5301 隘路(上)
再入院を経て、16日に退院。久し振りの投稿が出来て嬉しいです。
ただ、体力の問題で短めの投稿になりました。
以前は3000字を目安にしていたのですが、それはとても無理。
暫くは少しずつ、無理の無い範囲で投稿を続けたい。
それを御承知の上、楽しんで下さる方がおられるなら、望外の喜びです。
5301 『隘路(上)』
「・・・・・」 「ああ、それって・・・・さん、だっけ。」
微かに聞こえる声。
それらの声に反応して、凝集する意識。
旋風に吹き集められた落ち葉で、小さな山が出来るように。
ああ、そうか。誰かが、僕の名前を呼んでいる。
「タケノブさんって、誰?」
「この大学の『出る』って噂、聞いた事ない?」
「『出る』って...幽霊?」
「結構有名らしいよ。若い男で、古い詰め襟の制服着てるって。」
「え~?私は今風の私服着てるって聞いたけど。」
学食の一角に陣取った学生達。男女入り交じって、十数名?
気合いの入った服の学生が多いから...多分、今年の新入生。
授業開始から2週間、そろそろ緊張も解ける頃。
同じ学部の仲間で飲み会の計画でもしているんだろう。
何人かの学生は、それぞれ気になる相手の表情を伺っている。
大方、僕の話題を出したのも、気になる相手の気を引くためだろう。
こういうのは慣れているし、特に不愉快な気分にはならない
もう50年以上、出汁に使われてきたんだから。
それより、これは好機かも知れない。
興味深い人間模様が見られるのは、『出会い』と『別れ』の時期。
つまり、『入学直後』と『卒業間近』の学生達は観察対象として申し分ない。
出汁に使われた分、収穫が有る事を期待しよう。
気配を殺したまま、学生達の会話に耳を傾けた。
「橋本、それ『学校の怪談』みたいな話だろ。
古い大学なんだから、そんな話の1つや2つ有ってもおかしくないさ。」
お洒落な服装に似合わず、正論を吐いた男子学生。
徹底した合理主義者、それとも極度の怖がりのどちらか。
「鈴木君の言う通りだよ。そういう話って伝聞ばっかりだし。
出所を辿っていっても、結局、実際に見た人には絶対辿り着けないって言う。」
女子学生は言葉を切り、『正論君』に視線を流した。
少し派手な服装、この女子学生は鈴木という学生に気が有りそうだ。
「う~ん。『絶対辿り着けない』ってのは、違うかな。」
「じゃあ...高木君、見たの?」
『派手子』の声が、微かに震えている。
「いや、見たのは祖母。この大学の卒業生。
タケノブさんに会ったのは入学式。卒業するまで付き合いが有ったって。
家に遊びに行く度、話を聞かせてくれたんだ。」
すうっと、場が静まる。まさかの関係者出現となれば無理も無い。
しかし。
「高木...お祖母さん、幾つだよ。
タケノブさんって、そんな昔からこの大学に?」
「確か、祖母は今年64歳。だから、46年以上、前の話だな。
そもそも、タケノブさんが見える人は滅多にいなかったらしいよ。
『見えるだけじゃ無く、話が出来るのは私が初めてだったんだって。』
そう言って、祖母は笑ってた。他にも色々思い出話を聞かせてくれたけど、
どれも細かい所まで具体的だったし、何度聞いても話がブレなかった。
まあ、何て言うか。嘘には聞こえなかったな。」
そうか...あの人だ。
田◎静枝。『田◎』は旧姓になったんだろう。
46年前にこの大学に入学してきた。可愛らしい女学生。
本当に、不思議な人だった。 『見える』だけじゃ無い。
僕が幽霊だと分かってからも、僕に対する態度は微塵も変わらなかった。
結果、静枝さんの卒業まで続いた親しい関係。
恋愛感情では無い、幽霊と女子大生の、不思議な友情。
「高木君の話がホントなら、幽霊が実在する。それ、困るなぁ。」
澄んだ声が、辺りの空気を震わせた。
声の主は、学生達の一番端に座っていた女学生。
今まで、周りの話に全く反応していなかったのに。
「幽霊が実在すると困るって。どうして?」
口を開いたのは、静枝さんの孫。予想外の反応に戸惑ったんだろう。
「死んだら全部終わり。私、そう思ってたんだ。
でも幽霊がいるなら、死んでも終わりじゃ無いって事でしょ。
...そんなの、最悪。」
数秒後。
場の空気を読んだんだろう。その女学生は曖昧に微笑んだ。
「ああ、何か、ゴメン。いや、最悪っていうのは...
ほら、病気の苦しみとか、悲しい記憶を持ち続けるとか。
そういうのは、凄く辛いだろうなと思って。」
「確かに...でも、そんな感じじゃ無かったらしいよ。
まあ、あくまで祖母から聞いた話の範囲だけど。」
「そうなんだ?それなら逆に、救いになるかもね。
昔も...ううん、今だって普通の人は死にたく無いだろうし。」
「そうだな...★野さんの言う事、一応納得出来るよ。
オカルトが受け容れられてきた背景には死への恐れが有る。
それは間違いない訳で。
あ、それより、週末の飲み会だけどさ。」
一種異様な雰囲気の中、話題は週末の飲み会に移った。
『正論君』の努力が、何とか実を結んだ訳だ。
いや、皆が、聞かなかった事にしたかったんだろう。
『普通の人は死にたく無いだろうし。』
本人がどれだけ意識しているかは分からない。
しかし『普通の』人間にとっては、かなり衝撃的な言葉。
事故・病・老い...原因を問わず訪れる『死』。
日常生活の中で意識したくない、忘れていたい『闇』。
それを、否応なく想起させる呪文。
そんな事より...思わぬ収穫。
『★野』。あの言葉の主、彼女の名字。
暫く、彼女を観察対象にする。
僕にとって、それは当然の結論だった。
『隘路(上)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




