4901 羽化(上)
『羽化』の投稿を開始します。
新作故、投稿間隔が長くなること、投稿後の修正が多くなること。
以上2点を後承知の上、お楽しみ頂ければ幸いです。
追記
投稿終了後、早々に「いいね」を頂きました。
何よりの励みになります。有り難う御座いました。
出来るだけ早く(中)以降を投稿出来るよう、精一杯頑張ります。
4901 『羽化(上)』
一体何故、こんな事になったんだろう?
入社以来、自分なりに上手くやってきた。
仕事での失敗は無かったし、人間関係の問題も無い。
それなのに。
「橘君?」 「あ、はい。」
「今日まで、良く頑張ってくれたね。
明日からは新しい部署で頑張ってくれ給え。期待、してるよ。」
狸親父め。粉骨砕身、働いて来た部下への報いが、これか?
「引き継ぎには、ちょっとばかり込み入った事情が有る。
だから今日は早速、引き継ぎにかかってくれ。
ああそうだ。『前任者』を呼んで置いた。」
突然。背後に、人の気配。背筋が冷える。
振り向くと、金縁のメガネをかけた女性が立っていた。
「杉◎君だ。じゃ、後は杉◎君に任せる。」
ヒラヒラと右手を振り、歩き去る狸親父。
追いかけて、首根っこを締め上げたい衝動に駆られる。
「気持ちは分からないでも無いけど、止めておきなさい。
折角の栄転なのに、ふいにしたくは無いでしょ?」
「折角の栄転なんて、
秘書室から、社長付の秘書から何処に異動したら。そんな。」
その女性は穏やかに微笑んだ。
「逆に聞くけど、あなたの言う『栄転』って、どんなの?」
「それは...ステータスって言うか。」
「ステータス?具体的には?」
「ええと、例えば、異動に伴って少し昇給するとか。」
「それなら、これは栄転。手取りは2倍以上になるから。平均で。」
「2倍、以上?」 「そう、あくまで『平均』だけど。」
そんな筈はない。どんな人事異動でも、給料が2倍だなんて。
この女性は、一体?
「あなたは『前任者』ですよね。
どうして、そんな魅力的な部署を離れるんですか?」
女性は微塵も戸惑いを見せず、私の眼を見詰め返した。
「私は既婚者で、妊娠したからよ。体調の問題で暫く休職するの。
望んでいた妊娠だし、仕方ないけど。正直、残念。」
混乱して、頭の中がグルグル回る。
こういう時に大切なのは...そうだ、出発点に戻る。
「それで、私が異動する部署は、どんな?」
「合格。私の見込んだ通りの、優秀な人材ね。
あなたの新しい職場は『Psychic Rresearch』、略して『PR』。
つまり、超能力調査室。またの名を『駆け込み寺』。」
...意味が、分からない。いや、それよりも。
「あなたが、直接、私を推薦したんですか?」
「当然でしょ。社運を左右する仕事をしてる部署なんだから。
三ヶ月かけて、のべ30人近い人材から、あなたをピックアップしたの。」
「何故、私を。30人の中から、どうして。」
「その中で、一番適性が有ったから。」
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仕事を終えて、お屋敷に戻る。 今日は、少し疲れた。
ドアを開けると、電話機の前に姫とSさん。
姫の手に握られているのは...FAX用紙?
2人の表情が何とも微妙な感じだったが、無理もない。
それは、何とも掴み所の無い依頼だった。
「これ、一体どういう事ですか?
探す物が何か、何故それが必要なのか、それが全く解らない。
無理ゲーにも程が有るでしょうに。」
ただ、この依頼は『上』を経由している。
相手が『貴客』だから、『上』はこの依頼を受けざるを得なかった。
そして『上』も無理ゲーを承知の上で、Sさんに依頼を。
「6才になったばかりの男の子。
誕生日を過ぎた頃から妙な事を口走るようになった。
殆どは聞き取れない。だけど、中にはハッキリ聞き取れる言葉もある。
『うつわがいる』 『からだをこわすにしのびない』
「このような事例は、図書室の記録にも記載が有りません。」
「Lの言う通り。ただ、気になる言葉が2つ。」
『うつわ』・『こわすにしのびない』
「依頼が本物かどうかは判らないけど、放ってはおけない。そんな気がする。」
「本物かどうかを確かめるには、男の子と話をする必要が有りますね。
それなら僕が参加するのは当然として...」
Sさんと姫は顔を見合わせた。きっかり3秒後に頷き合う。
口を開いたのは、Sさん。
「子供達はLに任せて、私がR君の補佐に付く。」
その一言で、依頼への対応がカッチリと決まった。
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杉◎さんの後を追って、ひたすら歩く
...この会社、こんなに広かったっけ。
「此処まで来るのは、初めてでしょ?」
「はい。3階がこんなに広いなんて、全然。」
「私と一緒だから、結界を抜けられるの。」
「結界?」
ええと、小説とか漫画に出てくる、アレ?
「『PR』には、最も厳重な結界が張られてる。五重。
直ぐには信じられないでしょうけど。」
「五重にも結界を張って、一体何を、護っているんですか?」
杉◎さんは立ち止まり、振り向いて微笑んだ。
「それよ。あなたは『対応力』に秀でている。」
「対応力って。」
「そう。私は『直ぐには信じられないでしょう』と言ったけど、
あなたはアッサリと信じた。そして直ぐに次の質問。
『何を護る結界なのか』
30人どころじゃない。これ程の適性を持つ人材は...
1000人、いや、10000人に1人。いるかどうか。」
「そう言って頂けるのは嬉しいのですが。そもそも私達は何処に?」
「此処よ。『PR』に繋がる通路。」
杉◎さんが指さす先、細く薄暗い廊下。
さっきまで、此処は行き止まりの壁。こんな廊下は。
短い廊下の先。杉◎さんはドアノブを回した。
「チーフ、何度言ったら分かるんですか。
今日は引き継ぎ、明日からは新しい秘書の方が着任するんですよ?」
杉◎さんの視線の先。大きな机が横並びで3つ。
目を疑うような量の書類が、堆く積み上げられている。
「杉◎さんの離任。僕は、同意してないよ。」
書類の山々の向こうから、くぐもった声。
「事情はお伝えした筈です。私だって離任したくは有りません。
しかし身籠もった身体には毒だと、チーフ自身も。」
「そうか...そうだったね。」
書類の山々の向こう。ユラリと立ち上がった人影。
2人のやり取りを見詰めていた私。
逸らすのが間に合わないタイミング。
寸分の狂いも無く、その人と、眼が合った。
数秒。いや、十数秒の沈黙。
線の細い女性のような、綺麗な顔。大きく、澄んだ瞳。
吸い込まれるようで、どうしても眼を逸らせない。
「これは。綺麗な人だなぁ。
杉◎さんも美人だけど...まるで、女優さんみたいだ。」
何故、だろう?胸の奥で、何か激しい反応が。
突然の破裂音。
「痛!いきなり何するんだよ。」
杉◎さんがファイルを持っていた。いつの間にか、男性の背後に?
「セクハラ、バワハラ。色々と難しい世の中ですよ。
しかも初対面の、若い女性相手に。本気でクビをお望みですか?」
「思った事を、素直に言っただけだろう...何で?」
再び、破裂音。
「だから痛いって。御免、謝る。」 「結構。」
ええと、この男性がチーフで、杉◎さんが秘書、だよね?
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依頼人の自宅。挨拶もそこそこに、通された居間。
大きなソファに男の子が横になっていた。
思わず、Sさんの顔色を覗う。
Sさんも俺の眼を見詰め返して、小さく頷いた。
これは、普通じゃ無い。
通常の眠りとは違う。これは、以前経験した...そう『制服の君』。
あの娘の眠りと共通する、何か、独特の。
「先ずは『うつわ』。普通なら、容器とか入れ物ですが。」
Sさんの声に応えた男性。男の子の父親だろう。
「私達も、そう考えました。
何しろこの子は、家中の食器や花器と、にらめっこを始めたんです。」
「にらめっこ?」
「はい。10分でも20分でも、じっと見詰めているんです。
ありふれたガラスのコップから、古伊万里の壺まで。本当に、何でも。」
やはり、普通じゃ無い。
親や、周りの大人の気を引くためなら、別の、もっと効果的な方法が有る。
では一体、これは、何だろう?
疑問を解決する方法は1つしか無い。
それこそが、俺がこの件を担当した理由。
『言霊』で男の子を起こして、コミュニケーションを。
「私の助手、Rは『言霊遣い』です。
このような場合、絶対に必要なのは対象とのコミュニケーション。
ここはRの能力を頼りに、この子と。」
Sさんの視線が俺を捉える。それを追いかけるように、両親の視線も。
やはり、そうだ。先ずは、俺の仕事。
「私が、この子に言葉をかけ、コミュニケーションを取ってみます。
当然、男の子の眠りを覚ます事になりますが、それで宜しいですか?」
男の子の両親は暫く見つめ合った後、声を揃えた。
「どうか、宜しく御願い致します。」
『羽化(上)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




