6307 言伝(下)③
投稿間隔が開いた分、少し字数が多くなりました。
次回完結、最期まで楽しんで頂ければ幸いです。
6307『言伝(下)③』
「...これを、本当に。私が書いたんですか。」
父さんは和紙を見詰めて、それから僕を見た。
Sさんの言葉が信じられなくて、だから僕に確かめたかったんだろう。
そして僕は、父さんの中の『呪い』がそれを書くのを、ずっとこの目で見ていた。
だから僕に出来るのは、父さんの問いに、ただ頷く事だけ。
「地図のように見えますが、読めない字が幾つも。
でも、何が書かれているかは分からない。それで良いんでしょうね。
書かれている内容を知ってしまったら、呪いと縁が切れなくなりそうです。」
「では、この書面。その内容を含め、始末は全て私共にお任せ下さると?」
「兎に角、呪いとの縁が切れるように。是非お願いします。」
「了解です。全て、此方で引き受けますので御安心を。」
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「そうか、R先生も陰陽師だったんだな。」
「うん、Sさんがそう言ってたし。でも、ホントに全然憶えてないんだね。
お祓いの時、お父さん...の中にいた呪いと話したのはR先生だったのに。」
「う~ん。何も見えなかったし、声も聞こえなかったからなぁ。」
その後お父さんは暫く黙っていたけど、家の近くまで戻って来た時。
「なあ希一、提案がある。」 「何?」
「今日、クリニックで対応してくれるのはクラスメイトのお父さん。
非常勤のカウンセラー、それは母さんも知ってるよな。」
「そうだね、憶えてると思う。」
翠さんに相談したのは火曜日。
その夜、3人で話をしたのは真次が寝た後。
母さんは心配そうに話を聞いていたから、忘れてない。絶対。
「だから今日、対応してくれたのはR先生だけ。
R先生は非常勤のカウンセラーで、でも本業は陰陽師。」
「え...でも、それならSさんは?」
「対応してくれたのはR先生、R先生だけだ。良いな。」
「Sさんの話はしないって事?どうして?」
「母さんは、父さんが心か脳の病気だと思ってる。多分。」
そうか、そうだね。
翠さんに相談したホントの理由、母さんは知らない。
不思議な力を持っている小学生なんて、絶対信じてもらえないし。
だからクリニックでカウンセラーに話を聞いてもらうって事にした訳で。
「だけど原因は父さんの中に潜んでた古い呪い。
クリニックには何故か陰陽師がいて、見事に呪いを祓ってくれた。
こんなの物語の中だけだ。説明がメチャクチャ難しいぞ。
母さんは、いや、普通の人は絶対に信じない。」
「でも、実際に体験したんだから信じるしかないでしょ。」
「母さんも、それを信じてくれるかって話さ。
そもそも陰陽師に御祓いを頼むなら、凄く高い筈なんだ。」
「高い、って?」
「父さんの会社な、正月に神社で祈祷をしてもらう時で3万円。
陰陽師に特別な御祓いをしてもらうなら、桁が1つ違うって聞いた事がある。
建設業とかで事故が続いて、陰陽師に御祓いを頼む時とか。」
桁が違うって、10万円? いや、30万円?
でも翠さんはそんなの言ってなかったし、僕の時も。
「それに、あの蝶。Sさんは間違いなく一流の陰陽師だ。
だけど実際に呪いを祓ったのがR先生だとしたら。
凄い陰陽師が二人、一体幾らかかるか。想像も出来ない。
なのに今日の料金は初診料と税込みで18150円。」
「確かに安いけど、やっぱり分からないよ。何でSさんの話をしないのか。」
「...希一なら母さんにどんな風に話す?Sさんの事。」
「女の人。すごく綺麗な人で、笑い方が翠さんに似てる。かな。」
「そうだな。実際あの人は、Sさんは恐ろしく綺麗な人だったし。
ただ、話せば母さんが納得する確率は低くなる。」
「何で?」
「病気を心配して送り出したのに、原因は呪い。
しかも、クリニックでは綺麗な女の人が呪いを祓ってくれました。
信じられないし、気分が悪いだろう。特に『綺麗な女の人』ってのが。」
『ああ、そう言うのは父さんと母さん二人で。僕には関係ないし。』
そう言いかけて、ふと思い出した。Sさんの言葉。
『内緒にしてね。』
『約束を守ってくれたら、きっと良い事が有る。』
それなら、父さんの提案に乗った方が良いのか。
確かにSさんの事を話して二人が揉めたら、何が起こるか分からない。
折角父さんの中にいた呪いを祓ってもらったのに。
「分かったよ。Sさんの事は内緒で。」
「協力、してくれるんだな?」 「うん。協力する。」
「良~し。じゃあ声に出してまとめるぞ。」 「声に出して?」
「原因は古い呪い!」 「・・・」
「何で黙ってるんだよ。ほら、復唱。原因は古い呪い!」
「げ、原因は、古い呪い。」 「もっと大きな声で!」
「原因は古い呪い!」
「それで良い、ドンドン行くぞ。R先生は陰陽師、呪いを祓ってくれた!」
「R先生は陰陽師、呪いを祓ってくれた。」
「良し、次。料金はお友達価格、今後の心配も無い!」
?! 何、これ...
何か変なテンションになってるよ。
そりゃ、呪いを祓ってもらって安心したのは分かるけどさ。
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◎さんと希一君、二人を送り出した後のカウンセリング室。
Sさんは『お出かけセット』の片付けをしている。
上機嫌、まるで鼻歌が聞こえてきそうだ。
それでも俺の気は晴れない。テーブルの上、和紙を見詰める。
和紙の右上に大きく、のびのびと描かれた山型。
添えられた『御山』の文字、その下にやや小さく『頂』。
『頂』から斜め左下、麓に伸びる細い線、これは登山道だろう。
逆に麓から頂へ登山道を辿れば、途中に『壱ノ峠』。
その右横に小さく『◎穿の小滝』。
そこから伸びる細い道の先に『地蔵尊』、『岩壁ノ洞』。
そして『洞内ニ蔽呪有リ』。
?『蔽呪』?
これらの文字は一体何を意味し、そして蔽しているのか。
優れた術者が、自らの命と引き換えに守った秘密とは。
不意に、左頬の冷たい感触。良い香りのする、細い指。
顔を上げると、Sさんが俺を見詰めていた。近い。
透き通った、黒い双眸。見詰められると胸が高鳴る。
思わず照れ隠しを。
「随分と御機嫌ですね。」
「それはそうよ。あなたのお陰で言伝の正体が分かったわ。
そして何より『あの人』の凄さが改めて理解出来たもの。
やっぱり、あなたは『言祝ぐ者』なのね。ホントに素敵。」
そしてSさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「それで? 今日の立役者が、今更何を思い悩んでるの。」
「...ええと、それは。」
Sさんの右手、人差し指が俺の唇を押さえる。
「当ててあげる。その地図の場所、隠されたモノが気になるんでしょ。」
「もし、届ける事が出来たら良いなと。ソレを受け取るべき人に。」
Sさんは俺の額にキスをした。
「あなたは何時もそう。
其処まで行くと、お人好しも血筋故の特質なのかしらね。
『あの人』にもそれが共通していると分かった。
術者としては甘々でも、『あの人』の強さに覆い隠されていた、優しさ。」
血筋故の特質...最近は意識する事の無かった、『分家』の?
「気が済むまでやれば良い。今、一族には最高の鑑定士がいるんだから。」
最高の鑑定士、そうか。
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鑑定依頼で訪れたのは◆◎商会、超能力調査室。
かわいらしい秘書さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、黙って待つ。
調査室のチーフ、橘君は真剣な表情。俺が持ち込んだ品を見詰めていた。
それは一枚の和紙、堂々とした文字と簡単な見取り図。
ただ、筆ペンで書かれたものだから骨董ではない。当然、美術品でもない。
それでも、問答無用で門前払いされるとは思っていなかった。
「これは、とても。とても興味深い品です。
おや、どうかしましたか? 何時にも増して悪そうな笑顔ですね。」
悪そうな笑顔って...いや、流石に見透かされてるよな。
「ま、興味を持ってくれるだろうとは思ってましたよ。期待通りと言うか。」
和紙をテーブルに置いて、橘君は小さく溜息をついた。
「2年前なら断っていたかも知れませんが...。
今は状況が違います、あのダイヤの件も有りましたし。
その意図を読めなくても、Rさん達の鑑定依頼には必ず意味が有る。
2年の間に僕も少しは成長したんですよ、術者の端くれとして。」
少しは成長した...
そもそも橘君と秘書さんは紫さんが見出した人材。
俺達との縁有った後に『泉の守護者』の祭主・巫女となり、
並行して術者としての修行も進めている。
「御二人の資質は抜群、そして修行の成果も目を見張る程。
やはり紫さんの目は確かだったと、一族中で話題なんですよ。
僕達も誇らしく思っているところです。」
「それは、どうも。光栄です。」
紫さんに想いを馳せたのか、橘君は遠い眼をした。
「それで、鑑定の結果は?」
「これは恐らく、自動書記で作成されたモノですね。
自動書記の存在は知っていましたが、実例を見たのは初めてです。」
...ああ、これだ。
橘君の『超能力』。Sさん曰く、それはサイコメトリーの一種。
モノの来歴、関わってきた人々の記憶を読み取る能力。
今回も一切の事前情報を伝えていない。むしろ橘君自身がそれを嫌う。
それなのに、この的確さ。言われてみれば、あれはまさに自動書記。
左腕。手首から肘を越えて、肩まで鳥肌が立つ。
「そう判断した根拠を聞かせて貰っても?
言語化出来る範囲で、勿論、秘密にしたい部分は伏せても構いません。」
「根拠、ですか。秘密という程の事も無いので説明しましょう。」
橘君は今まで見た中で一番優しい笑顔を浮かべた。
「まず1つ。コレが書かれた状況を読み取れません。
一体何のために書かれたのか、誰がどんな想いで書いたのか。」
「橘君でも読み取れない。そんな事が有るんですか?」
「勿論です。Rさん達も使いますよね、認識阻害の術は。」
「成る程、確かに。」
認識阻害、基本的な術は俺にも使える。
より高度な術なら、モノに認識阻害を付与する事も出来ると聞いた。
橘君にとって、そういう術は鬼門だろう。
同じような事態に遭遇した経験が有るのかも知れない。
「2つ。認識阻害が掛けられたのは、約400年前。」
...凄い、そして面白い。左肩から背中へ、鳥肌が広がっていく。
「認識阻害の術。まさか、術の状態を鑑定した?」
「精度は±50年程度。これは自信が有ります、なのに。」
橘君は左手の指先で、そっと和紙に触れた。
「良い和紙ですが、現代のものです。そして筆ペンの墨。
自動書記でも無ければ、こんな事はあり得ない。」
全身に広がった鳥肌を抑え込みながら、俺は小さく手を叩いた。
「素晴らしい。凄腕の鑑定士、いや名探偵と言うべきでしょうか。」
「鑑定士も探偵も、普通の人が感知出来る根拠に基づいて仕事をします。
僕のは『サトリ』の異能に頼るだけ、いわばチートに過ぎません。」
常人には感知できない根拠に基づく鑑定、それは確かにチートだ。
しかし。
「鑑定はチートだとしても、鑑定後の正当な『値付け』は違う。
だから時間の許す限り書庫で知識を深め、あらゆる相場に注意を配る。
覚の異能に頼らない、膨大な労力の積み重ねこそ、橘君の真骨頂。
だから鑑定を依頼したんです。そろそろ本題に入りましょうか。」
『言伝(下)③』了




