4201 制服の君(上)
『制服の君』、投稿開始。お楽しみ頂ければ幸いです。
4201 『制服の君(上)』
「只今、帰りました。」
「お帰りなさい。コーヒー、入ってるわよ。」
Sさんを抱き締め、額にキスをする。
Sさんは少し不満そうな顔で、俺の唇にキスをした。
「それで『制服の君』はどう?未だ、変化はなし?」
「う~ん、何となく雰囲気が変わったような気はするんですが、
もう少し、かかりそうな感じですね。」
「そう...ま、良いじゃない。
早朝サイクリングとウォーキング、健康維持には最高。」
「確かに、修行の準備運動だと思えば...
でも、暑くなってくるとキツいかもしれませんね。」
毎朝、少しずつ設定を変えて繰り返される遣り取り。
キスと同じ、2人のルーティーン。
俺もSさんも、重々承知している。実際はそんな軽い内容ではない。
もし春の終わりまでに解決出来なければ、恐らく1つの命が尽きることになる。
高校、多分3年生。その女生徒を初めて見かけたのは今年の1月末。
ある仕事のため、未明の街を歩いている時で、全くの偶然だった。
仕事の場所に向かって長い上り坂を歩いていて、下りてくる彼女と擦れ違った。
薄明るい歩道に殆ど人影は無く、200mも前からその気配を感じていた。
姫が通っていた高校の制服。
坂を下りきった所は電車の駅で、そこからの時間を考えてもかなり早い登校。
部活、いや、鞄だけだから早朝講座か。
きちんと着こなした制服、綺麗に結い上げた髪。
少し薄い唇をきりりと結び、硬い表情。
隙のない美貌は、朝焼けに染まり始めた街の中で異彩を放っていた。
だが、それよりも。
ハッキリと見える。
というか、あまりに強く感じるから、自然に視覚化してしまう。
綺麗な着物を着た若い女性、どこかしら『制服の君』に似た美貌。
その姿がかなりハッキリしているから、強い『心残り』があるのだろう。
しかしその表情からは、憎しみや苦しみが伝わってこない。
憎しみや苦しみに囚われ、不幸の輪廻と繋がっている霊であれば、
この世界でその存在を維持する為のエネルギーを宿主に依存しない。
不幸の輪廻との繋がりがないからこその、深刻な事例。
その存在を維持するために宿主の、『制服の君』の生命力を少しずつ消費する。
かなり長い期間憑依しているようだし、
日々の積み重ねは無視できるものではない。
実際、初めて見かけた時よりも、『制服の君』は痩せている。
このままでは保ってあと一ヶ月。
生命力があるレベルを下回れば突然に、そして確実に『終わり』がやってくる。
それまでに何とかしなければ、俺とSさんは下見をしてから相談を重ねた。
「すごく頑なで、働きかけても反応は有りません。
幾ら早朝で人通りが少ないとは言っても、街中で大がかりな術は使えない。
家族に話してと言う訳にもいかないし。」
普通に登校しているのだから『制服の君』には自覚がないだろう。
まして家族には。
家族に連絡を取ったところで胡散臭い詐欺師か何かだと思われるのが関の山。
一族には医者もいるが、検診を受けてもらう口実がない。
病気という設定にも無理が有る。
「でもこのままにはしておけません。何とかして...
あ、いや、彼女が綺麗な娘だからと言う訳じゃないですよ。」
「馬鹿ね。そんなの言わなくても分かってる。でも。」 「でも?」
「この件に関しては、あなたが彼女に好意を持った方が楽だったかも。」
「どういう、事ですか?」
「あんな状態で、一番伝わりやすいのは好意だからよ。
半端な興味や同情よりも、ね。悪意や憎しみをはねつけて来たからこそ、
不幸の輪廻との繋がりは出来なかったんでしょうけど。」
「言霊で、告白しろって事じゃないですよね?本気じゃ無いと言霊の効果は。」
「まさか、突然そんなことしたら即『声かけ事案』で通報される。
運が悪ければ逮捕&連行だわ。
榊さんは極上のネタを手に入れて大喜びするでしょうけど。」
少し、目眩がした。
「じゃあ、一体どうすれば?」 「これから毎朝、あの娘とすれ違って。」
「へ?毎朝、すれ違うって...」
「別に難しくないでしょ。
『制服の君』の登校時間に合わせてあの坂を上るだけだもの。
すれ違いながら、念を送る。『あなたと話したい』って。
勿論相手は着物の女性の方よ。」
「冗談、なんですか?」
毎日となると、毎度Sさんに送って貰う訳にはいかない。
当然、姫と子供達は深い眠りの中にいる時間。
自転車と徒歩だとしたら、修行は。
「冗談なんかじゃない。正直一番リスクが少ない方法がそれ。
積み重ねた念が彼女に届いたら、何か変化が起こる筈。
それを見逃さず、あなたが言霊を使う。
後の始末は私がする。問題は、それまでにどれだけの時間がかかるか。」
「毎日積み重ねても、間に合わないかも知れないって事、ですね?」
「そう。」Sさんの横顔。微笑に潜む、深い憂い。
「やります。多分これも多生の縁。
なら、きっと僕の念が彼女に伝わると、信じるしか無いですよね。」
「うん、良い返事。」 Sさんの笑顔は優しく、温かかった。
長い上り坂。彼方に『制服の君』の姿を認めたら、陸橋を降り坂道を上る。
視線を散らすことなく、一定のペース。健康志向のサラリーマンの徒歩出勤風に。
勿論それっぽいナップザックを背負い、目立たない服と靴。
彼女以外の興味を引くのは極力避けるべきだ。
かなりのペースで『制服の君』の姿が大きくなる。
ぴいんと伸びた背筋。すらりと長い足と大きな歩幅。
そしてその姿に重なる、美しい人。擦れ違う瞬間、念を送る。
『あなたと話したい。』
勿論視線は真っ直ぐ前方、他の人に怪しまれてはならない。
少し遅れて、微かに良い香り。香水ではない。石鹸、だろうか。
残念だが今朝も変化はない。そのまま歩き続け、坂の頂点で横断歩道を渡る。
行きと反対の歩道を下るのは万一に備えて。
もし忘れ物か何かで『制服の君』が引き返して来て、
同じ男と擦れ違ったら不審に思うだろう。
ストーカーか何かと勘違いされ、登校方法を変えられたら元も子もない。
坂を下りきったらもう一度横断歩道を渡り、
陸橋下の駐輪スペースに停めた自転車で帰宅。
そんな生活が半月ほど続いた、朝。
擦れ違う少し前、『制服の君』の気配が揺れた。
僅かに動いた視線が俺を捉える。間違いない。
もう一度、遠ざかっていく気配に念を送る。
『そう、私です。あなたと話したい。』
お屋敷への帰り道、自然と自転車の速度が上がった。
「間違いない、のね?」
「はい。確かに、僕の方を見ました。そう、思います。」
「明日からは私も一緒に行く。多分あと数日はかかると思うけど、念の為。」
Sさんがスタンバイするのは俺と『制服の君』が擦れ違う地点から十数m。
駅に近接したバス停のベンチで新聞を読んでいる。
暖かそうなスポーツウェアにサングラス。
怪しいと言えば怪しいが、見事に気配を消しているから訝しむ人はいないだろう。
それは、Sさんがバス停でのスタンバイを始めて3日目の事だった。
いつものように擦れ違う。『制服の君』の視線が、今朝も俺を捉えた。
擦れ違って2歩目。背後から、鈴を振るような声。
『あの、どうしてですか?』
来た。心の動きを抑え、振り返る。
近くに通行人はいない。視界の端、ベンチに座るSさんの姿。
「ええと。僕ですか?僕は何も。」
「とぼけないで。いつも擦れ違うとき私の顔見てますよね。どうして、ですか?」
俺は深く頭を下げた。
「御免なさい。毎朝、美しい人に会える事を楽しみにしていました。
今朝もその幸運を喜んだだけで、決して悪気は有りません。」
『美しい?』
声の調子が、変わっている。俺を呼び止めた時の声ではない。
「はい。貴方は美しい。
嘘をついても、私には何の得もありません。お判りでしょう。」
着物の女性は目を閉じて俯いた。何かを、思い出そうとするように。
深く息を吸い、下腹に力を入れた。
『お助けしたいのです。貴方と、貴方の魂が依代とした、その娘さんを。』
『助ける?』
『はい。死後、その故郷へ旅立てぬ魂を、私は不幸だと思いますから。』
その女性はゆっくりと辺りの景色を見渡した。
青いジャージを着た高校生らしい男子が通り過ぎた。
一瞬感じた視線、立ち話をしているように見えるだろうか。
『では私は、既に死んでいる。
なのにどうして、今尚、この世に留まっているのでしょうか。』
『時を待っておられたのでしょう。魂の故郷への道を示す者が現れる時を。』
『あなたが、案内してくれるのですか?私を?』
『正直に言えば、未だそのための手がかりがありません。
しかし、私にお任せ下さるなら、必ず魂の故郷への道を。陰陽師の名に賭けて、』
『陰陽師。そして、魂の、故郷...あなたは。』
『制服の君』が目を閉じる。
崩れ落ちる身体を、Sさんが背後から抱き止めた。
『制服の君(上)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




