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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第5章 2014~2015
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4101 風の花(上)

『風の花』、投稿を開始。お楽しみ頂ければ幸いです。

4101 『風の花(上)』


「もうすぐ霜月が終わる。なのに何故、今年は未だ雪が。」

「雪だけでは御座いません。未だ『御神渡り』も。

このような年は、かつて記録に無く。」

「『御神渡り』のないまま新しき年を迎える事など、決して有ってはならぬ。」

「左様。かくなる上は『あの者』達に、依頼する他ありますまい。」


「陰陽師...あの、一族か。」

「その神器、『青の宝玉』は天候をも自在に操ると。ならばあるいは。」

「事、此処に至れば致し方ない、すぐに連絡を取れ。報酬も十分に用意せよ。」

「御意。」



『上』からのFAXに眼を通したSさんが、それを俺の手に握らせた。


「どう考えても、これはR君の領分だわ。」 重なる温もり。

「何故、僕の?」 「だって、『釣り』と関わりがある依頼だもの。」

...そうか。『釣り』なら、確かにそれは、俺の領分。


その依頼は、遍さん経由だと聞いた。

それなら、納得出来る。普通の人が術者に依頼する経路は無い。

一族内部の問題か、あるいは古くからの『貴賓』。

その依頼を『上』が受理すれば、然るべき術者が指名される。


ただ、内部の問題ならSさんが既に把握していた筈。

つまりこれは『貴賓』からの依頼なのだろう。

しかも、遍さんに所縁の...絶対に失礼は許されない、という訳だ。


数日後、とあるホテルの一室で依頼人に会うと決まった。

Sさんも姫もいないが、遍さんが立ち会って、依頼の内容を確認する。

依頼人に会う時、スーツを着たのは、初めてかも知れない。

自然と、気が引き締まる。



思わず、眼を疑った。依頼人は少女、16~18歳位?

美形という訳ではないが、不思議な気品。

年齢に見合わぬ落ち着きというか、どっしりと揺るがぬ存在感。

それより、こんな年端もいかぬ少女の依頼が『上』に届くなんて。

本当に、この少女が『貴賓』なのか?


「これが、この件を担当する予定の術者。名はR。

高位の術者の一人であり、何より『海』と『釣り』に縁があります。

きっと、貴方のご期待に添えるものと。」

遍さんの口調はまるで、当主様や桃花の方様に謁見する時のようだ。

『上』の主要なメンバーが依頼の場に同席するだけでも、異例中の異例なのに。


続いて、ありきたりの自己紹介。

その間中、心の奥で鳴り響く、警報。

危うい。遍さん経由の依頼なら尚更、これは。

俺の懸念を拭うかのように、遍さんは穏やかな表情で言葉を紡ぐ。


「父君の死にともなって、彼女は相当な遺産を相続した。

だから、報酬の用意について問題はない。身元も、依頼人として十分。

そして依頼の内容は、御本人から説明して頂く。」



「父を、成仏させて欲しいんです。その、迷ってしまったみたいなので。」


??? 『迷ってしまったみたいなので』

どういう、意味だ。


「あの、御父上が、何か障りの原因になっているという訳ではないのですか?

正直、『迷ってしまったみたい』なんて、今まで聞いた事もありません。」


死者が迷う事も、それが原因で生者に障りが出る事も珍しくは無い。だが。


「先日、使用人達とともに実家の整理をしておりました。

夕刻になり、作業に区切りを付けようとした時です。

『書斎に灯りが点いている』と、使用人が報告してきました。父の書斎です。

その日は一番に書斎を掃除しました。窓を開けて風を通しながら。

書斎は東向きで、日中に灯りを点ける必要などありません。

窓の閉め忘れとかならともかく、何故灯りが点いているのか。」


違和感、それとも既視感。その感覚を、何と表現すれば良いのだろう。

たかだか高校生の、この少女の物言いは。

余計な言葉も感情も挟まず、単純に的確に。

それは、どことなく御影さんの話し方に似ていた。


「それで御父上の、書斎に入ったのですね?」

「はい。」 「それで?」

「父が、いたのです。いいえ、父だと、思ったんです。

私の記憶の中で一番若い父よりも更に若く、まるで青年のようでした。」


「此の世に留まる死者が、自ら望む姿で現れるのは珍しくありません。

ただ、2つ疑問があります。

その御姿を見て、貴女が御父上だと思ったのは何故でしょう。

そして、『迷ってしまったみたい』だと思ったのは。」


「古いアルパムに父の写真が残っています、大学生の頃の。

その写真に良く似ていると思ったので思わず声をかけましたが、

父は怪訝な表情でそして『君は誰?』と。

私が誰か分からないのなら、父が私を憶えていない。そんな、事...」


その時初めて依頼人は、その少女は感情を露わにした。

零れる涙。嗚咽を堪えて震える、小さな肩。


「先程の話の通り、私は多分、海と釣りには幾許かの縁があります。

しかし、本来の適性は『言霊』。大変失礼な質問かも知れませんが。」

少女は握り締めていたハンカチで涙を拭き、顔を上げた。

俺を真っ直ぐに見詰める。灰緑色の瞳。


「何でも、お答え致します。それが必要な問いであるのならば。」


「生前、御父上は記憶を蝕まれるような病を?

それなら、貴女の事を憶えていないのもあり得ると思うのですが。」

「生前、父に認知症を疑うような言動はありませんでした。

それに主治医の説明では、死因は○▼。

脳の、記憶の障害を併発していたとは思えません。」

「それでは御父上が、迷われたとして、その原因は一体何でしょう?

色々な前例がありますが、この件については、それが御母様だとしか。」


「母が...何故、ですか?」


首筋に、刃を感じた。ヒンヤリと冷たい感触。もちろんそれは幻覚。

だが此処で躊躇えば、この依頼に応える事は出来ない。

静かに息を吐き、心を調える。その後で深く、息を吸った。


「此処まで聞いた内容と関係なく、依頼主は本来、御母様で有るべきでしょう。

しかし、依頼主は貴女。更に、今の今まで御母様についての言及がない。

貴女を憶えていないのなら、御父上の霊は貴女が生まれる前の状態という事。

つまり御父上と御母様の関係にこそ、解決の鍵が有る。

一体、御母様は?

それが分からないと、依頼を受けるべきかどうか判断出来ません。」


「あなたは本物の術師、なのですね。正直、私は信じていませんでした。

周りの者の勧めもありましたし、それで父に正しい道を示せるなら、と。

そう思っただけで。でも今は、依頼をして本当に良かったと思っています。」


やはり...息を吐き、そっと額の汗を拭う。


「母は、私を産んだ直後に、行方知れずになったと聞きました。

書き置きの類いなども見つからず、事故や事件の可能性も無いらしいと。」

「やはり貴女には、御母様に関わる記憶が。」 「はい、全く。」

「それでは、私は一体何を手がかりにすれば良いのでしょうか?」


そうだ、この件で俺が選ばれた理由。

『海』と『釣り』に縁がある術者として、俺が指名された。

それなら、ある筈だ。

未だ語られていない『海』と『釣り』、そしてこの件の関わり。


「これを、持ってきました。父の書斎で見つけたものです。」

少女がバッグからとりだしたのは、黒い革表紙の古いノート。

「日記、とは違いますが、父と母の関係が書かれています。

どれも釣りと関わる内容なので、釣りに詳しい方なら手がかりが、と。」


そのノートから滲む、濃厚な気配。前にもこんな、しかしあれとは全く違う。

その気配には一切の邪気がない。それは多分、愛情や憧憬に近い、強い想いだ。

「読ませて頂いても?」 「はい。必要な期間、お持ち頂いて結構です。」

直感に従い、表表紙に近いページを開く。丁寧に書かれた、几帳面な文字。


-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 『陽光』


 冬はタチウオ釣りの季節。

北東の冷たい風に震えながら、未明の波止に立つことも多くなる。

日の出を見る機会が一番多いのは、だから冬。


 光を受容する細胞に2種類あると知ったのは高校生の頃。

弱い光の下で「明るさ」に反応する細胞と、

強い光の下で「色彩(光の波長)」に反応する細胞。

だから月明かりや星明かりに照らされる世界には色がない。

太陽の明るい光があってこそ、世界は様々な色彩を纏う。


 未明の波止には微かな影の輪郭だけ。

モノトーンの世界は夜明けが近づくに釣れて色彩を取り戻す。

始め、その色彩は古いセピア色の写真のように頼りないが

やがて朝日を受け、驚くほど色鮮やかに、世界は輝く。


 逆に夕方の釣りでは、色彩の終焉を見送る。

残照の中で世界はゆっくりと色を失い、セピア色からモノトーンへ。

全ての色は眠りにつき、明日の再生を夢見る。


 仕事を終えて釣りに出かける途中、初めて妻を見かけた。

部屋へ帰る途中だったのか、買い物に出かける途中だったのか。

遠目にも、あまりに鮮やかな彼女の美しさ。一目で恋に落ちた。

たまたま彼女が仕事の都合で私の職場を訪れるようになり、

彼女を見かける機会が増えるにつれ、片思いは募っていった。


 そしてある日、世界が違っていることに気づいた。

通勤の道程も、いつもの波止も、住み慣れた寮の部屋までもが

なぜか生き生きと鮮やかに息づいている。

彼女の放つ光によって、私の世界が新たな色彩を帯びていた。

その時、私は理解した。あの古い歌の歌詞、その真の意味。


 彼女が話を聴いて笑ってくれるとき、私の言葉は意味を持ち

釣ってきた魚を褒めてくれるとき、私の釣技が価値を持つ。

今まで知らず長い夜の中にいたこと、その夜が明けたことを、私は理解した。

私は出会った。空でなく、この心に輝く、真実の太陽に。

二人で重ねた時間は2年。幸運にも、私は今も変わらぬ眩い光の中にいる。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-


確かに、これは釣り人にしか書けない文章。そう感じた。

そして1つ1つの言葉が、その女性に対する愛情と憧憬に満ちている。

何と瑞々しく、色鮮やかな、言の葉。


「確かに、これは日記と言うよりエッセイです。

御父上はこれらの文章を公表されたのでしょうか、例えば釣りの雑誌とか。」

「いいえ、そのような話は聞いておりません。

父は医者で、作家ではありませんでしたし。」

「なら好都合です。御父上の想いが未だ拡散していないなら、

このノートに、きっと手がかりを探せるでしょう。この依頼、承ります。」


『風の花(上)』了

本日投稿予定は1回、任務完了。

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