6302 言伝(中)①
本作投稿直後に『良いね』を頂きました、本当に有り難うございます。
御礼が遅れました事、お詫び致します。申し訳有りません。
6302 『言伝(中)①』
深夜のリビング。
微かな、Sさんの笑い声が空気に染みていく。
「依頼者は○×クリニックに来院って、殆ど丸投げじゃないの。
全く、あなたは翠に甘いんだから。」
「面目無い。以前の穏忍、かくれんぼの件では積極的だったので。
希一って子に少しは好意を持っているのかと思ってたんですけどね。」
「好意? ふ~ん、そんな風に考えてたんだ。」
白い指がハイボールのグラスを揺らす。
クリスタルガラスと氷が奏でる、澄んだ音色。
「まあ、翠は成長してると思うわよ。
Lのサポートを任されてから、ずっとテンションMAX。
以前の翠なら公園での面談からあなたに任せてた筈。
なのに自分でクラスメイトと面談して、それからあなたに繋いだんだから。」
確かに...今、翠には絶対的な最優先事項がある。
まあ、それを言っても仕方がない。
「ところで相談の内容なんですが。
依頼者達が一番気にしているのは記憶の欠落。
でも、妖や精霊と遭遇した事例では偶に有りますよね。
記憶の欠落、時間感覚の混乱も。」
「そうね。でも今回は心や脳の病気という可能性も残ってる。」
「それは今の所、考えてません。翠が面談して僕に繋いだんですから。」
場合によってはSさんや姫を上回る、翠の感覚。
怪異の影響を感知したからこそ、俺に繋いだ訳で。
つまり、怪異の介在を『前提条件』として対応すべきだろう。
「翠への全面的な信頼は理解出来る。それで、あなた自身の考えは?」
「部長さんは電話で依頼者を呼び出した、それが鍵かと。」
「電話の後、2人は会って話した。そう考えてる訳ね。どうして?」
「電話だけで記憶を弄ったのなら、部長さんはLさんと同じ適性。
それもかなり強力な術者だったという事です。流石にそれは無いでしょう。」
「しかも次の週、部長さんは急死してる。」 「はい。」
部長さん≠強力な術者、100%そう言い切る事は出来ないだろう。
しかし部長さん=強力な術者なら、その目的が全く分からない。
会って何を話したのか、依頼者の記憶を封じた理由も。
「もしかしたら、これ。言伝かも知れない。」
「ことづて...初耳ですが、妖の類いですか?」
「妖じゃなくて、術の一種。いいえ、呪いと言った方が良いかも。」
Sさんの歯切れが悪い。経験上、良くない兆候だ。
黙って、Sさんが言葉を継ぐのを待つ。
「聞いたら死ぬ怪談、知ってる?」
「勿論知ってます。でも都市伝説、というか笑い話ですよね。
『あんな怖ろしい話は誰も聞いた事が無い』ってオチの。」
そう、例えば『●の首』。
それを元ネタにしたスピンオフ(?)の怪談をネットで見た事も有る。
「実在するの...ホントは『聞いたら死ぬ』んじゃ無くて、
『聞いた内容を誰かに話したら死ぬ』んだけど。」
背中が冷たくなって、全身に鳥肌が立つ。
部長さんは依頼者を電話で呼び出し、次の週に急死した。
もしかして、それは『聞いた内容を依頼者に話した』から?
「人から人へ伝わる呪い、伝えた人は死ぬ...狗神に、似てますね。」
あれは数年前。その身に狗神を封じ続ける術者、狗神使い。
狗神の力を行使する代償として、術者の身体はどんどん蝕まれていく。
そして術者の命が尽きる直前、狗神は術者の血縁に移動するという。
「確かに似てるけど、狗神は『呪い』じゃない。
対して言伝は特定の相手に伝えたい内容を託した『呪い』そのもの。
その存在が殆ど知られていない理由は幾つか有るけど...
例えば、二人きりの会話で伝わる事。
更に、新しい宿主が会話自体を忘れてしまう事。」
似てる。いや、今回の依頼者と全く同じ状況と言っても良い。
「それに宿主の負担。この呪いを宿しても、宿主への悪影響は極く僅か。
むしろ呪いの加護を受けて、ある程度は事故や病気を免れると考えられる。
どちらも、特定の相手に出逢うまで伝える内容を保持するため。
この点だけでも、狗神と言伝の違いは明らか。」
宿主を護るのは伝えたい内容を保持するため、それは理解出来る。
しかし、いくら加護を受けても人の命はいつか必ず尽きる。
それなら『聞いた内容を話したら死ぬ』というよりも。
「もしかして、宿主の寿命が近付くと呪いが移動するんですか?
宿主に残っている生命力を消費し、言葉を媒介にして。」
「御名答、今夜も冴えてる。
一族の記録に、その存在が初めて記載されたのは天正13年。
西暦では1585年ね、ざっと約400年前の記録。」
一族の歴史は1000年以上と聞いているから、
500年以上も存在が確認されなかった事になる。
しかし、『言伝』の特性を考えれば...それも当然か。
「その記録には『言伝』を確認した経緯が記されている、と。」
「家督を譲って隠居した武将の前に、一羽のカラスが現れた。それが発端。」
「カラス、ですか?」
「そう。武将が小姓と庭の桜を眺めていると、桜の枝にカラスが止まった。
訝しむ武将達を前に、そのカラスは明確な人語を発する。」
カラスの声真似能力は九官鳥に匹敵する。それは間違い無い、しかし。
「驚く武将達に、カラスは更なる言葉を継いだ。
それを聞いた武将は突然倒れて苦しみ、夜になる前に事切れた。」
「カラスが発した言葉と武将の死に因果関係は?」
「小姓は錯乱していたからカラスが発した言葉の記憶は曖昧。
ただ決定的だったのは、苦しむ武将が死ぬまで繰り返した譫言ね。
小姓の記憶も鮮明、それは武将が召し抱えていた術者の名前だったから。」
死ぬまで、譫言のよう繰り返した...
カラスの発した人語が、その名前を想起させたのか。
或いはカラスが『名乗った』のか。
どちらにしても、それは呪殺としか考えられない状況だ。
「世が戦国から太平に向かう情勢。
その武将は陣営の内情を知る術者が邪魔になったんでしょうね。
そうだとしたら、術者が警戒され疎まれるのは自然な流れ。
だから武将は術者を謀殺した、流石に具体的な手段までは分からない。」
Sさんは自虐的な笑みを浮かべた。
そう、これこそ。一族が『時の権力』に寄り添わない理由。
権力を維持するためなら、権力者は平然と同志を裏切る。そうなれば。
どれだけ優れた術者でも一筋の刀を、一発の銃弾を防げない事態が起こり得る。
「そして謀殺された術者はカラスを飼っていた、どれも状況証拠だけどね。」
有力な術者なら、遠く離れた場所からの呪殺も可能と聞いた。
ただ、確実な『標識』が必要になるらしい。例えば対象の髪の毛、着物など。
その『標識』さえ有れば...多分数十km、いや数百km離れていても。
「それなら、遠隔操作の呪殺って事も...有り得ますよね。」
「武将が死んだのが、術者が謀殺されてから四十数年後だったとしても?」
「いや、それは。流石に。」
有り得ない。
カラスの寿命、飼育下でも20年を超えるのは稀だと聞いた。
それなら野生のカラスの寿命は精々が十数年だろう。
40年余の年月を越えるためには、3世代以上が必要になる。
「人語を扱えれば、人でなくともキャリアに出来る。
それだけでも常識の遥か彼方、なのに。」
「そう。だからこの事例をもとに、『上』は認識を改めた。
言葉を介して、時を越える呪殺の存在。仮に『言伝』の名称を定めて。」
仮に? それは、つまり。
「武将の裏切りに備えて、予め呪いを仕込んでいた可能性が?」
「素敵。あなた、ホントに冴えてる。」
いや、術者が保身を考えても不思議じゃ無い状況だし。
「キャリアを乗り換えて時を越える呪いなど有り得ない。
カラスの言葉は予め仕込まれていた呪殺のトリガー。
そういう意見が有力だったみたいね。2件目の実例が確認されるまでは。」
「2件目の実例...たった2件目で、何が。」
「そう、たった2件目。でも、それ程に特別な実例だったの。」
「特、別?」
「最初に記載された事例から、ざっと400年後。
その場に立ち会って、記録を『上』に提出したのは私自身。だから。」
「その場に立ち会った...Sさんが?」
「そう。そして言伝を祓ったのは『あの人』。」
思わず息を呑み、心臓の鼓動が激しくなる。
Sさんが『あの人』と呼ぶ存在は、一人だけ。
それは、姫の母親。
遠い記憶を辿るように、Sさんは眼を閉じた。
静かに時間が過ぎていく。
...十数秒、いや数十秒か。そして。
『言伝(中)①』了
最後までお付き合い頂ければ幸いです。




