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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第5章 2014~2015
162/279

4106 風の花(結)

『風の花』、完結です。

次作の検討と投稿準備の為、明日からお休みを頂きます。

4106 『風の花(結)』


『里の人共、山の獣共。皆、うち揃い、この目出度き夕べに集え、言祝げ。

冬が訪れ、来たるべき春が約束される。目出度い、本当に目出度い。』


しっとりと柔らかな、落ち着いた声。Sさんの謡。


『もし、そこな巫女。一体何を、そんなに目出度いと言うのか?』


Sさんの謡を追いかける、鈴を振るような声。これは翠の謡。


駆け出しの頃、古の言葉を聞き取れず、当然その意味も分からなかった。

だが俺の適性と修行の成果か、今なら意味をほぼ理解できる。

でも、これでは役割が逆じゃないか? 本来なら、翠が巫女の役を。

年齢や役割の設定からしても、その方が自然なのに。

俺の些細な疑念をよそに、二人の謡は淀み無く続く。


『その眼は節穴か。この雪を見よ。年神様が御渡りになり、冬が来る。』

『何を言う。年神様は未だこの御社にお籠もりであられる。』


『天岩戸』の故事をなぞる。それがSさんの策。


新たな年神様が現れたと偽り、陰神様の注意を引く。

Sさんの見込みに間違いがなければ、それが『再会』の媒となる。

しかしこれは、危うい。

偽りで神を騙れば、当然、相応のリスクを背負う。


もし見込みと違った事態が起きたら、どう始末を付けるか。


『位』の高いSさんなら、神々との『交渉』が可能だ。

でも、偽りで神を騙るのが『交渉』と見なされるか。

『交渉』でなく『不敬』と見なされれば、激しい怒りを買う可能性が有る。

しかも、陰神様。同性だから、Sさんの術は届かない。姫の『声』も。


Sさんの策以外に方法はない。それは確かだ。

ただ、神々と人の倫理観はかなり違う。

方便で偽りの神を騙り、再会を媒出来たとしても、その方便を咎められたら...

どう考えても、神様の怒りを静める術が無い。


!? そうか。だからSさんが新たな神の出現を騙る巫女の役を。

もしもの時は、自分一人がその責を負う気で。そんな。


『新たなる神。年神様が、この地に冬を招いて下さる。』

『新たな年神様とな。ならばそれは、一体どのような神であるか。』


Sさんは右手で大きく撫でるように地を掃き、次いで静かに天を指した。


『その御威光もて冬を統べる、青き龍の神である。目出度い、目出度い。』


微かに、地面が揺れた。何か、途方もない気配が御社の地下に。


姫は微笑んで、宝玉を首にかけた。その色は元の漆黒に戻っている。

それなら今、此処に降っている雪は...

気配は、湧き上がるように地下から御社の中へ移動した。

今、その注意は確実に俺達に、いや、Sさんに向けられている。


思わずSさんの顔を見た、もしもこの後の筋書きが狂ったら。


「大丈夫、見込みは間違ってなかった。ほら。」

Sさんの視線を辿る。御社の正面に、初老の男性が立っている。 

夜目にも鮮やかな、銀白色に光る髪。


『・・・・り・・・・くそくの・・ばは・・の・まえ・・・・・・・て・・』


間違いない。男性の声、だ。

気配は今、その男性に注意を向けている。思わず溜め息。これで多分、大丈夫。


『・・・玻璃・・・約束の言葉は君の名前・・・・待たせて・・』


!?

突然流れ込んだ映像と会話が、意識を埋め尽くす。酷い目眩。

足下の地面が消え、地中深く落ちていくような。

思わず、藍と丹を強く抱き締めた。



「あの、ね...あ、そうだ。10時からTVで。」

「もう5回目、だよ。そろそろ話してくれても良いんじゃない?

君が切り出すのを躊躇ってるのが別れ話だとしても、驚かない。

最初から君と僕とでは到底釣り合わないと思ってたから。

...もし今度の里帰りで君の御両親が」

「違う!そんなんじゃない。」 「それなら一応安心。で、何?」


「初めて出逢った日の事、憶えてる?」

「君が職場に来た時の事なら、でもわざわざそんな...もしかして。」

「もしかしてって、何?」

「職場で出逢う前から、君によく似た人の夢を、見てた。」

「どんな、夢?」 」 「笑わない?」 「笑ったり、しないわ。」


「何だか柔らかくて暖かくて、眠い。その時、眼の前に、女性の顔が。

『寝てはいけない。』って。その女性が君にとても似てて。え、待って、何?」

「3年前、大雪の中であなたを助けた。憶えててくれたのね。」

「あの大雪の...『助けた』って、どういう事?どうして、君が。」

「笑わない?」 「笑わないよ。」


「きっと、信じてくれる?」 「信じる。多分、いや、絶対信じる。」

「私の実家での仕事。少しだけ、話した事があったでしょ?」

「新しい年を統べる神様をお祀りするために、だから毎年秋の終わりから。」

「本当は、私が祀られる立場。」 「...?」


「あの日の大雪は私が降らせたの。『侵入者』を退けるために、仕方なかった。

当然、山の者達は予め察知して難を逃れた筈だったけれど、

どうにも胸騒ぎがして見回りに出た。

それで、見つけた。急拵えの雪洞。その中で雪に埋まっていたあなたを。

私、どれだけ驚いて、どれだけ嬉しかったか...」


「僕は...変、なのかな?」 「どうして?」

「あの大雪を降らせたのも、凍死していた筈の僕を助けてくれたのも、君。

それに、『祀られる立場』って。そのまま受け取るなら、君は神様、だ。」

「その通りよ。私は。」

「そんな突飛な話を、何故か嘘だとは思えない。

むしろ、それでやっと納得できる。

あの日すっかり雪に埋まっていた僕が普通に目を覚まし、

凍傷の1つさえ負わなかった訳が。だけど。」


「だけど?」

「何故君みたいに素敵な女性、いや、神様が僕を助けたのか。

助けただけじゃなく、その、こんな風に一緒にいてくれるのか。

それが分からない。僕が、そんな価値のある人間だとは、とても思えないのに。」


「ずっと、ず~っと昔。私とあなたは一つだった。

もうそれが何時の事だったのか分からない位、昔に。

そして、分離した時に約束した。必ずもう一度、と。」


「僕は君の、欠片なんだね?小さな、とても小さな。」


「力の大小と、魂の価値は関係ない。旅立ち、成長し、何時の日か還る。

あなたを見つけて、『その時』が近いと分かったけれど、

あの日は未だ、『その時』じゃなかった。

だから出来るだけ一緒に暮らして、待つつもりだった。」


「『だった』って事は何か、事情が変わったんだね?」

「そう。子供が必要になったの。『使命』を託すために。」

「君と僕の、子供?」 「そう。」

「一緒に暮らして、子供が生まれるのは自然な事だよ。何故わざわざそれを。」

「...子供に『使命』を託したら、私は此処にいられなくなる。」

「まるで、天女伝説みたいだ。でも僕は、君を失ってまで...」



唐突に、目眩と耳鳴りが治まった。

戻ってくる。膝をついた地面の感触と、抱きしめた藍と丹の体温。


「Rさん、最後の仕上げです。」

姫の声に促されて立ち上がる。

既に御社の中に気配はなく、男性の姿も見えない。

雪は降る勢いを増し、白い闇となって御社と俺たちを包んでいた。


片膝を付き、Sさんは小声で何事か呟く。恐らくは『再会』を言祝ぐ言葉。

ゆっくりと立ち上がり、ようやくSさんの表情が緩んだ。

「これで冬が、新しい年がやってくる。」

そのこめかみを伝う、この寒さの中で、冷や汗?


当然、だ。さっきの儀式のリスクは『禁呪』の比ではない。

今更に、Sさんの『力』と『自負』を知る。


「さあ、帰りましょう。急がないと私達が凍えちゃうわ。」

そうだ、この調子で降り続いたら、帰り道が...

ランタンモードにして床に置いていた大型のLEDライト。

そのスイッチを前照灯モードに切り替えた。


俺が藍を、姫が丹を抱く。車を停めた場所までは多分200mと少し。

一歩踏み出した。ライトに照らされて浮かび上がるSさんと翠の後ろ姿。

立ち止まり手を繋いだままで、2人は正面を見詰めている。

さらに一歩。横に立って、2人の視線をライトで辿った。


小さな階段。その先の地面には雪が積もっていない。

!? この雪の勢いで、まさか。


ゆっくりとライトを左右に動かし、辺りの様子を探る。

露出したままの地面は幅10m位。

御社の正面から前方へ、まるで緩やかにうねる道のように。

このまま車まで続いているとしたら長さは200mを越える。


この御社は、数十kmを隔てた◇★神社に正対していると聞いた。

そして、二つの御社を結ぶ線上に◇★湖。

ならばこの『道』は。上空で雪を遮っている『存在』とは。


「皆、上を見ては駄目よ。さあ、前へ。」

振り向いたSさんは、唇に人差し指を当てて微笑んだ。


それは、雪を遮っている『存在』への敬意。

方便を咎められなかったし、『再会』を媒することも出来た。

そして今、俺達の帰り道は雪から守られている。

だから多分、その御姿を見ても咎められる事は無いのだろうけれど。

皆、眼を伏せたまま、不思議な道を歩いた。



◇★湖で『御神渡り』が起きたのは、その日の深夜だったと聞いた。


一般に『御神渡り』が知られている湖はわずか。

ネットの情報には「日本では諏訪湖だけ」というものさえある。

だがこれは正確ではない。それが氷の体積変化によって起こる現象を指すのなら、

湖面が全氷結する湖の全てで、それは起こり得る。


ただ、それが『御神渡り』かどうかを神官が認定し、

結果を公表するのが諏訪湖だけ。だから他の湖で同じ現象が起きたとしても、

本来の意味での『御神渡り』ではない。何よりも。

今なお、古い伝承が息づく地域では、重要な神事を公開しない場合も多い。

つまり神官が『御神渡り』と認定しても、公表しない事例がある。


◇★湖もその例。

諏訪湖より南に位置するが、標高が高いので全氷結する期間がある。

しかし、その現象が起きる事は公にされていない。

かなり人里から離れていて、その痕跡は短期間で消えてしまう。

まれにその湖を訪れる旅人がそれを偶然眼にする機会も、皆無と言って良い。

多分、◇★湖の他にも


「お父さん。」


心臓が、止まるかと思った。つい、画面に集中してて。

「そろそろ夕ご飯の準備って、お姉ちゃんが。」

するりと、翠は俺の膝の上に座った。

「あ、これ...」 画面右下の写真に見入っている。


『御神渡り』で画像検索して表示された数々の写真。

「お父さん、これ、神様の通った跡でしょ?」

やはり翠が指さしたのは右下の一枚。

「そう、『御神渡り』。でも、他のは違うの?」 「違う。」 「どうして?」

「だってほら、これには神様の色が残ってる。他のはそうじゃない。」


神様の、色? 例えばオーラのような?

雪・氷。どの写真も俺には白一色。しかし、翠はその中の一枚に。


「お父さん。お父さんてば。」 「あ、ゴメン。何?」

「通った跡なのに、こう、なってるのは何故?」

翠は両手で大きく山の形を描いてみせた。

「足跡ならへこむはずでしょ。なんでかな?」

「足跡じゃない、と思う。へこまずに、盛り上がる理由は分からないけど。」


「足跡じゃ、ないの?」

「昨日の神様が通った後も、氷がこうなったって、お母さんが言ってたから。」

「...そっか、空を飛んだら、足跡はつかないね...」


一瞬で、深い思考に入る。

周りの空気の動きまで止めてしまうような、集中力。Sさん譲りだ。


突然、空気が動いた。

「分かった!」 するりと俺の膝から床へ。

一歩踏み出してから、翠は振り返った。


「行こう、お父さん。遅れたら怒られるよ。」

「翠、ちょっと待って。分かったって、何が?」

「え?」 「神様の通った跡が、こう、なってる理由。」

「翠が思ってるだけだから。」

「そんな、意地悪しないで教えてよ。ね、お願い。」

「翠は、お父さんに意地悪、なんか...」 翠の眼がじわりと潤む。


マズい。慌てて抱き上げた。


「ゴメン、言い方が悪かった。翠はお父さんより『見える』から。」

俺を見詰める、綺麗な瞳。そっと、頬の涙を拭う。

何とか最悪の事態は免れそうだ。

翠を抱いたまま廊下に出る。キッチンへ。


「翠が考えた理由を教えてよ。

それが正解に近いかどうか、後で一緒に、お母さんに聞いてみよう。」

翠はイタズラっぽく微笑んだ。


「うん。じゃあ今はお母さんには内緒ね。」

翠は俺の耳にそっと口を寄せた

「きっと、神様が通るときに、湖から・・・」


夕食の後でそれを聞いたSさんは、

『ほとんど正解』、そう言って翠を抱き締めた。


『風の花(結)』了/『風の花』完

本日投稿予定は1回、任務完了。

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