消え、
その魂は『不幸の輪廻』に取り込まれずに済んだ。
もし約束を守らなかったら、
それは新たな、哀しい不幸を生み出す端緒になった筈。
計算も思惑も無い。私とLに対する時と全く同じ。
ただ心のまま正直に、真剣に。
それが、1つの魂を闇から救い上げる奇蹟を現出した。
最後にKが浮かべた、清らかで優しい笑顔。
あれは、この人を精一杯愛した女の子の、心からの誠実。
この人が教えてくれた。
例え敵であろうと、相手は私たちと同じ心を持つ人間。
そして今、この人がこの状態に留まっているのは、
私を、Lを、見捨てていない証。
この人を繋ぎ止めているのは『絆』、それは魂と魂の約束そのもの。
そうよね、私も約束したわ。『全力であなたを護る』って。
何時まででも、その約束は守る。貴方が帰ってくるまで、ずっと。
「ホントに良いんですか?Rさんのアパート解約するなんて。」
「あの人はあなたと、そして一族の恩人。
意識が戻ったら、ずっとお屋敷で暮らしてもらうの。
もう決してあの人を一人にはしない。それに...」
不意に込み上げる激しい感情。 駄目、Lの前では。何とか涙を堪えた。
「意識が戻るまでの間は、ただ荷物を置いてるだけだもの。不経済だわ。」
意識が戻らなくても...ううん、絶対に意識は戻るし、
それまで何年でも何十年でも、私とLがあの人の世話をする。
私の一生を捧げても足りない、きっとLも同じ気持ち。
だからもうアパートの部屋は要らない。
何時あの人の意識が戻っても良いように、準備を調えるだけ。
「それよりL。『聖域』へ行く仕度は出来たの?明日、朝ご飯の後に出発よ。」
「はい。電話で確認したんですけど、いつ此処に戻れるかは分からなくて。」
俯いた、寂しそうな表情。この娘も、必死で感情を抑えている。
「もしあの人の意識が戻ったらすぐに知らせる。安心して。
それより『後の手当』を済ませて置かないと、あの人と暮らす時に困る。
将来子供が産めないなんて事になったら大変だから。」
「...子供、って。」
「あら、大人になったらあの人のお嫁さんになるんでしょ?
それなら2人の間に生まれてくる子供のために、今から準備しないと。ね。」
「はい。何時か、必ず。」 そっとLの肩を抱き寄せた。
あ、居眠り、いつの間に? 既に陽は高い。
ベッドの様子を確かめる。 大丈夫、安らかな寝息。
信じて、この人の帰りを待つ。今日も、明日も、何時まででも。それだけ。
手を握り、唇にそっとキス。 温かい、命の温度。
...何だか喉が渇いた。そういえば、朝から何も。
「愛してる。少しだけ、待っててね。お茶、買ってくるから。」
地下の売店で、ペットボトルのお茶を買った。新聞は、パス。気分じゃ無い。
今日は一度お屋敷に戻って、お風呂に入って、着替えも沢山持って来なきゃ。
待ってるのがやつれて見栄えのしないお嫁さんじゃ、
帰ってくる気になれないもの。
解けた術の『後の手当』をしてもらうために、Lも『聖域』で頑張ってる。
私だって。
エレベーターの扉をくぐった。廊下を右に曲がって3番目の扉。
...部屋の中、微かな、気配。
不意にチャンネルが合ったような感覚。これは?
慌ててドアノブを回す。その人がベッドの中で上体を起こしていた。
「R君!」 手から滑り落ちたレジ袋が、病室の床を転がっていく。
視界がぼやけて、膝から力が抜けそうになる。
駄目、笑顔で『お帰りなさい』を言うって決めていたんだから。
きっとこの人はLの事を聞きたがる。しっかり話して上げるのが私の役目。
震える足に力を入れ、一歩踏み出した。
その人のベッドの傍ら、いつもの指定席に。
お帰りなさい、私、待ってたのよ。ずっと。
『追憶(結)』了/『追憶』完
本日投稿予定は2回、任務完了。『追憶』は完結です。
次話の検討と準備のため、明日はお休みを頂きます。