4604 雪白姫/盟約(下)①
相変わらず、投稿間隔は長く不規則です。
更に、投稿後の修正作業も沢山有りそうですね。
どうか気長に、生温く、楽しんで下さる方がおられれば幸いです。
4604 『雪白姫/盟約(下)①』
静かに、日々は過ぎていく。
そしてゆっくりと、ソフィアの中で『変化』が起きているのを感じる。
俺に接する態度は柔らかに打ち解けてきた。
それは嬉しい。だが同時に、時折見せる思い詰めた表情が気に掛かる。
それとなく尋ねてみても、笑顔ではぐらかされるばかり。
以前、式達の会話の中で聞いた『姫君の呪い』と関係があるのか。
しかし、いや当然。式達もその話題には黙して語らない。
状況が動いたのは、予定の滞在期間が10日を切った頃。
「明日の夜、会議が有る。Rも出席して。」
「俺が出席する必要があるなら、君達一族の会議って事かな?」
「そう。会議の場所は森の中。一族と、『山と森』から、代表が参加する。」
「『山と森の代表』って...」
「出席すれば分かる事。それに。」
ソフィアは穏やかな笑みを浮かべた。
「私の思惑通りになれば、Rは会える。『山と森の王』に。」
微かな、違和感。
Sさんと姫の話からすると、この会議の目的は『報告』。
『遠い国から呼び寄せた結婚相手。しかし実りはない。』と。
その報告に『山と森の代表』と『山と森の王』が立ち会う必要があるのか?
「Sさんは、この件で君が『免罪符を手にする』と言ってた。
『子供を産む能力が無いと分かれば、結婚を無理強いされる事もない。』って。
その報告だけなら、一族の代表と君がいれば十分、だと、思うんだけど。」
「報告はする。その後で、交渉をするために。」
「交渉...一体何の?」
「子を産まなければ、私は最後の術者。つまり、『幕を引く者』。」
ふと、ある女性の顔が浮かんだ。
『呪殺』の副作用で、朽ちていく身体。
しかし、苛烈な運命に屈する事無く、誇り高く生き抜いた女性。
確かに、あの女性は言っていた。
『私は一族で最後の術者と言われて育った。』と。
それを聞いた時には、考えもしなかった。
一族の終焉に伴い、その女性が故郷を後にした理由。
その土地に深く根付いた、術者の一族。
様々な祭祀や儀礼を取り仕切り、共同体の意思決定に関わる事も多い。
それ故、特別な権限を有しているのが普通だろう。
主としてその権限は、一族を支える経済的基盤。
一族が衰退していく過程で、当然、それらの基盤も失われていく。
祭祀や儀礼を取り仕切る事が出来なくなれば、特権を認める理由は無いから。
何より、時代の変化は祭祀や儀礼の重要性を否定する方向に向かっている。
もしかしたら。
あの女性は望んで故郷を後にしたのでは無く、居場所を無くした。
例えば、何らかのペナルティーで故郷を追われ...
いや、待て。じゃあ、ソフィアは?
最後の術者として、一族の歴史に幕を引いたら、その後は?
「もしかして、交渉するのは、一族の歴史に幕を引いた後の、君の。」
「それは些細な事。交渉するのは、この村の行く末について。
今までは、『血の盟約』が、この村を護ってきた。
『山と森の王』と、代々の術者の間に結ばれた、盟約。
でも、術者がいなくなれば、盟約も効力を失うから。」
『血の盟約』...不吉な、予感。
その盟約を、術者の一方的な都合で解消する。
当然、それなりの謝罪と代償が必要になるだろう。
それについて交渉する、と言う事か。
「俺には些細な事だと思えないから、教えて欲しい。
まさか、君自身を交渉の材料にして、交渉する気じゃないよね?」
「私の身体や命にそんな価値が有ると考える程、
思い上がってはいないつもり。だけど、もし、それで済むなら...
兎に角、名目上とはいえ、Rは私の配偶者として会議に出席する。
交渉の行方を、私の最後の仕事を、しっかり見守って欲しい。」
すい、と、ソフィアが立ち上がる。
「明日の準備があるから、使い魔達と森へ行く。
帰りは遅くなると思う。夕食は、もう出来てる、先に食べてて。」
「ソフィア、ちょっと待って。」
「明日になれば全部済む。今は、心を揺らしたくない。」
とりつく島も無く、ソフィアは家を出て行った。
『それで済むなら』とソフィアは言った。
盟約を解消する謝罪と代償は、最低でも、ソフィアの身体か命。
いや、駄目だ。絶対に。
そんな話を黙って見過ごすなら、俺が此処に来た意味が無い。
俺がやるべき事、Sさんの真の狙い...そうだ、間違いない。
なら、一瞬の遅滞も許されない。Sさんに電話を掛けた。
翌日、朝食もそこそこにソフィアは出かけた。
何だか、時計が進むのが早い。Sさんの、いや、当主様の策は間に合うのか。
ジリジリとした気持ちで正午を待ち、庭に出た。空を見上げる。
見慣れた影を視界に捕らえた。遥か高空を旋回する巨大な猛禽。
安堵。思わず涙が滲む。
だが今、安堵してどうする。馬鹿か?ここからが俺の、仕事なのに。
もし失敗したら...いや、何としてもソフィアを。
そして夕刻。日が沈んだのを確かめて森へ向かった。
ソフィアと俺は白いローブを着ている、フードは被っていない。
先導は式達、ルークとタビィ。そしてソフィア。俺は最後尾。
森に入って暫く歩くと、開けた場所に出た。
草の上には、既に5人が座っていた。
灰色のローブは揃いの装束。皆、フードを目深に被っている。
ソフィアと俺が草の上に腰を下ろすと、
入れ替わりで灰色のロープの1人が立ち上がった。
フードを下ろして、顔が見える。
間違いない、空港で俺を出迎えてくれた男性。
確か、その名は、エドバルド・ラクスマン。
【姫君の出席を以て、会議は成立する。既に、『山と森の代表』も。】
『山と森の代表』? そこで気付いた。
黒いローブとフードの影が5つ、俺達と車座を作るように座っている。
さっきは、見えなかった...一体、何時の間に?
【まずは聞こう。直系の子孫についての報告を。】
声に応えて、立ち上がった小さな影。タビィ、だ。
「姫君と、姫君の夫となったR殿は仲睦まじく。
それは我等も声をかけるのを躊躇う程にて。しかし。」
一旦言葉を切り、出席者を見回す。大した役者だ。
「しかし、それから二ヶ月近く。未だ姫君に懐妊の兆しはない。
残念ながら、姫君には子を成す能力がないと考えるべきであろう。
『雪白姫』の資質を継いだ御方には、珍しくない現象だが。」
【となれば、姫君は『幕を引く者』。
それでは一族の特権、森から得られる富は一体、誰がどのように管理するのか?】
胸の奥に、灼熱の業火を感じる。
よりにもよって、報告を聞いた最初の反応が、これか?
しかし、俺の心の業火とは見事なまでに好対照。完全に無表情。
タビィもルークも、そしてソフィアも。
次に口を開いたのはルーク。
【『山と森の代表』の同意が得られれば、今後も、森の幸は村を潤すだろう。
あくまで、同意が得られれば、だが。】
次に、立ち上がった灰色のローブ。フードを脱いだのは高齢の男性。
「そもそも、この度の婚儀は妥当で有ったのだろうか?」
その言葉を聞いた出席者達がざわめく。
「さて。姫君の夫であるという、其処なる術者。
一体如何なる御方か?その髪と瞳、まるで消え残りの炭のような黒。
『白の姫君』の傍らに立つのにふさわしい御方とは、とてもとても。」
次の瞬間。発言したのは、黒いローブ。
【この度の婚儀。我等が主の同意を得ている。
その正当性に疑問を挟むのは、我等が主への不敬と取られても仕方ない。
それを承知した上での発言かどうか。それを、問いたい。】
小学低学年位の身長だけど、その言葉に籠もる威厳。只者ではない。
【決して不敬など。ただ。】
その言葉を遮る、タビィとルークの声。
【いや、『山と森の王』への不敬以外の何物でも無い、な。】
【如何にも。そして同時に、姫君と夫君への、明らかな不敬でもある。】
そして、ルークとタビィの背後に立つ長身。
ソフィアだ。
【私への暴言は耐えてきた。
私だけでは無い。母上も、お前達の言動に心を痛めておられた。】
冷たい風が吹き、風に乗って舞う光の粒子が輝く。
ダイアモンドダスト。急激に、気温が、下がっている。
一気に氷点下へ。
【もう、何もかも嫌...私、術者を続けられない。】
ルークとタビィが剣を抜いた。気温だけじゃ無い。何もかもが、変わっている。
【やはり。忌々しい『毒林檎の呪い』は生きていたか。】
【望んで、こんな風に生まれて来たんじゃない。
異形の私を愛してくれたのは母だけだった。
それでも母が死んだ後も、一人で働いてきた。一族と村のために、ずっと。
それなのに、私だけで無く夫を侮辱されても、まだ耐えなければならないの?】
ゆっくりと、辺りに満ちる、禍々しい気配。
そうか、これが『呪い』。
それはソフィアの心の闇から這い出して来る気配。
小さく開けた『窓』の隙間から、こちらを覗く。
古く、強い呪い。
【母が死んで。でも、仕事は沢山あって、悲しむ暇も無かった。
そうよ!お前達は、人間は何時も自分の都合ばかりを押しつける。
いっそ、お前達なんか、人間なんか】
不意に、ソフィアが膝を着いた。そのまま、地面に頽れる。
【それ以上、口にしてはならぬ。我等は人との敵対を望んでいない。
しかし、姫君の命となれば従う他無いのだ。
それが、人の、村の殲滅という命であっても。】
さっきとは別の、長身の影。
未だだ。もう少しだけ、待つ。
Sさんの、当主様の指示を守るしか、俺に出来る事は無いのだから。
『雪白姫/盟約(下)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




