3502 裁許(中)
3502 『裁許(中)』
さっきまでとは打って変わって、榊さんは晴れやかな笑顔。
「どう言う、事ですか?」
「俺の勘だが、十中八九、その男が事件に関わってる。
だが、全く証拠がない。何より、遺体が見つかってない。
専門の部下と警察犬を連れてきたが、事件当日と昨夜の激しい雨。
臭跡はすっかり流れて、消えてしまっただろう。」
成る程、それでSさんを通して俺達に依頼を。
「じゃあ、術を使って遺体の場所を?」
「そう。術者なら、あのポーチを使って場所を探れるんじゃないか?」
「分かりました。やって見ましょう。」
榊さん達が設営した、大きなテント。即席の捜査本部。
3人。榊さん、翠、俺。
「これが、そのポーチだ。」
件の女性が最後まで身に着けていた品。
有名ブランドのウエストポーチ。値段もそれなりだろう。
自分で買ったにしろ、誰かからのプレゼントにしろ、思い入れは深い筈。
しかも財布の中には各種カード、結構な額の現金も入ったままだ。
これなら、女性の記憶が残っている可能性は高い。そう思った。
しかし。
「駄目です。手がかりになりそうなものは何も。
このポーチから読み取れるのは、日々の些細な出来事の断片的な記憶。
殺人や死亡事故なら、激しい感情が刻まれている筈ですが。」
死んだ人の魂が、この世に留まり続ける。いわゆる『幽霊』。
生きている人の魂が体を離れて活動する。いわゆる『生霊』。
普通、それらは稀な霊質の魂を持つ人に限られる現象。
しかし、死に至る出来事の記憶や死ぬ直前の情景が持ち物や場所に焼き付く、
それは魂の霊質に関係の無い一般的な現象。それなのに。
「でも、その男が嘘を付いているのは間違いないですよ。
『鷲の化け物』に攫われたのに、恐怖の感情や苦痛の記憶が、
一切残っていない。そんな訳が有りません。」
そう、発見された状況から考えて、ポーチは攫われた後も暫く女性の体に。
「そうか。」 榊さんは腕を組み、俯いて暫く考え込んだ。
顔を上げたのは、多分、数十秒後。
「なあ、翠ちゃん。」 「はい。」
「何でポーチを見る前に『あの男が嘘を付いてる』って分かったんだい?」
!? そう、だ。何故、気付かなかった? 一体、翠はどうしてそれを。
「おおとりが、悲しんでるから。『かかわりのない人はおそわない』って。」
榊さんは俺を見詰めてニッコリ笑った。
「R君、翠ちゃんと『鵬』の関係を聞かせて貰おうか。」
「ええと、『鵬』は翠の式です。巨大な猛禽の妖で...」
「俺自身、常々自分を相当に変な存在だと思ってる。
だが、君達はいつも『俺の常識』の範疇さえも遥かに超えていくなぁ。
Sちゃんと一緒に仕事を始めた頃を思い出すよ。」
榊さんは懐かしそうな笑顔を浮かべた。
「さて、翠ちゃん。翠ちゃんはどうすれば良いと思う?
このままだと、翠ちゃんの『お友達』が悪者にされたままなんだが。」
「会えば分かってもらえると思う。おおとりに、その男の人が。」
「じゃあ『お友達』を此処に呼べるかい?」 「うん、呼べる。」
「どの位かかるかな?あまり時間がかかるとマズいんだよ。」
「お父さん。」 翠は困ったような顔で俺を見上げた。
お屋敷から此処まで、直線距離で約450~500km。
鵬の全速を、俺は知らない。
だけど一般的な猛禽なら、最高速は楽に時速200kmを超える。
しかも、通常の活動であれば、式は疲れを知らない。
翠の命となれば更に速く飛ぶだろう。
「ざっと、2時間。それ以上かかる事はないでしょう。
もし、それより早く着いたらこの近くで待機するように手配すれば良いかと。」
「翠ちゃん、今から2時間半後。3時丁度に、その男を連れてくる。
場所は、此処に上って来る途中に有った展望台。分かるかい?」
「うん、分かる。上ってくる時、そこできゅうけいしたから。」
「そうか、じゃあ早速『お友達』に連絡してくれ。」 「分かった。」
二人が顔を見合わせて微笑む。どちらも、怖い笑顔。
榊さんは時代劇の悪代官みたいで、翠はSさんそっくり。
『Sちゃんと一緒に仕事を始めた頃を思い出す』 榊さんはそう言った。
その時も、榊さんとSさんは、こんな感じだったのか。
だとしたら、犯罪に関わった者にとって『最悪』だ。
それは知らぬ間に張り巡らされる、蜘蛛の糸。
あるいは不意に足下を掬う、蟻地獄の漏斗。
どちらにしろ、絶対に逃げられない。最凶の陥穽。
「それで、この位置から女性の後ろ姿を見た訳ですね?」
「そう。あのベンチ所に立って、崖の向こうを見てる感じで。
雨が降ってたし、その少し前に凄い雷が鳴ってたから、
展望台の屋根の下で雨宿りしてるんだろうな~、と思いましたね。」
「あなたは、その雨の中を山小屋へ?」
「この山には、中学生の時から上ってるんでね。
雨はともかく、暫く雷は収まると分かったから、急いだんですよ。
それに、あの山小屋。女将さんのカレーが美味いんです。
何とか昼飯にありつこうと思ってましたから。」
「巨大な鳥を見たというのは?」
「此処から少し上った所です。雷雲の、西の方角に。
相当高い所を飛んでるみたいで、ハッキリした大きさは分かりません。
でも、鷲や鶚とは比べものにならない感じでした。
それに普通の鳥は、あんな雨と雷の中を飛ばないし、何だろう?と。」
「大体の見当で良いんですが、その鳥の大きさはどの位?」
「飛んでる高さと、見える感じが飛行機みたいだったんです。セスナ機。
だから、もしかしたら翼長10m以上かも。でも絶対そんな筈ないし。
女将さんから『鷲の化け物』の話を聞かなかったら、
忘れちゃってたでしょうね。勘違いって事で。」
「山小屋でカレーを食べた後、この道を下ったんですよね?」
「はい。女将さんが人手不足で困ってるって言うんで、
主に肉と野菜の仕入れと運搬を、バイトで引き受けたんです。」
「此処を通ったのは、何時頃?」
「山小屋に着いたのが、12時過ぎだったから。
カレー食べ終わって、倉庫で背負子を選んで...13時半くらいですかね。」
「その時既に、此処には女性の姿は無かった?」
「はい。天気が悪かったから、登山を断念して下山したんだと思ってました。」
「榊さん、これはマズいですよ。関係者3人の証言に矛盾はない。
でも証言の通りなら『鷲の化け物』が女性を攫った事になる。
そんな化け物がいる筈無いのに。」
「高橋、決めつけるのは良くない。何時も言ってるだろ。」
「10mの鷲ですよ?幾ら何でも。」
「まあ10mかどうか知らんが。例えばアレも、かなりデカいぞ。」
「何処に...え?」
榊さんと部下が『捜査本部』を出て5分後。俺と翠も展望台を目指した。
展望台が見えてきた所で一旦足を止める。
榊さん達が、若い男を伴って実況見分をしているのが見えた。
若い男は時々地面や空を指さして質問に答えているようだ。
やがて3人は小さな東屋に移動した。
行方不明になっている女性が雨宿りをしていたという場所。
ゆっくりと、翠と2人で東屋に近付く。
榊さんの部下は崖を背にしていた。
当然、部下と向かい会って話す若い男は登山道に背を向ける。
気付かれる事無く、東屋から30m程離れた岩陰に俺達は身を隠した。
榊さんの部下が若い男と話を続け、榊さんは黙って2人を見詰めている。
やがて榊さんが崖の方向に数歩、手すりに両手をかけた。
あれは『合図その①』。さっきの打ち合わせ通り。
「お父さん、①の合図だよね?」 「うん。」
翠は眼を閉じ、小さな声で呟いた。鵬の『真の名』。
30分程前から鵬は遥か上空を旋回していると、翠は言った。
翠の命を受けたら急降下。崖側から展望台に接近する。
此処から先の展開は、翠と榊さんの作戦。力業だ。
2人の予想通りになるかどうか、全く分からない。
「榊さん、あれ、近付いてきてますよ。」
「おお、凄い速さだな。高橋、今からの事は一切他言無用、良いな?」
「でも。」 「一切、他言無用。お前の為だ。」 「...了、解です。」
鵬はもの凄い速さで展望台に向かっていた。
しかし東屋の手前で急旋回、東屋の傍をすり抜ける。
中にいた3人が風圧であおられる。榊さんの部下と若い男は尻餅を着いた。
「なあ○原、お前が見たという巨大な鳥はあれだな?」
「まさか本当にあんな...いや、確かに、あれだったかも知れない。
あの大きさなら楽に、人を攫える。」
「そうか、マズいな。実は、あの鳥はお友達なんだよ。」
「お友達って、誰の。」
榊さんは俺達の方に顔を向けた。 合図、その②。
翠と2人、東屋に向かう。
「6歳の女の子さ。その子が言うには、『鵬』は人を襲わない。
それで今『鵬が疑われているのは凄く哀しい』って。」
「...でも、実際に人が、消えた訳だし。あの鳥なら」
「おにいちゃん。うそついたらダメだよ。」 「え?」
振り返った若い男の、呆けたような顔。
「翠がたのまなければ、おおとりは人をおそったりしないよ?」
翠を見詰めて、若い男はジリジリと後退った。
「今はかなしんでるだけ。でも、お兄ちゃんがこのままうそをついていたら、
おおとりは怒る。そしたら翠がたのんでなくても、人をおそうかも。」
鵬が再び東屋の傍を、いや更に近く、殆ど軒下をすり抜けた。
凄まじい風圧、あらかじめ体勢を整えていなければ吹き倒されたろう。
実際、榊さんの部下と若い男は床に転がっていた。
「次は、やねの下を通るって。もう。」
翠は崖の彼方を見詰めた。榊さんは部下を引き摺って東屋から出る。
若い男は翠と崖の向こうを何度か見比べた。
翠の言葉が本当なのか、東屋から出て逃げられるか、考えているのだろう。
「翠、東屋から出るよ。鵬の狙いは一人だけだからね。」 「うん。」
「待て、待ってくれ。あの鳥は関係ない...俺が、やったんだ。」
『裁許(中)』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




