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0602 追憶(中)

R4/06/20 追記

此方にも「いいね」を頂きました。

自分でも気に入ってる作品なので、とても嬉しいです。

本当に有り難う御座いました。

0602 『追憶(中)』


「あ~、ウチは小さな店なんで出張修理はやってないんですよ。

その間、店を空けるわけにもいかないから。済みませんね。」


「そうですか、有り難う御座いました。」

引っ越してきたばかりだから、式を使っても掃除と荷物の整理に時間がかかる。

でも、昨日Lがこのお屋敷の倉庫で見つけた綺麗な自転車。

普段自分の希望を口にしない娘が、珍しく自分から言い出した願い。

だからどうしても、その願いを叶えてやりたい。タウンページをめくる。


出張修理をしてくれそうな自転車屋さんは3軒、同じ言い訳で断られた。

『どうしても』と、Lは倉庫の自転車にこだわるかしら。

確かにあのデザインなら、こだわるのも無理も無い。

こだわらないのなら、郊外のショッピングモールで新品を買った方が早い。

それなら別料金で配達を頼むことも出来る筈だけど。

諦めかけた時、ふと、ページの端の広告が目に留まった。


『何でも屋○○○ 家のリフォームからお子様の宿題まで お電話下さい』


此処に電話して駄目なら諦めるしかない。電話に出たのは中年の男性。

「自転車の修理なら心当たりがありますから、これから連絡してみます。

そうですね。夕方までには依頼を受けられるかどうか、分かると思いますよ。」


『夕方まで』って、今まだ11時よ。

いい加減な人では無いと思うけど、時間がかかり過ぎでしょ。

これじゃ心強いんだか頼りないんだか、判断に困る。


そろそろ荷物の片付けに一区切りつけて、お茶の時間。

そう思った途端、玄関の電話が鳴った。既に『上』との連絡は済んでいる。

間違いない、この電話は何でも屋さんから。


「あ、どうも~。Nです、何でも屋○○○の。

自転車に詳しい大学生のスタッフを呼び出したので、

自転車の状態とか、Sさんに直接お話をして頂こうかと思いまして。」

「有難う御座います。ではその方に。」 「はい、代わります。」

受話器を渡す気配。その瞬間、微かな胸騒ぎ。これは?


「はじめまして、Rといいます。早速ですが、自転車の状態を聞かせて下さい。

どんな不具合でしょうか?ブレーキとか変速とか、原因は分かりますか?」


電話越しに聞こえてきた、異様な声。

いいえ、耳触りは悪くない、むしろ聞きやすい位。

要領よく話を聞き出す手際からして、頭の良い子なのだろう。

でも、違う。これは、普通じゃない。

何かが、それもかなり大きなものが欠落している。

これ、本当に生身の人間の声?


修理の日時を決め電話を切った後も、その声が耳を離れない。

異様な響きを思い出す度に、胸が騒ぐ。

引っ越しの荷物は未だ片付いていないし、Lから目を離す訳にはいかない。

これは仕事じゃないのだし、今はこんな事考えている暇などないのに。


次の日曜日。 自転車の修理に訪ねてきたその子の姿を見て納得した。


五感以外の『力』に関わる感覚を、ほぼ完全に封じられている。

封の種類からして、封じた術者は私たちと同じ系統。

でも、こんな事例に類する情報を私は知らない。

ならそれは、『分家』に縁の術者。


しかし、よくもこれ程思い切ったやり方で。

これでは他人とのコミュニケーションにも影響が出る。

言葉はともかく心の繋がりが上手く築けないから、

周りからは影の薄い人間に見えるはず。

曰く『人畜無害』、曰く『昼行灯』。

折角の端正な容姿も、まともに認識されない。

それを承知で感覚を封じたとすれば...


優れた資質に基づいて発現する強い『力』が、

逆にこの子の成長に悪影響を及ぼすのを怖れたからに違いない。

それは理解出来る。不思議なのは、この子はもう十分に成長しているという事。

本来、この種の封は対象が成長するにつれて力を失っていく。

大学生ともなれば、術が解け初めていてもおかしくないのに。

今もまだ、この封の効力を維持しているのは、この子自身の無意識?


「変速ワイヤの交換と調整、ブレーキのワイヤも変えたほうが良いですね。」


我に返る。そう、今はまず自転車の修理。

「どのくらいかかりそうですか?」 「1時間もあれば。」

上の空だったから、言葉足らず。 だからこの子は時間を聞かれたと。

他愛ない行き違いが新鮮で、何だか愛しい。思わず笑顔が浮かぶ。

「いいえ、あの、部品の代金です。」 


「あ、聞いてませんか?うちは一件いくらで仕事受けますから。

基本、ワイヤみたいな消耗品は無料なんですよ。」

笑顔が眩しくて、ついその心を読む。

今まで何度も、それで嫌な思いをしてきたというのに。


『なんて綺麗な人』 『会えて嬉しい』 『もっと見詰めていたい』


流れ込んでくる熱い好意。私と関わりを持ち続けたいという、純粋な想い。

その無邪気さに驚いて、思わず鍵を掛けた。胸に響く早鐘、一体この感覚は?


「じゃ、普通の自転車屋さんに頼むよりお得なのね。」


何とか言葉を絞り出して踵を返す。たかが会話で、何故こんなに心が乱れるの?

それも今会ったばかりの、年下の男の子が相手なのに。


最初の電話以来、集中力を欠いているのは自覚してた。

だから今朝作った式は2体だけ。なのに、そのコントロールさえ上手く行かない。

1体は一度解いた荷物をまた荷造り。

もう1体は窓に張り付いて外を見ている。玄関の向こう、ウッドデッキの方向。

溜息をつき、柏手を打って術を解く。式は紙の人型に戻った。


荷物の整理を諦めて、丁寧に濃い麦茶を淹れる。

たっぷりの氷でキンキンに冷やし、

ショッピングモールで買ったクッキーを添えれば、見栄えはそこそこ。

でも、これを持って行って、あの子に何気なく勧める自信なんて無い。


「L、ちょっと来て。」 「はい。」 廊下を歩く、軽い足音。


大きなものが欠落していると言えば、この娘も同じ。いいえ、もっと深刻。

その体に仕込まれた黒い術は魂を蝕み、この娘の性的な成熟を阻害している。

もう私より背は高い。でも、私が殊更に女の子らしさを強調した服でなければ、

きっと華奢な男の子にしか見えない、細い体。


「今、自転車修理の人が来てるの。何でも屋さんの大学生。

だからこれ、麦茶とクッキー持って行ってあげて。ウッドデッキよ。」

「はい。」 Lは一旦自分の部屋に向かった。

戻ってきた時、その手に大きな麦藁帽子。

私の言葉で、それが男の子だと感知したのだろう。

目深にかぶった大きな麦藁帽子で顔を隠すつもりなのだ。

お盆を持ってゆっくりと歩く後ろ姿。 御免ね。私、狡い。


柱時計のチャイム。 私、今まで何を?

あれからもう30分近く経っているのに、Lの姿がない。

ぼ~っとしていて、時が過ぎるのに気付かなかった。

大事な時期なのに、なんて迂闊な。慌てて玄関を出る。

少し俯いてウッドデッキに座るLの姿。安堵。


私の姿を認めたLが駆け寄ってくる。 耳元の囁き。

凡そ感情を露わにする事の無かった娘の、小さな、そして嬉しそうな声。

「もう修理は終わっていて、今は私の体に合わせた調整をしてくれてるんです。

サドルとか、ハンドルの高さを。『元のままだときっと乗りにくいから』って。」

「そう。じゃ御礼、しなきゃね。」 左手で、そっとLの右頬に触れる。


歩きながら深呼吸、飛びっ切りの笑顔を作る。

鍵なんて掛けなくても大丈夫、あの子に悪意はないのだから。


「オプションの作業もして下さったのね。」 「あ、これも無料です。」

「一件いくらで仕事を受けてくれるから?」

「今後も何でも屋○○○を宜しくお願いしま~す。」

軽いやりとりを通して伝わってくる無邪気な、温かい想い。


『この人が好き』 『次の依頼があればまた会える』 『手の届かない人』


そして、この子の封は解け始めていた。 こんな短時間で?

私への想いが、この子の心のあり方を変えた。

それはこの子が心から私を好いてくれているという、何よりの証。

嬉しい、嬉しくて心の奥が震える。

でも駄目、応えられない。心に鍵を掛け、想いの通い路を閉じた。

後は代金を渡す時、あの子の手に触れて、私に関わる記憶を軽く封じるだけ。


一人きりの、深夜のリビング。グラスの氷が揺れる、涼しい音。

冷たいハイボールが、少しだけ心の熱を冷ましてくれる。

あれから半日、気持ちはかなり整理できた。

きっとこの感情が、『恋』。25年生きてきて、初めての感情。

私には恋なんて出来ないと、してはいけないと考えていた。


私を本当の妹のように大切にしてくれた『あの人』の、

あまりに純粋で真剣な恋愛を、間近で見てしまったから。

あんな風に人を愛する事なんて出来ない。

何よりも、私の手は既に人の血で汚れている。

強い『力』を持って生まれた天命に従い、術者として働き始めたのは12歳の時。


初めて人を殺したのは16歳になってすぐ。

非が有るのは相手だったし、殺さなければ私が殺されていた。

でもそれで、心の痛みが消える訳じゃない。

この手で人を殺した者が幸せになってはいけない、だから恋をしてはいけない。

そう考えていた。 ほんの半日前、今朝までは。


でも、その考えは間違っていた。

私の考えに関係なく、止めようもなく沸き上がる激しい感情が『恋』。

きっと5つは年下のあの子に会って、

二言三言言葉を交わしただけで、それが分かった。

荷物の整理を依頼すれば、もう一度あの子に会える。会いたい。

その想いを抑えるだけで精一杯。


今はLの事だけを考えてやらなければならない時期なのに。

このまま16歳の誕生日を迎えたら、Lは魂を失った抜け殻になってしまう。

そうなれば、Lの体を代として悪霊が憑依する前に、Lを処理する。

つまり、この手でLを殺す。

それが『上』との、そして当主様との約束。だから今はこの想いを凍らせる。

何も難しい事はない。 皆が言うように、私は『氷の姫君』なのだから。

しかし凍らせた想いはあっけなく、三ヶ月も経たない内に、融けた。


「私、もう一度あの人に会いたいです。自転車修理の...」


自分の気持ちを上手く言葉に出来なくて逡巡するLを根気強く励まして、促して。

ようやく聞き出した一言。頬を紅に染め、俯くL。


黙り込んでじっと外を見ていたり、急に饒舌になったり。

この所Lの様子が変化したのには気付いていた。

それがこの娘の想い、あの子への恋愛感情からきたものだったなんて。

自分自身の想いを凍らせていたから気付かなかったけれど、

これはLを救う絶好の、そして多分最後のチャンス。


例えば街でLとあの子が再会、

あの子もLに好意を持ってくれたらそれが恋愛感情に...

ううん、駄目。上手く行く保証が無いし、どれだけ時間がかかるか分からない。

時間をかけ過ぎれば過激派に探知される可能性が高くなり、

折角の転居が無意味になってしまう。


何よりあの子がLを拒絶したら、事態は間違いなく今より悪化する。

それならいっそ。 そっとLの肩を抱いた。


「私もあの子が大好き。だから、あなたの気持、良く分かる。

きっともう一度、あの子に会わせてあげるから、私に任せて。」

「本当に?でも、どうやって?」

「何でも屋さんに恋愛ごっこの相手を依頼するの。あの子を指名して。

そうね、出来れば今後半年間。その間あなたは何度でもあの子に会える。」


「恋愛ごっこ、ですか...」 途端に曇った、少し不満そうな表情。

「あなたがあの子を大好きでも、

あの子があなたを好きになってくれるかどうかは分からない。

もしあなたが失恋して、心の傷がこれ以上深くなったら、

あなたに掛けられた術を抑える方法は無い。それに、恋愛ごっこを続ける間に、

あの子があなたを好きになってくれたら、それは『ごっこ』じゃ無くなる。

だから、そうなるように、あなたも頑張って。応援するから。」


それはLだけでなく、私自身を説得するための言葉。

この計画が実現すれば、Lだけでなく私も、あの子に会える。

やっぱり、私、狡い。


「Sさんも、あの人が大好きなんですよね?」 「そうよ。」

「あの人もSさんが大好きです。会って直ぐに分かりました。

私の事が好きじゃなくても、Sさんが頼んでくれたら、

きっと引き受けてくれると思います。だから、お願い...」


俯いたLの横顔はとても可愛い。密かな胸の痛みを堪えてその肩を抱く。

恋をする娘は、こんなにも変わるもの?それなら私も、少しは。


毎日の恋愛ごっこ。メールのやりとりは、端で見ていても本当に微笑ましい。

Lの変化は眼を見張る程で、阻害されていた性的な成熟が少しずつ、

でも確かに進み始めたのを確信できた。

このまま2人の仲が進んでデートに出かけるようになれば、

私もあの子の顔を見ることが出来る。しかも、Lの状態を心配する必要はない。

少し前まで感じていた焼け付くような焦り、それは綺麗さっぱり影を潜めた。

Lの誕生日に向けて、このままの状態を保つ努力をすれば良い。

怖い程、順調。


Lが嬉しそうに、私の部屋に飛び込んで来たのは一週間ほど経った日の夜。


「Sさん、『明日、会って一緒にいたい。』って、Rさんが。さっきメールで。」

「そう。良かったわね。じゃあ返事して、直ぐに寝ないと寝坊するわよ。」

「あ、そうですね。大変。」


正直、少しだけ胸が痛いけれど、Lの喜ぶ顔を見るのは、素直に嬉しい。

だから、デートに使う車を管に護衛させるのも、

管を通して二人の様子を知るのも、もしもの場合に備えて二人を護るため。

それは疚しい気持ちからじゃない、そう、決して嫉妬なんかじゃない。


管の感覚を通して伝わってくる映像と会話。はるか遠い場所にいる、2人。


【『好き』には、色々な種類と大きさがあると思うんです。】

【それは解ります。】

【例えばある女性の心の中で一番大きな『好き』の相手が彼女の子供だとしても、

それを知った彼女の夫が落胆するとは思えません。】

【それも解ります。】

【それなら、今ここで僕の心を覗いても、貴方が悲しむ事はありません。】

【...Rさんの心の中で、一番大きな『好き』の相手が、私、だからですか?】

【そうです。今は、間違いなく貴方が一番好きです。】 


そう、分かっていた事。だけど、やっぱり少しだけ、胸が痛い。

『管、有り難う。こんなに大事にされてるなら大丈夫。後は護衛だけで良い。

ご苦労様。でも、もし何か妙な事が起きたら直ぐに知らせて。お願いね。』

『御意。』


違う。胸の痛みは嫉妬じゃ無い。ただ、羨ましいだけ。


あなたがが最初に好きになったのは私。忘れないで、私の事も見詰めて欲しい。

そう、それだけ。他に思う事なんて有る筈が無い。

だって今夜はあなたに会える。心を込めて夕食を作って、

三人一緒に食べるだけで充分だと、そう思っていた。


でも、これ以上あなたがLを好きになったら、

その心に宿る現代の倫理観が私を拒絶する。

そうなる前に、あなたの心に私の居場所を確保したい。

『一番』じゃ無くても良い、から。


きっちり一時間待ってLにメール。

『予定変更。宿泊の用意をして帰るように伝言して。』

少しでも長く引き留めて、その間にどうすれば良いかを考える。

今、私にはそれしか。


「追憶(中)」 了

こちらで2つめの評価・ブックマーク登録を頂きました。

正直、全く反応がないのも覚悟していましたので、驚き、大変嬉しく思います。

自分の事情でこちらに投稿させて頂いている状況ではありますが、

1人でも、2人でも、楽しんで下さる方がおられるのは、やはり励みになります。

本当に有り難うございました。

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