4301 黎明(上)
以前の掲示板では未公開の作品、『黎明』の投稿を開始します。
体調不良の為、連日の投稿は出来ません。
数日に一回の投稿になると思いますが、お楽しみ頂ければ幸いです。
4301 『黎明(上)』
「『開祖様』、ですか。」
姫の、戸惑ったような表情。
穏やかなティータイムにはそぐわない。何か、マズい事に触れたか?
いや、そんな筈は無い。少し唐突だったかも知れないけど。
「はい。どんな御方だったのかと、ずっと考えてて。」
あの、特級の霊域。一族最古の式『秋津』さんから聞いて以来、ずっと。
自分なりに、図書室の資料も探してみたんだけど。
「でも、図書室の資料に記録が無いんです。
それでLさんなら何か、聞いた事があるんじゃないかと。」
丹を抱いたまま、姫は俺を見詰めた。
「『開祖様』の資料は、お屋敷の図書室には有りません。
当主様のお館の資料庫にも、無いと思います。」
「そんな、何で...」
一族の始まり。
どんな昔話でも、それは最重要事項。
その記録が残されていない。そんな事が、有るだろうか。
「一族に関わる伝承や記録は、3種に分類されています。
1つ目は『用』。これは全ての術者に公開されていて、図書室にも有ります。
2つ目は『秘』。当主様の館、資料庫に保管され、
術者で有れば、必要に応じて閲覧が可能。そして3つ目は。」
姫は言葉を切って、小さく溜息をついた。
「3つ目は『匿』」。特に古い、あるいは重要な資料。
例え当主様でもアクセスに制限が有る、そう聞きました。
「当主様さえ、制限が?」 「はい。」
有り得ない。当主様は、全ての術者を統括する権限を持つ。
その有り様は『現人神』そのもの。それなのに、制限?
「当主様に、制限を課す存在が有ると?」 「はい。」
仮に当主様が、俺と同じく『開祖』の資料を調べようとしたとする。
そしたら、資料へのアクセス制限がかかる。
...そんな、馬鹿な。
それが本当なら、『上』ですら足下に及ばぬ権限を持つ存在。
そんなものが、実在していると言うのか?
「『匿』の資料にアクセスするには、申請して許可を得る必要が有ります。
一族の『記憶』を保持する存在。『智慧と記憶の管理者』に。
ただ、Rさんは既に『秋津』さんと接触して、
『開祖様』の情報を一部入手しています。それを鑑みて、
より詳細な資料にアクセスする許可が下りるかも知れません。
手続きは私がします。ただ『不許可』になったら、諦めて下さいね。」
「それは、勿論です。」
例えば『御影』さんの出自。一族に武を指南する立場。
その権限は相当なもので、当主様と『上』に戦略を進言出来る。
でも、戦略上の秘密とは言え、当主様にアクセス制限を掛けるなんて。
そんな制限を課す存在など、有り得ない。
『智慧と記憶の管理者』って、一体?
「何だか、あっさり許可が下りたわ。
拍子抜けって言うか...まさかと、思ってたんだけど。」
「『開祖様』の資料、アクセス許可ですか?」
「そう。指定されたのは明後日の午後2時。ただし、あなた一人だけで。」
成る程、これは。
今まで何度も死線をくぐり抜けて来た、その自負は有る。
しかし、大抵はSさんか姫と一緒だった。でも今回は、最後まで俺一人。
今の『家族』との充実した生活を対価にしてでも、知りたいか?
資料の閲覧申請を取り下げれば済む話、だ。
いや、今の生活を対価にしなければならないと、決まった訳じゃ無い。
むしろ、それなら許可が下りる筈が無い。
申請は姫から当主様へ、そして『智慧と記憶の管理者』へ。
そして、許可が下りたと知らせてくれたのはSさん。
決定的な問題が有るなら、その過程の何処かで、ストップがかかった筈だ。
つまり、この情報へのアクセス自体に問題はない。
文字通り、俺は、アクセスを許可されたと考えて良いだろう。
なら、覚悟を決める。それ以外に、道は無い。
「え~っと。その場所は?」
「当主様のお館で、指示される。口頭でね。一応言って置くけど。」
「メモや録音は不可、ですね?」
「無事に帰ってきて貰わないと困るから、くれぐれも...」
涙ぐんだSさんの頬にキスをした。
「大丈夫、無事に帰ります。必ず。」
「お願い。」
早めに昼食を取って出発。『聖域』で、桃花の方様から指示が有った。
聞いていた通り、口頭での指示。メモも、録音も不可。
その後、更に県境を越えて車を走らせる。
古い、小さな街。その街を横切って、反対側の山手へ。
間違いない。この建物だ。
小さな図書館と言われれば、そんな気もする。
でも、イメージ的には富裕層の別荘。そんな感じ。
駐車場に車を駐め、入り口へ向かう。
看板や表示は一切無い。
『聖域』での指示が無ければ、入り口に向かう勇気は出ないだろう。
入り口に立つと、大きなガラス張りのドアが開いた。
その向こう、ロビーっぽい空間は、柔らかな光に包まれている。
深呼吸。覚悟を決めて、ドアを潜った。
ロビーの対岸に、小さなカウンター。
歩み寄ると、呼び出し用のベル。金色の輝きが目に痛い。
そっと、ベルを鳴らす。数秒後、無機質な声が響いた。
「御予約の、R様でしょうか?」
「はい。御指定の時間よりも少し早いかと思いましたが。」
「...構いませんよ。遅れるよりも、ずっと、良い。」
『声』の主。予想が出来ない。
最初の声は、何処か華やいでいて、若い女性のように聞こえた。
でも、その次の声は熟年の男性のような、低く渋い声。
小さな施設だけど、複数の人が対応してくれるのか。
次の瞬間、カウンターの端に人影。
一体、何時の間に。そして、何処から? 背筋が冷える。
「確認と照合が終了するまで、掛けてお待ち下さい。」
!? 掛けてって...でも、椅子なんて。
いや、有る。豪華な、革張りのスツール。並んで、3脚。
誓っても良い。ついさっきまで、このスツールは無かった。
なのに。
「確認と照合が終了したので、正式な来館者として歓迎します。
...お待ちしてました。いや本当に、待ちくたびれましたよ。
そう、貴方は、24年と142日ぶりの来館者です。」
足音は聞こえなかったし、気配の動きも感じなかった。
でも、俺の目の前。カウンターの向こうに『それ』は立っている。
初老の女性。いや、男性か。
高級店のバーテンダーみたいな服。図書館の司書とはかなり違う雰囲気。
「申請の内容からして、長丁場になります。どうぞ、お掛け下さい。
言われるまま、スツールに座る。
次の瞬間、目の前に磁器のティーカップ。
ああ、この香り。知ってる。紅茶、『プリンス・オブ。ウェールズ』。
立ち上る白い湯気。でも、一体、どうやって?
「ああ。データが記録されていれば『再現』出来るのです。
飲み物でも、料理でも。前回の来館者の希望は、焙じ茶、でしたかね。
もう少し大がかりな事も出来ますよ。こんな、風に。」
景色が、変わった。
何処までも、遠く拡がる草原。心地良い風が頬を撫でる。
続いて、夜空一面に舞い踊る光の帯。凍えそうな冷たい空気。
オーロラ? でも俺は日本の、季節も。
我に返る。
其処はロビー、小さなカウンター。
でも、あの光景は幻じゃない。
袖口に張り付いて、溶け残っている雪の結晶。
視覚を、感触を、再現する術なら知っている。
それは例えば、『あの人』が最後に見せてくれた、輝く草原。
でも、これは全く違う。今、俺は一瞬で草原から極光の雪原に。
雪の結晶が溶けて、少し湿った袖口が何よりの証拠。
「貴方は一体、何者なんですか?」
「本館で『記憶』を管理している者ですが、『何者か?』とは?」
「私には、貴方の姿が見えています。さっきの草原やオーロラと同じく。
でも、感じ取れない。目の前に立っている貴方からは『生命』が。」
その『人』は、微笑んだ。
「ふむ。情報の通りですね。その感覚も、適性も。
それなのに、『何者なんですか?』と、それも『貴方』と。」
ロビーに響く、低い笑い声。
「これは失礼。化け物扱いされる事が普通だったのでね。
...いや、前回の来客も、化け物扱いはしなかったな。
とても、素敵な方でしたよ。
さて、『言霊遣い』の前で、この姿は無意味。」
初老の、性別不明の人物。それは、一瞬で変化した。
『それ』を、何と表現すれば良いのか分からない。
人では無く、獣とも思えない...植物のような、鉱物のような。
カウンターの向こうで揺れる、透き通った、緑の葉のような無数の『それ』を。
「長い旅の果て。この星に辿り着いたのは、132115年と45日前。
科学というものは、行き着く所迄行くと、退屈させるのですよ。
不老不死、病まない体。その結果無限に、延々と繰り返される日常。」
頭の中に直接響く、柔らかな声。
今、聞いている話が事実なら。この『存在』は。
「それで、旅に出ました。あなた方風に言えば『星間旅行』に。
膨大な時間、戻れる保証も無い。だからこそ胸が熱くなったのです。
まあ実際には、面白い事など、それ程多くはなかったのですが。」
やはり、そうだ。この『存在』は地球外から。
「ただ、この星は他の星と全く違っていました。実に興味深い。
目も眩む程豊かな生態系、そして何より、あなた方。
知的生命体なら、他の星にも存在していました。特に珍しくは無い。
でも、あなた方の中には、不思議な手段を持つ者が居たのです。」
「不思議な、手段?」
不死と星間旅行を可能にした文明が出自。つまり、究極の叡智の所有者。
なのに『不思議』とは。
「あなた方が『神』と呼ぶ『精神生命体』との交流。
その『正しい手段』の継承者。ただ...どう言えば良いのか、
生命体と精神生命体が交流する『正しい手段』は知られていませんでした。
当然、その手段が確立された例も皆無。
なのにどうして、この星でのみ、その手段が確立されたのか。
本当に、驚きましたよ。
私以前に辿り着いた何者かが関わっている可能性を疑う程に、ね。」
ロビーの中を、冷たい風が吹いた気がした。
「まあ、年寄りの昔語りはこの辺にしておきましょう。
あなたの申請に有る『開祖』とは誰か。それが問題です。
仮に『血』の系譜を辿るとなれば限りが有りません。
それこそ、数万年でも、数十万年でも。
お望みなら、人が猿から分岐した時代まで辿る事が可能ですから。
ただ、あなたの言う『開祖』とは、かなり新しい時代の存在のようだ。」
その通り。
Sさんから聞いた限りでは、一族の歴史は1000年余。
「はい。秋津さんという『式』と関わる御方。
僕が知っている手がかりは、それ位ですが。」
「秋津...成る程。それなら、かなり詳細な記録を所持しています。
当該人物。それと関わりの深い人物。更に、秋津の記憶。
それらを基にした情報を再構成して、開示しましょう。
それで、宜しいですか?」
「はい。是非、そのように。」
「では、これを見詰めたまま、最も深い呼吸と集中を。どうぞ。」
目の前で揺れる、大きな葉(?)が一枚。
まるでエメラルドのように透き通った、鉱物質の...
次の瞬間、俺の意識は1000年余の時と数百kmの距離を超えた。
『黎明(上)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。
次回以降も、投稿間隔・投稿時間は不定期になると思います。
どうか御了承下さい。




