表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第4章 2011~2013
130/279

3403 新しい命Ⅲ(中)②

3403 『新しい命Ⅲ(中)②』


何時の間にか、俺の右側の廊下に女性が立っていた。

間違いない、あの日此処で声を掛けてきた女性。

ただ、黒っぽい服を着た体はすらりと細く、あの日とは違う。

亡くなったのは、出産の後だったのだろうか。


『お子さん達、どうかしたんですか?』

「ええ、娘が少しぐずったので、少し散歩です。3人で。」

翠の耳に、そっと口を寄せた。


「翠。ごあいさつ、できるかな?」 翠は顔を上げ、女性の方に向き直った。

「こんばんは。」 「今晩は。お姉ちゃんは今夜も赤ちゃんと一緒だね。」


女性は一歩踏み出して少し屈んだ。


「ホントに可愛い赤ちゃん。

ね、お姉ちゃん。ちょっとだけ、抱っこさせて頂戴。お願い。」

顔の前で手を合わせる、おどけた仕草。だが、その眼は全く笑っていない。


ふっ、と、翠の体から固さが消えた。

軽やかに体を捻って俺の膝を降り、床に立つ。


「良いよ。少しだけなら『藍』を抱っこしても。はい。」

立ち上がり、女性を真っ直ぐ見つめ、差しだした翠の腕には。

...藍? いや、翠の『呪』が加わったそれは、藍そのものだ。


「有り難う。ちょっとだけね。」

深く屈み、顔にかかる髪。女性は『藍』を抱き上げた。


「可愛い。ホントに可愛い。この子はこんなに可愛いのに、私の、赤ちゃんは。」


髪の毛に隠れ、目の色は伺えない。

しかし、微かに歪んだ口元を見れば十分だった。


「私の赤ちゃんは何処に行ったの?昨日までは確かに。」

ぎこちない姿勢で『藍』を抱いていた女性の右腕がゆらりと動いた。

「分かってる。私は、昨日死んだ。それは良い。でも。」

女性の右手はゆっくりと『藍』の頬から首に。


「やめて、そんなの駄目だよ。」

「お姉ちゃん、御免ね。でも一人は嫌なの、寂しいから。」


突然乾いた音が響き、『藍』の体が光に包まれた。


「あ。何?」

女性の両手が燃えていた。青い炎がゆっくりと拡がっていく。

胸の奥が、痛い。


『救える人もいるし、救えない人もいる。』

俺と翠を送り出す前、Sさんはそう言った。

『救えたとしても術者の手柄ではない、救えなくても術者の罪ではない。

結局旅の目的地を決めるのはその人自身。

自ら破滅を選んだ人の魂は誰にも救えない。』と。


女性の姿が大きく揺らぐ。

青い炎は既に女性の全身に拡がり、勢いを増していた。

炎が勢いを増すほど女性の姿は薄れ、存在感を失っていく。

ただ、熱気を全く感じない。ソファに引火する様子も無い。

Sさんの術が生み出した、浄化の炎。闇に侵食された魂を焼き尽くす、業火。


『逃げるだけでは駄目、そんなの当たり前でしょ。

誰も、教えてくれなかったの?』


翠が女性を見つめている。でも違う。これは、Sさんの声だ。


『自分の夢から逃げ、愛した人から逃げ、最後は自分の人生から逃げた。』

女性は顔を上げた。

『逃げてなんか...私は、ちゃんと結婚して、妊娠して。』

『それで、あなたは誰と結婚したの?誰の子を妊娠したの?

あなたが死んだと連絡しても、あなたの夫が全く反応しないのは何故?』


『それは...』 女性の姿は消え、床に人形が落ち、俺の足下に転がった。

人形を拾い上げる。髪の毛、人型を編み込んだ辺りが焦げていた。


Sさんが人形に仕込んだ2つの術。『浄火』と『逆針』。

発動した術は炎...結局、最後まで女性の心は光に背を向けていたのだろう。

もちろん自業自得、しかし、胸の痛みは消えない。

事情は分からないが、さっきの会話からすると不倫がらみかも知れない。

そうだとしたら、この女性だけの罪ではない筈。


「お父さん、どうして?」


戻ってる、翠の声だ。そっと抱き上げる。

「どうしてって、何のこと?」

「あの女の人、どうしておよめさんになれなかったの?

およめさんになれたら、赤ちゃんが出来たら、

きっとあんなひどいことしなかったのに。」


? お嫁さんになれなかったって...

翠はあの女性の心を、それともSさんの術か?


「ハッキリ分からないけど、

好きになった人にはもうお嫁さんがいたのかもしれないね。」

「だ・か・ら、どうして?

おかあさんもおねえちゃんもお父さんのおよめさんでしょ?

あの女の人だって、2人目のおよめさんになれたはずでしょ?」


そういう、ことか。成長する過程で、いつか話す時期が来ると思ってはいた。


「良く聞いてね。お嫁さんは一人。それが普通なんだよ。」

「でも、お父さんは。」

「三人で相談して、それが『幸せ』だって決めたから。

『幸せ』の形は自分で決めるもので、それは一人一人違っていてもいいと思う。

もちろん『お嫁さんは一人』っていう考えが間違ってるなんて思わない。

それに。」


「それに、なあに?」 じっと俺を見上げる、澄んだ瞳。


「自分の考えを他の人に押しつけるのは良くないよね。

『お嫁さんは一人』って決めてる人達に、別の女の人が『2人目でも良い』って、

無理矢理お嫁さんになるのはダメでしょ?それじゃ誰も幸せになれない。」


「1人目のお嫁さんに、だまっていてもだめ?」


浮気とか、不倫? ...結構、核心を突いてくるなぁ。

「う~ん、絶対に知られなければみんな幸せかな。

いや、やっぱり難しいと思う。」


「どうして?」

「『お嫁さんは一人』って考えが普通なんだから、

『2人目でも良い』って女の人は滅多にいない。それだと、どうなると思う?」

「1人目のお嫁さんに、お嫁さんをやめてって言うかもしれない。

自分がお嫁さんになって、男の人を自分のものにしたいから。」


「翠、どんな人だって、他の誰かを『自分のもの』には出来ないよ。

例えばお父さんがどんなに翠を好きでも、翠は『お父さんのもの』じゃない。

いつか大人になって、誰かを好きになって、自分の幸せを見つけるんだから。」


暫く黙って考えていた翠が顔を上げた。


「きっと、あの女の人は男の人を『自分のもの』だと思いたかったんだね。

だから大人なのにおままごとして...何だか、かわいそう。」

?? 『おままごと』 妊娠、したのだからおままごとでは...


突然、言いようのない不吉な感覚に捕らわれた。

もしかして、好きな男を別の男に投影したのだろうか?

その男と結婚して、その男の子供を?

いや、幾ら何でもそれは。それなら浮気や不倫の方がよっぽど。


「もうお仕事は済んだんでしょ?すぐに帰ってこないと心配するじゃない。」


Sさんが立っていた。微笑みと共に差し出された右手、無意識に人形を手渡した。

受け取った人形を、Sさんは白い袋に入れた。手帳の時と同じ、携帯用の保管庫。


「これも病室には持ち込み禁止。

取り敢えず今夜は手帳と一緒に車の中ね。お願い。」

俺の腕から翠を抱き取る。俺は交換で白い袋を受け取った。


「頑張ったね、すごく偉かったよ。」

翠は黙って頷き、Sさんの肩に顔を埋めた。

「やっぱり怖かった?」

「うん、最初は少し怖かった。でも、お父さんと一緒だったから。」


翠の髪を愛しそうに撫で、Sさんは小さく肩をすくめて見せた。


「ね、翠。その女の人、最初に見たのと同じ人だった?」

「うん、同じ人だった。」

「最初見た時と違う所があった?」

「...服が、ちがってた。今日はくろい服。」

「それだけ?お腹は、大きかった?」

「ううん、大きくなかった。あの時と同じ。」


??? 翠には、見えてなかったのか。

一目で臨月が近いと分かったし、そして実際に子供が生まれているのに。


「先に戻ってる。心配事の始末は付いたし、なるべくLに付いていてあげないと。

あなたも、それを車に置いたら早く戻ってね。」


白い袋を車に置いて部屋に戻ったのは10時少し前。

既に姫と藍は寝息を立てていた。

翠をあやし寝かしつけるSさんに声を掛けるのは躊躇われたし、質問はお蔵入り。


翌日。朝食の後、一旦お屋敷に戻り、手帳と人形を『保管庫』に入れる。

ただ、手帳は未だリビングのテーブルの上。

病院に戻る前に、調べようと決めていた。


Sさんは気乗りしない様子だったが、あの、▼沢という女性が

あれ程に歪んでしまった事情を知りたかった。

そして、彼女のお腹の子についても。

だから敢えて、手帳と人形を保管庫に入れる役目を引き受けた。


『新しい命Ⅲ(中)②』了

本日投稿予定は1回、任務完了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ