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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第5章 2014~2015
150/279

3804 鬼(結)

3804 『鬼(結)』


「今、奴がアパートを出た。バイクだ。

灰色のスウェット、角はニット帽で隠してる。後は、頼む。」


榊さんから電話があったのは夜8時前。

移動の時間を考えれば、此処に到着するのは約30分後。

件の大学が所有するセミナーハウス。榊さんが予め調べて手を回してくれた。

今夜宿泊する団体はないし、管理人も不在。


いや、この事件の当事者達が所属していた登山サークルが『宿泊予定』だ。

親睦会を兼ね、次の登山予定を話し合う会議が今夜此処で開かれる。

一昨日、そういう筋書きのメールが全部員に配信された。

しかし今夜此処に来ている部員は、女性1人だけ。

それ以外の部員は、『上』が手配した場所に隔離・保護されている。


人目を避け、鬼を滅する。

セミナーハウスの広い中庭は、これ以上無い舞台。しかし。

「御影さん、それでホントに欺せるんですか?もし見破られたら。」


そう、今夜逃げられたら、『期限』まで無差別な殺戮を止める策はない。


「鬼には殆どの術が効かないのに。」

あの時、確かに姫はそう言った。鬼は術者に対抗するために造られたから、と。

「案ずるな。これは鬼でなく、人の心に掛ける術。」

御影さんは寂しそうに微笑み、左手首に視線を落とした。


手首に巻き付けた白い紙縒り。中にはある女性の髪が縒り込んである。

「でも、既に人の心が消えてしまってる可能性も。」

「いや未だ、操者は未だ人だ。」 「何故、ですか?」


鬼が活動を始めて既に5日。

榊さん達の捜査が進むより早く、大学生4人が殺された。

全員、大学内でドラッグを密売していた者達だ。

4人も殺せば、『操者』の魂が鬼に呑まれてもおかしくない。


「既に4人殺されたが、全て男。つまり女が『最後』。

例え裏切られたと思っても、愛する者を殺すのを躊躇う。それが人の心。」

「なるほど、確かに。」


その女性、亜△という名の部員はセミナーハウスの中。

厳重な結界を張った部屋に保護されている。


「分かったら無駄なお喋りは止めろ。為損ずれば、全員死ぬぞ。」

その時。遠くからバイクのエンジン音が近付いてきて、消えた。


「来たな。R、配置に着け。」 「了解です。」

射手(御影さん)と勢子(◆成青年)は中庭の端のベンチに座り、鬼を待つ。

俺はベンチから少し離れて身を隠し、神器の弓矢を用意。


中庭を挟んで反対側、閉じた門の外に異様な気配。

高さ2m近い鉄の扉は施錠されているが、

鬼なら錠前を破壊するのに十分な、力がある筈。

しかし、それは門扉の上端に手を掛け、軽々と飛び越えた。


「師匠、あれ、ヤバいですね。」


確かに。鬼であろうと、操者は普通の人間。短時間なら対応可能。

それが今夜の作戦の前提条件。

しかし、あの身のこなしは明らかに普通の人間ではない。

かなりのアスリートか武術家でもなければ不可能だ。


しかし最初の被害者。牙や爪の痕こそ無かったが、

その遺体は肉食獣に食い散らかされたような惨状だった。

武術家なら、あんな殺し方はしない...一体、鬼にどんな変化が起きたのか。


「実戦に多少の見込み違いは珍しくない。

作戦変更、先手を打つ。全力、殺すつもりでやれ。」

「殺すって、人は鬼を。」

「あれは貴様が武人だと知らぬ。悟られるな。機会は一瞬、一度きり。

貴様の先手で人の心は絶える。その後の相手は、正真正銘の鬼。」


それはゆっくりと中庭を横切り、2人の座るベンチに歩み寄る。

「怖いなぁ。」 「貴様、笑ってるぞ。」


「...亜△。」

ベンチから少し離れた植え込みで、俺はその声を聞いた。

底知れぬ威圧感。不吉な、調子。空気が重く、湿っていく。


始まる。


「あんた誰? ○樹に、頼まれたの?」 「...」

「警察から聞いたわ。全部あんたがやったんでしょ?

ホント卑怯者よね、自分のしたことは棚に上げて復讐なんて。

それで、最後は捨てた女まで?最っ低。」


「亜△、熱くなるなって。コイツ呼び出したらオレたちの役目は終了。

あとは警察に任せろ。卑怯者の元カレのせいで怪我なんて馬鹿馬鹿しい。

さ、もう行けよ。ほら、刑事さん達が来る。おっと。」

青年は立ち上がった。御影さんを追おうとした鬼の正面。


「どけ。」

「無~理。元カレと違って、オレは卑怯者じゃないんで。」


御影さんが植え込みの陰に駆け込んで来た。

「油断するな、必要なら剣を。」 「はい。」

手筈通りに肩を貸す。手早く弓の弦を張る、御影さんの見事な手際。


一瞬たりとも無駄に出来ない。

御影さんが矢を取り、鏃の鞘を払うのを確認して走る。

所定の位置で短剣の柄を握った。

もし青年が為損じても、御影さんが矢を射るまでは俺が。


背後で、御影さんの気が満ちていくのを感じる。もう少しだけ、時間を。


神器の気配に気付いたのか、鬼の注意が逸れた。その刹那。

鬼の顎に、青年の一撃。 嫌な、音。 続いてこめかみ、そして首。

鬼の体からがくんと力が抜け、両膝を付いた。

人間なら間違いなく致命傷、しかし青年は数歩離れて構えを取る...やはり。

数秒後。軽く首を振り、鬼は立ち上がった。

回復している。もう、奇襲は通じない。


流星を、見たと思った。

スローモーションのように、一筋の青白い光が鬼へ向かっていく。

色とりどりの、数知れぬ光の粒子がそれを追いかける。

そうだ。御影さんはあの時、破魔の矢は『日月一対』だと。

なら、この矢は『月』。間違いない



ぞっとする、うめき声。

鬼の胸に刺さった矢が、青い炎を吹いていた。

思わず膝から力が抜ける。これで。


「おかしい。耐性、『真作』か?」 背後から御影さんの呟きが聞こえた。

「真、作?」


鬼が右手で矢を握った。微かな煙、肉の焦げる臭い。

そのまま、傷口近くから矢を折る。掌に焦げ付いた矢軸を振り捨てた。

青い炎が、消えかかっている。痛みを堪えるように、鬼は背中を丸めた。

まさか...矢は一本だけ。これで滅せないのなら、もう策は無い。


「Rさん。師匠を。」

構えたまま、青年が後退る。目の前、俺を庇うように。


鬼が、地面すれすれを跳んだ。

躱しきれずに、青年の体が浮く。そのまま俺もまとめて、弾き飛ばされた。

途轍もない力と速度。受け身を取る間もなく、背中から地面に。

隣に、青年が倒れている。動かない、あのタックルをまともに受けたら...


そう言えば、鬼は?

3m程先、それが倒れていた。ダメージはあるのだろうが。もしも。


温かな手が、俺の頬に。覗き込む切羽詰まった表情。御影、さん?

「緊急事態です。剣の委任を、△木野之主様に。」

緊急事態?ああ、御影さんがこの短剣で...後頭部を打ったせいか、意識が。


「Rさん、早く。もう、鬼が。」

!!そうだ。委任の申告。差し出した短剣を、柔らかな手が取った。

「有り難う、御座います。」

鞘が俺の手に...え? 視界の端、後ろ姿と、長剣。


神器に決まった形は無い。

御影さんが必要だと思えばそれは長剣にも。

待て、さっき『Rさん』と。なら、さっき短剣を取ったのは。

何とか体をひねる。既に鬼は、立ち上がっていた。


あの構え。

『烈風』の型。一度だけ、神事で見た事がある。まさか?


怯んだ鬼に向け、一直線。速い。

右からの袈裟懸け、間髪を入れず左下段から斬り上げる。

鈍い音がして、腕が地面に落ちた。鬼の、右腕。

タイミングからして、斬り上げた剣。斬れるなら、未だ望みがある。

しかし、御影さんは片膝を付いた。息が荒いし、動かない。


そうか、神器。一射で限界の矢、その後であの剣を。これ以上は、もう。

鬼が、右腕を拾い上げた。そのまま体を低く、攻撃態勢に入る。

まずい。膝を付いた状態であのタックルを受けたら、いくら御影さんでも。

体は生身。第一、その身体は姫の。



「間に合いましたね。御英断でした。」

「何年ぶりかな、貴方の運転は。速いが、目が回る。」

「今更そんな弱音を。さあ、御役目です。」


場違いな、穏やかな会話。夢か...でも、この声は。


「相手が違うぞ、狙うべきは私だろう?」

夢ではない。明るい声。空気が軽く、乾いていく。

攻撃態勢の鬼へ、軽やかに歩み寄る後ろ姿。


!! 当主様、どうして此処に!?


「やはり『真作』。よくもまあ、こんなおぞましいモノを。」

「当主、か。」

「そうだ。当代随一の武人と最高位の術者。指揮は私。

旧い敵に、最大限の敬意を表した。これ程の布陣なら、思い残す事もあるまい。

『真作』も『亜作』も纏めて、哀しい因縁は今夜限り。」


鬼が攻撃態勢を解いた。真っ直ぐに当主様を見詰める。


「操者を得て活動できれば、そちらから会いに来る。そう、思っていた。

さて、どうだ、この力が、欲しくなったか?

ありふれた『亜作』などとは比較にならぬ、真の鬼。

破魔の矢一対でようやく。それ以外、どんな術者も武器も、式ですら無力。」


滑らかな口調。これが、真の『操者』。そして、鬼を作った術者。

それは、低く湿った声で笑った。


「全てを水に流し、手を組もうぞ。

御前達の術に、これが加われば文字通りの無敵。」


「何人必要だった?」 「何、だと?」

「その化物を作るために何人殺した?

敢えて半端な術を広め、作らせた数多の『亜作』にも...

一体どれだけの人と獣が犠牲になったか。」


「性懲りも無く綺麗事を。力こそ、勝者こそ正義。正直になれ。

この力を手に入れれば、身内の術者を敢えて危険に晒す必要もない。

さあ、その手でこの矢を抜け、それを契約の証としよう。」


「虐げ、奪い、殺す。本当に、それだけが、お前達の望みか、...

私が当時の当主に代わり、心から謝罪する。

お前が化物に逃げ込むのを防げなかったばかりか、その行方をも見失った。

そして終に、その腐った性根を叩き直せなかった不始末を。」


「愚か者。この『力』は、我等の術の粋。これを無に帰すなど。」

「それがお前達の術の粋なら、おぞましい化物の始末こそ、我等の術の粋。」

「この矢、『月』でさえ滅せぬものを」


「喋り過ぎだ。」 「何?」

「『破魔の矢一対でようやく』、予想通りだ。

我等は探し続けた。当時、所在の判らなかった、『陽』を。」


鬼が攻撃態勢に入る前に、当主様は軽く右手を挙げた。

深い深い憂いを含んだ、寂しい後姿。


雷のような、閃光と轟音が俺の上を奔った。

それは当主様の右肩をかすめて鬼へ。

数秒後、それが立っていた場所に残ったのは、小さな灰の山。

歩み寄り、当主様が拾い上げた2つの鏃。それは恐らく、破魔の矢の本体。


「『真作』と分かっていれば、これ程の...酷い事をした。」

「責めてはなりません。御自分も、周りも。

皆、出来る限りの事をしたのですから。」

「しかし...いや、皆の手当を頼む。特に、Lには特段の。」

「御意。」


『特にLには』って。

じゃあ、あれはやはり御影さんでなく、姫が。



夢を、見ていた。

既視感。古い、大きなお屋敷の庭。俺の手に一本だけ、大きな、紅い花。

その花々が生け垣全体を彩っていた時には気が付かなかった、

控えめで爽やかな芳香。


腕の中の温もり。深い光を湛えた双眸が、真っ直ぐに俺を見詰めている。


「どっちなんですか?今の、あなたは。」

その美貌は微かに笑った。

「御影、だ。」 「じゃあ、あの時、剣を取ったのは。」

「本当に御前は良い嫁を持った。嫉妬で、この身が焼かれる程に。」

「冗談は止めて下さい。御影さん程の、なのに嫉妬だなんて。」


「この術に体を委ねている間も、周りの事情を把握できる。それは知っていた。

しかし、術の力を越えて体の制御を取り戻すなど、出来る筈がない。

なのにあの時、術も我も全くの無力だった。御前への、想いの前で。」


ああ、恐らく『禁呪』。御影さんを驚かせたなら、それは飛びっ切りの。

嬉しくないと言えば嘘になる。しかし、姫の寿命は。


「Lさんは『現人神』の娘です。少し位、他の術者と違っていても。」

「少し位?その違いがどれ程のものか、御前には分からぬか。我がどれ程...」

「教えて下さい。どうすれば、御影さんの心が安らぐのか。

今回は、Lさんの力、御影さんの力、どちらが欠けても解決出来ませんでした。

当主様と桃花の方様が間に合ったのは、2人の力があったからです。」


唇を噛んで、数秒。ようやくその表情が緩んだ。


「朝まで、このまま寝かせてくれ。術が解けるまで。」

「分かりました。つまりLさんもそれを許して」

「黙れ。」



それからは時折、不思議な事が起きた。


Sさんが仕事に出て、姫と2人で子守をしている時。

丹を抱いて、姫はその寝顔を見詰めていると思ったのに。

「愛しいもの、なのだな。幼子とは。」

穏やかな呟き、その響きに驚く。何時の、間に。


姫と遊んでいた翠が、呼びかける声に驚く事もある。

「みーちゃん、それ、違うよ。ほら、こうやって。」


どうやら2人は、術とは関係なく入れ替わる事が出来るらしい。

双方の同意が必要なのは自明だが、それがどんなタイミングで成立するのか、

そもそも2人がどうやってコミュニケーションを取っているのか、

俺には全く分からない。


「相性からして『生まれ変わり』と言って良い程、他生の縁が深い。

更に、あの術が2つの魂の垣根の一部を取り払った。そう考えるしかない。」


そう言ってSさんは笑った。

「別に良いでしょ。特に困る事もないんだし。」と。


確かに困る事はない。

そして、2人の感情表現は以前より豊かになったように感じる。

それはむしろ、好ましい変化かも知れない。

時を越え、それぞれ別の旅路を辿る魂が成長できるなら、

それは『良縁』なんだろう。


しかし、知らない内に2人が入れ替わるのは...

いや、『良縁』の前では、俺の懸念など取るに足らない。


『鬼(結)』了/『鬼』完

 『鬼』完結です。 本日投稿予定は1回、任務完了。

次話以降の検討・投稿準備の為、明日からお休みを頂きます。

新作投稿の場合、お休みが長引くかも知れません。御容赦下さい。

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