4304 黎明(下)①
引き続き体調不良により、投稿間隔が長く不定期になっています。
御容赦・御了承の上、お楽しみ頂ければ幸いです。
4304 『黎明(下)①』
主が宿坊を出て、小さな屋敷に移る前日の夜。
宿坊の主人は、主の出世を我が事のように喜び、
着物や身の回りの物を買いそろえ、
村人達を集めて盛大な祝宴を開いた。その宴の後。
主は部屋に戻り窓を開け放った。空に浮かぶ満月。
吹き抜ける風に、溶けてゆくような笑顔。
どうして胸が痛む?我は、人で無いというのに。
人助けに特化した術者。
しかも他人の命を奪うことなど決して出来ぬお人好し。
そんな術者を演じて、しかも、この都で。
主はどう立ち回り、多くの人を救うつもりなのか?
出仕したら、陰陽寮の外れの小さな庵で修行と術の研究をしながら待機。
何か依頼が有れば詳しく事情を聞いて対処する。
あの宿屋と同じだ。主はそれなりに忙しく過ごしていた。
御所に出仕するようになってから、二月程が経った頃。
主の体は更に衰弱していた。
「◎×○、◎×○、◎×の....」
何時も通りに主を送り出した後、白の姫君は窓際で小さく口ずさんだ。
これは、何処で聞いたのだったか。とても、とても古い童歌。
夜の営みこそ無かったが、主と姫君は日々仲睦まじく、
主が屋敷に居る間は、御二人の側に控えるのも気が引ける程。
それだけに、主の帰りを待つ白の姫君は寂しげで物憂げ。
そして、主の体が衰弱するにつれ、その憂いは深くなっていった。
「私の身体が癒やされても、あの御方の身体が損なわれては意味が無い。」
それは、そうだ。しかし、主は自らの身命を賭けてこの姫君を。
「知っている事を聞かせて頂戴。
あの時からずっと、御前はあの御方と一緒にいましたね?」
何時の間にか、美しい御顔が眼の前に。身体が動かない、何故?
両の羽根を、白く細い指が捕らえていた。まさか、こんな。
「ねえ、どうして? どうしてあの御方は私に触れないの?
どうして日々少しずつ、弱っていくの?それは、全部、私のせい?」
「どうか、放して下さい。お話はそれから。」
姫君は俺を目の前に...微かな芳香。眼が、眩む。
「嘘をついても、逃げられませんよ。」
「それは、お誓い、申し上げます。」
生身の、人の指に捕らえられ、何の抵抗も出来ない。
こんな事は今まで。ただの一度も。
「主は人の身の限りを超えて、御使いを、貴方様を、護っておられます。
しかし、その負担は...それが主の体に。」
「そう、か。やはり、私を護る負担が、あの御方を。
その御体を害してまで、護る価値など無い、この身を...あの御方は。」
姫君は、懐から小さな、細長い袋を取り出した。
白地に銀糸の刺繍。白く細い指が、袋の口を開ける。
全身が、総毛立つ。
かつて感じたことの無い、寒気。
姫君が袋から取り出したのは、予想通り、小さな白鞘。
刃渡りは、一般的な短刀の半分程か。しかし...
刀身の輝きと、見事な刃文。十分な殺傷能力を秘めている。
そう。自らの命を絶つ為なら。
小さな笑い声。冷たく乾いた、不吉な響き。
「これは父上から賜った刀。物心付いた時から傍に有った。
そして父上は折に触れ、その使い方の子細を教えて下さった。忘れもしない。」
『胸や喉を突くのは下策じゃ。女子の力で着物の布地を突き通すのは至難。
喉を突いたとしても、声を失うだけで死ねない場合が有ると聞く。
だから...刃を、こう。耳の下に当てて、力一杯引く。それで良い。』
これは恐らく、父親の、声色。
年端もいかぬ、それも女子に、何故そんな...そうか。
「父上は、異形の私が世を儚んで、この短刀を使う日を待っておられたのだろう。
しかし父上の為で有ろうが、妹達の為で有ろうが、使う気にはなれなかった。」
「何と、無礼な。神勅の自覚が無いとは言え、『御使い』に対して。」
「いや、無礼どころか、今、心から父上に感謝している。
この短刀を賜った事。その使い方を教えて下さった事。全てに。」
「姫、お止め下さい。どうか!」
「邪魔をする事は許さぬ。ただ...あの御方に伝えておくれ。
『心の底から、お慕いしておりました。』と。」
姫君の眼光に射すくめられたからなのか。体に、力が入らない。
ただ、床の上で無様に這い回るのが精一杯。
姫君は短刀の柄を両手で固く握り締め、その刃を、左側の首筋に当てた。
駄目だ。これでは、もう。
思わず、眼を閉じた。
「これは...何が?」
戸惑ったような、姫君の声。 恐る恐る眼を開く。
!? 姫君を取り囲むように浮かぶ、大きく緑の...葉?
しかし幹も枝も無く、葉だけが無数に。そんなことが?
いや、そもそも。これらは、葉なのか。
『お前は使命を果たしていない。だから今、此処で死ぬのは、許されぬ。』
この声、聞き覚えが。いや、それどころか、馴染みの声。
何時も一方的に指示を出すだけで、一切の質問を許さない。
それが...その本体が、緑の。
「私の短刀は、一体、何処に消えた?
それに、使命とか、神勅とか、訳の分からぬ話は沢山だ。」
確かに。
姫君の首筋に押し当てられた短刀も、床に置かれた布袋も、跡形無く。
いや...姫君の首筋に、小さな赤い球。血、か。
それは姫君の首筋を離れて浮き上がった。
そして無数の、緑の葉の中へ消えていく。
『この血を、お前の覚悟と器の『証』と認めよう。
ただ『訳の分からぬ話』。確かに、その気持ちは理解出来る。
出来るだけ簡潔に、事の経緯を纏めて、お前に伝えよう。』
それら、緑色の葉(?)は一瞬で配置を変え、姫君の前に積み重なった。
『我がこの地に降り立って、長い長い時間の後。
我の気配を感じ散る不思議な幼子、女子に巡り遇った。
その女子を模した故、お前は、純白の肌と髪、そして真紅の瞳。
そして、更に不思議な事に、その女子を生んだ一族は、
人と神の橋渡しをする技術を持っていたのだ。』
「人と神の橋渡し...つまり、巫の。」
『その通り。我は、その一族に寄り添い、その有り様を見詰め続けた。
だが、一族の歴史は我の期待とは違う道を辿った。『稲作』が拡がるにつれて、
その技術は人々の支持を失い、崩れて散り散りになっていったから。』
「日々の食が保証され、人々が、思い上がったのか?」
『土地によって、展開は異なる。故にその問いに対する答えは保留。
しかし、41年と131日前。さる地で生まれた男子が流れを変えた。
その男子は一生を掛けて術の欠片を拾い集め、その技術を殆ど復元したのだ。
お前の夫の父親。負担に体が耐えられず、早世したのは残念だったが、
その術は男子の妻を経て一人息子に、お前の夫に伝えられた。
人と神を結び、人の魂を『光』に導く術。』
「では、私の『使命』とは。」
『3人の、あるいはそれ以上の子を成し、健やかに育てよ。』
「もし私が、子を産めなかったら?」
『その真紅の瞳で、相応しい女性を探し出せば良い。』
「...あの御方は未だ、私に指一本触れぬが、それは?」
『あの男は、お前を信じて、日々懸命に精進している。
なのに、お前は、あの男を信じられぬと?』
「無礼な!! 私は、あの御方を信じている!だからこそ。」
『信じ合う二人、実に美しい。なのに、考えなかったのか?
お前が自ら命を絶てば、あの男はどうなるかと。』
「あ...」
『正直な所、我は次の機会を待つのを厭わない。
全ての生物が、そして人が『光』を目指す性質を持つので有れば、
我はただ、気長に待てば良い。何時か必ず『それ』は成し遂げられる。
それが、お前と、あの男の手によるものでなくとも』
次の瞬間。部屋を満たしていた緑の葉が全て、砕け散った。
部屋の空気を震わせる、低い笑い声。
何時の間にか、姫君は立ち上がっていた。
『随分と、舐められたものよな。我が娘は。』
『ああ、ようやく、姿を現して下さった。
生物を、人を守護する御方。我の居場所を作って下さった、御方。』
『恩を忘れた訳では無いようだな。』
『勿論。決してそのような事は。』
『では、この後如何にするつもりか?
例え方便であろうと、我が娘と、その夫を愚弄したのだ。
納得できる結末を用意しているので無ければ、其方も。』
『お任せ下さい。『道標』を用意しております。その名は『秋津』。
相応しい資質を持つ男であれば、必ずや『道標』が示す道を見つけるでしょう。
では、秋津。引き続き『御子』を頼む。』
何を無茶な。
今の今まで『御子』について、『御使い』について、何の説明も無く。
それでいて、『引き続き頼む』? あまりに手前勝手な。
「『秋津』の名を賜ったのだから、今、我の主はあの男だ。
護れと言うなら全力を尽くすが、頼むと言われても、如何にすれば良いのか。」
『あの山の、頂。小さな、泉。機をみて、主を案内せよ。』
「しかし、あの泉の水は。」
答えは無く、2つの気配は消えた。
部屋に残されたのは、横たわった姫君。
そして、その安らかな寝息。
『黎明(下)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




