4902 羽化(中)①
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4902 『羽化(中)①』
「では、息子さんの御名前を。」
「◎輝です。」
答えたのは父親。
母親は心配そうに黙ったまま、俺と男の子を交互に見ている。
その左手が、父親の上着の裾を掴んでいるのが微笑ましい。
男の子は6才になったばかり。
藍より1つ下。両親とも、俺と同年代に見える。
初めての、たった1人の子。それなのに。こんな事態。
さぞ心配だろう。俺に、出来るだけの事をしたい。
自然と、気合いが入る。
『◎輝君、◎輝君。起きられるかな?』
言霊の発動を確認して、暫く様子を見る。
...反応は無い。これは、深刻だ。
恐らく、『制服の君』に近い事例。
この子の身体に、『何か』が入り込んでいる。
違うのは、宿主の意識が閉じていると言う事。
『制服の君』の意識は閉じておらず、普通に学生生活を送っていた。
しかし、この子の場合、既に入り込んだ『何か』が優占している。
そのために宿主の、男の子の意識は閉じてしまった。
そっと、Sさんの表情を確かめる。
穏やかな微笑。一瞬の間を置いて小さく頷く。
大丈夫、ここで次の段階へ。
『何れの尊き御神か、あるいは高位の精霊か。
卑しき人の身で呼び掛けるなど、余りに恐れ多く。
されど我、敢えて、怖れ謹みて申し上げ奉る。
何卒、依代とされた子を両親に、お返し下さる事を。どうか。』
『言霊』を乗せて、『何か』に呼び掛ける。
これで通じなければ、俺に出来る事はない。
『言霊』は見えなくても、何か感じるものが有ったのだろう。
両親も固唾を呑んで、男の子を見詰めている。
5秒、10秒、15秒。
男の子は、ゆっくりと眼を開けた。
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「では、改めて。私の後任、新しい秘書の橘さんです。」
思わず居住まいを正し、深く頭を下げる。
体と心の芯に染み込んだ条件反射。
「橘って、名字でしょ。なま」
間髪を入れず、破裂音。
杉◎さんは何事も無かったように、左手の中指で金縁の眼鏡に触れた。
ええと、自己紹介で、良いのかな?
「橘 ☆葉です。社長付き秘書室から転属になりました。」
不思議な、静寂...
その男性は両手で頭をカバーしながら、杉◎さんの顔色を覗っていた。
杉◎さんが小さく頷いたのを確認してから、小さな咳払い。
「ええと。僕は、◆香。橘 ◆香。此処の、『PR』のチーフだ。
君は僕と同じ名字だね。何だか親しみを感じるよ。」
チーフとは言うが...若い。綺麗な顔だから、余計に。
私と同じ位か、年上だとしても、せいぜい2・3才?
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『其方、何者か?』
ソファの上で身体を起こした男の子。何とも言えない威厳を感じる。
やはり、入り込んでいるのは神か、高位の精霊。
『私の名は、R。 古き血に繋がる、陰陽師に御座います。
微力ながら、貴方様の御手伝いが出来ればと。』
男の子は俺をまじまじと見詰め、次にSさんを見詰めた。
そして、小さく笑う。
『陰陽師...なるほど、道理で。
左様。其方の言う通り、手助けが必要だ。
封じられて以来800年余り、随分と弱くなったものだ。情けない。』
男の子の両親は、ポカンと口を開けている。
今まで、何の意味も無い寝言のようなものだと思っていた男の子の言葉。
それが明瞭な意味を伴って、事情を語っている。
呆けてしまうのも、無理はない。
『御手伝いが出来るのならば、この身の限りを尽くして。
して、貴方様の望みは?』
『うむ。かつて我は敵との戦いに敗れた。
その結果、山奥の祠に封じられ眠りについたのだ。
ただ、800余年の時が過ぎて封が綻び、眼が覚めた。』
『成る程。して、これから如何に?』
『眼が覚めたからには、早う、天に上らねばならぬ。ただ。』
『ただ?』
『この身体が、心残りだ。何の因果か、我の依代となった幼子。
このまま天に上れば、その身体は壊れる。
縁有って、人の世で6年を共にした身体。壊すに忍びない。』
『依代の身体を壊さずに、天に上る方法が?』
『左様。新たな『器』さえ有れば、な。』
男の子は立ち上がり、テーブルの周りを歩き回る。
少し、苛ついたような、落ち着かない所作。
『かなり探した。しかし無いのだ。この家には。
我の、新たな依代となるに足る器が、ただの1つも。』
男の子の前に、跪く人影。Sさんだ。
「恐れながら、新たな『器』を探すのに心当たりが。」
『其方は?』
「私も陰陽師。これなる者の妻にして、名をSと申します。」
『新たな器を、探せるかも知れぬのだな?』
「はい。心当たりが御座います。
多くの器を取り扱う商人にて、見込みは有るかと。」
『商人...そうか。この際、仕方有るまい。頼む。』
言い終わるなり、男の子はソファの上で眠りについた。
両親への補足説明を終え、一旦家路につく。
しかし2・3日の内に、新たな『器』を探す手筈を調える必要が...
ただ、これは完全に俺の専門外。
完全に、Sさんの『心当たり』だけが頼りだ。
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その時、電話が鳴った。
途端に男性の表情が引き締まる。まるで、別人。
肩を叩かれた。杉◎さん。
唇に右手の人差しを当てた『黙って』の合図。
左手はドアを指して。導かれるまま、ドアを潜る。
「電話が来たら、暫く、出来る事は無いの。
少し早いけど、社食でランチ、良い?」
「あ、はい。」 緊張していたのか、メッチャお腹が空いている。
いつも通り。チキンカレーとミニサラダ。
杉◎さんは焼き鮭定食とミニサラダ。単品の卵焼き、根菜の煮付け。
細い身体に似合わず...
「私、大食らいでしょ?
でも悪阻が来る前に出来るだけ食べて置いた方が良いらしいの。
悪阻が来なかったら、大変だけど。」
朗らかな笑顔。 その時、気付いた。
「その眼鏡、伊達なんですね?」
杉◎さんは頷いて、眼鏡を取った。丁寧に、レンズとフレームを拭き清める。
「そう、伊達眼鏡。あの人、あんな調子でしょ?
着任してから暫くは、凄く苦労したの。
ただ、金縁の眼鏡の人が言う事は良く聞くような気がして。
駄目元で試して見たら、想像以上に上手く行ったって訳。」
細い、金色のフレーム。
それにしても、『金縁の眼鏡をかけた人の言う事なら良く聞く』って。
何かヤバいっていうか、相当に病んでる気がするけど、大丈夫なの?
「変わってるけど、病んではいない。」
!? え...私、今喋って。
「ランチが社食なら、例外なくラーメン。必ず、予約して。」
「社食で予約なんて、出来るんですか?」
「『PRですけど』って言えば大丈夫。基本は4種類。醤油、塩、味噌、坦々。
外食なら寿司、ランチでもディナーでも。ただし店は決まってる。
▽◆の『藤◇』。それ以外はダメ。これも予約必須。」
「まさかそれも、『PRですけど』って訳には、行きませんよね?」
杉◎さんは小さく笑って、少し咽せた。
「...御免なさい。『藤◇』の予約は会社の名前で大丈夫。
最優先で対応してくれるし、断られる事は殆ど無いんだけどね。」
これって、『引き継ぎ』? いや、社長秘書なら...
にしても、たった2人の部署のチーフに、此処まで気を遣うの?
そして『最優先』って。下手をすると、社長以上のVIP待遇。
机の上に積み重なった書類を整理する時のルール。
出勤してこないときの連絡先・・・延々と『引き継ぎ』は続いた。
ヤバい。心が、折れそう。
続いて、杉◎さんはメモ用紙を差し出した。
電話、番号?
「私のスマホ。どうにもならないって思ったら電話して。」
「あ、有り難う御座います。」
「他に何か、質問有る?」
今の内に聞いて置きたい事...そうだ。
「ええと、さっき『手取りが倍』って。あれ、どういう事ですか?」
「PRは独立採算制なの。で、秘書の給料は歩合制。
だから...あの人が気持ち良く働けるように頑張って。あ!そうだ。」
杉◎さんは、ケースに収めた金縁の眼鏡を差し出した。
「これ、あなたに上げる。良かったら、使って。」
いや、有り難いけど...酷い目眩がした。
『羽化(中)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




