5003 覚醒(下)
5003 『覚醒(下)』
「有り難う御座いました。」
料金を払い、タクシーを降りる。
○◎町の公園、チーフが話してくれた条件に合うのは此処だけ。
徒歩で公園からすぐの場所にコンビニ。少なくとも、4年以上前から。
チーフが降りてくる。未だ朦朧として頼りない。
その時、気付いた。
公園の入り口近くのバス停にタクシー、ハザードを点滅させている。
こんな所で客待ち? でも今は関係ない。
「チーフ、着きましたよ。公園、此処で合ってますよね?」
「多分。いや、間違いない。此処だ。」
「それで、問題のベンチは何処ですか?」
「...眠いのに。それに『問題の』って、ベンチを見てどうするつもり?」
「それは、まあ、怖い物見たさって言うか。」
『ペンチを見てどうするのか』 それは、自分でも分からない。
チーフは辺りを見回している。公園と周りの建物の位置関係を確認中?
「この入り口からだと、入って左側だな。」
先に立って歩く背中を追いかける。
ウォーキング&ジョギングのコース?
外灯は少なめだけど、月灯りで充分に明るい。
月光に照らされた細い道。何だか、胸の奥がザワザワしてくる。
一体何だろう、この感覚?
「この先だよ。」
チーフが指さしたのは、2つのコースが合流する場所。
「あの晩。僕はあっちから来て、左に。
そしたらベンチが見えて、その人が座っていたんだ。」
胸の奥深くから湧き上がるエネルギー。
でもまだ、まだだ。そう、合流点を左折して、ベンチが見えるまで。
見えた。そして、ベンチに座っている女性。
「ようこそ、二人とも。待っていましたよ。さあ、どうぞ。」
女性はベンチを指さす。
「失礼ですが、あなたは?
私達を『待っていた』と仰いましたが。」
さすがはチーフ。そう、それが問題だよね。
「私の名はL。以前、あなた方と仕事をしたRの妻です。」
R...☆ルフォ・ブルーの一件で。
「今夜。偶々、私達も夕食が『藤◇』」だったんです。それも隣の部屋で。
だからあなた達の会話が聞こえました。それに、あの店の結界。
描いた人が傍にいれば、私達には分かります。」
「でも、僕達の会話を聞いたとして。何故あなたが先に此処へ?」
「私もタクシーを呼びましたから。」
思わず、二人の会話に口を挟む。
「答えになっていません。あなたの言う通りなら、
あなたが私達より先に此処へ着いた理由が説明出来ない。」
「聞いていた通りです。有能な秘書さんですね。」
その人は小さく手を叩いた。右手で髪を掻き上げる。
チーフと、少し似た仕草。胸の奥が痛む。
「タクシーは2台とも、私達の馴染みです。
だから、あなた達がタクシーを呼んだ後すぐに対応出来ました。
結果あなた達は表通りを、私は近道して裏通りを。それだけです。」
「成る程。あなたも、陰陽師なんですね。」
「御理解頂けたようで、何よりです。」
ベンチに歩み寄るチーフを制する。
三人掛けのベンチ。右端に女性、この場合の席次は...
いや、そんなの関係ない。
こんなに綺麗な女性の隣に、チーフを座らせたら。
だから左端がチーフ。二人の間、真ん中が私。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「月が、綺麗ですね。」
月明かりに照らされ、横顔がハッキリ見えた。
待って。もしかして、あの夜、私を封じた女?
やっと、見つけた。どんなに、この日を待っていたか。
「私、確認に来たんです。紫さんの判断は正しかったのだ、と。」
「ゆかり。それが、あの人の名前ですか?」
「はい。人として在った時の名前です。」
「人として、在った時?」
「はい。今は私達にとって神様も同然ですから。」
「それでは...あの人には、もう、会えないんですね。」
チーフは俯いて、溜息をついた。
また、胸の奥が痛い。これは悲しみ、もしかして嫉妬?」
チーフの問いかけに答えて、その女は寂しげな笑顔を浮かべた。
その時、気付いた。違う。あの夜の女じゃない。
良く似てる...でも、多分あの女性より背が高いし、髪も栗色。
「それは6年前、紫さんが受けた依頼でした。
『満月の度に彷徨い歩く中学生の娘をどうにかして欲しい』と。」
やがてチーフは顔を上げた。吹っ切れたような、表情。
「でも、あの晩。女の子なんか見えなかった。」
「当然です。あなたの眼に見えるのは『人ならぬモノ』ですから。
聞いた事が有るでしょう?
こんな夜。月灯りに誘われて彷徨う。人ならぬモノ達。
例えば吸血鬼。例えば人狼。その他にも、色々と。」
身体が、震えた。両手を固く握り締めて、だけど震えを止められない。
「その女の子も『人ならぬモノ』の資質を持って生まれた。
始末の方法は2つ。女の子の身体ごと、それを滅する。もう一つは。」
チーフが身を乗り出した。
「もう1つは?」
「実害が無い状態になるまで、猶予を与える。」
「...猶予。それが今日?」 「はい。」
「でも、何で?」
もう一度、その女性は微笑んだ。
「さあ、どうでしょう。私にも分かりません。
確かに今夜は、満月ですが...そう、もしかしたら、紫さんの。
だって、『人ならぬモノ』に会えましたから。」
「あなたの言う、『人ならぬモノ』。それが今から此処に現れると?」
「今からではなく、ほら、もう此処に。」
その人の視線が私を捉えた。
思わず、立ち上がる。
一歩、二歩。そして踵を返した。
握りしめた左拳が膨れあがる感覚...痛い。
思わず開いた左手、目を疑った。
左肘から先に重なって見える。斑模様、鋭い鉤爪。
一体、これって? その女に視線を戻す。
「☆葉君、その姿。どうして?」
聞き慣れた声。戸惑ったような、怖れるような、チーフの声。
見られた?チーフに、見られた。でも、何を?
決まってる。今の、私の姿。
私にも見えているのだから、チーフの眼なら...隠す方法なんて無い。
恥ずかしい。
恥ずかしいのに、一体、どうすれば。
「恥ずかしいんですか?あなたは、自分の姿が。
もし、恥ずべき事が有るとしたら1つだけ。
今夜私が此処にいなかったら、あなたは、どうするつもりでした?
この人を、その爪で? それとも牙で?」
この女がいなかったら?
今夜、人気の無い公園に誘い出して、私はチーフを?
分からない...分からない。もしかしたら、本当に私は。
「違う! 違う、そんな事、絶対に。」
自分の叫び声が遠くに、虚しく聞こえる。
本当か、それなら何故、此処に案内して欲しいと。
私は
不意に、背後から私の肩を抱く、温かい腕。
「大丈夫。☆葉君は、大丈夫だよ。」
「...チーフ。」
「自分自身の姿が、人ならぬモノの姿が恥ずかしいのなら。」
女は、微笑んでいた。
...怖い。優しくて、とんでもなく冷たい笑顔。
『檻の中へ、どうぞ。』
軽い目眩。次の瞬間、目の前に鉄格子。
何故、突然こんな?
『そう。あなたは、もう、檻の中。』
それとなく周りを確認。
四方八方。私を取り囲む、頑丈そうな檻。
何時の間にか、私は囚われの身。これが、陰陽師の術?
「違う! ☆葉君、騙されるな。全部、幻覚だ。」
幻覚?
そうか。この女の声、耳から心へ侵食する音の『力』。
両手で顔をゴシゴシ擦って、頬を叩く。
しっかりしろ、私。 気合だ。
「私の術を...御二人とも、立派です。
ただ、その分。辛い思いをする事になってしまいますね。」
その女はベンチから立ち上がった。
何、これ? 今までより、ずっとヤバい気配。
『一切の小細工は無し。参る。』
気配だけじゃない、話し方も全然違う。二重人格、それとも何かの憑依?
女の声に反応して、目の前を横切った影。
チーフ? どうして?
「ぐ、う...」
その女は、左手でチーフの喉元を掴んでいた。
『只人の身で、蛮勇も大概にしろ。』
女はチーフと同じ位の長身。
チーフの両足が、地面から浮きかかっている。
思わず
『動くな。動けば、このまま喉を握り潰す。』
これは、駄目だ。チーフに何か有ったら、私は。
「お願い、お願いです。チーフを、その人を助けて。
私は何でも、何でも言う事を聞くから。」
『二言は無いな?』 「はい。」
『では、この男が眼を覚ますまでの世話を任せる。』
その女が、放り投げたチーフの身体。
飛びついて、抱き止める。
『一件落着、だ。紫殿の判断は正しかった。
今夜『それ』は覚醒したが、暴走してはいない。
きちんと意思の疎通が出来る。
何よりも、人を護る為に自らを捧げると誓った。
よって人に害為す存在では無い。我が、保証する。』
「有り難う。御苦労様。」
1つの身体から、二人の声。一体、何なの?
「タクシーを待たせてあります。
急いで下さい。その人は抱いたままで。
その様子、他人にはあまり見られたくないですから。」
何だか、癪に障る。
でも...斑模様の両腕は、軽々とチーフを抱き上げた。
「タクシーへの指示、行き先は何処へ?」
優しい口調。表情も、言葉遣いも、さっきまでと違う。
出会った時の状態に戻っている。
やっぱり、二重人格?
「私の部屋。私の部屋が近いです。」
「じゃあ、其処へ。運転手に指示を御願いしますね。
今後も、ずっと、あなたは有能な秘書なんですから。」
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
大丈夫。
上着を脱がせて、ベッドの上へ。そっと髪を撫でた。
シャワーを浴びて戻っても、変化はない。
明日は土曜。じゃあ、良いよね?
私はチーフの部屋を知らないし、今夜は此処でも。
灯りを消し、ベッドの傍に座って、チーフの寝顔を見詰める。
「・・じょうぶ、だから」
寝言?
「大丈夫。☆葉君は綺麗だから。女優さんよりも、ずっと。」
思わず、抱き締める。
「はい。私は此処に、チーフの傍に。」
「ホントに...良かった。」
抱き締めた腕に、そっと力を込めた。
『覚醒(下)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




