3405 新しい命Ⅲ(結)
11/17 追記
検討の結果、次作は『裁許』と決定しました。
以前の掲示板では未公開の新作なので、もう少し投稿準備の時間を頂きます。
どうぞ気長にお待ち下さい。
3405 『新しい命Ⅲ(結)』
「想像妊娠。の、途轍もなく極端な例でしょうか。
詳細なフィクションの日記を書く行為を通して、
彼女は強固な妄想の世界を作り上げ、その世界に深く深く入り込んだ。
理想の夫との幸せな結婚生活の妄想は、
彼女にとって現実以上の存在感を持ってしまったんです。
だから彼女の体が反応した。それで、きっと妊娠が現実に。
彼女がどれ程に稀な霊質と強い『力』を持っていたとしても、
人間にそんな事が可能なのか、僕には全く判りませんが。」
「余程の荒唐無稽でもなければ、
人の、心の底からの願いが実現する可能性は有るわ。
知覚した情報をもとに再構成した心象風景こそ、
その人にとって常に世界そのものなのだし。
それは時に他人にとっての現実を浸蝕する程の『力』を持つ。」
以前Sさんから聞いた事がある。
『良くも悪くも、強い想いは現実を変える。』
それは人だけに許された特権。そして同時に、人だけが背負う罪。
「彼女があっさり身を引いたのは、自分の妄想を守ろうとしたからよ。
周りの人間を巻き込んだ修羅場になって、
裁判沙汰にでもなれば、幸福な妄想は持続しない。
何より、その過程で愛する人が自分を全く愛していないという事実を、
それを確認する事だけは」
Sさんは突然言葉を切り、視線を逸らして窓の方向を見つめた。
その瞬間、Sさんが気乗りしない様子だった理由を理解できたと思う。
そしてあの夜、翠を抱き締めて流した涙の意味を。
勿論、問答無用で滅するに値する事例。
しかし、その切掛は純粋な恋慕。彼女は相手が既婚者だと知らなかった。
そして許されぬ恋だと知った後も、
どうしようもなくその想いに身を焦がした女性の熱情。
Sさんも、女性。
例え術者と言えども、それを断罪する立場に立つのは辛い。
しかし、今俺達がやるべき事、それは。
「もう彼女の命は取り戻せません。哀しいけれど、それが現実です。
それなら、あの女性の子供にどう対応するか、それを考えるべきですよね?」
Sさんは俺に視線を戻し、優しい笑顔を浮かべた。
「問題は2つね。1つ。その子には未だ魂が宿っていない。
通常の妊娠なら、ごく初期に宿る魂との絆が生じる筈だけれど。
恐らく、このような事例では絆を生じる『縁』が作用しないのね。」
「Sちゃん。それだと子供の体が『器』になって、マズい事になるんじゃ?」
「その子が生まれたのは私が張った結界の中だったし、
生まれた子には管を貼り付けたままです。
悪しきモノが、その子の体に宿る事はありません。」
そうか、魂が宿っていないから、翠は感知できなかったのだ。
あの大きなお腹を。つまり、お腹の中の胎児を。
「2つ。母親の命しか受け継いでいない子は、普通の子よりも生命力が弱い。
だから妊娠に関わった妖や精霊はそれを補う『贈り物』すると言われてる。
例えば、強い生命力、類い希な強運、あるいは並外れた才能。」
「なら、母親の胎内に光や何かが入り込んで生まれた偉人ってのも
あながち出鱈目じゃないって事になるな。だけど、あの子供はどうなる?
強烈な妄想が生み出した妊娠の結果だとしたら、
『贈り物』どころか庇護する母親さえいないのに。」
「『贈り物』を受け取れなければ、その命はやがて尽きます。
そうですね。10日、保つかどうか。」
あの女性の心停止。
蘇生の見込が無いと判断したO川先生は即座に帝王切開を行った。
赤子だけでも助けようと。
しかし果断な処置にも関わらず、その子は市内の大学病院に搬送され、
新生児ICUで生死の境を彷徨っていると聞いていた。
「なあ、Sちゃん。何とか子供を助けられないのかい?
勿論Sちゃん達に障りがなくて、
子供が成長した後に問題が起きるとかでなければ、だけどさ。」
榊さんは自身の事情も有って、生まれた子に感情移入をしている。
そしてそれは俺も同じ。
自分の子が生まれてくるタイミングで、他の子の命が尽きるのを見たくはない。
例えそれがどんな経緯で生じたとしても、
人の形をしているだけの、未完成の存在だとしても。
「そう、ですね。もし術を使って子供を助けられたら、
あの女性が生きた証を残せます。Sさん、何か使えそうな術は。」
「そんな術はない。と言うか、
これ以上の術を使わなくても子供が助かる可能性は有る。」
「Sちゃん。それ、一体、どうすれば?」
Sさんが取り出したのは白い布袋。 中身は、藍の身代わりになった、人型。
「これは、桃花の方様にお願いして作って頂いたもの。白の宝玉の力を借りて。」
白の、宝玉? その名を聞いた途端、心の奥が波立つ気がした。
「その力は、魂を初期化する。穢れも悪意も全て浄化して。
残るのは、積み重ねた強い思い。想いに身を焦がし続けた、悲しい魂。
この人型に残った術が行方を示すから、魂が道を間違う事はない。
勿論その魂がそれを望まなければ、その術は何の力も持たないけれど。」
そうか、そうだったのか。だからあの時、2人は白の宝玉を用意していたのか。
「この人型の中に取り込まれた想いと魂を『贈り物』にするって事だな。
なら、この人形を子供に、あの病院に届ければ。」
「ちょっと待って、下さい。」
Sさんは俯いて眉をひそめた。
直後、ポケットのケイタイが震えた。慌てて画面を見る。姫だ。
「もしもし」
「お父さん、お姉ちゃんが、お腹痛いって、すぐ帰ってきて。お願い。」
まさか、Sさんの感覚でも、出産は未だ。
「榊さんなら、この人形を届けられますね。母親の形見として。」
「それは俺に任せて早く病院へ。
間に合わなかったら、きっと一生後悔するぞ。」
俺とSさんは駐車場へ走った。本気だと、Sさんは驚く程走るのが速い。
「鍵、頂戴。」 「でも。」
「焦るあなたより、私が運転した方が早いし安全。」
確かに、そうだ。覚悟を決めた。
規則正しい、安らかな寝息。
少しハイになっていた姫も落ち着き、姫と赤子は並んだベッドで寝入っている。
それからたっぷり一時間、2人の寝顔を眺めてから、カーテンをくぐった。
「2人とも、もう寝たのね?」
「はい、ホントは朝まで傍にいたいんですが。ちょっとトイレに。」
トイレから出ると、Sさんが小さな机の前で背中を丸めているのが見えた。
翠は藍を抱いたまま、俺のベッドで寝入っている。
「これ、今まで見た事も無い材質だわ。
赤珊瑚に似てるけど、もっとずっと硬度が高い。」
それは、生まれてきた赤子が右手に握り絞めていた勾玉。
鮮やかな赤、透き通った深い艶。
「今まで無いと言えば、色もそうですよね。
今までは皆、寒色の系統だったのに。」
水晶、白瑪瑙、翡翠。そして瑠璃。でもこの勾玉は深紅。
「そう。だけど、この気配。前に何処かでって思ってたの。もしかしたら。」
Sさんは黒革の鞄を探り、白木の小さな箱を取り出した。この箱は...
細く白い指が蓋をとり、それを取り出した。白い鱗、真珠のような光沢。
机の上に置いた勾玉にその鱗を重ねる。小さな、渇いた音が聞こえた。
七色の、光の粒子。まるで小さな蛍のように、勾玉と鱗の周りを飛び回る。
蛍光灯の光にも負けない、そして『光塵』よりも強く色鮮やかな。
「やっぱりね。この勾玉の基になった血と、この鱗の持ち主は同じ。」
「あの子も、『力』を持っているんですね?翠や藍と同じように。」
「そうね。不満?それとも不安?」
「いいえ。皆同じです。僕には過ぎた女性が産んでくれた、力を持った子供達。
その子達を大切に育てて、それぞれの資質を実現するために、僕は生きます。
Sさんも、きっとLさんも、同じ考えだと信じていますから。」
Sさんの頬を伝う涙。
「そうよ。何時だって何処だって、それが親の義務だもの。」
部屋の灯りを消して、姫のベッドを囲むカーテンを開けた。
翠と藍を畳間の布団に寝かせ、毛布を掛ける。
もう一度、姫と赤子の額にキスをしてから、俺も布団に入った。
「予想もしない事が続いて、どうなる事かと思ったけど。これで一安心ね。」
「はい、今夜からまた、細切れ睡眠の日々ですけど。頑張ります。」
「『お父さん』は益々責任重大。でも大丈夫、愛してる。」
「僕も、です。」 「ちゃんと、言葉にして。」 『愛してます。』
姫が産んだ赤子の名は、丹。
『新しい命Ⅲ(結)』了/『新しい命Ⅲ』完
休日の生活習慣改善、朝投稿継続中。本日投稿予定は1回、任務完了。
『新しい命③』は完結。次作の検討と投稿準備の為、明日からお休みを頂きます。




