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0406 入学式と卒業式(下)②

R4/06/20 追記

此方にも「いいね」を頂きました。

読んで下さっている方々からの反応は、

投稿をする上で、何よりの励みになります。

本当に有り難う御座いました。

0406『入学式と卒業式(下)②』


翌日、5月3日の午前10時。


○本明美さんの卒業式が、高校の体育館で挙行された。

生徒席には彼女の父親と姫。

来賓席には高校を運営する法人の理事など12人。

もちろんあの老人も、来賓席の1列目に座っている。

少し離れた場所で、俺とSさんは小さな机に設えた祭壇を守っていた。

祭壇には大きな二枚貝の貝殻と、小さな白い袋が安置されている。


卒業式は、司会を兼ねる教頭先生の開式の言葉で始まった。


「本日、○本明美さんの名誉を回復し、彼女の卒業を認定できますことは、

彼女の御家族だけでなく本校にとっても、誠に喜ばしい事であります。

それでは、卒業式の開式を宣言致します。」

続いて校長先生が登壇し、卒業認定が行われる。

教頭先生の声に続いて○本氏が起立した。


「○本明美さんが本校の全課程を修了した事を確認し、卒業を認定します。」

参列者全員が大きな拍手を贈る。俺とSさんも一生懸命拍手した。


「続いて卒業証書授与、卒業生代理の方は壇上にお上がり下さい。」


○本氏が立ち上がり、舞台に向かって歩き出す。

「もう良いわね。」

Sさんは祭壇に安置された袋の中から人型を取り出し、大きな貝殻の中に入れた。

右手をかざすと人型が燃え上がる、『御焚き上げ』だ。


「これで良し。」Sさんは満足そうに呟いた。


舞台に視線を戻すと、○本氏が校長先生の前に立った所だった。そして。

○本氏と並んで、女生徒が1人、舞台に立っている。

その後ろ姿はセーラー服ではなく、

白いシャツにチェックのスカート、紺のブレザー。

姫と同じ、この高校の現在の制服。

新しい制服にポニーテールが良く似合っている。


「○本明美、本校の普通科を卒業した事を認め、証書を授与してこれを証する。

平成△年5月3日、卒業台帳番号第×038×号。おめでとうございます。」


○本氏は一礼して卒業証書を受け取り、堪えきれなくなったのだろう。

崩れ落ちるように、舞台の床で両膝をついた。


「...明美、済まない。私は、私はお前を...」

会場は静まりかえり、○本氏のすすり泣く声だけが響く。

もらい泣きをする参列者も多かった。

泣き続ける○本氏の傍らで、あの子が気遣うように父親の肩に手を添えている。

俺自身も涙が溢れるのを我慢できなかった。


「セーラー服じゃなくて残念だったわね。」

「いや、むしろセーラー服じゃなくて良かったですよ。」

「何故?」 Sさんの目も赤く潤んでいた。

「だって、新しい制服は、彼女が旅立つ覚悟を決めた事の証ですよね?」

「...私、あなたを好きになって、本当に、良かった。」


Sさんは俺の涙をハンカチでそっと拭いてくれた。

もう一度舞台に視線を戻した時、既に彼女の姿は無かった。


短い卒業式は無事に終了。

既に○本氏は落ち着いていて、俺達に丁寧な言葉をかけてくれた。


「本当に何とお礼を言って良いか分かりません。こんな立派な式を開いて頂いて、

その上、娘を正式な卒業生として認定して頂けるなんて、今でも信じられません。

本当にありがとうございました。」

「さっき、お父さんが卒業証書を受け取られた時、明美さんも一緒でしたよ。」

にっこり笑う姫の言葉に○本氏は大きく頷いた。


「やはりそうでしたか。何だかそんな気がしていたんです。

泣いている途中で、何故かとても暖かい気持ちになりましたから。

それで娘は、娘は笑っていましたか?」

「はい、笑っていました。明美さんはもう旅立ちましたが、

最後までお父さんを心配していました。そして『宜しく伝えて欲しい』と。」

「そうですか。」 ○本氏は静かに涙を拭った。


Sさんが○本氏の前に進み出て、軽く一礼。

「どうしても気になると思いますのでお話ししておきます。」 「はい。」

「私たちの調査で、犯人は既に判明しています。ある団体の構成員でした。

『でした』と言ったのは、犯人が既に死亡している事を確認したからです。

法で裁かれた訳ではありませんが、自らの悪行の報いを受けた訳です。

この件の調査はこれで終了、刑事事件とはしない方向で如何でしょうか?」


「本当に、犯人は死んだのですね。」 「はい、信頼できる確実な情報です。」


正確には『死んだも同然』で、『死ぬより辛い状態』だが、

直接手を下した本人が言うのだから、確かにこれ以上確実な情報は無い。

『犯人達』ではなく『犯人』と言ったのもSさんの心遣いだろう。

本当に、優しい人。


「それなら結構です。死人を恨むより、娘の冥福を祈りたいと思います。」

Sさんの眼が一瞬鋭く光ったが、すぐに穏やかな表情に戻った。

「立派な心掛けです。それでこそ明美さんも安心できると思います。そして。」

Sさんは祭壇の下に置いてあった布袋の中から、分厚い紙包みを取り出した。

「犯人が所属していた団体から、これを預かってきました。

この件を刑事事件にはしないと確認が取れましたから、お渡しします。

示談金、または慰謝料にあたるものです。どうぞお受け取り下さい。」


○本氏は暫く考えて、首を振った。

「もし、明美が私に相談してくれていたとしても、

私はあの娘を慰めるだけで、結局は泣き寝入りするしかなかったと思います。

だからそれを私が受け取る道理はありません。

それより、この件に関わる調査には大変なご苦労がお有りだった筈ですが、

私はそれに見合うお礼を用意することができません。

今回のあなた方のご苦労へのお礼として、

どうかそれはあなた方がお納め下さい。」


「明美さんの為に役立てた方が良いのではありませんか?」

「いいえ。今更どれだけお金を使っても、明美は喜ばないでしょう。」


○本氏は少しためらってから、意を決したように言った。

「実は私、この式が終わったら娘の所へ行くつもりでした。」

「娘さんを守ってあげられなかった、信じてあげられなかった。

あなたはそう考えて、その償いをするつもりだったんですね。」

「はい、でも先程、式の途中で娘の温かい気配を感じて、考え直しました。

少しは蓄えもありますし、娘の事を想いながら、余生を過ごすつもりです。」


Sさんは深く息を吸った後、ゆっくりと眼を閉じた。


ひろさん、明美は私に任せて頂戴、もう大丈夫。

そして私と明美のためにも、広さんは頑張って生きて。お願い。」


「裕美...」

○本氏の目に涙が溢れる。 Sさんがゆっくりと眼を開けた。

「奥様の声、聞こえましたか?」

「はい、確かに。確かに裕美、妻の声が。私に、『生きて』と。」

「生きている者には、亡くなった家族を供養する義務があります。

それを決して、忘れないで下さい。」

「肝に、命じます。」


泣き止むのには少し時間がかかったが、

○本氏は晴れ晴れとした顔で高校を後にした。

結局、彼は『示談金』を受け取らなかった。


「あれも、声色なんですか?」

声色だとしたら、何故、Sさんは『広さん』という呼び方を知っていたのか?

「我ながら良い出来だったな、神懸かりって言っても良い位。」

「本当に良く似ていたのでびっくりしました。」 姫が微笑む。


ああ、そうだったのか。Sさんは○本氏の意識を。

「そう、式の間中、彼はずっと奥さんと娘さんの記憶に浸ってた。

きっと娘さんも奥さんも、彼にとってかけがえの無い素敵な女性だったのね。」


え? 今、俺喋ってない。


「彼が自殺を考えている事も分かってた。こういう事例では良くある事。

そんな人は一度思い直しても、何かのきっかけで再び自殺願望に囚われる。」


「だから娘さんだけでなく、奥さんも彼が生きる事を望んでいると。」

「これくらいの方便を咎める神様はいない。少なくとも私たちの一族には。」


「じゃ、あとは最後に残った大切なお仕事ですね。」 姫が歩き出した。


『最後に残った大切なお仕事』って、これで全て終了では無いのか?

「どんな事情があったとしても、一度宿った命を軽んじてはいけない。

あの子の記憶を封じ、その魂をこの学校に縛り付けていた、もう1つの理由。」


Sさんの言葉が俺の胸を貫く。そうだ、この事件の犠牲者は2人。


Sさんからの要請に応じて、高校は式の関係者以外立ち入り禁止。

式の関係者も速やかに退出することになっている。

あの老人が最後の施錠を担当するが、それ以外、校内に人影はない。


体育館を出て、姫とSさんが歩みを止めたのは中庭の端。花壇の前。

そこは、屋上のあの場所の真下。 おそらく彼女の遺体が発見された場所。

Sさんは花壇の端にあの貝殻を置き、

ハンドバッグから白い小さな袋を取り出した。

綺麗な模様の刺繍と口を縛る赤い糸、あの袋と同じだ。


Sさんは赤い糸を解き、中から取り出した小さめの人型を貝殻の中に置いた。

そうか、あの時、Sさんが屋上で取り出した人型は大小2枚あったんだ。


でも何故、Sさんは校長室で話を聞く前に、2枚の人型を準備出来たんだろう?


「女子高生が、『自宅じゃなく高校で』自殺した。

こういう事例で家に帰れない理由って、大抵の場合、望まない妊娠だもの。

とても、とても悲しいけど、真面目な女の子ほど、そうだわ。」


...また、俺が喋る前に。


Sさんが左手を胸に当てて眼を閉じる。

深く息を吸い、ゆっくりと右掌を地面に向けた。

澄んだ声で、歌うように、古い言葉を紡いでいく。意味はよく分からない。

でも、それはおそらく、生まれる事のできなかった小さな命を慰め、

その怒りと憎しみを鎮めようとする言葉。


姫が人型に向かって一礼。

ブレザーの内ポケットから水色のハンカチを取り出した。

両手でハンカチを額の高さに捧げ持ち、目を閉じて何事か呟く。


その間も、Sさんの言葉は続いている。


姫はハンカチを広げ、貝殻の中の人型をふわりと覆った。

ハンカチの端の『○本』の刺繍。これは、あの日○本氏の自宅で。そうか...

あのハンカチで胎内を、小さな命を守るゆりかごを模しているのだろう。

自分で自分の感情を制御できない。涙で視界が歪む。

もう一度、今度は幸せに生まれてきて欲しい。心からそう思った。


やがて、Sさんが眼を開け、左手を胸に当てたまま右手を貝殻の上へ。

ハンカチと人型が燃え上がり、信じられない程大きな炎が上がる。

思わずSさんを抱き寄せて庇った。何だ、今の炎は?

「ありがと、私は大丈夫よ。」 辺りに漂う微かな煙の匂い。

姫が微笑む。「もう、これで、本当に全部済みましたね。」

「こんな哀しい事件、世の中から全部無くなれば良いのに。」

そう言ってからSさんは大きく伸びをした。


「ん~。ねぇL、お腹空いたんじゃない?」 「はい、もうペコペコです。」

「じゃ帰りに何処かで美味しいもの食べて、それから荷物持って出かけましょ。」

「あの、何処に出かけるんですか?」 姫も呆れたようにSさんを見ている。

「あれ、言ってなかったっけ?山奥のね、温泉宿を予約してあるの。良い所よ。

あ、確か近くに釣り場も有ったわ。『ヤマゴ』が釣れるんだって。」


...え~っと、それは多分『ヤマメ』か『アマゴ』ですね。


「結構な臨時収入もあったし、少し疲れたから皆で温泉、良いでしょ?」

「あのお金、貰っちゃって良いんですか?」 姫は心配そうだ。

「○本氏は『お納め下さい』って言ってたし...

でも半分くらいは、彼の口座に振り込んで置いたら夢見が良いかもね。

振込人名義は『○本明美』にして。

それで本当にこの件は全部終了。それでどう?」


「賛成です。」 「僕も賛成です。」

「ならこれで一件落着。昼ご飯は何が良い?」


『入学式と卒業式(下)②』了


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