0307 旅路(結)
R4/5/29追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
随分前に投稿した作品ですので、とても嬉しく思います。
有り難うございました。
0307 『旅路(結)』
「R...Rさん。」
耳許で名前を呼ばれた気がして、目が覚めた。
時計の表示は4時45分。窓の外は未だ真っ暗。
Sさんは隣で熟睡中。寝顔を見ながら、もう一度寝直すか、
それともこのままベッドから出て起きてしまった方が良いのか。
ボンヤリ考えている内に、浅い夢を見た。
俺は薄暗い部屋のソファに座っている。
そして、俺の向かいに『あの人』が、Kが座っていた。
真っ直ぐに俺を見つめて微笑んでいる。純白のワンピースに血の染みはない。
「君は」俺がそう言いかけた時、『あの人』が口を開いた。
『もう であってる はなれないで』
それは、あの日俺が彼女に囁いた最後の言葉。彼女だけのための、言葉。
『あの人』はもう一度、一語一語確かめるように、ゆっくりと言った。
『もう 出会ってる 離れないで』
そこで目が覚めた。何故か、涙が止まらなかった。
そんな夢を見た後も、否応なく日々は過ぎていった。
姫は高校に無事転入...
いや、入学式から色々あって、哀しい事件に巻き込まれた。
姫とSさんは事件を解決したのだが、その事件の詳細は、また別のお話で。
姫の転入から約二ヶ月。
『あの人』の夢を見た記憶も薄れ始めていた、ある日。
修行を終え、シャワーの後でダイニングへ移動。夕食の時間。
姫が手際良く、料理の皿を並べていた。
Sさんは既に着席していて、小さな手帳に何か書き込んでいる。
あれ、今日の夕食当番はSさん、だったよね?
配膳されたお椀を見て、一気に心拍数が上がる。
姫の初潮のお祝いの日にも炊かれていた、昔ながらの小豆のお赤飯。
「あの、お赤飯。もしかして。」
「ご名答。二ヶ月目に入ってるって。ほら。」
Sさんは得意そうな顔で立ち上がり、小さな手帳を差し出した。
母子手帳!? 思わず駆け寄ってSさんを抱きしめる。
「おめでとうごさいます。」
「ありがと。でも、この夏の水着は無理、だね。」
「そんな、水着なんて、来年でも再来年でも...」
「良かった。本当に、良かった。私、とても嬉しいです。」
姫の前でSさんを抱きしめたのは初めてだったが、姫は喜んでくれた。
涙を拭う仕草に、事の重大さを、改めて思う。
Sさんの体内に、俺とSさんの子が宿っている。
新しい、小さな命。
俺の心は不思議な高揚感に満たされ、
お赤飯の味も、2人との会話も、夢を見ているように思えた。
Sさんの部屋のドアをノックする。
「どうぞ。」 Sさんはベッドの中で本を読んでいた。
「今夜、此処へ来て良いのか迷ったんですが。」 Sさんは本を閉じた。
「『妊娠するまで』って言ったのを気にしてるの?
馬鹿ね。あれはあなたが私にプロポーズしてくれる前の話でしょ。
もう『内縁の夫婦』なんだから、これからも、好きな時に此処に来て。
いつだって大歓迎してあげる。」
ベッドに潜り込んで、Sさんをそっと抱きしめた。
「本当におめでとうございます。」
Sさんは俺の左手を取り、そっとお腹を触らせてくれた。
「二ヶ月目に入ってるってことは、もう、ちゃんと心臓が動いてるのよ。」
ふと、思い出した。『女の子なら能力を持つ確率は高い』というSさんの言葉。
「まだ、男の子か女の子かは判りませんよね?」
Sさんは少し小さな声で、でもハッキリと言った。
「女の子よ。」 「え? 二ヶ月目ではエコーでも。」
エコーで胎児の性別が判るのは三ヶ月目以降の筈。
それも胎児が男の子で、たまたま、その証拠が写った時だけ。
「エコーじゃない、妊娠する前から判ってた。」
妊娠する前、から? 胸の奥がザワザワと波立つ。
「...何故?」
Sさんは暫く黙った後、深呼吸をした。
「ここにいる子に宿っているのは、Kの魂だから。」
「そんな...」 俺は呆然として、言葉を失くした。
Sさんは時々俺の髪を撫でながら、事の顛末を話してくれた。
「強い負の感情、特に憎しみの感情は、
魂が悪しき縁に囚われる原因になり易いの。
もしKがあなたに出会わずに死んでいたなら、
憎しみの感情故に悪しき縁に囚われ、不幸の輪廻に取り込まれていた筈。
でも、Kはあなたに出会えた。」
「Kはあなたへの気持ちで憎しみの感情を克服しようとしていたの。
死の際で、Kは許そうとした。自分の不幸、自分を不幸にした人々、全部を。
不幸の輪廻に取り込まれるのを防ぐため、悪しき縁を自ら断ち切ろうとした。」
そこまで話すと、Sさんはキスをしてくれた。 熱く、長いキス。
「ここからは話すかどうか、凄く迷ったの。本当は今も迷ってる。
話したら、あなたが気に病む事になるかも知れない。
でも、きっと全ては必然で、何一つあなたのせいじゃない。
それにあなたは凄く勘が良いから、私が黙っていても、
いつかは真実に気が付く。だから今、全部話すわ。しっかり聴いて。」
俺は、俺にはただ、黙って頷く事しか出来ない。
「Kは死の際であなたの囁きを聴いた。
『もう、出会ってる。離れないで。』という言葉。
その言葉を聞いて、Kは全てを許した。
だから死の直後、悪しき縁に囚われる事は無かった。
でも、Kはあなたへの想いから、最後に1つ、無意識に術を使ったの。
思念をあなたの体に忍ばせて、自分の魂を中有に封じた。」
「ううん、とても強い願いが、
結果的に術と同じ力を持ったと言った方が良いかもしれない。
きっとKはただ『この人と離れたくない、一緒にいたい』と、
強く強く願っただけ。あなたへの敵意が全く無い純粋な思念だから、
私もそれに気づかなかった。でも憶えてる?元旦の祀りの時の事。
あの時、祀りの途中であなたとLの祓いをした。」
そうだ。思い出した。白い紙の人型。
一瞬激しく燃え上がった炎、そして舞い上がった燃える小さな紙片。
あれは、あの紙片は、俺の眼の前に落ちて燃え尽きたのだ。
和室に戻る姫の顔が緊張していたのは、
その異変の意味を察知していたからだろう。
「あの時、祓いの効果でKの思念はあなたの体から人型に移ってた。
でも人型を焚き上げようとした時、術の力でKの思念は人型を離れ、
再びあなたの体に戻った。あなたの前で燃え尽きた人型の一部を見た時、
Kの思念があなたの中に入り込んでいると判ったの。」
「術の力でKの思念をあなたから引き離す事は難しい。
もし出来たとしても、ただ単純に引き離すだけなら、
Kの魂は中有に封じられたままになる。それだけは避けたかった。」
「死者の魂が、生前の想いに縋って現世に留まるのは珍しい事じゃない。
でも、遅かれ早かれその想いは薄れ、魂は中有を経て現世から離れていく。
ただKの場合、あれだけの力を持っていたから、
あなたが生きている限り、その思念はあなたを離れない。
そして問題はあなたが死んだ後。
Kの魂は拠り所を失い、深い悲しみを抱えて現世を彷徨う。
そして、その悲しみ故に、やがて不幸の輪廻に取り込まれてしまう。」
昏睡から覚める前、夢の中で聞いた、あの声。
そしてホテルの部屋、怪異の出現を警告してくれた、あの声。
『あの人』の思念は何時も俺の中にいて、俺を見守っていてくれたのか。
自らの魂を、この世とあの世の狭間に封じたままで。
そして結果的に、俺はあの言葉で『あの人』にそれを強いた事になる。
俺は何という事を...涙が溢れて止まらなかった。
Sさんはもう一度俺を強く抱きしめてくれた。
「私はKを助けたかった。だから術を使ってKの魂に呼びかけたの。
『私が妊娠する子に宿り、私たちの子として生きるように』って。
Kの魂もそれを望めば、Kの魂の封印は自然に解ける。
上手く行くかどうか自信がなかったけど、この子の妊娠に気付いた後に、
Kの思念があなたの中から消えていたから、上手くいったのが分かった。」
「Sさんは、初めからその為に僕の子を産もうと。」
「違う。」 「でも。」
「言ったでしょ、子供が欲しいのはあなたが好きだからよ。」
「そしてもし同時にKを助けられたら一石二鳥。でしょ?
Kの記憶は完全に封印されるけど、あんなに綺麗で強い人だったんだもの、
きっと賢くて、可愛い女の子よ。」
「Lさんはこの事を?」 Sさんは微笑んだ。
「実はね、元旦の祀りの後でLに相談したの。
『この方法でKの魂を助けたい』って。そしたらあの娘も同じ事考えてた。
可笑しいでしょ? あなたの事が大好きだから、真剣にあなたを愛したKを、
何とかしてあげたいという気持ちになるのね。私も、Lも。」
「でも、Kの因縁を断つのは私の役目だと思った。私、Kをあんな風に...」
Sさんは少し黙って、涙を拭った。
「それに、Lには何の因縁とも関わりなく、あなたと結ばれて欲しかった。」
「僕のした事は正しかったんでしょうか? もう、判らなくなりました。」
「正しいとか正しくないとか、私には言えない。
そもそも、絶対に正しいものも、絶対に正しくないものも、多分存在しない。
でもあなたは、Lを救い、Kの憎しみを解き、私を妻に、そして母にしてくれた。
私もLも、きっとKも、心から感謝してる。」
「あなたがあの時、瀕死のKを抱きしめて
『行くよ、一緒に』と言ったのを感じた時、私、本当に驚いた。
でも同時に、あなたを好きになって良かったと心から思った。
そして、前よりもずっとずっと、あなたが好きになったの。
それは多分、Lも同じだと思う。
だから私はあなたのした事を、正しいと信じたい。」
「この子が生まれたら『K』という名を?」
「それは禁忌、絶対に駄目。名前を同じにしたら、
前世の因縁との繋がりが出来て、悪しき縁の入り込む隙が生じてしまう。
あなたが何か新しい、良い名前を考えてあげて。」
少しだけ開けた窓から吹き込む風が、微かに雨の匂いを運んで来る。
季節は巡り、輝く夏を先導する梅雨が近づいている事を知らせる匂い。
もう一度Sさんのお腹にそっと触れ、どんな名前が良いのか考えた時。
明るい青空の下、輝く緑の草原に立つ『あの人』の笑顔が見えた気がした。
『旅路(結)』了/『旅路』完
本日で『旅路』は完結。
予定通り作業が進めば、明日から『次作』投稿開始。
頑張ります。