0603 追憶(下)①
R4/6/06追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですので、とても嬉しく思います。
有り難うございました。
0603 『追憶(下)①』
「もし、このまま2人の関係が進展してくれたら、とても有難いわ。」
夕食の後、深夜のリビング。 Lはとうに寝ている時間。
Lの前では話難いことも、今なら詳しい説明が出来る。
Lの心と体の事、この依頼をするまでの経緯。
本来この人を巻き込むのは筋違いだけれど、
『過激派』がこの人に直接危害を加える可能性は低い。
その説明に納得して貰えたら、私の負い目も少しは薄れると思っていた。
この人の、思いがけない言葉を聞くまでは。
「それならなおのこと、一応聞いて置きたいんですが。」
「この際だから何でも聞いて頂戴。」
「その人たちが、僕に直接の危害を加えないだろうという事は解りました。
でもSさん達にとって、確実に目的を達成したいのなら、むしろ僕を」
「やめなさい!」 自分でも驚く程の声で、その言葉を遮った。
...やっぱり。
あの時のLの姿と言葉が、否応なく甦る。
『あなたの術の全て、その的は私。』
この人は、Lに似てる。
他人との心の繋がりが弱いから? それとも『欠落』による自己肯定感の欠如?
どちらにしろ、2人の生への執着はあまりにも薄い。必死で引き留めても、
誰かの為という名分さえ有れば、きっとあっけなく彼岸へ逝ってしまう。
どうして? どうして分かってくれないの?
あなたたちを失ったら、立ち直れない程悲しむのは私だけじゃない。
第一、大義の名の下にあなたを殺したとして、それを知ったらLは?
私が、あの娘にそれを隠し通せるとでも?
胸騒ぎ。 絶対に、絶対にこの人を失いたくない。
この人を現世に繋ぎ止めるために必要なもの。
絆があれば...出来るだけ多く、出来るだけ強い、絆。
例えば心と心の、そして体と体の絆。
その絆を1つでも、少しでも早く、そのためには。
心を、決めた。
「今できる説明はこれでお終い。他に質問は?」 「いいえ、ありません。」
グラスに少し残っていたハイボールを一気に飲み干して、立ち上がる。
「じゃ、5分後に此処で。寝室に案内するわ。洗面所の場所は分かるでしょ。」
「はい。」 部屋に戻り、着替えて寝支度を済ませた。
目を閉じて、深呼吸。心を静めて、リビングに戻る。
大丈夫。急だけど、初めて会った時に、何となく予感は有った。
きっと『この人』だって。
「あの、此処は?」 「私の寝室、さっき言ったでしょ。」
「今夜は私と此処で寝て貰います。もちろん朝まで。」
「いや、だってそれは。」
左手の薬指を舐め、その指でその人の額に触れる。
御免ね。私も初めてだし、勿論あなたが大好きだけど、やっぱり怖い。
だから少しだけ、時間を頂戴。
その間あなたを抱き締めて、あなたが見ている夢を通して、
どうしたいのか、どうされたいのか、それが分かれば心の準備が出来る。
そしてきっと、体の準備も。
「でも、こんな事。Lさんに知られたら。」
思わず溜息。 ホント腹が立つ程、ストレートな物言い。
でもこれからは、私達の一族の倫理にも慣れて貰わないとね。
「今夜一緒に寝る事はあの娘にも話してあります。
何をするか詳しく話した訳じゃないけど。それに。」
この人の罪悪感が少しでも軽くなるように、悪戯っぽく笑顔を作る。
「私への『好き』より、あの娘への『好き』の方が大きい。
なら何も問題無いでしょ?」
「何故それを。」
その人の顔が一瞬で紅に染まった。 その問いには答えず、耳元で囁く。
「だから余計に羨ましいの。」
『私を見て、私の事も忘れないで。』
それが私の正直な気持ち。何処にも行かないで、ずっと私の傍にいて欲しい。
部屋の灯りを消して、その人を強く強く抱き締める。
とても嬉しくて幸せで、少しだけ悲しい。
でも、朝までは2人きり、それで充分。
痛...
何? 唇の、鈍い痛み。 そっと目を開ける。
背後から私の右肩を抱く、筋肉質の細い右腕。首の左下にも腕が。
これ、腕枕? 朧気な記憶、それとも、私はまだ夢の中?
ううん、夢じゃ無い。唇の他にも、全身に散らばる微かな痛みがその証拠。
ゆっくりと、でも確かに戻ってくる、愛しい記憶。
その右腕を浮かせて、そっと寝返りを打つ。やっぱり夢じゃない。
少し日焼けした可愛い顔。 安らかな寝息。
さらさらの黒い髪、長い睫毛。 紅を引いたように形の良い唇。
まるで、女の子みたい。
愛しさが込み上げて、唇を重ねる。もう歯が当たらないように、そっと。
「ん...」
折角の眠りを邪魔して御免ね、でも確かめたい。だからもう一度。
二度目のキスで、その人は目を開けた。ボンヤリと寝惚けた眼、可愛い。
「Sさん、どうして?これは、夢?」
ふふ、私と同じ。やっぱり今の幸せは、夢みたいよね。
「夢かどうか、確かめて。」
その人の右腕に力が篭もり、私を抱き寄せた。幸せを噛み締めて、目を閉じる。
ダイニングで朝食の準備を始めた時から、一番遠い椅子に小さな白い影。
300年も前から術者との契約を更新し続け、一族有数と称される式。
それがまるで拗ねた子供のように、ずっと背を向けている。
これはこれで見物なのだけれど。
「言いたい事があるなら今の内よ。もうすぐLを起こす時間だから。」
「今朝はL殿を起こす前にもう1人、起こさねばならぬ者がおりますな。」
「管、らしくないわね。一体何が不満なの?」
「合点がいかぬは当然。如何なる資質があろうと、何処の馬の骨とも知れぬ男。
炎殿との縁談を断ってあんな男を選んだとなれば、
○△姫の立場も危うくなりましょうに。」
「あの縁談は『上』から勧められたものじゃなかった。
第一、あの縁談にはあなたも反対だったじゃない。
今まで『誰とも結婚する気はない。』って、縁談を断ってきた跳ねっ返りが、
『結婚して子供も欲しい。』って気になってるのよ。
将来の術者が増える可能性があるなら『上』だって大喜び。
私の立場が悪くなるなんて有り得ない。それにね。」
未だ背を向けた沈黙は、話を聞いているというサイン。
「今までずっと一緒だったから、管が一番この縁を喜んでくれると思ってたの。
だから、ちょっと哀しいな。私が愛した人を『馬の骨』だなんて。」
控え目な、溜息が聞こえた。
「今後あの男には、○△姫の夫に相応しい言動を期待すると致しましょう。」
椅子の上の白い影は、溶けるように消えた。
今後の対応について作戦会議を開いたのは、その日の昼食後。
会議が一段落したタイミングで、その人は小さく右手を挙げた。
封が解け始め、封じられていた感覚が覚醒しつつあるのだから当然の事。
私とLの予想通り。
「もし失敗して、Lさんがアイツ等の手に落ちたら、
アイツ等はLさんを使って一体何をするつもりなんですか?」
Lの表情を確かめる。 大丈夫、Lに迷いの色は無い。
酷かも知れないけれど、今こそ、私たちがこの戦いに臨む覚悟を伝える時。
「それは私も予想できない。でも、ひとつだけ確かなのは、
『もし失敗しても絶対にLをアイツ等に渡してはならない』と言うこと。」
その人の顔面が蒼白に変わった。
そう、この戦いの重さを知れば誰だって心が揺れる。
でも、その覚悟に少しでも甘さがあれば、この戦いを勝ち残れない。だから。
「失敗が確実になったら、この手でLを殺す。それが、『上』から私への指示。」
両手で耳を覆ったその人の体が、ソファの上でゆっくりと傾く。
一体、何故?
「Rさん!」 Lがその人の体に縋り、手を握る。そして。
Lの体の下から小さな白い影が飛び出して、消えた。 管? どういう事?
呼びかけても管の反応はない。 突然、蘇る言葉。
『今後あの男には、○△姫の夫に相応しい言動を期待すると致しましょう。』
必要な覚悟の重さを目の当たりにして揺らいだ心を、
『相応しくない』と判断したら、管は? まさか。
「L、R君をお願い。私も出来るだけの手を打ってみる。」
「了解です。」 階段を駆け上り、部屋へ戻った。
引き出しから紙を取りだし、管の、真の名を書く。そして魔方陣。
部屋の床、中央に大きな白い影が浮かんだ。巨大な体躯の白狐。
「お呼びですか?わざわざ緊急の回線を使う程の事では」
「黙って!あなた、あの人に何をしたの?」
「さっきの話で、あの男の心が揺らぎました。」
「人間なら、それは当たり前だわ。」
「文字通り恋は盲目。○△姫様も例外ではないという事ですな。」
「どういう、こと?」
「あれが、『只の人間』だと?」 「...それは。」
「話を聞き、畏れをなして逃げ込もうとしたのですよ。自らの心の闇に。
あれ程の資質を持った者が闇に入り、
万が一にも敵の手に堕ちれば戦いの趨勢が変わる。
この戦いに敗れた時、○△姫様にはL殿とあの男を、
ともにその手で葬る覚悟が御有りか?」
確かに、作戦会議で確認した通り、
今後敵からの攻撃が激しくなるのは間違いない。
このお屋敷が探知されるのも恐らく時間の問題。
もしアイツ、Kの攻撃であの人の心が...
「あの男の心を『薄暮』に封じ、○△姫様の夫としての心構えを説きました。
もし相応の覚悟が出来たら勝手に出てくるでしょう。それが出来ぬのなら、
この戦いが終わるまであの男はそのままに。
むしろその方が、L殿の心も安寧かと。」
涙が、溢れた。管の言う通り、私は浮かれていたのかも知れない。
でも嫌、こんなの納得出来ない。
「管の馬鹿!あの人はそんなに弱くない。見てなさい、『薄暮』なんか直ぐに。」
「...貴方様にお仕えすると決めた事、我ながら誇りに思います。
本当に人とは、不思議な生き物。たかだか100年しか生きられぬ身で、
貴方様も、L殿も、そしてあの男も、何と鮮やかな輝きを。」
ノックの音? 我に返る。
「Sさん!Rさんが目を覚ましました。すぐに来て欲しいって。」
涙を拭うのも忘れてドアを開けた。廊下を走る。
あの人の待つ、リビングへ。
少し悔しいけれど、
3人の心が以前に増して1つに、強く纏まったのは管のお陰だろう。
その人はお屋敷で暮らし始め、3人の心の繋がりを深めながら、その日に備えた。
Lとその人、2人を何度も街に出すのはあまりに危険過ぎる。
だから、日用品や食品の買い出しは私の役目。 息詰まる、窮屈な日々。
三度の食事を一緒に食べる。それが、私たちの数少ない楽しみになった。
出来るだけ質の良い食材を使い、毎回の食事を工夫する。
驚いたのは、その人の料理の腕前。
飲食店でのバイトは、主に食器洗いだった筈なのに。
和食、特に魚を使った料理はそれこそ『玄人裸足』という他に言葉が無い。
綺麗な飴色に煮上がった鰤大根が食卓に並んだ時、私とLは唖然とした。
「こんな良い魚使えたら美味しくて当然ですよ。え?どうやって料理を?
...う~ん、父と釣りに行ったら、釣った魚を捌いて食べるのが当たり前で。
母の手伝いをして、夕食の食材の下拵えとかしてましたから。
全部、見よう見まねです。父と母が料理上手だって事ですかね。」
「もしかして、Rさんの実家は料亭ですか?」
「まさか。父は大学の講師で、母は専業主婦です。料亭なんて。」
言葉を交わしながら、その手は休まずに動き、
大皿にヒラメのお造りを盛り付けていく。
本当に、美味しそう。そしてその人は別に小さな皿を1つ用意した。
「これは管さんに。ええと、そう、陰膳。」 本当に、勘が良い人。
あれは昨夜の事。
「管、仕事よ。」 Lの誕生日まで、既に一ヶ月を切っている。
呼びかけて数秒後、ソファの上に小さな白い影。
「我は此処に。何なりと。」
「今日、『上』から要請が有ったの。対策班に協力して欲しいって。」
「炎殿の指揮下に入るのに異存は有りません。しかし、この屋敷の護りは。」
「管が加われば対策班の戦力は段違い。確かに屋敷の護りは手薄になるけど、
対策班がアイツ等を処理できれば、護り自体が必要なくなる。」
「御意。」
『過激派』に残った精鋭の術者達は、頻繁に移動を繰り返している。
探知には何度か成功したようだけれど、
どうしても対策班の対応がもう一歩間に合わないと聞いていた。
管を招聘すれば、探知からの対応速度が上がる。それが対策班の狙い。
陰膳に込めたその人の想いは届いているけれど、
私の判断が正しかったかどうかは判らない。
結局、対策班が手を下す前に、アイツ等はこのお屋敷を探知した。
最初の干渉があったのは、管を対策班へ派遣して数日後。
私はそれを、防ぐ事が出来なかった。
『追憶(下)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。